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異世界指南書  作者: 鬱ゴリラ
第1章 地の巻
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第2項

 私の身長は、14年前の時点でおおよそ170㎝。今年で31歳になる今も見える景色はほぼ変わっていないので、ちょっとくらいは伸びているかもしれないが、縮んでいることはないだろう。


 目の前に突如現れた男は、私よりも頭一つ分程背が高く、その長身に似合った逞しい体格である。

 大柄な体躯に対して、凛々しくもやや幼さの残るその顔立ちは、男というよりは少年という方が正しい。

 短めに切り揃えられた黒々とハリのある髪を、そよそよと風に遊ばせ立つ少年の服装に、私は驚きを禁じ得なかった。

 かつてさんざん目にした、少年の髪と同じ色のそれは、どうみても学ランである。

 少年は、少し回りを見回した後、呆然と立ち尽くす私に「やあ」と白い歯を見せてきた。


「いい夕日だな。草摘みか? 精が出るな!」


 爽やかで力強く放たれるその言葉には、何とも表し難い覇気があり、私は、

        

「ええ、まぁ……」


と弱々しい相槌を返すのが精一杯だった。


「そうか! ……それはそうと、ここは何処だ? 知らない場所だ」

「えーと……」


 場所はトーカンドの南方にある丘の上だが、そういう話ではないのだろう。


「ついさっきまで昼だった気がするんだが、今は夕方なんだな。不思議だ」

「はぁ」


 首を傾げながら、少年はまだ事態が飲み込めない様子だが、私はぼんやりと事が見えてきていた。


「まぁでも、地球は丸いからな! 帰れないってことはない。すまないが、とりあえず駅はどっちか教えて欲し……」


 少年が言い終わる前に、丘の下の方からドカドカと喧騒がやって来た。


「いたぞあいつだ! 今度は逃がすんじゃねぇぞ!」

「へぇ、兄貴!」


 見覚えのあるその二人組は、丘を上がると腰から短剣を抜き、私達に向けて構えた。


「兄貴! もう1人はどうしやすか?」

「放っとけ! 邪魔なら殺せばいいんだよ!」

「へぇ!」


 明らかに「カタギ」ではない二人組は、少し老けてはいるが、14年前に私を探しに来たチンピラだと直ぐに分かった。


「抵抗すんじゃねぇぞ! 殺しちまったら、値がガクッと落ちるんだ」


 恐怖で後退りする私を無視して、チンピラ達は少年ににじり寄った。


「……なんだか知らんが、ケンカに得物を持ってくるとは許せんな」


 自分が狙われている理由は全く理解していない少年であったが、向けられている敵意には敏感に反応を示していた。

 しかし、いくら恵まれた体格を持っているとは言え、丸腰で武装した男二人を相手取るなどというのは無茶な話である。

 それこそチートな能力を持った勇者か、或いは余程の強運でもなければ、五体満足でその場を切り抜けることは不可能だ。 

 勝てない相手からは、早々に逃げるが鉄則である。よくよく吟味すべし。


「ヤバいって! 逃げないと!」


 どう見てもチンピラ達に立ち向かうつもりでいる少年に、私はなけなしの勇気を振り絞って声をかける。

 しかし、少年は逃げるどころか、どんどんチンピラ達との距離を詰めていく。


「おいコラ! ……異人ってのは脳ミソが入ってねぇのか!? しょうがねぇ! 腕の1本位は覚悟しろ!!」


 そう叫ぶと、兄貴分のチンピラは少年の左腕めがけ、しっかりと踏み込みの効いた一撃を振りおろした。

 私は、「切られたな……」と絶望の混じった確信を抱いたが、しかし結果はそうはならなかった。

