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混沌ニ嗤ウ幻ノ樹  作者: 犬塚弘鳥
4/5

夜ノ森

 宝樹祭の神輿行列は囃子や太鼓の音に包まれながら森の脇を進んでいた。踊り子たちの軽やかな踊りもそれに華を添える。ぼくはそれを崩さないように手を軽やかにしなやかに左右に動かしながら、音頭に合わせて舞い踊る。琳は練習なんてしていないからぼくの後ろで必死にみんなの動きを真似していた。


 瀬戸さんもそんな彼の姿が微笑ましいのか、口元から笑みが零れている。“森の住人”が神輿行列に加わって踊っているなんて誰も思わない。それを目の前で見られる幸せに浸っているようだった。


 琳は彼女の視線に気づいているのか、頬を赤く染め上げている。視線を森に移し、瀬戸さんの視線から逃れようとしているらしい。ぷるぷると尻尾も震えている。本物だってばれたら大騒ぎになるだろうけど、今の彼にはそこまで気が回らない。何とかして彼女の視線から琳を開放しないと。


 だけどどうやって。話しかけても琳の方に話題を振られそうだし、そうなったらまず彼が逃げ出す。


 ぼくはあーでもないこーでもないと考えを巡らせていると女の子の声が聞こえてきた。



「結以、腕が垂れ下がってるよ!」

「写メ撮るねー」


 伊藤さんと響さんだ。彼女たちは瀬戸さんにスマホを向けている。琳の存在に気が付くのも時間の問題だ。ただ彼女の視線が琳から離れたのは幸いだ。これならいくらかの時間稼ぎができる。



「琳、今すぐに」

「ちょっと来て。話したいことがあるんだ」



 珍しくぼくの言葉を食い気味で中断させた琳は自然な動きでぼくの手を取って森に駆け込む。提灯の光がぎりぎり届く場所まで来るとそのまましゃがむように手で示した。


 一体何事だろう。きょろきょろと辺りを見渡して何もいないことを確かめた琳は溜息を吐く。



「急にどうしたんだよ。まだ祭りは終わってないよ?」

「宗も知っているでしょ。祭りの期間中に1人死ぬって。そのことで話していないことがあったから……」

「話していないこと?」



 琳は頷く。何か重大なことなのか真剣な面持ちでぼくをじっと見つめていた。琳の金と碧の瞳に提灯の灯りが映り込む。そして彼はためらいがちに口を開いた。



「宝樹祭がこうなったのはぼくのせいなんだ」

「は……え? いや、ちょっと待って。なんで琳のせいなんだよ」

「それを話すにはちょっと長くなるけど……」



 琳は俯いて両手の人差し指を互いにつんつんしている。話すか、話さないか迷っているみたいだった。こういう時、オババならどうするだろう。彼を促したのだろうか。


 夜の森は気味が悪い。昼間よりも湿っぽいし、がさがさと獣が通る音がする。遠くからは梟の声まで聞こえてくる。提灯の明かりだってそこに琳がいるという程度しか分からない。おまけに背筋が凍るような視線をいくつも感じる。正直言って言うことがあるならさっさと終わらせてほしい。


 5分くらい経って琳は覚悟を決めたのか顔を上げた。その間に視線の数は増え、中には茂みからこちらを伺い知ろうとする紅い目も見える。そういう奴に限って黒い人の手のようなものを茂みから出しているものだから余計に怖い。


 だけど、琳にはそれが見えていないのかぼくだけをじっと見ている。やけに生ぬるい風が髪を揺らすのと同時に彼を言葉を紡ぎだした。



「もともと宝樹はぼくがこの地に持ってきたんだ。それからずっと宝樹を守ってきた。だからぼくは《宝樹の守り人》って言われている。でも、今はその役目を果たせていない」

「それ、どういうことだよ」

「……今から50年ほど前、人型をした狐――宗たちの言葉でいう獣人がぼくから宝樹を奪ったんだ。もちろん、ぼくは取り返そうとしたよ? でも《(うば)(びと)》には敵わなかった。何度も何度も立ち向かったのに……」

「それと宝樹祭がどう関係しているんだよ」

「…………変わってしまったんだ。他の誰かから奪った能力(ちから)で村のみんなの記憶を書き換えて、ずっと昔から祭りの期間中に1人死ぬ祭りだったって。本当は五穀豊穣を祈る祭りなのに……宝樹はご神木なのに……」



 ぼくには《宝樹の守り人》も《奪い人》も何のことか分からない。だけど、悔しそうにそして辛そうに俯く琳の姿を見ると何も言えなくなってしまう。だけどぼくの中には疑問が沸き上がっていた。そもそもなんでこの地に宝樹を持って来たんだろう。あんな変わった樹は他に見たことがない。図鑑で調べても何も出てこない樹がこの村にはある。それくらいしか分からない。


 一体50年前に何が起きたんだろう。オババも50年前に忘れられない出来事があったって言っていたけど、ひょっとしてこれと関わりがあるのかな。でも、オババが話してくれたのは楽しい思い出だけ。当時のオババと背丈があまり変わらない少年と賑やかに過ごしていたらしい。彼は言葉遣いが悪く、悪戯好きだったからそれを尻拭いするのが大変だったって懐かしそうに話していた。


 それと同じ頃に起きた宝樹が奪い取られた事件。琳は未だにそのことを悔やんでいる。まるで取り返しのつかないことをしてしまった犯罪者みたいに落ち込んで、自分を責めている。ぼくには琳を慰める言葉が見つからなかった。



