第3項
「いやー昨日は急にいなくなるから心配してたんだ。無事だったんだな!」
爽やかに話す少年とは裏腹に、私は今にも崩れ落ちそうな膝を必死にこらえていた。
「あーそのぅ……。ど、どこかで、お会いしましたっけ? スプーンお付けしますか?」
「まだ何も買ってないぞ。ほら、昨日丘の上で会ったじゃないか」
よもやこんなにも早く、こんなにもピンポイントで恐れていたことがやって来るとは。しかし、まだイケる!ここはすっとぼけてやり過ごすしかない!
「い、いやぁ丘の上ですかぁ? どうだったかなぁ~」
「おいおい、まだボケるような年でもないだろう?」少年も食い下がるが、ここで負ける訳にはいかない。
「う~ん、ちょーっと思い出せませんねぇ」
「しょうがないな。いいかぁ?」そういうと少年は少し間を開けてから大きく息を吸い込み、
「昨日の夕方自分とあんたはこの街の南方にある丘の上で偶然会った。自分は別の場所にいたはずなんだが気がつくとこの場所にいてあんたが目の前に立っていた。あんたは今日付けているのと同じ形だが色は黄色のエプロンを付け手には草が入ったザルのような物をもっていた。自分はあんたに『良い夕陽だな草摘みか?精がでるな』と声をかけるとあんたは『ええまぁ』と応えた。自分があんたに駅の場所を訪ねようとした時丘の下のからゴロツキが二人上がってきた。そいつらは自分たちに武器をむけてきたので自分が叩きのめしたが振り返るとあんたはいなくなっていた。どうだ?思い出したか?」と、一気に正確な情報を吐き出してきた。
なんだこの記憶力……。聖徳太子か?と狼狽えつつ、ここまで完璧な事実をまくしたてられては、さすがに誤魔化しようがなかった。
「あ、あー! そうでしたね! そんなこともあった気がします」
「あったんだぞ。ようやく思い出したか」
物事をはっきりさせ、少年は満足げである。
「しかしこちらは昨日から大変だった。地図を見ようにも文字が読めんし、ゴロツキみたいな連中から追いかけ回されるし。一体ここはどこなんだ?日本じゃないようだが、日本語が通じるってことは、どっかの観光地なのか?」
数千年の由緒ある国パニート、中でもここトーカンドは特に栄えた都市であり、その街並みは日本の某所にある某夢の国とよく似ていて、観光地と見紛うのも分からないではない。
「観光地というか、なんというか……」
ここからどうやって切り抜けたものか……と、しどろもどろになっていると、グオオオオオ!と地鳴りのような音が店内に響き渡った。
「あー悪い悪い! なんせ昨日から何も食ってないからな。腹へった」
頭を掻きながら少し恥ずかしそうに、それでいてやはり爽やかにそう言うと少年は、そのまま真後ろに仰向けで卒倒した。
「うおおお!? お客さーーーーん!!!」
もう私の脇汗は枯渇寸前であった。
「いやー旨かった! ご馳走さん!!」
余り物で作った炒飯を綺麗に平らげ、行儀良く両手を合わせる少年に対して、私は「はぁ。お粗末でした……」とため息混じりに応じる
目の前で突然倒れた英雄候補生という難物の扱いに困った私は、テムさんに午後休みを貰い自宅に連れ帰って来た。
本音を言えば外にでも放り出すのが最善策であったが、さすがに私も人の子である。ましてや日本という融和的秩序で成り立つ国で生まれ育った身としては、自分の行動によって、人がのたれ死ぬかもしれない選択肢を選ぶことは出来なかった。
同郷のよしみを捨てきれず、私は、少年にも流れているであろう我が祖国の血を恨んだ。ドチクショウ。
「なんだかすっかり世話になってしまったなぁ。自分は山田ヨシオだ。ヨシオって呼んでくれよ。おっさんの名前は?」
「おっさんじゃないよ! ヤマニイ !俺はヤマニイっていうんだ」
