序章~到着前に破産した~
天地一国25歳は目の前に口を広げる洞窟の入り口、通称「異界の裂け目」に不安と興奮で震えているのが感じられた。
ネットでまことしやかに囁かれている都市伝説。一度入ると出て来れない異界への入り口。
洞窟探検家が何人も調査に乗り出したが戻ってくる事は無かった。現地の人間が調査団を結成し万全の装備で臨んだが戻る事は無かったという。
ネット上では好き勝手な議論が巻き起こっている。
「単に別の出口があったんだろ」
「別の出口があったにせよ、そこから出た人間がそれを報告するだろ!バカか!」
「入口で待機してた人間も諦めて死亡報告書が出てるらしい」
「間違いなく異世界への入り口だ!異世界ファンタジーだwwwwwwヽ(∇⌒ヽ)(ノ⌒∇)ノ」
「異世界ファンタジーのラノベ多すぎだろ!飽きたわ!」
「調査しに入った人間を探しに入った調査団も出て来れんくて死亡とかヤバ過ぎ!」
「都市伝説SPで芸人がかなり盛って話してたけどなw」
「近くの町がそこから出て来た地底人に襲われたって!それだと地底人はそこから出てんじゃんw」
「地底人だけは例外的なwww」
「本当にヤバかったら岩で出口塞げぐなりダイナマイトで爆破するなりしろよな、危機管理うっすw」
「それをしないって事が本当はヤバくない証拠」
「おまいら深夜に書き込んでる暇人なんだから調査死に行け!神と呼んでやる!」
「死に行けwwwwww」
「まさにそれ!ワロタwwwwww」
有刺鉄線が身長以上の高さで張り巡らされ、この洞窟に近づけないよう施されている時点で危険な洞窟である事はヒシヒシと伝わった。
しかしするなと言われて背徳していまうのが人間独特の愚かな習性なのだ、ご丁寧に大人が入れるように捻じ曲げられた鉄線と手入れの一切されていないはずの、草木が生い茂る雑木林に洞窟へと繋がる道筋がくっきり浮かび上がっていた。
心臓の鼓動さえ脳を揺らし鼓膜を響かせていた。
人生最大の!生きて来て初めての!これが俺の本気だ!これをきっかけに俺は変われる!
異国の、更に人が立ち入らない辺境、ここにたどり着いた時点で自分の中では偉業達成。自慢できる大冒険であり、これこそが俺の中の破天荒だ!
破天荒・・・今までだれもしなかったような事をすること。前代未聞の行いの意味であり豪快な行動を起こす者の事ではないことは大学受験で学んだ。
大学受験は全て失敗したのだけれど、それが挑戦のキッカケになったのだからあながち悲観する事もないのだ、と自分に言い聞かせる事ができるくらいには立ち直った。
ここまでの旅費は使い切った。
というより騙されて失った。
情報収集する為に雇った現地の通訳と情報収集する為に入った寂れた田舎町の寂れたバーで散々奢らされ酒でつぶらされ、情報の見返りに金をむしり取られた。
今考えればやたら口の軽い陽気なだけの通訳を信用したのはマズかったように思う、こちらが現地の言葉を知らない事をいいことにバーに居た連中と結託していたに違いない。
知り合いが一人もいない話が全く通じない異国にいた母国語を話す人間の存在は、絶大な信頼感を得るに十分な救世主に思えたのだ。
全て彼の指示に従ってしまった。
目覚めた時には通訳も酒を奢ったバーの客もいなかった。
リュックをお腹に抱え眠ってしまったので荷物は何とか無事だったのがせめてもの救いか。
しかし金は全て取られたようだ。バイトで必死に溜めた金!生まれ変わる為に人生で一番頑張った4か月だったと思う。この日の為にネットショッピングも控え、浪費せず我慢したのに(お菓子とダイエットコーラと漫画の新刊は我慢できなかったがそれくらいは許して欲しい)1日で全額取られた。帰る為の飛行機代も無い、飯も買えない、宿泊もできない。
しばらく席から立つことができず目の前の柱をジッと見つめる目も焦点があっていない。心が折れるとはこの事だ。もうやめよう・・・。
一国の席に近づく足音が聞こえ振り向くとバーのマスターだった。
席にコースターとミルクを置き「サービス」と言いながら肩を一度ポンとたたきカウンターに戻るマスターの背中を見ながら涙が出そうになった。心づかいが身に染みた。
いい人だいい人だ!心で何度も思い頭をペコペコした。ミルク一杯でマスターの信者になるほどの勢いだ、ハッと気が付き苦笑する。
何の苦労もなくぬくぬく育った自分のような人間が外国では良いカモなのだろうなとため息が出た。
席を立ったが足取りが重い。あたかも足を怪我したかのように引きずり歩きバーの扉に差し掛かった時にマスターに呼び止められた。
「HEY!」
悪い予感にドキッとした!汗が噴き出す!扉のノブを掴んだまま固まってしまった。
酒や食べ物はその時払いだったはず!代金を払い忘れていたか!お金はもうないぞ!
このまま振り向かずに逃げるか!日本人とは全く体格が違う、出会った外人全てがギャングに見えるほどの威圧感。捕まってボコボコに殴られた日にはそのままこの地で死ぬんじゃないか・・・。
ミルクをサービスしてくれたマスターだ、信じようマスターを!
