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異世界指南書  作者: 鬱ゴリラ
第1章 地の巻
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第1項

 天高く鳥もさえずる大空は、雲ひとつない晴天である。

 眠気が渦巻くような春の空を、私は食器を洗う手を止めて、あんぐりと見上げていた。


「こんなはずじゃあないんだよなぁ……」


 そう独りごちて、ハッとした私はブルブルと首を横に振った。


「あーイカンイカン。言わないようにしてるのに」


 何事も、弱気は良くない。

 なるべく口には出すまいと決めたはずの言葉だが、実際にはもう30回位は言っただろうか。

 何しろあれから14年、回数が増えるのも致し方あるまい。


「親方ー、休憩終わりましたー。代わりまーす」


 勝手口から店に戻り、店舗の方へ声をかける。


「おーう、頼むわー」


 のんびりとカウンターの椅子から腰を起こしたこの小柄な男は、当店「よろず屋テム」の主であり、私の雇い主だ。

 この温厚で寛大な男に拾われなければ、今の私はなかっただろう。



 あの日、憧れの異世界、つまりこの世界への電撃的なFA移籍を果たした私は、自分自身にも大きな期待を寄せていた。

 時空を飛び越え始まりの地に降り立った自分自身を、主人公たる勇者であると誤解するのは無理からぬこと。

 しかし、程なくして私は、厳しい現実に直面するのである。


「こんなファンタジーな世界に来たからには、我が肉体には驚異的な力が宿っているに違いない!」


 そう安直に考えた私は、早速力を試すため、座禅を組んで精神を集中した。

 こうしていれば未知のオーラが体を覆い、たちまち魔力が溢れ出るはずである。

 だが、出ない。いっこうに出ない。


「うーん、おかしいな。やり方が違うのかな?」


 それから色々なポーズや表情を試したが、結果は変わる筈もない。

 今にして思えば、もうこの時点で気づけよ!というところだが、ここで都合良く解釈してしまうのが若さというものである。


「これはあれだな、俺はパワー系なんだな!」 


 個人的には魔法ビュンビュンの知性溢れる戦い方の方が好きだが、そこは臨機応変である。

 であればと立ち上がり、今度は全身に力を込めて、渾身を持って体を硬直させた。

 こうすることによって、この微妙に貧相な肉体はたちまちはち切れんばかりの隆々な筋肉マンに変貌することだろう。


「ンむぅん!!」

 

 しかし、特に変化はない。腕がプルプルしている。


「んぐぐ、おっかしいなぁ。もっとか? もっとなのかぁ!?」


 元からかも知れないが、興奮のせいか少しアホになっていた。

 賢明なる読者諸賢におかれては、「この辺で止めとけば良いものを……」と思われることだろう。

 しかし諸君。若さとは、諦めないことなのだ。よくよく吟味すべし。


「くっそぅ! もう一押し! フンっっ!!」  

 ブッ。


「あっ」


 ━━。



 念のため、一連の作業を廃墟の陰に隠れて行っていた自分自身の用心深さに、私は心から敬意を表したい。

 こんなところを誰かに見られでもしたら、勇者の沽券に関わるというものである。

 ちなみに、私自身の沽券のためにこれだけは言わせてもらいたい。断じて「ミ」は出ていない。


 愚かにも全く想定していなかった事態を迎え、少し座って落ち着くことにした。

 考えてみれば、自分はこの世界に来たばかりである。特別な力を使うには、経験値が足りないのではないか?

 あるいは、何か重要なアイテムが不可欠なのかも知れない。

 もっと根本的な原因には目もくれず、「どうなってんのかねぇ」などと思い巡らせていると、重要なイベントが向こうからやってくるのが目に映った。


「あ、人だ」


 丘の下に見える街の方向から、男が二人、こちらに向かってくる。

 少し汚れた簡素な洋服の上に、革のベルトに短剣を挿した服装は、いかにもゲームの登場人物といった風情である。

 この世界を背負って立つ勇者としては、この記念すべき第一街人達に「やあ」と白い歯を見せておくことも、有意義であったかも知れない。


 しかしこの時私は、むしろ決して見つからないよう、息を殺して隠れるしかなかった。

 何故なら、二人の男はとても「カタギ」とは思えない風体だったからである。

 そんな男たちが目を血走らせて、尋常ならざる勢いで丘をかけ上がってくるのを見つけたら、おいそれと姿を晒せないのは無理からぬ話。だって怖いもの。


 二人は丘の上まで上がってくると、


「おい! 確かにみたな!?」


「間違いねぇッスよ兄貴!」


 と話始めた。

 なんだかコテコテのやり取りだなぁ、と思いながら、更に聞き耳を立てる。


「まだ遠くには行ってねぇはずだ! 数百年ぶりだぞ!? 必ず見つけろ!!」


「へぇ!」


 現代の日本ではまず聞かない会話内容に、改めてここが異世界である実感が沸いてくる。 

 彼らからはこちらが見えないのをいいことに、私は、呑気に二人の目的を想像していた。

 この直後、私はこの場に隠れた自分自身の判断に再び感謝し、そして同時に、戦慄することになる。


「異人は、そりゃあ高く売れるぜぇ…」


 ニヤリと顔を歪めて放たれたその一言で、私は直感した。


「俺を、探している……」


 