悪気もなく思ったことを口にする少年に少しムッとするが、私の方もだいぶ砕けてきた。「ヤマニイ」という安直に過ぎる偽名は、テムさんに名前を訪ねられた際に咄嗟に名乗ってから14年間使ってきたものだが、我ながらもう一捻りくらい出来なかったかと思う。
「ヤマニイか、ふーん。……じゃあニイヤマだな、ニイヤマ! はっは! なんか日本人みたいだ!」
「ウゴッ!?」
突然本名を呼ばれ、私は飲みかけていたお茶を詰まらせ危うく死にかけた。
「ごへっ、ごほ! ……な、何だよそれ?」
「いや、なんか呼びにくいからな。あだ名だよあだ名。自分もよく『ダーヤマ』って呼ばれるし」
勇者とは心を読む能力まであるのかと絶望しかけたが、どうやらそこまでのチートはかかっていないようだ。
自分では何気なく言ったつもりの言葉が、相手の核心をついてしまうということがある。よくよく吟味すべし。
「もうちょっとこう、なんかさぁ……」
「えーいいだろ? あだ名なんて、単純な方がしっくりくるもんだ」
なんて安直な!納得いかん!もっと頭を使うべき!と、断固不服を主張したいのは山々なのだが、それらの主張は全て自分に返ってくるのである。
「まぁとにかく助かったよ、ニイヤマ。ありがとな」
屈託のない笑顔で正面から礼を言われると、なかなか文句はつけにくいもので、私は「……ま、いいけどさ」とお茶を濁した。
考えてみれば、いくらとてつもない力を持っているとはいえ、相手はまだ10代の少年である。いきなり知らない土地で頼る人もなく、一晩を過ごしてきた緊張がやっと解れてきたところだろう。
「さぁて、これからどうするかな……」
呟くヨシオの声色に、多少の不安の色が混じるのは当然のことであった。
「実はここは異世界で、俺もお前と同じ日本人なんだぜい!」と声高に宣言する訳にもいかず、なんと声をかけたものかと思い悩んだ末、私の脳裏に浮かんだのは養父の言葉であった。
「ま、強く生きようぜ」
使ってみると意外と便利な言葉だなと思った。ヨシオは少しキョトンとしてから、「うむ、そうだな!」と笑った。
しかし直後、急にヨシオの表情が曇り、窓の方を睨みつけた。
「ど、どうした?」と私が言い切る前に、「外に出るぞ!」とヨシオが応じた瞬間、ドゴン!!という轟音とともに我が家は巨大な岩に押し潰された。
「とうとう見つけたぜ異人野郎! 昨日の礼をたっぷりしてや……ホゲっ!」
「へい兄貴! ……グエっ!」
聞き覚えのある声の主二人の上に、ヨシオに引っ張り出され間一髪外に逃れた私達が着地する。
確認するまでもないが、私達の下敷きになって伸びている二人は、昨日ヨシオにシバかれて包帯を巻いたあのチンピラ達であった。
しかし昨日と違う点は、周囲を弓矢などで武装した、似たような風貌のチンピラ十数人に囲まれていることである。
その集団の中心にいる頭目と思われる身なりの良い男は、他のどのチンピラよりも邪悪な表情をしている上、ヨシオよりも体が大きい。
さらにその男の背後には大型の投石機が置かれ、先程の大岩はこれを使って投げられたのだろうと推測できた。
「なんだ貴様ら? 筋モンか?」
未だに何故自分が狙われているのかは分かっていない様子のヨシオであるが、この認識は的を射ている。奴隷商人は1人や2人で成り立つものではなく、数十人あるいは数百人の構成員からなる組織で行動する。
集団による組織的な犯罪は、事件が表面化しにくく摘発が難しいという点で、日本における「ヤクザ」とほぼ同じ構造と言っていい。
「お前が異人のガキだな。確かに良い値がつきそうだが、うちのモンを可愛がってくれた落とし前を付けなきゃ会社が傾いちまう。悪ぃが死んでくれや」
