第1項
トーカンドの東方と南方には、広大な海洋が広がっている。もしこの大海原にまで調査の手を伸ばさねばならないとしたら、人類と魔物は、織姫と彦星ほどの頻度でしか出会うことは出来ないだろう。しかしながら、幸か不幸かその心配は必要ない。
魔物は、海にはいないのである。
その生態についてあまり多くは分かっていないが、魔物は「穢れ」によって生まれるとされている。ではその「穢れ」とは何なのか?となるわけだが、これもまたよくは分かってはいない。随分いい加減な話だが、とにかく「穢れ」とは何やら邪悪なものであり、それに対して海は神聖なものあるが故、「穢れ」によって生まれる魔物は海には近づけないというのがこの世界の常識なのである。
そうなると必然的に我々の向かう先は北か西となるわけであるが、「北はまだ寒そうだし」という勇者の鶴の一声により、魔王討伐の旅路は西方に向けて始まることとなった。
ようやく届いた装備品を荷車に積みこんでいると、14年も続けてきた道具屋での日々が思い出される。事前に伝えてはいたものの、大恩あるテムさんには出発前に一言挨拶をと思い店を訪ねると、「なんだかよう分からんけど、ちゃあんと無事に帰ってくるんやで」という言葉が温かかった。
隙あらばサボろうとするユーミを叱咤しつつ、一通りの準備が整った頃、ヨシオはというと荷車の前方で巨大な鳥と戯れている。
「よーし、今日からお前らの名前は関羽と張飛だ!」
豪傑のような名前を付けられてしまったこの白と黒の鳥達は、ボココ鳥という家畜で、これから私達の荷車を引く旅のお供である。
「もうちょい可愛い名前つけてあげなよ」文句を言いながら、ユーミは早速荷車に潜り込もうとしている。
「いいだろ強そうで。それにしても、馬じゃないんだな」
「ボココ鳥は馬よりは遅いけど、持久力があって長旅には最適なんだ。それにこいつらは兄弟だから、相性もバッチリだよ」
ヨシオに説明しながら、私は白い方の関羽の首筋をモコモコ撫でる。短期間の間にこれだけ良い買い物が出来たのは、道具屋で培ったツテというツテを全て動員しての結果である。
「なるほどなぁ。鳥なら、卵も食えるしな」
「だから両方オスだって……。さっき猛々しい名前つけてたじゃん」
「なるほど」
しょうもないやり取りをしていると、「こんにちは、皆さん」と声をかけられた。
「あ、セシリー」
わざわざ見送りに来てくれたのかと思いきや、彼女は大きな荷物を手に、まさに長旅に出る直前という装いである。
「お、あんたも旅行かい?」と能天気に訪ねるヨシオに、「いいえ」とセシリーは微笑む。
「私も、皆さんに同行させて下さい」
やっぱりなぁと思いつつ、とにかく理由を聞かなければ始まらない。
「それは、どうしてまた……?」と私がおずおずと訪ねると、「強いて言えば、皆さんが原因です!」と、セシリーは少し怒ったように頬を膨らませている。
「俺達が?」
「そうですとも! 皆さんが事件を解決する度に、騎士団は相対的に株を下げてるんですよ? 勇者が現れるまでは、正義の味方と言えば騎士団のことだったのに!」
そんなこと言われてもなぁ…と考えながらも、プンプンするセシリーをもう少し眺めていたいとも思った。
「それと旅に同行することに、どう関係があるんだ?」ヨシオが問いかける。
「この上魔王の討伐まで皆さんに任せきりでは、いよいよトーカンド騎士団の名折れというもの。そこで、団長である私が皆さんのお目付け役として旅に同行すれば、騎士団の名誉は守られるという訳です!」
セシリーはフンス!と誇らげに胸を張る。その姿は可愛らしいが、さすがにその理屈はどうだろうと思う。