 *



 落ち込んだままの琳はふらりと立ち上がると宝樹の方に歩き出した。ぼくは慌てて彼の後を追う。この提灯のほのかな灯りだけで夜の森を歩ける自信はない。それに周りには黒い手に紅い目をした化け物がうようよいる。その中を無事に通り抜けられる保証だってない。


 時折、生ぬるい風が吹いて頬を撫でていく。なんだか嫌な風だ。胸騒ぎだってする。本当なら森のすぐ脇で神輿に並んで踊っているはずなのに何をしているんだろう。それに琳が言った謎の二つの単語も気になる。特に《宝樹の守り人》。“森の住人”としか前は言っていなかったのに。どうして今の今まで隠していたのだろう。


 ぼくは顎に手を当てて考えを巡らす。どうしてもこの疑問の答えが欲しい。そうじゃないと納得できない。



「うわっ!」



 何かにつまずいてこけたぼくに気づかずに琳は進んでいく。待ってよ、その言葉が出ない。喉がきゅっと引き締まった感じがする。それでもぼくは急いで立ち上がろうとした。だけど何かに引っかかって手間取ってしまう。何があるのかと視線を落としたぼくは縄に気づいた。二本の木の幹を縄で繋いだだけのもの。こんなものにひっかかったのか。



「だっせぇの」



 聞き覚えのある声にぼくの背筋は凍る。あの枝の上にいた少年の声だ。どす黒い何かを抱えたその瞳でぼくを見ているのかもしれない。そう思うと逃げ出したくなる。ぼくは震えそうになる足を抑え、何とか縄から離れた。そして声の聞こえてきた方に体を向ける。


 少年はぼくの目の前に立っていた。中学3年生くらいで身長だって琳よりも5cmほど低い。それなのに琳よりも大きく感じる。



「君は誰」

「オレはコウタ。おめぇ、お付きの天狐野郎はどうしたんだ?」

「お前のせいで見失ったんだよ」

「へぇ、そりゃ好都合じゃねぇか」



 何が好都合なんだろう。身構えたぼくをコウタと名乗る狐耳の少年は嘲笑った。いつの間にか黒い手に紅い目をした化け物が地面を這ってぼくに近づいている。しかもよく見るとコウタの後ろから湧き出ていた。何それ。まさか……あの黒い手を飼っているとでも言うのだろうか。


 ぼくは後ずさりをする。一歩、また一歩。そしてもう一歩下がったところでパキッと小枝の折れる音がした。それを合図に黒い手が一斉にぼくに襲い掛かって来る。ひんやりとした手がぼくの足に触れた瞬間、息を吸い込んで走り出した。


 早く琳に追いつかないと。あの手は普通の手じゃない。何か分からないけど、ぼくを引きずり込もうとする意思が感じられた。今もスルスルと地面を這いながらぼくを追いかけてきている。時折上から降って来ては肩を掴まれた。それを何度も払落しながら前に進む。


 彼らの細長い手は地面を這うのに都合がいいのか、まるで蛇のようにぼくを追いかけてくる。まるでぼくの行く手を狭めるように。どこをどう逃げればいいのか分からない。ただやみくもに走るだけ。


 琳がいたら。なんでぼくを置いて行ってしまったんだろう。酷いよ。ぼくは琳と違って村で暮らしているのに。心の中でいくら彼に愚痴ったって届かないことくらい分かっている。だけど、今は琳が必要だ。


 急にガクンと膝が曲がる。地面に膝をついたぼくの目に飛び込んできたのは右足首を掴む青白い手。やけに冷たくて体温がどんどん奪われていく気がする。青白い手は地面から生えてぼくの足をがっしりと掴んでいた。ぼくは右足をこれでもかと言うほどばたつかせる。後ろからは黒い手。地面から青白い手。なんで手ばっかりが僕を狙うんだろう。



「やけに冷静じゃねぇか」



 頭上から降って来たのはコウタの声。その声が聞こえた途端、手が一斉に消えた。周りを見渡しても何も聞こえない。ぼくは恐る恐る彼を見上げた。


 いかにもつまらない。そんな風に見えるコウタの後ろには黒い影が相変わらずついている。そこから覗く不気味な黒い手。可動式の招き猫みたいにぼくに手を振っている。その奥にはいくつもの紅い目。



「ま、そんなに冷静ならそれでいいんだけどよ」



 そう言って指を鳴らしたコウタ。にぃと口を三日月に歪めている。その途端、黒い手と紅い目が渦に飲まれるように交わりだした。そのままコウタから離れてぼくに落ちて来る。とっさに避けたぼくの目の前で脈打つ物体。もぞりと首をもたげたそれは体中に紅い目と黒い手を生やした蛇のようなもの。


 ――喰われる。


 そう直感したぼくはまた走り出す。後ろからはガサガサと葉を鳴らしながら迫る蛇。沢山の視線がぼくを射抜く。彼の放つ低い人の悲鳴のような咆哮は夜の森の不気味さを助長していた。


 それだけじゃない。地面を這う蛇の他にも地を駆ける別の存在がぼくを追っているのも感じられる。そいつの視線は蛇のそれとは違って心臓を握りつぶされるかのようなどす黒く憎悪をはらんでいた。



「くははっ」



 その嗤い声が聞こえた瞬間、背中に鋭い熱が走る。勢い余って前に倒れ込んだぼくは後ろからの重い鈍痛を感じた。それが何なのか分からないまま、ぼくの視界は黒く染まる。視界が完全に染まる直前に見えたのは紅い鼻緒の下駄だった。

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