カタギに舐められては商売にならない、というのがこの手の連中の言い分である。そんな理不尽な理屈でも、私のような力無きものは甘んじて受け入れる他ないのがこの世界の現実である。
しかし、別世界からきた別次元の人間であるこの男はそうではなかった。
「何が会社だ極道の癖に。貴様らみたいなのは文字通り道の端っこで草でも食ってろたわけが!」
さすがに勝ち目も薄く、逃げ場もないこの状況でよくもそこまで強気に出られると感心したいところである。だが、みるみる紅潮していく相手の顔色に反比例して、私の顔面は青くなるばかりであった。
「よーし全員あの減らねぇ口を狙え! 最初に当てた奴にはボーナスだ! ぶっ殺せい!」
号令とともに一斉に矢が放たれるが、ヨシオは避けようともせずに背を向け、崩壊した家の瓦礫に手を突っ込んだ。そして自分の体がすっぽり隠れる程の板を引っ張り出し、眼前に掲げて矢を全て受け止めた。
「うお……」「止めやがった……」
素早く正確な機転に動揺するチンピラ達に、「ボケッとしてんじゃねぇ! 打ち続けろ!」と頭目が檄を飛ばす。
再び矢が無数に飛んでくる中、ヨシオは板を構えたまま、頭目に向かって猛然と走り出した。矢は次々と板に刺さるが、ヨシオの体にはかすりもしない。
「意外と賢しいガキだ、ケンカ慣れもしてやがる。異人でなかったら、うちで飼ってやってもよかったなぁ」
猛獣のような奴が自分に迫っているというのに、頭目は余裕の表情である。その自信は、たとえ虎でも殺せる武器が側にあるからに他ならなかった。
「投石機、出せ! 岩、投げい!」
板で視界が塞がれているヨシオに、直径がタライほどもある岩が放たれる。当然板切れなどで防げる訳もなく、バラバラに砕け散った。
しかし、「あぁ!? おい、いねぇぞ!」と困惑する頭目の言葉通り、そこに潰れたヨシオの体はなかった。
この辺りの建築物は平屋建てが一般的で、高さはおおよそ5~6mがほとんどである。
一番高い建物でも8mほどがせいぜいだが、ヨシオはそれよりも更に上にいた。
「こ、こいつ飛びやがったのか!? うぅ……!」
垂直に10m近くジャンプする事自体とても人間とは思えないが、それ以上に注目すべきはその位置取りであった。
ちょうど正午に差し掛かった太陽は、頭目とヨシオの一直線上にあり、頭目はまだヨシオの姿をはっきり確認できないでいる。
それが計算なのか偶然なのかは当人にしか分からないが、とにかく圧倒的な劣勢から一転優位を得たこのフィジカルお化けは、そのまま頭目目掛けて膝から落ちていった。
バキバキっ!という鈍い音と共に頭目の顎が砕け、巨体が地面に横たわるのに少し遅れて、パラパラと歯が転がり落ちた。
口から血ヘドが混じった泡を吐き出し、頭目は、2度と目を覚まさないのではないかと思えるほどの重症である。
自分達の主が地に伏せられ、狼狽するチンピラ達に、追い討ちをかけるように暴れ続けるヨシオを止める力はもはやない。組織というものは、屋台骨である頭の存在が大きいほど、頭を潰せば容易く瓦解するものである。
体勢は決したな、と胸を撫で下ろしてすっかり油断していた私は、背後でジャリっと地面を踏む音に気づくのが一瞬遅れた。
振り返ると、昏倒から目覚めたチンピラ兄貴が、血走った目で短剣を振り上げていた。
「てめぇも道連れだぁ……」
華々しく敵を打ち倒す主人公がいる一方で、その他大勢が迎える最後というのは、えてしてこんなものである。
目を瞑る間もなく短剣が振り下ろされた瞬間、横から伸びてきたもう1本の白刃が我が運命を受け止めた。
その時、この目に焼き付いた剣の持ち主は、他に言い表す言葉の浮かばない女性だった。
「女神だ……」