第3項
生きること、これ即ち戦いである。
いつの時代も、人々は戦いを通して様々な物事を発見し、生み出し、そして発展させてきた。
しかしながら、戦いだけが生きることに非ず。
キンカタガミから北上し、年輪を重ねた木々が鬱蒼とした山中に差し掛かった我々は、重大な問題に直面していた。
「もう食べ物が、ございません!」
生きていく上での死活事項、食糧問題である。
長旅を続ける上で、食糧の確保は最優先事項と言ってよいだろう。私としても、街から街へと移動する際には十分な補給をするように心砕いてきたつもりであったのだが、そうそうゆとりある旅路などを許してくれないのが、我らが勇者なのである。
「キンカタガミであれだけ買いだめしておいたのに……」
「いやーでも、自分はそんなに悪くないと思うなぁ。あそこの食い物が旨過ぎるのがいけない」
人里離れた山腹の一角。手頃な岩の上に寝そべりながら、ヨシオは風船のように膨れた腹を仰向けにして言う。10代という原子炉の、無尽蔵の食欲の前には、私が描いた食糧計算などは軽々と噛み砕かれてしまった。
「最近だいぶ暑くなってきたし、傷む前に食ってやるのが食い物への礼儀ってもんだろ?」
「だからって、日保ちする保存食まで食うなよ……」
「ホーント後先考えないよねー、勘弁してよもう」
さすがのユーミも呆れかえったように溜め息をつくが、何故かその顔は明後日の方向を向いている。そして、その背後には影が迫っていた。
「ユーミちゃん、ほっぺにソース付いてますよ」
「はぇ!?」
慌てて振り返り自分の口元を確めるユーミだったが、
「嘘です」
ニッコリ微笑むセシリーから、明らかに「喜怒哀楽」の「喜」と「楽」以外の感情が漏れ出していることを察して、「はぇぇ……」と顔を青ざめさせた。
「ま、食っちまったもんは仕方ない」主に自分が原因であることはさて置き、ヨシオは悠然と体を起こして言った。「無い物は採ればいいんだ。狩りで現地調達、これしかないな」
「うへー……」
なんとも快活に物騒な提案をするものである。背に腹は代えられないとはいえ、それなりにシティボーイな暮らしをしてきた身としては、そもそもそんな事が可能なのかが甚だ疑わしい。
「俺、狩りなんてしたことないよ。ヨシオはあるの?」
「自分のじいさんが猟師だから、獲物の捌き方は大体知ってる。あとは狩場さえ押さえとけば割りと簡単なんだが、なんせ知らない土地だからな。こればっかりは地道に獲物を探すしかない」
「はぇー」
今時珍しい職業ではあるが、こいつの祖父ともなればきっと伝説のマタギか何かに違いない。しかしそうは言っても、ヨシオ自身が凄腕の猟師というわけではないのだから、やはりそう簡単にいくとは思えなかった。
「フッフッフぅ。とうとうアタシの出番だね!」
唐突に声をあげたユーミは、荷車から何やら四角いアヤシゲなブツを引っ張り出してきた。表面には画面のような物が付いており、側面の突起を押し込むと、画面に4つの青い点が浮かび上がった。
「こんなこともあろうかと、作っておきました『生体探知機』! これを使うとぉ、周囲の生き物の位置が手に取るように分かるのだっ!」
「おお! でかした!」
日頃アホの子としての片鱗を惜し気もなく晒しまわるユーミにしては、なんとも珍しいお手柄にヨシオはしゃいでいる。しかし私はそう簡単には喜べなかった。何しろユーミが作った代物である。
「……それで、探知範囲はどれくらいなの?」
「聞いて驚け! なんと最大5m!」
「何に使うんだよ! そんな近くに何かいたら俺でも気づくよ!」
「だぁって、まだ試作品だもーん」
「もーんて……」
案の定の欠陥品に私は肩を落としつつも、まぁ何も無いよりはマシだろうと魔導具の画面を眺めていると、
「む!? 何者だ!」
ヨシオが何かに反応し、20mほど離れた茂みの中に突っ込んで行った。
当然画面には何も映っておらず、早速生身の人間に探知機能で敗北した現実から、ユーミは口笛を吹きながら目を背けていた。
「うわぁ!?」
「あん? 子ども?」
ヨシオが飛び込んだ草むらに潜んでいたのは、鹿でも兎でも魔物でもなく、ピカピカのランドセルが似合いそうな人間の子どもだった。
駆け寄ってくる見知らぬ私達を見て、謎の少年は怯えている様子だが、とりあえず魔物ではないことを確認して少しホッとしているようにも見てとれる。
「可愛らしい子ですね、近くの村の子でしょうか?」身を屈めて、セシリーは少年に優しく手を差し伸べる。「大丈夫ですよ、怖くないですよ」
「本当に人間かぁ? 魔物が化けてるんじゃないだろうな」