 「むん!!」という少年の掛け声と、「ホゲェ!!」というチンピラの悲鳴が聞こえたのはほぼ同時のことである。

 ゴキャっ!という鈍い音と共に、チンピラ兄貴は雑木林まですっとんでいった。ここから雑木林までは、ゆうに20メートルは離れている。

 既に抜刀し、しかも先に始動した相手の刃が届くよりも先に、相手の脇腹に蹴りを叩き込むなどということは、この世の常識を逸脱した理不尽な芸当である。

 しかし、現に目の前でそれをやってのけた少年が、残ったチンピラ子分を燃えるような目で睨んでいた。


「ウヒっ……」


 圧倒的で悪魔的な暴力を目の当たりにしたチンピラ子分は、短剣を捨てて一目散に逃げ出した。至極まっとうな反応である。


「仲間を見捨てて逃げる。これもまた許せんな!」


 そう言うと少年は、足元のこぶし大の石を拾い上げ、「そぉい!」とチンピラ子分目掛けて放り投げた。

 豪快なフォームから放たれた石は唸りをあげながら飛んでいき、既に30メートルほど離れた目標の後頭部を正確に撃ち抜いた。

 「グエ!」という悲鳴と共に倒れる相手を確認して、「おーしストライクだな!」と少年は満足げに手の汚れを払っていた。


「しっかし、今時日本にあんな連中がいるもんなんだな。なぁおっさん……あれ、どこ行った?」


 少年が振り返る前に、私は、またあの時と同じようにその場を逃げ出していた。



 街へ向かって走りながら、私は考えを整理する。

 まず、あの少年は異人だ。それも私と同じく、日本のどこかから召喚されてきたのだろう。

 そして、あの恵まれた容姿や体格といい異常な強さといい、この世界を救うために遣わされた勇者と呼ぶ以外に、言葉が見つからない。

 同じように召喚されておきながら、私とはかけ離れた存在感を放つ少年に対して、情けない劣等感を押さえきれなかった。


「あいつが、主人公だったんだな……」


 火を見るよりも明らかな事実に、身を焦がされるような気持ちの中、ようやく我が家に辿り着いた。

 木造平屋建ての我が安住の城は、この辺りでは一般的な貸家である。

 部屋に入ると、簡素な机や少し低いベッドが、主である私を出迎えてくれた。


 私は蝋燭の明かりを付けてベッドに腰をおろし、壁に張り付けられたビート板ほどの大きさの紙を眺めた。

 紙には14個の丸印と、それらのすぐ下に「(ねずみ)(うし)(とら)(うさぎ)……」などと、それぞれ下手なイラスト付きで記してある。

 これは、この世界に来てからの年数を数えるのに使っているもので、味気ない日々の生活をちょっぴり癒してくれる。

 今時珍しく干支なんかを覚えていたことが、意外なところで役に立つものである。あとは猫も入っていれば言うことないのだが。


「あの時は確か戌年だったから、元の世界は、今は子年かな…」


 私がこの世界へやって来た時、日本は2018年の戌年だった。あれから14年ということは、元の世界は2032年ということになる。

 私が消息を絶ったことで、法治国家である日本では行方不明届けが出され、私の捜索がなされただろう。しかし、幸か不幸か家族は既にいなかった私であるので、さほど悲しむ人はいなかったのではないだろうか。たぶん。きっと。

 ただ、それまで育ててくれた養父には少し申し訳なかったが、まぁ変な人なのであまり気にしてはいないだろう。なにしろお互いに顔も知らない相手である。

 ある筋では変態的な忙しさと変態的な写真嫌いで有名だという養父とは、電話越しに一度話したきりで、それも「おう!強く生きようぜ!」という一方的な激励を受けたのみであった。ろくに知りもしない私に、あんなに良くしてくれるなんて……。それはもう、まごうかたなきド変態という他あるまい。


