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第三章 ヘクトール、邂逅する

 紅茶を一口、口に含めて飲み込む。ゆっくりとフィネはティーカップをテーブルに置いた。

「まさか、次に龍剣を手に入れたのがルーになるとはね」

 その言葉に、静かにアルがうなずく。

「予定外とはなったが、これで残る龍剣はあと4つ。サシャルも後々寄る予定だったんだ。手間が省けたといってもいいだろう」

「龍剣もそうだけど、とりあえずルーが無事でよかった。さすがに魔力を使いすぎてるから、ほぼ丸一日寝ちゃったみたいだけど、もう目が覚めたんなら大丈夫だろうし」

 ヘクトがコーヒーを飲みながら口を挟む。隣でヴィンもテーブルに置かれた菓子をつまんだ。

「アル、この後は予定通りアルザイルに進みますか?」

「いや、どうせならここから陸続きのラクレイアに行こう。そうすれば、アルザイルにも行きやすくなる」

 小さな世界地図を片手に、アルがぬるくなったコーヒーを飲みほした。

「おはよう」

 三回のノックののち、蝶番のきしんだ音ともにルーとヤンが顔を出す。

「昨日はご迷惑おかけしました」

 ぺこりとお辞儀したルーの頭を軽くヤンがはたいた。

「礼を言う相手が違うんじゃないのか」

「違わないわよ、一番働いたのはサシャルの海軍と交渉してくれたアルじゃない!」

「オレらの活躍はどこにいったんだよ」

「それはもうさんざんお礼を言ったでしょう」

「そうじゃなくて、もう一人礼を言うべき相手がいるだろ!」

 その言葉に、ルーがぐっと食い下がる。本で顔を隠したまま無言のハイネに、微妙な顔を浮かべながら近づいた。

「あ、あの…ハイネ」

「なに」

 ぶっきらぼうにハイネが返事を返す。

「あの時は助けてくれて、ありがとう…ございました」

 照れ隠しに下を向いてルーが言う。

「も、もしかして怒ってる?」

 同じように本で顔を隠したままのハイネに近づく。突然、ハイネが肩を震わせはじめ、そのまま笑った。

「そんなに怖がらなくていいのに。それに、そんなに畏まってお礼を言わなくてもいい」

 さわやかな笑顔にあっけを取られる。固まったルーに、ハイネはすっと手を差し出した。

「いまなら、ボクを仲間と認めてくれるかい?」

「―もちろん!」

 握手をしたハイネたちを見ながら、ヘクトールが安心したように微笑んだ。

 ぱんぱん、とアルが手をたたいた音が部屋に響いた。

「盛り上がっているところ申し訳ないが、次の行き先はラクレイアとなった。ルーツィエ、ハイネ、ヤン。三人とも異論はないな?」

「はい」

 三人がそろって返事をする。

「それじゃあ、これから下の食堂で昼食をとった後、荷物整理をして出発しよう」

「じゃあ、オレ先に席とってきます」

 ご飯のこととなるとさすが素早い。ヤンが光のごとく部屋からドアへと駆け抜けていき、その姿は一瞬で見えなくなった。

「私たちも行きましょうか」

 柔らかな雰囲気をまとわせたままヘクトが言う。食器のある程度の片づけをして、みんなで食堂へと降りて行った。

「本日の日替わりランチ、だってさ」

 フィネが興味深そうに店頭に置いてあるメニューをのぞき込む。白身魚の香草焼きに、こんがり焼けたガーリックトースト、ボリュームたっぷりのシーザーサラダ、食欲をそそる香りの卵入りのコンソメスープ。おいしそうとキラキラした目で見つめるルーの隣で、ヴィンが、白身魚の香草焼きなんてお酒がほしくなるメニューですね、とつぶやいてアルに小突かれる。