この付近に人が住む集落などはない筈であり、だからこそ我々は困っているのであるから、ヨシオの言うとおり私もちょっと怪しいと睨んでいた。
そんな私とヨシオの反応を見てか、少年は不安そうな表情を浮かべるが、そのいかにも普通そうな所がまた怪しいようにも思えたのである。
「うーん、人間で間違いないっぽいよ」ユーミは探知機の画面を眺めながら言った。「ほら、この光る点が青いのが人間、それ以外は赤い点になるから」
ユーミの言うとおり、画面には青い点が5つ光っている。探知範囲こそ狭いものの、意外な機能が備わっていたことに関心すると同時に、私はすっかり汚れた大人になってしまった自分を恥じた。
「へーえ、てっきりボケが上手いだけのバカなクソガキかと思ってたが」ヨシオも少し関心したように腕を組んで言った。「結構やるな! ユミえもんだな!」
「何その変な名前! っていうか辛辣過ぎるぞ!」
そんなやり取りを見て、少年は興味深そうに魔導具の画面を覗きこんできた。
「それって、お姉ちゃんが作った魔導具なの?」
「そんなに大したもんじゃないぞ。遠くまでは探知できないんだ」
「うるさいなぁ」
ヨシオに決定的な弱点を即座にバラされ、ユーミはブスッと口を尖らせるが、それでも少年はジっと画面を見つめている。
「……でもこれって、近くにいた人が居なくなった事は、すぐに分かるんだね」
「ん?……ああ、そっか」
少年の言葉に、私は一瞬ポカンとしてしまったが、考えてみればこれはスゴいことではないだろうか。例えば高齢者や幼児など、「側に居なければ困る」者がその場を離れたことがすぐに分かれば、介護や子育てといった分野ではとても役に立つ道具になるだろう。どうも我々は、戦いに役立つかどうかという基準だけで判断してきたが、ユーミの魔導具はもっと他の使い道で真価を発揮するものなのかもしれない。
何事も、視点を変えると思わぬ側面が見えてくるものである。よくよく吟味すべし。
「なるほど、そういう使い道もあるか」ヨシオは改めて探知機をしげしげと眺めて言う。「ま、作った本人はそんなこと、全然考えてないだろうけどな」
「そんな物をうっかり作っちゃうなんて、お姉ちゃんってスゴい魔導具技士なんだね」
「な、なんだよぉ。言っとくけど、弟子は取らないからね。アタシ、子どもは嫌いなんだ」
少年が向ける羨望の眼差しに、少女はあからさまな照れ隠しをする。そんなユーミにヨシオは「同族嫌悪って知ってるか?」と茶々を入れ、「知らないけど、バカにしてるのは分かる!」とユーミは愛用のトンカチを振り回すのだった。
「とりあえずここにいても埒があかないし、少し動こう」おおよそユーミの気が済んだところで、私が提案した。「この子も、一人じゃ危ないからね。送って行こう」
「そうですね。お家はどちらか、分かりますか?」
セシリーが優しく尋ねると、少年は少し考え込んでから山頂の方を指差した。
「あっちの方だよ」
初夏の陽射しが照りつける中、私達は獣道に近い山道を分け入って進んだ。
草木は進むにつれてより深くなり、1m先の視界も危ぶまれるほど鬱蒼としてきていた。
「どんどん訳分からん道になるぞ」先頭を行くヨシオが声をあげた。「本当にこっちで合ってるのかぁ?」
「ここを通るとね、近道できるんだ!」
ヨシオ以外は息も絶え絶えの私達とは裏腹に、最後尾から少年は張りのある声を返した。魔導具に興味があるのか、少年は前を歩くユーミにあれこれと質問を投げかけて、それに対してユーミは「な、なんだよぅ、ほっとけよぅ」と戸惑うばかりであるが、これは無理もない反応なのである。
ユーミは、自分より幼い子どもとの接し方が分からなかった。孤児院では一人魔導具と格闘する日々を送り、工房に入ってからも魔導具と頑固な職人オヤジ達との格闘に明け暮れたユーミにとって、子どもになつかれるなどというのは初めての経験だったのだ。
ましてや、これまで泣かず飛ばずだった自分の魔導具に諸手をあげて無垢な賛美を投げつけられては、嬉しいやら恥ずかしいやら、紅潮した顔を生体探知機の画面で覆い隠すのが精一杯なのであった。
しばらくすると少年の質問攻めは一段落したのか、ガサガサと茂みを分け入る音だけになった。ホッと胸を撫で下ろしつつ、ユーミは探知機の画面に目をやると、さっきまで自分を中心に5つあった青い点が、今は4つしかないことに気がついた。
「ちょっとストップ! 」言いつつ振り返ると、少年の姿がない。「あの子、居なくなっちゃった!」
「えっ? ど、どういうこと!?」
困惑する私をよそに、ヨシオは瞬時にその存在を確め、「上だ!」と叫んだ。
