始マリノ唄
宵闇に浮かぶ宝樹と呼ばれる樹
それが何であるのか誰にも分からない
果たして分かる者がいるのだろうか
ある者は神と言い
またある者は妖と言う
そしてある者は厄災だと声高らかに叫ぶ
どれが正解なのか知る者は未だおらず
人はその樹をただ畏れる
ほのかに照らされる宝樹の根元に
小さき人影
獣の耳と尾を生やし
ゆらりゆらりと揺らしている
つぶらな瞳でじっと見つめる先には
煌く木の葉 樹を照らす葉
彼がどこから来たのか、何者なのか
守り人のみぞ知る
口元に笑みを浮かべ
月を宿すその瞳に何が映っているか
彼のみぞ知る
小さき獣は薄ら笑いを崩さず呟く――
『この祭は命と引き換えだ』
――――作詞 香月祥智
*
宝樹祭。それを唄った民謡 (珍しいことに作詞者が判明している) を何度聞いただろう。あの祭りは最後の一文が示す通り、祭りの参加者の1人が必ず死ぬ。どうして死なないといけないのか。それをぼくは知らない。ただ、祭りの主役が死なないことだけは確かだ。御狐様を祀る啄木鳥村でどうしてこんな野蛮な祭が続けられているのだろう。オババは御狐様に村を守っていただくためだと言っていたけれど納得がいかない。そんな理不尽なことがあっていいのだろうか。
「宗、今年の宝樹祭にはお前も参加するんだよ」
「えー、もし死んじゃったらどうするのさ。ぼく、まだ16だよ?」
「安心しな。今まで御狐様に呼ばれたのはおばさんかおじさんだから。きっと親になってくれる人が欲しいんだろうねぇ」
「それって"大抵は"でしょ。去年なんか15歳の女の子が死んだじゃないか」
史上最年少の御狐様に呼ばれた者。そう言われて葬られた女の子は胸から血を流していた。刃物で胸を一突き、たったそれだけの傷だったのをはっきり覚えている。どれだけ痛かっただろうと思う程、彼女の顔は苦しそうで恐怖に歪んでいた。ぼくがなんでこんなことを知っているかって? そりゃあ、ぼくが第一発見者だから。
それだけじゃない。この宝樹祭には奇妙なしきたりがある。御狐様に呼ばれた者――つまり、祭りで亡くなった人を最初に見つけた者は翌年の祭りに必ず参加しなければいけない。それを破れば御狐様から祟りが与えられる。だからこのしきたりが破られたことは一度としてない。ぼくが嫌がったところでどうにかなるものじゃないけどさ。せめて大人になるまで参加したくなかった。
そんな我儘さえも許されない祭りって他にあるのかな。他の地域の祭りをあまり知らないから何とも言えないけど、少なくとも学校の本を読んだ限り、宝樹祭のような物は見つからなかった。多分、未だに命の危険が伴う祭りはこれだけだと思う。
もうやめよう、こんなことを考えるのは。いくら考えたってぼくは祭りから逃れられない。彼女を最初に見つけてしまったのだから。行方不明のクラスメートを見つけてしまったのだから。でも、あれはぼくだけじゃ見つけることはできなかったはず。あいつの助けなしに人を探すなんて無理なことくらいぼくは知っているんだ。だから正確には、ぼくじゃなくてあいつが第一発見者なわけだけど、生憎人前に姿を見せないあいつがそうなり得るわけがない。
全く恥ずかしがり屋にもほどがある。おかげでぼくが祭りに出ないといけない羽目になった。いつもなら出る出ないは自分で決められるのに。
はぁ。ぼくの重い溜息が部屋に漏れる。
顔を上げれば縁側にぶら下がっている風鈴が風に吹かれて気持ち良さそうに揺れていた。扇風機の風も心地いい。それなのにぼくの心は重く澱んでいる。祭りに対して不安しかないせいか、嫌な思い出しかないせいかはわからない。
ちらりと台所に立つオババを見れば、白髪交じりの髪に白い三角巾をつけて何かをこさえている。きっと今日の夕飯を作っているんだ。共働きの両親の代わりにオババはこうして家事をしてくれる。クラスメイトの遺体を見つけたぼくを慰めてくれたのもオババだ。
「オババ、ぼく出かけてくる」
「はいよ。夕飯までには戻っておいで」
オババの声を背中で受け止めながらぼくは居間を後にする。いくつかの開け放した障子を通り抜け、玄関に出たぼくはスニーカーを履いて外に出た。ちょっとあいつに会いに行くだけ。そう胸に言い聞かせながら歩を進める。村の人はあいつの存在をほとんど知らない。森に隠れ住むあいつと会うことが出来るのは森に入った者だけ。ぼくもその一人。