「日替わりランチ以外にもメニューはたくさんあるんだ、とりあえずヤンを待たせていることだし急ごう」

 アルの言葉でぞろぞろと全員が動き出す。入口から一番遠く、七人分の席を確保したヤンが、ソファ側で待機していた。

「遅くなって済まない」

「もう、ほんと団長さんたち遅いっす」

 さあ、食べましょ、食べましょ、と言いながらヤンが改めてメニューを開く。アル、ヴィン、フィネの順に席に着き、続いて年少組が席に座って注文をする。十数分後には、テーブルの上に様々な料理が並んでいた。

「主よ、今日も同じ食卓を囲めることに感謝いたします」

 アルが短く食事前のお祈りの言葉を口にし、全員が手を合わせる。三秒ほど静かな時間が流れた。

「さあ、食べようか」

 その言葉が発された瞬間に、待ってましたとヤンがご飯をほおばる。それに続いて黙々と全員が食べ始め、再び静かな時間が訪れた。

「―ところで、大体の龍剣のある場所はわかってるの?」

 一番真っ先に沈黙を破ったのは、ほとんど皿を空にして手を拭いているフィネだった。

「実をいうとラクレイア陸軍とすでに連絡を取ってあってな。ちょうどサシャルとの国境近くに、古アリシア国の城の地下、スピネルで埋まった空間があるそうだ」

 古アリシア国。龍剣が誕生するよりも前、およそ五百年前に滅んだという皇国だ。かつては現在のサシャル国含む広大な土地と島を保有していたと聞く。

「宝石で空間が埋め尽くされているとなれば、これまでのパターンも考えておそらくビンゴだろうね」

ヘクトの言葉に、ハイネがうなずいた。

「ボクもそう思うよ。古アリシア国は呪いの国とまで言われたまでに黒魔法が盛んだった国だ。人々もあまり寄り付きはしない。となれば、龍剣の隠し場所にはもってこいだろう」

「ヘクト、そこでうずうずしてても古アリシア国がなくなったのは四百年前の話だ。ほとんど文献は残ってないと思うぞ」

アルが浮かれているヘクトに言うが、ヘクトの顔色は一切変わらなかった。

「いいや、黒魔法は文献だけではないんだ。学ぼうと思えば空間魔法を使って壁や床、土地の記憶から当時の魔法の全貌を知ることができるんだ。これほどまでに楽しみなことはない」

 そういえば、古アリシア国には二年前の侵略戦争のときはいかなかったし、そもそもヘクト自体、当時はこんな風に明るい性質ではなかった。こんな風に、旅を、勉強を楽しめるようになったことは、喜ばしいことだ。

 ヴィンがアルのほうをちらりと見て、苦笑する。同じくアルも苦笑した。喜ばしいことには喜ばしいが、興奮しすぎて暴走するのではないかと、少し心配になったからだ。

「とりあえず、このご飯食べ終わったら、荷物を持って出発しよう。古アリシアまでは三時間ほど砂漠の土地を歩くようになる。サシャルから出る前に水と食料の調達をしておこう」

 アルが二杯目のコーヒーを飲みながら言った。


 ***


 出発まで三十分。荷物はもうまとめ終わり、ヘクトは椅子に座った。背もたれに体重を預け、ため息をつく。

 ヘクトール・エレットの体は呪われている。膨大な魔力と引き換えに。それも、とてつもなく強い呪いに。

 あの日のことはよく覚えている。瀕死の姉を助けるために、目の前でボロボロになっていく仲間たちを守るために。自分の腹から流れ出た血を使って、最低限の魔方陣を描いて、残り少ない魔力を振り絞って。召喚したものは、異形の者だった。

「最期の時まで、力を望むか」

 異形の者は、口とも言いづらい体の一部を開いて、古代語でそう告げた。

「ああ、望むとも。みんなを守り切れるのなら、この命、惜しくない」

 命、なんて重いものを口に出してしまったのが、失敗だったと今なら思える。しかし、間違いなくその命にかかった呪いと引き換えに、通常人間の体には宿ることのないだろう量の魔力を手に入れられたのだ。

