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異世界指南書  作者: 鬱ゴリラ
第2章 水の巻
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第3項

 ここから南に向かうと小さな波止場があり、次の目的地であるカイトーシン行きの船に乗ることが出来る。少し来た道を引き返すことにはなるが、海路ならば山を越えて歩くよりずっと早いため、時間的なロスはほぼない。また、魔物に出くわす心配もないので、まさに最適な移動手段と言えた。

 順調に港に着き、乗船手続きも終わってあとは船に乗るだけとなった我々であったが、どうにもヨシオの表情が冴えない。これから起こる何事かを、恐れているように見える。


「ヨシオさぁ、ひょっとして船苦手なのぉ?」


 嬉々として尋ねるユーミに対し「ああ、少し船酔いがな……」と弱々しい声が返ってきた。

 普段のヨシオなら、ユーミの頬っぺたをブニブニこねくり回して然るべき場面なのだが、そんな余裕は微塵も無さそうな様子に「船酔いにも、回復魔法が効けば良いのですけど。可哀想に……」とセシリーも心配そうである。


 こいつにまさかそんな弱点があったとは。しかし今更またルートを変えるわけにもいかず「ちょっとの間だから、辛抱してくれ」と声をかけると「だ、大丈夫だ。心配すんな……」と明らかなやせ我慢で応じるのだった。

 しかし、そんな虚勢も虚しく、いざ船に足を乗せた途端「オェエエ……」と他の追随を許さない音速のリバースを披露した。


「ま、まだ一ミリも動いてないのに……」

「すまnボェエエ……」


 どこが少しなんだよ……。勇者の決定的な弱点の発覚に、ユーミは得意気な表情だが、その笑みは妙に引き吊っている。


「もう、なにやってんのヨシオ情けなウェエエ……」

「貰いゲロすんな! どうなるんだこの先……」


 暗雲立ち込める幸先の悪い船出は、見事に災いをもたらし、私達は程なく猛烈な嵐に遭遇した。

 真っ黒な海が唸りをあげ、船体はあちこちが悲鳴をあげている。降りしきる雨のせいで視界はほとんどなく、船が転覆すれば一貫の終わりである。


「帆だ! 帆を畳め!」


 船員達の怒号が響く中、ヨシオは相変わらずうずくまって悟りの極致を開拓している。セシリーはそんな弱りきった勇者を看病し、ユーミは船室で関羽と張飛の間に体を埋めて震えている。

 私は各所を回って作業を手伝っていたのだが、船が大きく揺れたはずみで、船外に投げ出された。

 だが、すんでのところで私の手を、別の細い手が掴んだ。


「ニイヤマさん……! しっかり、掴んで……!」


 もう何度この細腕に助けられただろうか。しかし、この揺れる船体に女性の腕力では、2人とも海の藻屑と消えるのは明白である。

 私は、ゆっくりと手の力を弛めた。

 セシリーの叫び声に耳を傾ける間もなく、私は、漆黒の波にのまれた。



 父は、無口な人だった。会話の記憶を辿ってみても、「ああ」とか「そうだなぁ」といった返事ばかりが思い出されて、子どもながらによく分からない人だなと感じていた。

 そんな父だが、私が自転車になかなか乗れないでいると、日が暮れるまで黙って練習に付き合ってくれた。私が悲しい気持ちになった時には、仕事で疲れている時でも、何も言わず黙って側にいてくれるのだった。父は優しい人だった。


 母は何かと口うるさかったが、よく笑う人だった。毎日家事とパートをこなしながらパワフルに動き回り、寡黙な父の分と、ついでに他の誰かの分まで合わせて、人の3倍はよく喋る人だった。

 母は、私がテストでほんの少し良い点を取っただけで自分のことのように喜んで、私の大好きなハンバーグを作ってお祝いしてくれるのだった。母は優しい人だった。


 そんな最愛の両親は、交通事故で死んだ。 

 この世においてこの上ない悲劇とも思えるが、実はそれほど珍しいものではない。日本には数十万人の交通遺児が存在すると言われており、私もその内の一人に過ぎない。その多くが厳しい経済事情を抱える中、養父に救われた私は、むしろ運の良い部類に入るだろう。


 時が経つにつれ、両親を失った悲しみは次第に癒えていった。これは二人が生前私に注いでくれた愛情の深さがあったればこそだと思う。ただ、あの惨劇の車内で、自分だけが生き残ってしまった事を、私はずっと後ろめたく感じていた。あんなに可愛がってくれた両親を差し置いて、自分1人のうのうと生きていることを、2人は怒ってはいないだろうか。そんな思いが、心の片隅にいつもあった。 


 そうして今、両親が目の前にいる。2人はあの時と変わらぬ姿で、静かに微笑んでいる。私はなんだか申し訳なくて、何と言って良いか分からなかったが、二人は「よく来たね」「よく頑張ったな」と言ってくれた。その言葉は嬉しかったが、きっと本当の二人なら「まだ来ちゃダメ!」「すぐ戻れ!」と言うのではないか。「ああ、これは夢だな」そう理解した時、目が覚めた。



 知らない天井が見える。視線を移すと、明るい陽射しが窓から入り込み、微かに潮騒が聞こえてくる。私以外には誰もいないが、ここは医務室のようだ。ベッドから身を起こして確認すると、体に目立った外傷はなく、衣類も清潔な寝間着に着替えさせられている。敵ではない誰かが救ってくれたのだろうか。