 珍しいものには価値がある。

 それは何処でも、いつの時代でも変わらない普遍的な事実であろう。

 その意味では、現代の日本もこの世界もそう変わらないかも知れない。

 しかし、価値観について、決定的に異なる点がいくつかある。

 その一つが、この世界では物だけでなく、「人」も取引の対象になるという点だ。


 勿論、異世界と言えどまっとうな商売ではない。日本をはじめ、現代世界では人身の売買には厳罰が科されており、この世界でも厳しい規制がしかれている。

 だが、そうした規制を掻い潜り、奴隷商人を生業とする者が暗躍するくらいには、社会に浸透しているのが実態なのである。

 その中でも、この世界とは異なる地から来た者、つまり「異人」は、特に高値で取引される。

 これは随分後になって知ったことだが、過去にも私と同じように人が召喚されることが、この世界では何度かあったらしい。

 それが伝承として現在にも伝わっており、奴隷商人達の間では、異人を捕らえることは一攫千金の夢なのである。


 あのチンピラ風の二人もその例に漏れず、召喚の光を見つけるやいなや、他のライバル達より我先にと丘をかけ上がって来たというわけである。

 当然この時の私はそんなことは知る由もなかった。しかし、「捕まったらヤバい…!」そのことだけは少ないキーワードから導き出せたのは、我ながら天才的な危機察知能力を発揮したと思う。


 私は、チンピラ二人から見つからないようその場を離れ、一先ず街を目指すことにした。少しでも状況を改善させねば。


 「ああもう! どうなってんだよこれ!」


 折角憧れの異世界に来たというのに、何も変わらないじゃないか!

 走りながら、そんなことを考えて、半泣きになっていたと思う。

 いや、正直、ちょっとだけ泣いていたかも。ほんのちょっと。

 現実の厳しさをまざまざと突きつけられた形だったが、残念ながら厳しさはまだ続く。


 まず、文字が読めない。

 身の安全と当面の生活の糧を得るため街に来たものの、何処に何が書いてあるのか分からない。そもそもどれが文字かも分からない。


 となると、当然仕事も見つからない。

 この国の識字率はさほど高くないが、外で仕事をするのなら、流石に読み書きは必須スキルである。


 さらに、住む場所もない。

 定職が無く、どこの馬の骨とも知れない人間には、住居はなかなか貸して貰えないのだ。これはどこの世界でも通用する常識である。



「これもうゲームオーバーだろ……」


 一般的な常識を備えた人ならば、そう考えるのが普通である。実際私もそうだった。 

 しかし、悪いことがあれば、幸運もある。


 最初の幸運は、早期にこの世界の服を手に入れたことであった。

 学校帰りに召喚された学ラン姿のままでは、街に入った途端にドンチャン騒ぎを引き起こしただろう。

 そうならずに済んだのは、街に向かう途中の川縁で、「まだギリ着れそうな服」が打ち捨ててあるのを見つけたからだ。しかもそんなに臭くない。

 そして、これはもう証明済みのことであるが、不思議なことに話言葉は理解出来る。というか普通に日本語だと思っていた。

 さらに、文字は読めなかったが、数字の表記はほとんど同じで、その上10進法が用いられていた。

 なんという奇跡的な偶然だろうとも思ったが、人間が「数」という概念を手にいれれば、結局この形にたどり着くのかも知れない。


 奇妙な巡り合わせの中、最大の幸運は八百屋の店先でやって来た。

 私が途方に暮れていると、八百屋らしき男が「このデエコンが5本で800ゼニンだよ!安いよー!」と呼び込みをしているのが聞こえてきた。


「1本160、ゼニン? か……」


 呟きながら、高いのか安いのか分からんなぁ……と考えていると、小柄な男が声をかけてきた。


「お前さん、算術が出来るんか?」


 この男こそテムさんである。

 こんな簡単な計算でも、素早く正確に行える者は重宝される世界ではある。とはいえ、明らかな「訳あり」であるこの私を、テムさんは雑用兼見習いとして雇ってくれた。そして3ヵ月の読み書きの猛勉強を経て、私は識字·就職·住居の全ての問題をクリアすることが出来たのである。

 こうして私の異世界での生活、トーカンドでの14年の暮らしは続いて来た。


 

 道具屋としての生活に、大きな不満があるわけではない。それでも私は、最初の希望を捨てきれず、様々な努力を重ねてきた。

 魔法講習を受けたり、剣術道場で稽古したり、筋トレもした。

 それでも結果はこの通りである。ちょびっと筋肉が付いただけ。あと髭が増えた。


「ここには現に魔法も、魔物との戦いもあるのに……。これじゃ生殺しだよ」


 薬草を集めて歩きながら、ため息と嘆きを撒き散らす。傾く夕日を右手に浴びて、背後ではまた同じ毎日が暮れていくのを感じる。

 何故天は私をこの世界に呼び寄せたのか、そこにはきっと、何らかの意味があるはずではないのか。その答えを探して今日まで生きてきたが、人間年を取れば考え方や感じ方が変わるものである。

 14年の月日は、この世界における様々な知識と、焦りを私に与えた。

 無闇に歳を重ねることへの焦りもある。だがそれ以上に、この世界に詳しくなるにつれ、本音では「魔物と戦うことが怖くなっている自分自身」に、焦っているのだ。


「主人公として、これはイカンでしょ」


 自分を鼓舞する台詞を吐いても、あの頃の熱はもうない。

 はぁっ……と大きなため息をついたところで、あの場所に辿り着いたことに気づいた。

 最初の丘だ。

 あの日から、この場所に初めて立ったあの時から、実際のところ、私は1歩も進んではいない。


「流石に、もうダメかもなぁ……」


 そう空しく呟いたその時、もう暮れてかけていた空が、かっ!と眩く光った。

 一瞬閉じた目を開くと、目の前に、男が一人立っていた。

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