 この呪いは、ヘクトに魔力を与え続ける代わりに身体を蝕み続ける。事実、もとは姉と同じ琥珀色だった目の色は濁りはじめ、指先の皮膚は既に黒く変色してきている。体のすべてが黒く染まったとき、ヘクトール・エレットの魂はあの異形の者に喰われる運命にあるのだ。

「ヘクト、入るよ」

 ノックとともに、フィネが部屋に入ってくる。珍しく手袋を外していたヘクト手を見て、フィネがしゃがんで手を取り、悲しそうな顔をした。

「また、呪いが進んだんだね」

 仲間を、姉を助けるために異形の者との契約を交わし、呪いを受けたことをフィネは烈火のごとく怒り、自分の無力さを泣いて悔やんだ。十九年の短い人生の中でも、姉がこれほどまでに怒り、笑い以外の感情を露わにしているところを、ヘクトは見たことがなかった。

「自分が、望んだことだから」

 二年前のあの日と、同じ言葉を口にする。フィネは下を向いたままの弟のほほを軽くつねった。

「痛い、痛いよ姉さん。なにするの」

 顔を上にあげながら抗議すると、そこにはフィネの困ったような笑顔があった。

「ごめんね」

 こんな顔を見たいがために、この呪いを受けたわけじゃなかったのにと、心が痛んだ。

「あれ、フィネ、ヘクト、ドア開けっぱなしで何やってんの」

 ドアの先からひょっこりとヤンが顔を出す。

「いや、別に何も。もうすぐ出発だから、荷物整理してただけだよ」

ヘクトの返事にふぅん、と納得いかない様子を見せる。

「ま、どっちでもいいけどさ、早く下に降りないと、団長が二人を探してたぜ」

「わかった、すぐ行く」

 フィネが短く返事をして、立ち上がった。ヘクトも続いて立ち上がる。荷物を持って、部屋を出て鍵を閉めた。年を取り、背が高くなるたびに、大きかった姉の背中が小さくなっていくように見える。こんなに、姉の背中は小さかっただろうかと、階段を下りながらヘクトは思っていた。