家を出て東の方角に10分くらい行った所にある森は昼でも薄暗い。夜ともなれば真っ暗だ。子供が一人で入るところじゃないくらい誰にでも分かる。それでもあいつに会うためにはここに入るより他にない。ぼくは小さく深呼吸をすると森へと足を踏み入れた。
ざくざくと雑草を踏みながらあいつの痕跡を探す。特徴的な靴を履いているから足跡でわかるはずだ。そう思って地面を凝視する。だけどそう簡単に足跡は見つからなかった。雑草が足跡を付きにくくしているのだろう。それにあいつは身軽だし、やろうと思えば小さな足跡をつけるだけで済むから。
もっとも小さい足跡だとぼくにはもうお手上げだ。獣の足跡なんて判別できないし、見つけてもすぐに見失ってしまう。溜め息を吐きたくなる衝動を抑え込んでぼくは顔を上げた。小鳥の鳴声がする森の中にあいつの衣擦れの音でも混じっていないか耳を澄ます。
「宗? 今日はどうしたの?」
聞きなれた声が聞こえてきたのはそんな時だった。ぼくが振り向くと探していた姿が目に入る。苔のついた木の幹に手を置き、白銀色の髪をなびかせる少年。頭には白い狐の耳が生え、腰から白い狐の尻尾が生えている。間違いない、あいつだ。
目の前の少年は不思議そうにぼくを見つめている。時折つぶらな碧と金の瞳をぱちくりさせながら。その間抜け面をじぃっと見つめていたぼくに段々と恥ずかしくなってきたのか、あいつは両手を顔の前に持ってくる。心なしか耳も垂れ下がった。
「用があるなら早く言ってよ」
震えながら小さく呟いたあいつの声にぼくは思わず頬を緩めた。やっぱりこいつは筋金入りの恥ずかしがり屋だ。だからこそちょっとだけ苛めたくなる。
だけど今はそれをしている場合じゃない。
「琳、ぼくと一緒に明後日の宝樹祭に出てよ。でないと御狐様の祟りが琳に与えられてしまうからさ」
「……やだよ、あんなに人がいっぱいいる所。もし見られたらどうするの?」
「琳が本当の第一発見者なんだからそこは諦めなよ。いつもみたいに隠せば問題はないわけだし」
「大ありだよ!」
今にも泣きだしそうな顔をして琳は声を荒げる。グッと拳を握り締め、小刻みに震えながらぼくをただ一直線に見つめていた。眉根を寄せた琳の瞳にじわりと涙が浮かんでくる。いつ涙がその瞳からこぼれてもおかしくないんじゃないか。それぐらいには溜まっている。これが信濃川琳という立派な名前を持つ天狐の姿なのか。いや、今は人型に化けているから人狐と言った方がいいかもしれない。
しばらく琳の顔を見ているとぼくが悪いんじゃないか、という気になって来る。大きな目に涙を溜め、必死に零すまいとする姿に胸が痛んだ。人って涙目になるだけでこんなにも弱々しく見えるんだ。それでもぼくは琳が宝樹祭に出ると言うまで引くつもりはない。
「琳、頼むよ」
ぼくが両手を合わせてそう言っても琳は首を横に振る。よほど宝樹祭に出たくないらしい。こうなったら今度はぼくが彼を見る番だ。そう考えたぼくは下げていた頭をあげ、じっと琳の目を見つめる。彼は気恥ずかしそうに、それでいて苦虫を噛み潰したようにそっぽを向いた。まるでぼくの視線から逃れるように。
森に涼しい風が吹き込んで髪を揺らした。蝉たちも騒がしく鳴いている。琳の白い狩衣の袖も風にはためいていた。口をつぐんで一向にぼくを見ようとしない彼に答えを急かしそうになる。
もうどれくらい経ったのだろう。いい加減、答えを出してほしい。相変わらずぼくを見ない琳はどこか苦しそうだ。何かに怯えているようにも見える。いつもみたいに隠せば問題はないのに。何をそんなに怖がっているんだろう。
ぼくには分からない。
遠くの方で獣が森を駆けていく。鳥がさえずる声が木霊して、蝉時雨がそれに覆いかぶさった。木々に暑い日差しから守られているぼくたちは互いに声を発さない。身じろぎもせず、ただじっと留まっている。既に琳もぼくも額に汗を浮かべていた。空がだんだん黄昏に近づいて風が涼しくなってきても此処だけは重い空気が漂っている。
「……考えておく」
消えそうな小さな声が琳から漏れた。彼は目を伏せたまま、ぼくの方に顔を向ける。耳が垂れ下がった琳は怒られて落ち込んでしまった子供みたいだ。それでも答えてくれた。ぼくにはそれだけで十分。
「いい返事待ってる」
ぼくがそう言うと琳は小さく頷いた。そうしてようやく顔を上げる。夕陽を浴びて橙色を帯びた彼はどこか寂しそうに微笑んでいた。それが意味することをこの時のぼくが知っていれば、あんなことにならなかったのかもしれない。