「いや、アタシ達これからしばらくトーカンドにいないんだから、ほっといても騎士団の名誉は守られるんじゃない?」と言うユーミに対して、「そうだよなぁ」とヨシオも同調する。
二人の主張ももっともであり、うーんと決めあぐねる私に、「ニイヤマさん」と呼び掛けたのはセシリーであった。
「これは、私にとって最後の旅になると思います。決してご迷惑はかけませんから、どうかお願いできませんか?」
自分にとって限りある自由な時間を、悔いの残らないものにしたい。セシリーの真剣な眼差しからは、その想いがひしひしと伝わってきた。
「最後? それは……」と言いかけたヨシオの肩を掴み、私は「特別扱いは出来ないよ?」と、旅の同行を承諾する問いをセシリーに投げ掛けた。
「……ありがとうございます。よろしくお願いしますね!」
元気よく答えたセシリーの笑顔は、今までで一番美しかった。
旅の始まりは快調であった。
道中多くの魔物に遭遇したが、何しろこちらには猛犬、もとい勇者がいるのである。
巨大な猿のような魔物に出くわせば、正面から相手の頭蓋骨を殴り砕き、狼のような魔物の群れに待ち伏せを受けても、どうやって察知しているのか知らないが、魔物が動くより先に魔法で焼き尽くしてしまうのだった。
それに加えて、セシリーの活躍も大きい。
彼女は戦う力が皆無と言っていい私とユーミを防壁魔法で守り、また、ヨシオが多少のかすり傷を負ったとしても、回復魔法でたちどころに治してしまう。
私はと言うと、二人の魔力が枯渇しないようにせっせと薬草を調合した魔法薬を作り、そんな私をうたた寝するユーミの寝息が励ますという完璧な布陣であった。
ここまでの快進撃と、関羽·張飛の軽快な走りのお陰で、当初の予定よりも随分早いペースで進んでいる。木々が生い茂る山道を行く途中、少し開けた場所を見つけた我々は、しばし休憩を取ることにした。
「なんか拍子抜けだなぁ。この分なら楽しょ……ふご!?」
不用意なことを言おうとするヨシオの口に干し肉を突っ込みながら、私は「その先は言うな! ダメ! ゼッタイ!」と深く深く釘を刺す。
「お、おう……」と、口をモグモグさせながら応じるヨシオには、自分が特大のフラグを掲げようとしていた自覚はやはりないようだ。
歴史を省みても、圧倒的な実力者が敗北を喫した原因は慢心に他ならない。油断大敵、家に帰るまでが魔王討伐なのである。よくよく吟味すべし。
しかし、そうした私の細心の注意も虚しく、順調な旅路は終わりを迎える。
先ほどまで呑気に茶を啜っていたヨシオが「なんかヘンな感じだ」と急に真剣な顔になり、何の姿も見えない森の向こうを睨みだした。
何言ってんだ急に……と思いつつも、こいつのカンは実際馬鹿に出来ない。念のため木に登ってヨシオが睨みつける方向を眺めて見ると、私はその光景に戦慄した。
「あれは、アーマーンの軍だ……」
魔物は、大きく二種類に分けることが出来る。
1つは、動植物のような姿をしていてあちこちに生息しており、知能は低い。
そしてもう1つは、人間に近い姿をしていて、その知能は極めて高い。
前者は戦う上でそれほど脅威になることはないが、問題は後者である。
彼らは人語を操り、道具を使う。さらに集団を形成し、統率の取れた動きで攻撃を仕掛けてくる。そうした魔物の集団は、便宜上「魔軍」と呼ばれる。
今まさに私達の眼前に迫るのは、そんな魔軍の中でも筆頭の実力者である三将軍の一人、アーマーンと、彼が率いる軍である。
私のように戦いとは無縁の生活を送っていた者でも、あの深紅の鎧で全身を包んだ一団を見ればそれと分かるほどに、この世界ではその名は広く知れ渡っている。少なくとも、旅を始めたばかりの冒険者が出会っていい相手でない事は確かであった。