 エントランスホールまで下りるとアルとヴィンがいつも通り話をしているのが見えた。

「フィネ、ヘクト」

 こちらに気付いたヴィンが名前を呼ぶ。

「やっと降りてきたな。じゃあ、とりあえず食料調達といこうか」

アルの言葉に従って、宿を後にする。ルーが宿でもらったのか、観光用の小さな地図をポケットから出して広げた。

「ここから二十分くらい歩いたところにバザールがあるんだって。そこならそれなりに日持ちする食糧とかお水も手に入るんじゃない?」

「あ、オレ銃弾の調達したい」

ヤンが隣から地図をのぞき込んで指さす。

「ボクも、魔石の追加調達をしたい」

ハイネも横から口をはさんだ。魔石というのは、自身の魔力を込めることのできる、いわば蓄電器のようなものである。

「じゃあ、年少組はヘクトと一緒に自分のほしいもの買いだしてこい。俺らは食料の買い出しに行ってくるから」

「ええー、わたしも買い物に行きたかったぁ」

 アルに対してフィネが不服を申し立てる。

「集合は一時間後にまたここで。じゃあ、行きますよフィネ」

 アルとヴィン、両方に引っ張られてフィネが連れていかれる。そんな状態を冷たい目で見ながら、ハイネ、ヤン、ルー、ヘクトの四人は歩き出した。

 大きな通りに屋台や店が所狭しと並び、ハイネが目を輝かせる。

「こんなににぎわっている場所なんて初めて見た」

「向こう側の世界には、こういう場所はないの?」

大勢の人がいる前でシュヴァルツの名前を出せないので、若干オブラートに包んでヘクトが聞く。

「あるところにはあるのかもしれないけど、ボクはあまり家から出るほうではなかったし、何よりほかの都市に出かけたことがなかった。だから、あまり知らないんだ」

ハイネの言葉に、多少違和感を覚えたルーが、口を開きかけてやめた。むやみに過去を追求するのは、よくない。

「まあ、見て回れる時間は短いから、地図を見てある程度目星をつけて回ろう。まずは―、ヤンの見たいところから行こうか」

 ヘクトがルーから地図をもらって、みんなでのぞき込む。

「あ、オレここに行きたい」

 ヤンが指さしたのは、老舗の武器屋だった。ちょうど次の角を曲がってすぐの場所にあるようだ。

 いかにも古そうな看板と、飴色になった木の扉の前で、立ち止まる。ヤンが深呼吸を一回して、扉を開けた。甘いバニラの香りが、鼻をくすぐる。

「あら、いらっしゃい。ちょいと待ってておくれ」

 奥のほうで、女性の店員の声がした。ここ最近はやりの大型店のように武器は壁にかかっておらず、狭い店内を入り口から見渡すとカウンターと商品棚が真ん中に置いてあるだけだった。思わず全員が固まる。

「ここ、あまりよくないんじゃないか?」

ハイネが小さくつぶやく。それをヤンは否定した。

「いや、こういう店ほど品ぞろえはいいんだ。中に入ろう」

「よくわかってるじゃないの坊主」

 店内奥に向かって歩き始めた瞬間、後方で女性店員の声がした。咄嗟のことに反応できず、ゆっくりと後ろを振り返る。

「いらっしゃい。何をご要望かい?」

油っけがなく、一つに結ばれた髪、高い身長。左耳につけられた鳶色のピアスから、異種族との混血であることがうかがえる。えらく迫力のある店員だ。

「銃の弾を、見に来たんだが」

「あと、魔石の買い出しを」

 店員にひるまずヤンが答え、ひるんだハイネに代わってルーが付け加える。

「なるほど?あんたの使ってる銃はいったいどこの社のものかい?」

「イゾルデ社製だけど、だいぶ改造してあるからアピスライト製の薬きょうじゃないと上手く飛ばない。ここにアピスライト製の銃弾はあるのか?」

 アピスライトといえば、やたら高価な金属のことだ。ルミナ全体でいえばたくさん量はあるのだが、不純物を取り除くのがなかなかに難しいことで有名である。ヤンのやつ、そんな高級なものを銃弾に使っていたのかとヘクトが目を見開いた。ヤンが少し気まずそうに眼をそらす。