恐る恐る振り返ると、無表情だがわずかに憐れみの表情を浮かべたマスターの手にメモが握られていた。
天地一国は猫背で力なくそのメモを受け取るとある場所の地図が手書きで記されていた。
マスターは一国が通訳を通して客と話していた内容を聞いていたのだ。
現地の人間が決して立ち寄らない場所「異界の裂け目」
結局詳細な場所を聞く前に酒に潰されてしまった情報をわざわざマスターがメモに書いてくれたのだ。
神かこの人は!深々と頭を下げてメモを受け取ったが、バーを出た時に究極の選択を迫られている事に頭を悩ませた。
このメモを受け取らなければ諦められたのに!
ヒッチハイクで市街に戻れば日本の大使館があるはずで、その行動を確定するには先ほどのダメージは決定的な出来事だったのに。
このメモによって迷いが生じた。
入り口だけ見て帰るか・・・。それがいい。それが現時点での俺の限界。それ以上は命にかかわる。バーの客も笑いながら止めておけと言っていた。何人もの人間が調査に入り戻って来れずにいると。
ヒッチハイクでそこまで行く!それだけで友達に自慢気に話せる大冒険なのだ!(友達いたっけ?)
そうだ!これにて目標達成!
俺は「異界の裂け目」を目の前に立つ事が出来ている。
車で近くまで乗せてくれた中年の男性も、渡したメモを見ながら中には絶対に入るな!危険だ!と言っていたに違いない。
腹もかなり減っている。おかしとダイエットコーラで膨れた腹もここ数日で引っ込んだ。この地にたどり着いただけでも相当な疲労、苦難、出発前には全く想像していなかったストレスの連続だったのだ、ここが潮時だ。
しかしジッと穴の前に立っていると妙に引き込まれる感覚に見舞われる。
風が洞窟に吸い込まれているのだろうか、一歩また一歩と洞窟に歩み寄って行く。
洞窟の入り口は縦2m横幅1mほどの人が一人通れるくらいのひし形の岩にできた裂け目のようだった。
異界の裂け目とはよく言ったものだ。洞窟の中は真っ暗で1m先が見えない。リュックを地面に置き、持って来ていた懐中電灯で入口から中を照らす。
まさか熊の住処じゃないだろうな!ライトで照らした瞬間に脳裏にその事を思い浮かべドキッとした。
中から突然熊が襲ってきたら一貫の終わりだ。
とたんに血の気が引く。
しかし顔面を蒼白にしたのは別の出来事だった、入口入って一歩目には既に底がないのだ。
10mか20mか洞窟の入り口から即崖になっており真下に巨大な穴が開いていた。靴に押し出された砂利が崖の下に吸い込まれて行く。光を照らしても地面があるのかどうなのか、底までの正確な距離は測れなかった。
何の警戒も無く一歩目を踏み出していたら真っ逆さま!地面に叩きつけられ死んでいた!
もし落ちていたらどうなっていただろう?頭から落ちたら頭蓋骨が砕かれ脳みそが辺りに散らばって死亡していたに違いない。
下は既に落ちた人の腐った死体の山で悲惨な状況になっているかもしれない。
死体の山がクッションになりあわよくば生きていたとしても上に登れずいずれ餓死する。
「オエッ!」
想像力豊かなのが俺の長所でもあり短所だ。
すぐネガティブな方向に考えてしまう。
これ以上トラブルに巻き込まれたくないという警戒心が功を奏した。
入れるはずがないじゃないか!この時点でアウトだ!
ロープは持ってきていた。1mごとにダマを作り数mくらいの段差なら何とか上り下りできるくらいのロープは。だが長さが全く足りない。ここを降りるには20m級の縄梯子が必要だ。
決定的な止める理由ができた事に多少なりとも安堵した。欲求はある、この先がどうなっているのかという探求心、でもここまでだ。
「おっと!写真撮らなきゃ!」
自撮り棒もちゃんと持ってきている。ネット民は人の粗を探すのが異常にうまい!人を叩くのが大好物で人の不幸で明日を楽しく生きれる鬼畜人なのだ!あいつらを信用させるのは容易ではない。
それが自分も含まれているのだから救えない。
「入口だけかよ~!」
「何しに行ったんだwww」
「男なら死んで来い!」
「よく近所にそんな似た場所があったなw」
「合成だろ?良く出来てはいるけど」
「合成作業おつ!!!」
ネット民からそんな声が聞こえてきそうだ。
ポケットからスマホを取り出し振り返った瞬間、顔に黒い物体が纏わりついた。
キー!キー!キー!
複数の黒い物体は高らかな鳴き声を上げながら顏どころか身体のあらゆる場所に纏わりつき一国にパニックを誘発した!
「うわ~~~~!」何が起こったのか分からずもがく!体に纏わりつく黒い物体を払いのける為に懸命に手足をバタつかせる。「うわぁ~~やめろ~~!!」
キー!キー!キー!一匹払いのけようと次々に次々に一国に纏わりつき襲い掛かり全身をまっ黒に覆い隠す。
暗闇に襲われた一国の体は三半規管の狂いを生み出し、体のバランスを失いよろめいた。ジャリッ!その瞬間体が浮いたような感覚に襲われた!崖を踏み外し投げ出された!洞窟の底真っ逆さまに一国の身体は闇に消えた。
死を直感した瞬間、一国の意識も失われた。