「よくも……」


 生きてたもんだなぁ。その実感を確めるようにゆっくり深呼吸していると、今更あの嵐の恐怖が蘇ってきて身が震えた。消毒液の匂いを嗅ぐとどうも不安な気持ちになるので、私は昔から苦手だった。ヨシオ達はどうしただろう。探しに行かなくては。


 段々と頭がクリアになってくる中、コンコンとドアがノックされて「失礼する」と女性の声が聞こえた。

 ドアが開くと、眼鏡をかけた細身の女性が姿を見せた。


「あ、お気づきでしたか」


 何やら書類を小脇に挟んでキビキビとこちらに歩いてくる姿は「出来る秘書官」といった風情で、その短い銀髪は知性と気品を感じさせる。


「あの、ここはどこでしょうか?俺は船から落ちてしまって……」

「ここは、カイトーシンの兵舎だ。あなたは海岸で倒れていたのだが、我々が発見してここにお連れしたのだ」

「カイトーシン……」


 図らずも目的地に着いたわけである。しかし、この女性の口振りからすると、ヨシオ達はここに辿り着いてはいないようだ。


「私は警備隊所属のセンツーカという。失礼ながら持ち物を拝見して、あなたがトーカンドから参られた使者であることは分かっている。ゆっくりと養生されよ。それでは、私はこれで」

「あ、あの!」


 足早に部屋を後にしようとするセンツーカは、いかにも忙しそうである。呼び止めるのは申し訳なく思いつつも、こちらも仲間の安否がかかっているので、そうも言っていられない。


「何か?」

「その、他に仲間が3人いるのですが、はぐれてしまって……。捜してはもらえないでしょうか……?」

「それはつまり、この私に捜索届けの手続きをしろと?」


 センツーカは、明らかに気が進まないといった表情である。自分でも命を救われておきながら図々しい頼みだと分かってはいるが、今は他にすがるものはないのだ。


「大事な仲間なんです。どうか……」

「すまないが、それは出来ない相談だな」


 センツーカはため息混じりに答える。この忙しいのに、何を言っているんだ、そう心の声が聞こえてきそうであった。冷たい対応にも思えるが、無理を承知で頼んでいる以上、断られるのも致し方ないだろう。落胆しつつも、私は受け入れる他ないと思った。


「私はバカなのだ。そう言った小難しい手続きは不得手で、余計に事態を悪化させかねない」

「いや、こちらこそ無理を言って……えっ?」

「普段は力仕事が専門なのだが、今は人手が足りないのでこうして事務仕事の手伝いもしている。あとで上の者に伝えておくので、すまないが手続きの方は少し待って貰えないか?」

「あ、はい、それは勿論……」

「手続きが済んだら報せるので、動けるのなら街でも見て待っていてくれ。私は忘れないうちにこの書類を届けねばならないので、本当に申し訳ないがこれで失礼する。では」


 センツーカはぺこっと頭を下げてそそくさと立ち去ろうとしたが、ふと気付いたように立ち止まった。そして手帳を取り出して、この世界における平仮名にあたる文字で「あとで えらいひとに いう」と丁寧にメモしてから部屋を出ていった。


「……うーん」


 華奢な体型から、てっきりクールな事務職員かと思っていたが、実際は真逆のタイプのようだ。

 人は見かけによらないものである。よくよく吟味すべし。

 勧められたとおり、私はベッドを出て街を見てみることにした。



 カイトーシンは海上貿易によって栄えた街である。広大なパニートのちょうど中間点に位置し、様々な人や物が往き来するこの街は、「交通の表回廊」とも呼ばれる。

 北東に位置するトーカンドとは極めて良好な関係が続いており、緊密な連絡体制が整備されている。一説では、トーカンド領主とカイトーシン領主は同じルーツを持つ一族とも言われており、双方は互いに互いを高め合うように繁栄してきた。

 さらに、街を守る兵も実に精強であり、魔物との戦いで最後まで残るとしたらこの街だろうとも言われていた。

 しかし、


「これは酷い……」


 眼下に広がるカイトーシンの街は、そうした栄華とはかけ離れている。街道はボロボロで建物は焼け落ち、そこかしこに多くの怪我人がひしめいているその有り様は、まるで昔写真で見た空襲のあとのようだ。


 こんな惨状が広がっているとは、トーカンドでは一度も聞いたことがない。私は疑問を覚えた。友好関係にあるカイトーシンの苦境の報せがあれば、すぐにトーカンドから救援部隊が派遣され、街の人々もそれを知ることになるはずである。

 それに、街の北側に位置する防壁には目立った損傷が見らず、外部から攻撃を受けたにしては不自然であった。大勢の魔物が襲ってきたにしても、こんな街中まで被害が出ているとはただ事ではない。


 一瞬「人間とは実に愚かな生き物よ」というアーマーンの言葉が思い出されて、私は、人間同士の内乱という身の毛もよだつ可能性を頭に過らせた。だが、この凄惨な状況にも関わらず、街の人々の目には淀んだものは感じられない。むしろ、誰もが互いに支え合って、街の復興にあたっているように見える。とても彼らの間に争いが起こっているとは考えにくい様子である。


「いったい、どういうことなんだ……」


 呆然としていると、「こちらでしたか」と声を掛けられた。

 その連絡係風の男は、「領主様から、客人をお連れするようにと仰せつかっております」という。前にもこんなことがあった気がするが、今回はワガトーク公からの依頼で動いている以上、こういうこともあるだろう。私は彼について行くことにした。

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