「もちろん、私の工房を何だと思っているんだい。ついでに銃を見せてみな」

 ガンホルダーから取り出したヤンの銃を、店員が片手で受け取る。カウンター近くにある机の電気をつけて、店員は椅子に座った。ライトに銃をかざして、丁寧に見ていく。

「―あんた、いくつのときからこれを使ってるんだい」

「十三のときから」

 簡潔な答えを聞いて、店員がため息をついた。

「ここまでバランスの難しい調整をしている銃を私は初めて見たよ。あんたら、ただもんじゃないね」

「ぼくら、ヴォイス騎士団のものです」

ヘクトが口から出した騎士団の名を聞いて、店員が感嘆の声を上げた。

「あのヴォイス騎士団か。なるほどね、そりゃ納得できる。あんたら、名は?」

「ヘクトール・エレット。その銃の持ち主がヤンで、そこの女性はルーツィエ、青色の目をしているのがハイネです」

「ほう、世界有数の魔術師家系のエレット家のお坊ちゃんか」

「昔のことです」

 ヘクトが店員を冷たい目で見る。店員ももう、それ以上は何も言わなかった。

「名を聞いたからにはこちらも名乗ろう。私はビアンカ。ビアンカ・クラウベル」

ヘクトの顔が青くなる。クラウベル家といえば―。

「もしかして、エルフリーデ・クラウベルをご存知ですか」

「ああ、それは私の末の妹だね。でもなんであんたがエルフリーデのことを…」

何かを察したハイネが、少しだけ口を開く。

「ねえ、もしかしてこの人、ヘクトの…」

「うん、ビアンカさん…エルフリーデ・クラウベルは、ぼくの母親です」

 ビアンカが驚いて口を開閉させる。

「あんたが…?あのエルフリーデの?」

「そうです、あのエルフリーデの、です」

 あの、と言われるのも無理はない。ヘクトールの母親、エルフリーデ・クラウベルは父と駆け落ちして結婚したのだから。

「そうかい…いわれてみれば、目つきや髪色はあの子そのままだ」

うんうんとビアンカがうなずく。

「えっと、つまり?」

 話を全く理解できていないヤンが首をかしげる。

「この方は、ぼくの叔母に当たる人です」

 ヤンがびっくりして言葉を失う。

「い、いや、でもこの人とお前、あんまり似てないぞ?」

 頭の上に疑問符をたくさん付け、首をかしげる。そのヤンの様子を見て、ビアンカは大きく笑った。

「そりゃそうだろう。私とエルフリーデは腹違いだ。母は私を産んだ後に死んでしまったからね。後妻と父の間に生まれたのが二人の弟たちとエルフリーデだ」

 一通り笑った後、ビアンカは椅子から立った。

「ヴォイス騎士団の面々に、そこにいるお坊ちゃんはエルの息子ときた。仕方ないねぇ、格安でいろいろ譲ってやろう。ついてきな」

 ビアンカの後ろをぞろぞろとついていく。店の奥のほうに入っていくと、そこには広い工房があった。

「さあ、ご希望の品を上げてみな。一瞬でここで作り上げて見せよう」

 ハイテンションになってヤンがあれこれと注文をしてビアンカが嬉しそうに白魔法で様々な道具を使って商品を仕上げていく。ハイネも魔法工房を初めて見たようで、目が釘付けになっていた。

 少し合間を見て、ルーが携帯送受信機でアルたちに連絡を取ると、買い物を終わらせたらすぐこちらに来ると言われた。あちらはあちらで、何やら苦労しているようだ。

 五分もしないうちに、店のドアが開き、フィネの騒がしい声が聞こえ始める。どうやら到着したようだ。

「こっちに来て」

ハイネが三人を工房へ勝手に案内する。作業の途中でふと顔を上げたビアンカとフィネの目がちょうどあった。

「ビアンカ叔母様!」

「フィーネじゃないか」

ヘクトが両方の顔を交互に見る。

「姉さんとビアンカさんは知り合いだったの?」

「うん、一度ヘクトが生まれる前に母さんに連れられて会ったことがあるのよ。お久しぶりです」

 後でフィネから聞いた話では、実家との相性はよくなかったものの、一度誰かから頼らざるを得ない状況にあった頃があった…らしい。そこで訪ねたのがビアンカだった。というくらいしかフィネ自身もわかっていない。

「こちらこそ、久しぶり。大きくなったね。」

さらにビアンカの声が軟化する。世間とは案外狭いものだと、ヘクトは痛感したのだった。


 ***


「まさかこんなところでビアンカ叔母様に会えるだなんて思ってもいなかった」

 砂漠の上をザクザクと歩きながらフィネが上機嫌で歩いていく。その後ろを人を呪いそうな目をしながらついていく。

「なんでみんなそんなにテンション低いのさ」

「そりゃ、こんだけ暑けりゃテンション低くもなるよ」

 ハイネが冷静に突っ込む。もはや『暑い』ではなく、『熱い』のレベルなのだ。

「むしろフィネこそなんでそんなに機嫌が良いんだよ」

 アルが疲れ切った声でつぶやく。

「そりゃ、十数年も連絡がついてなかった親戚にあったら誰だって機嫌がよくなるでしょう。ましてやあんなにもお世話になったのよ」

 格安で品物を売ってもらえた上に、ビアンカの工房を出るとき、一つの手紙を預かった。

「この先もし、クライシス方面へ向かうことがあれば、何か困ったときは封筒に書いてある住所を訪ねなさい。なに、私の名を出してこの手紙を渡せば、たいていのことは許してもらえるだろう」