「アーマーン!? アーマーンと言ったのですか!?」聞き間違いではないかと狼狽するセシリーに
「ああ」と答えながら、私は静かに木を降りた。「魔王の側近が、なんでこんなところに……」
「えぇ!? なにそれ逃げよう! 早く逃げよう!」
すでにパニックに陥っているユーミを何とか踏みとどめていると、「強い敵なのか?」とヨシオが低い声色で問いかけてきた。
「……今の俺達じゃ勝てない。それに数も500はいる。ここは逃げよう」
今にも飛び出して行きそうなヨシオに答えながら、私は目で自制を求めた。幸いこの距離ならまだ気づかれてはいないはずである。しかし、
「もう遅いな」
「え?」
ヨシオの言葉の意味を探る間もなく、周囲の木々の間から無数の矢が放たれた。身構えるのが遅れた私達に対して、既に臨戦態勢のヨシオが蹴りの風圧で矢を全て落とした。
「バーニング!」
森の暗がりにヨシオは火球を放つが、これは牽制である。手応えのない魔法攻撃は辺りを照らすばかりであったが、その結果既に包囲されている私達の状況を鮮明に浮かび上がらせた。
アーマーンは、私達が気づくよりも先に先行部隊を回り込ませていたのである。私は、もう敵の術中に嵌まりつつあることを理解した。
「やるぞ。いいよな?」
私は一瞬躊躇ったが、静かに頷いた。こうなればもう敵を突破する他に手はあるまい。それに、もしかしたらヨシオならば、この状況でも何とかしてしまうのではないかという淡い期待もあった。だがそんな夢想はすぐさま崩れ去る。
「ぬん! ……む?」
ヨシオは敵に飛び込むと、瞬く間に1体を殴り倒した。しかし、いつもの調子であれば一挙動で2、3体をまとめて仕留めるはずが、どうにも思うように動けていない。
これまでの敵とは違う。そう感じたのはヨシオも同じようで、追撃はかけずに様子をみていたが、今度は魔物達が一斉に攻撃を仕掛けてきた。だがその矛先はヨシオではなく、後方にいる私達に向けられた。
「ちぃっ!」
すぐに援護に回ろうとするヨシオの前に、数体の魔物が立ちはだかる。相手のもっとも脆い部分を狙うのは戦いの基本であるが、その統率の取れた動きは敵ながら実に見事だった。
「二人とも、私の後ろに!」
セシリーがそう叫び、防壁魔法が展開されたのとほぼ同時に、敵の放った矢と氷の塊が目の前に飛び込んできた。
それらは魔法の壁に阻まれたが、セシリーの注意が削がれた隙をついて、鬼のような姿の魔物が一気に距離を詰めてきた。そのまま突進してくる魔物は、防壁ごと私達三人を突きとばした。
「ぅあ!」
地面に叩き付けられた私は、肩から腰にかけて熱く鋭い痛みが走るのを感じた。それはほんの擦り傷程度だったが、しかし私は、恐怖のあまりすぐに体を起こせなかった。ユーミの叫び声が響く中、これが、この痛みが、戦場の痛みなのだと初めて実感した。
「ニイヤマさん!」
セシリーの呼び掛けに顔をあげると、先ほどの魔物が腰の鞘からサーベルを抜いてこちらに迫っていた。逃げなくてはならないのは分かっているが、足が上手く動かせない。まるで神経が途切れてしまったかのようだ。
必死に這いつくばって距離を取る私に、ジリジリと魔物が近づいてくるが、「おらぁ!」というヨシオの声と共に投げつけられた石に気付いて、魔物は後方に飛び退いた。
「大丈夫か?」足止めの魔物のうち1体を仕留めてヨシオがかけ寄って来るが、さすがにその表情は冴えない。「……こいつら、相当しぶといぞ」
「あぁ、大丈夫……やっぱちょっと痛い」
ここまでで2体を倒したが、未だ10体ほどの魔物が周囲を囲んでいる。