ヨシオの声に従って上空を見やると、黒い鳥の顔に人間の体が付いた化け物が、少年を抱き抱えたまま大きな翼をはためかせてこちらを見下ろしている。
少年の口は化け物の片手で塞がれており、ユーミが気づかなければ、恐らくそのまま連れ去られただろうと想像出来た。
「おのれ逃がさん!」
発すると同時にヨシオは高々とジャンプしたが、10数m以上は飛び上がったものの化け物のいる高度には達しない。そのまま自由落下に入るかと思いきや、「むうううううん!」と気合いを入れるヨシオの体は、空中で推進力を得て化け物に肉薄した。
人知れず上達を遂げたヨシオの浮遊魔法に私達は度肝を抜かれたが、しかしそれを嘲笑うかのように化け物はヒラリヒラリとヨシオの特攻を避ける。
「だあクソ! どいつもこいつも!」
やたらと素早い相手との2連戦に、ヨシオも苛立ちを隠せない。ヨシオの速度も決して遅くはないのだが、いかにも飛び慣れていそうなその化け物相手には、経験の差というものが歴然とそこにあった。
「どうにかして動きを止めないと……。でも……」
火球や雷撃魔法を使えば、少年も巻き込まれる。それを重々理解しているヨシオもまた、空中で歯噛みするしかなかった。
決め手にかける最中、化け物が私達のいる山腹に程近い位置まで降りてきた。こちらから援護してやりたいのだが、7~8mも上空にいる相手には成す術はないと思われた。
その時、ユーミが懐から何か黒くて丸い物を取り出した。それは、つい最近見た覚えがあった。
「コンチクショー!」
罵声と共に投げつけられた黒い物体は、化け物の下方2~3mの位置までしか届かなかった。そしてちょうどその位置で、爆弾は唸りをあげて炸裂した。
「ぬぉお!?」
爆発の熱による気流の乱れと衝撃波で、化け物はきりもみ状態になりその動きが止まった。すかさずヨシオが化け物に急接近し、その勢いのまま顔面を殴り抜いた。くちばしをぐちゃぐちゃに砕かれた化け物は、少年を手放して山中のどこかに墜落した。
落ちてきた少年の小さな体を受け止めたのはユーミだった。
「だ、大丈夫……なの?」恥ずかしいそうに問いかけるユーミに、
「うん。ありがとう、お姉ちゃん」と、少年は笑顔で答えた。
「ここまで送ってくれてありがとう」唐突に、そして少年はにこやかに言った。「ここからは僕一人で大丈夫だよ」
「えぇ!? 何言ってんの! まだ危ないよ!」
ヨシオから活躍を派手に祝われていたユーミが、頭からヨシオの手をひっぺがして心配そうに言った。それでも少年は笑顔のまま首を横に振った。
「この辺りは僕の遊び場だから、心配いらないよ。それに、お姉ちゃん達は何か大事なお役目があるんじゃない?」
そう話す少年の姿は、何だか先程までとは違った雰囲気を感じさせる。その不思議な説得力に、ユーミも「それは……そうなんだけどさ……」と渋々納得させられてしまった。
「これからもスゴい魔導具をいっぱい作ってね。僕は応援してるよ」
「……あったりまえだっ! アタシ天才だもん! ではさらばぢゃ!」
相変わらずの照れ隠しを吐いて、ユーミはズカズカと歩き出した。そんな後ろ姿を微笑ましく眺めながら、私達もその場を後にした。
しかしこの時、絶望的な状況がすぐそこまで忍び寄っていることに、ヨシオ達は気づいていなかったのだ。
決して逃れることの出来ないその運命を、この私だけが、薄々と感じていたのである。
「(……結局、今日の食糧どうすんだろ……)」
私達が去って行くのを、木の上から静かに窺う影があった。
その者は私達が十分に離れたのを見計らって、少年の背後に音もなく飛び降りた。その際ボロボロの翼からは羽根が何本も抜け落ちた。
少年は振り返りもせず、私達の背中を見送っている。
「……またこのような事を。どうかお一人で出歩くのはおやめ下さい」
「分かっている」
少年は尚も振り返ることなく、声だけで応じる。黒い鳥の装束を纏った男がぐちゃぐちゃになった面を外すと、そこには刻まれた皺の数だけの凄みを備えた老兵の顔があった。
「ご自分のお立場を如何にお考えですか。御身にもしものことがあっては……」
「分かっていると言っているだろう。控えよ」
「はっ」
少年の言葉で、背後に侍る男は恭しく頭を垂れた。
「お前の言うことも分かるがな」少年は億劫そうに少しだけ背後に視線を投げた。「だがお陰で、今日は得難い出会いがあったぞ」
その涼やかな眼差しに、従者はさらに深々と平伏し、視線を戻した少年は天を仰いで言った。
「余の国の未来は、明るいようだ」
この少年とはいったい何者なのか。まったく見当もつきません。