水辺に蠢く首の数1
水は人が生きるのに無くてはならない物だ。
此れは何も飲料水の事だけを指して言っている訳では無い。
農作物を育てる為にも水は必要だし、身体を清めて病を予防する為にも水は有用だ。
人は昔から水のある場所に生活圏を築いて来た。
遠くの国ではあるが、利水の権利を巡って殺し合いが起きる事すらあったらしい。
それ位に水は重要なのだ。
僕と王国騎士団第七隊の人員がその村を訪れる事になったのも川が枯れて来ているとの『救援要請』があったからだった。
王国は大地の女神の加護により山も森も豊富にあるので、流れる水は澄んでいる。
水量も多いので余程の日照りが続かぬ限り、水が枯れると言う事態はそうそう起こりえない。
故にそれが枯れたとなれば、並々ならぬ事情があるのだろう。
「つまり何年も前から上流にヒュドラが棲み付いているのは知っていたけれど、被害は出なかったので放置していたのですね」
僕の再確認に村長が頷く。吐きたくなった溜息を、飲み込む。
村としてのヒュドラへの対応はまあ妥当な物だ。
ヒュドラは高位の魔物である。基本的に住処の水場から動く事はあまり無いが、此方から手出しすればその限りでは無い。
対処出来る高位冒険者を雇うには多額の金が掛かるし、そして万一失敗でもされてしまえば村が襲われる可能性が無いとは言えないのだ。
ならば付近を立ち入らずに放置する事を選ぶのは当然とも言えよう。
しかしその事情は変わってしまった。
「川が枯れたのは上流で何かがあったからだと思われるけれど、ヒュドラが居るので調べに行けないんですね」
ヒュドラの縄張りの水場を単なる村人が調べに行くのは無茶だ。
なので本来は今こそ高位の冒険者に水場の調査、或いはヒュドラの討伐を依頼せねばならない所なのだが……、そう出来ない事情があった。
別に村に金が無いとかそう言う話では無い。村側は冒険者に依頼を出す事に何の問題も無いのだ。
魔物の災害に関しては国からの補助金が出るし、領主も税を考慮してくれるだろうから。
けれど問題は受ける側の冒険者にある。
現在王国の高位冒険者の間では、新しく発見されたダンジョンへの挑戦が密かなブームになっているのだ。
そのダンジョンは難易度が高く、完全にベテラン向けだった為に高位冒険者の挑戦心に火をつけた。
勿論実入りの良さも無関係ではない。
全ての高位冒険者がそのダンジョンに向かったわけでは無いけれど、元より高位に至れる人間の少なさもあって今冒険者ギルドではベテラン向けの依頼の処理が滞っている。
只でさえ厄介で対処の難しいヒュドラの相手が可能な冒険者が、今のこの時期に手が空いてる筈も無かったのだ。
ヒュドラは水場から滅多に動かないので、被害が出ていないなら緊急性があるとは冒険者からは判断されないと言うのもあるだろう。
時間が経てば冒険者も他を片付けてこの村からの依頼を受けてくれるかも知れない。
だがその頃にはこの村は干上がってしまっている可能性が大である。
「もう国におすがりするしかないんです……」
そこで村長は領主に助けを求め、領主たる貴族は国に救援要請を出したのだ。事態が自分の管理の及ぶ範疇でないと判断して。
そうなれば僕に話が回ってくるのも止むを得ない。
一貴族の抱える兵力では対処できない魔獣なのだから、国から派遣するのも只の兵士では無く騎士、そして魔術師になるのは当然だから。
厄介な相手であるとは言え、やらねばならないのなら覚悟を決めてやるしかないのだ。
「で、ヒュドラとやらにはどうやって勝つのさ?」
気楽に問うてくる副隊長のキャッサに、僕はしばし思考する。
キャッサの気楽さも僕に対する信頼故にと思えば、割合に心地が良い物だ。
こちらの戦力は僕とドグラ、そしてキャッサを含めた10人の騎士。騎士達の実力は精鋭と思って間違いがない。
取り敢えずヒュドラの情報を整理しよう。
ヒュドラとは巨大な胴体と多数の頭部を持つ、蛇に似た水棲の魔物である。
基本的に頭部の数が多ければ多いほどサイズも大きく強い。ただし一番頭数が少ないとされる五頭のヒュドラでもランクは高位だ。
古代の伝説には100の頭を持つ山の様なヒュドラが登場するが、僕の知る限りでは九頭までしか存在は確認されていない。
ちなみに九頭のヒュドラは成竜に近しい力を持つ存在なので、万が一、億が一、今回のヒュドラが九頭ならば軍でも出さねば勝ち目はない。
そして強い再生力を持つ。その強力さは頭部を切り落としても同じような頭部がまた生えて来る程だ。切り傷程度は一瞬で治ってしまうので意味が無い。
だがこれに関しては傷口を焼く事で再生を阻害する事も可能である。
後は毒だ。サイズが巨大な為に出す毒も量が多く、噛まれずとも浴びるだけで人の身体に影響を及ぼす。
一応相手がヒュドラである事は出発前に判って居たので、毒に対する備えは十分に持ってきた。
「うーん、まだどうやって勝つか以前の問題なんですよね」
しかし味方と敵、その確認を終えても、僕には勝利の糸口さえ掴めていない。
だって相手がヒュドラと判って居ても、やはり全然情報は足りてないから。
頭の数さえ判らない。水場の、戦場の状態さえも判らない。
騎士達が展開出来る広さがあるのか。足場の状態はどうだろう。
結局は先ずは、調査から始めるより他はない。