「まさかあいつ、俺のことは知らないよな……」


 学ラン姿にしろ言動にしろ、あの少年が日本人であることはまず間違いないだろう。しかしながら、彼に「私もそうである」と知られる訳にはいかないのである。



 意外かもしれないが、この世界にも猫がいる。あざとく思える程の愛嬌を振り撒くあの生き物は、異世界でもやはり人々に広く愛されている。

 そんな可愛らしい猫だが、聞くところによると(そんな必要がどこにある!と思うが)、もしも生身の人間と本気で殺しあったとすると、軍配は猫に上がることが多いらしい。

 それほど野生の生物の身体能力は凄まじいということだが、この世界に存在する魔物の強さは、およそ猫とは比べるべくもない。


 しかして勇者とは、魔物と戦い人々を救う存在である。あの少年ならば、様々な苦難を乗り越えながら、魔物に打ち勝つことが出来るかも知れないし、当然その期待を一身に集めるだろう。

 だがもし、私もそんな勇者と出自を同じくする(実際は全然スペックが違うが)均しい存在であると知れたら、「え? じゃあお前も戦えよ」となるのは自明の理である。

 そんなことになれば、猫にすら勝てない普通の人間である私の生命などは、飴細工のように脆くも崩れ去るだろう。ましてや私は、そんな人間の中でも平々凡々を地で行く存在なのだから。


 あるいは、私の正体がバレたとしても、戦うことを拒否することは出来るかも知れない。だがそれでは、「勇者の癖に逃げ出した男」という人々からの謗りは免れない。現状の安穏とした暮らしすら危ぶまれるだろう。

 そうした悲劇が訪れる危険が、今間近に迫っている。少年はすぐにでもこの街にやって来るだろう。当然街は騒ぎになって、私の素性がバレるきっかけが、そこかしこに生まれるはずだ。それは不味い!このままではいけない!

 私は、苦渋の決断を迫られた。


「この街を、離れよう」


 翌日の早朝、私は慌ただしく部屋を後にした。

 世の中、仕方のないことがある。他にどうしようもないことがある。この14年間生きてきて、そのことはよく身に染みている。

 自分はよく頑張った、よく考えたと自分に言い聞かせて、私はその足を急がせた。

 そして、ここに辿り着いた。


「はい、いらっしゃいませ! 今日は解毒薬と火付け石がお安くなっております!」


 いつものカウンターにいつものエプロンを巻いて、私はいつもの通り接客を行う。



 とどのつまり、私は街を離れる事なく普通に出勤し普通に働いている。少年と鉢合わせないようにこの街を離れようかとも思ったのだが、しかしよく考えてみて欲しい。勇者とはさすらう者である。

 もしも私が移住した先に、少年もまた訪れることがあれば、それはもう果てしないいたちごっこの始まりである。

 そんな不毛の苦労を重ねるくらいなら、いっそ動かざること山の如く、その場でじっとしている方が効果的ではないだろうか。


 要は、少年がこの街付近にいる間だけ鉢合わせないようにすれば良いのである。下手に動いて目立つよりも、静かに、そして淡々と生活を続けていれば、勇者は勝手に次の街へと旅立つのではないだろうか?うん、そうに違いない!なんという深慮!

 そう自分に言い聞かせ、強引に納得させた私だったが、実際は心臓爆音、脇汗ダバダバの心理状態であった。何故なら、店を訪れる客という客が、今朝から街をうろつく変わった少年の話題で持ちきりであったからである。

 そんな状況でもなおその場を逃げ出さないのは、先ほどの理論や店を任されている使命感などは、実はさほど関係がない。


 早い話が、長年慣れ親しんだ環境や慣習はなかなか変えられないという、極々普通の事であった。

 そんな中でも、仕事は待ってはくれない。また1人、扉を開けて客が店に入ってきた。

 たとえ自分がどんな状況であれ、仕事はしっかりこなさねば!それが、大人というものである。


「いらっしゃいませ! 解毒薬と火付け石、お安くなってますよ」


 と元気に営業スマイルで呼び掛けると、


「おお、あんたか! 奇遇だな! なるほど雑貨屋だったのか!」


 と、昨日よりあちこちが薄汚れた学ランを着た少年が応え、私は、自分の脇汗が滝のように流れ落ちるのを感じた。

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