1度は回り込まれたとはいえ、ほとんど真正面から対峙した相手にこれほど手こずるのは、ヨシオにとっても初めてのことであった。しかし、そんなヨシオを責めることは出来ないだろう。
「こいつら、時間を稼いでるのか?」
そう感じたのは、敵の付かず離れずの連携や、私を殺せるタイミングで剣を振りおろさなかったことに違和感を覚えたこともあるが、そうしたことは些細な要因にすぎない。そんなものよりも、地鳴りのような音と共に圧倒的な存在感が、もうすぐそこまで猛然と近づいてくるのが、ヨシオでなくとも感じられたのである。
「な、何この音!? もう来たの!?」ユーミはセシリーの足にしがみつき、涙と鼻水でグショグショの顔を必死に四方に向けている。
「いや、そんなはずは……」
木の上から確認した限りでは、まだ距離は十分にあるはずなのに……。自分の目測の甘さを悔いる間もなく、血の色よりも鮮やかな紅い動体が、突風と共に私達の前に現れた。
その姿は、まさに魔人と呼ぶに相応しかった。
その者は、小型の恐竜のような紅いトカゲに跨がり、手には真っ赤なランスとシールドをそれぞれ携えている。「アーマーンが通った後は、人間の死体で川が塞き止められる」そんな逸話が伝わるのも頷けるほどに、鎧の隙間から垣間見るアーマーンの双眼は暗く冷たかった。
「本当に、アーマーン……」改めて受け入れ難い光景を目の当たりにして、セシリーは構える剣の先を震わせている。
「強いな」
ヨシオが当たり前のことを口に出すが、その額に流れる汗の量が、誰よりも状況を重く見ている証拠だった。
その偉容に動こうにも動けないでいる私達を尻目に、アーマーンはおもむろにトカゲから降りてこちらにゆっくりと歩を進め始めた。
「来る……!」
こちらが身構えるのに呼応して敵軍も構えを見せるが、アーマーンは「手出し無用」と言うように無言で部下達を制した。
それを見て、「舐めやがって!」とヨシオは不愉快そうだが、私にはこの上ない好機に思えた。一対一なら、ヨシオにも分がある。敵の頭さえ潰せば、まだ勝機は見いだせるはずである。
「ヨシオ、いけるぞ!」
「応よ!」
怒気を纏った返事を返すと同時に、ヨシオはアーマーンに蹴りかかっていった。そのあまりの速さに、私の目ではほとんど動きを追えなかったが、辺りに響く轟音からして、どうやら避けられた様子はない。私は「勝負あった」と確信した。しかし、アーマーンは倒れず、左手の盾でヨシオの足をしっかりと受け止めていた。
私は思わず「そんなバカな!」と声を上げた。普通なら蹴りを盾で防がれるのは道理だが、これまでどんな相手も一撃で粉砕してきたヨシオの攻撃が通じないことが、それほど信じがたかったのだ。
「……なんという力だ」静かに、それでいて凄みの効いた声を出したのはアーマーンだった。「しかし、直線的だな。力だけでは私に勝てん」
「な、なにィ!?」ヨシオは驚愕と怒りを露にするが、次の瞬間、アーマーンの槍の腹で横凪ぎにされた体が宙を舞った。
「ウガッ……!」
私にはその光景がゆっくりと見えた。あれほど強かったヨシオが容易く地に伏せられ、支柱を失ったに等しい私達には、最早成す術など無かった。
ここまでお読み頂き、感謝の言葉もございません。ございませんが、感謝します。ありがとうございます。
第2章が始まりようやく旅に出たわけですが、早速にサクッと負けてました。今回は特に読みづらかったと思います。申し訳ないです。一先ず「強敵やんけ、このままでは負けてしまう→よし劣勢を覆す隙を見つけたり!→普通に負けました」この流れだけでもなんとか伝われば幸いです。
また各話の教訓めいた文言について、「いや、普通のことやんけ!」と思って頂けていたら、これもまた幸いであります。それが一つの「ミソ」となっております。