 いろいろな品物を包んでくれたあと、ビアンカは元気にやるんだよと言ってヘクトたちを送り出してくれた。

「いや、待って、それとこれとは話が別じゃない?」

 ルーもフィネに反論する。

「そりゃ親族に会えたらうれしいけど、この暑さを無視できるほどじゃないもの」

「まったくだ」

 アルがルーに同感の意を示しながら、水を一口飲む。

「何よそれ、まるで私が能天気みたいな言い方して」

「実際そうだと思いますけどね」

 ヴィンが余計な一言を発してフィネからぺしぺしと叩かれた。

「あ、団長、城が見えてきましたよ」

 ヤンがうれしそうな声を発して、全員が前を見る。遠いところに、蜃気楼に揺らぐ城が見えていた。

「とりあえず、城内部に入ったら休もう。じゃないと、ヘクトがばてる」

 アルがすでにふらふらしているヘクトの手首をつかんで引っ張って行く。

 目的地というのは見えてしまえば簡単に着く。実際、城が見え始めてから到着までおおよそ三〇分程度しか、かからなかった。きれいなまでに快晴なためか真っ白に輝く城壁が、余計にまぶしい。

 城の中に一歩踏み込むと、想像していた廃墟のような場所と違い、中は意外と片付けられていた。

「太陽の日差しがないだけでこれだけ涼しいなんて思ってなかった」

 すっかり水分を搾り取られ、今にも倒れそうになりながらヘクトが壁沿いに座り込む。

「大丈夫?お水いる?」

「いる」

 姉から水筒を受け取って一口ずつゆっくりと口に含める。乾ききった口の中が少しずつ満たされていくようだった。

「シュヴァルツの奴らがここに来た形跡は?」

 アルが先に見回りをしてきたハイネに聞く。

「今のところないみたいだ。そもそも奴らは大体ここら辺だろって目安を付けただけで、詳しい場所は知らないんだ。翡翠の洞窟の時はわかりやすい場所だったが、普通に考えてこんな古ぼけた城に龍剣があるなんてなかなか考えないだろう」

 言われてみればそのとおりである。アルたちでさえも、情報収集をしなければこんなところにあるなんて考えもしなかっただろう。

「もう、大丈夫。動けるよ」

 ヘクトが立ち上がって背伸びをする

「わかった。地下への階段をみんなで手分けして探そう」

 アルが迷子にならないようにと、来た道につけるシールを全員に配る。

「三〇分探して見つからなかったらまたここに戻って来てくださいね」

 ヴィンが時計を見ながら言う。はーいと年少組が返事を返す。年少組、アルとフィネ、ヘクトとヴィン。それぞれ分かれて、広い城の探索をしていくこととなった。

 適当な距離ごとに、シールをペタペタと壁に貼りながら、歩いていく。それぞれの班ごとで色が違うので、基本的には迷うことはないだろう。と思いながらも、黒魔法が盛んだった国のことだ、何か罠があるのではないか、なんて警戒しながら、ヴィンは歩いていた。

「たぶん、そんなに周りを見ながら歩かなくても罠なんてないよ」

 心を読まれたかのようなヘクトの発言に、ヴィンが驚く。

「黒魔法は大概仕掛けられた痕跡がわかりやすいし、罠がある場所はどうしても魔力が淀む。見ればわかると思うよ」

「―やっぱり、魔法の技術の差ですかね」

 ヴィンのため息が、廊下に響く。

「と、いうよりは、ぼくが異常なだけだと思うよ」

 ぽつりとつぶやく。ヴィンもヘクトも、もともとあまりしゃべるほうではないためか、すぐに静かになる。

「それにしても、広いね」

「広いですね。敷地面積、どのくらいあるんでしょう」

 ヴィンがそういった瞬間、ヘクトが足を止めた。

「ここ、何かある」

 視線の先には、壁があり、よく観察してみると少しだけ隙間が空いている。ヴィンが壁に触れると、壁が青く淡く光って、文字が浮かび上がった。

『光歴百二十八年、アリシア皇国が滅びる。私は結局何もできはしなかった。今は白いこの壁も、いつしか血に染まるのであろう』

 一つ一つ、ヘクトが読み上げていく端から文字が消えていく。読み上げ終わると、一斉にまた文字が浮かび上がり、壁から離れて宙を舞いながら左手の廊下のほうへ飛んで行った。

「ついてこいってことですかね」

「そうだね」

 二人で苦笑しながらまた歩き始める。

「先ほどの文字、いったいだれが書いたんでしょうか」

 ヴィンが立ち止まって、髪を結びなおしながら言う。

「誰が、というのはわからないけど、年代で言えばあれは光歴五十年前後に書かれたものだよ」

「五十年前後?であれば、古代文字を使っているはずですし、そもそも古アリシアが滅びるなんて未来をどうして知っているんでしょう」

 そうは言いながらも、実はヘクトもヴィンも大体の予想はついていた。

 魔法か、それとも、また別の何かか。一応魔法でも未来を視るは可能であるが、それは禁忌に値し、さらには何百年も遠い未来を見通すことは不可能に近い。よほど、頭の回る魔術師がいたのだろうか。

 そんなことを考えながら、歩いていると、先ほど飛び立っていった文字がくるくると前方で舞っているのが見えた。走って行って文字に追いつくと文字は、ぱっと消えてしまった。目の前の壁が少しだけ青く光った。

「触るね」

 ヘクトが告げると、ヴィンがうなずいた。見た目よりも冷たい壁に触るが、何も起きない。一旦離れて、杖を取り出す。魔力を込めながら、軽く杖で壁を三回たたくと、今度はきちんと文字が浮かび上がった。

『遠い未来の魔術師よ、私たちは禁忌を犯した。あれは外なる国との戦争で滅びるというわけではなかったのだ。市民からの革命で滅びるわけではなかったのだ。自らの罪で、私たちは滅びるのだ』

 先ほどと同じように文字が消えていき、すべての文字が消え、先ほどとは違ってまた新しい文字が壁に浮かび上がった。

『全てはルミナリア王国に。』

 ルミナリア王国…アリシア皇国と同じ年代に滅びた国のことだ。そして、ルミナリア教の聖地だ。現在はよほどのことがない限り立ち入り一般市民は禁止区域となっている。ルミナリア教はルミナ全域に広がっている宗教であり、何を隠そうヴォイス騎士団もルミナリア教に所属している騎士団だ。騎士団がきちんとした理由をつければ、古ルミナリアに入ることができる。

「これは―そのうちに古ルミナリアにも向かわなければなりませんね」

 ヘクトも首を縦に振った。改めて壁を見ると、文字は浮かび上がったままである。消えないのかな、と思った刹那、文字はまた壁から離れてこちらに飛んできた。ふわふわとヘクトとヴィンの周りを二、三周したのち、ヘクトの前で一つの塊となり、手の上にあっけなくぽとりと落ちてきた。手元に残ったのは、どうやらサファイアのようだ。

「どんな魔法を使っているのかと思えば、宝石を溶解させて文字にしていたんですね」

 ヴィンがサファイアを日の光にかざす。反射した光が、床に映った。

「いや、それだけじゃなさそうだよ。おそらくこの宝石には当時の記憶自体が詰まっている。後で調べる価値はあると思うよ」

 ヘクトがサファイアをヴィンから返してもらい、手の上で転がす。ふと、携帯送受信機の音が鳴り、通話ボタンを押す。

「ヴィン、ヘクトもそこにいるな?」

「もちろんです」

 スピーカーにしているため、アルの声が廊下に響く。

「さきほど地下への入り口を見つけた。集合場所から十時の方向だ。扉は明けたから集合場所まで戻れば後は魔力をたどって来られるだろう。まずは集合場所まで戻れ」

「了解です」

 ヴィンが短く返答して通話を切る。

「だ、そうで。まずは戻りましょうか」

「うん、そうしよう」

 サファイアをポケットに入れて、二人はもと来た道を戻り始めた。


 ***


 スピネル―青や赤、様々な色があるとされる宝石だが、その空間を埋め尽くしているのは黒いスピネルだった。いや、黒というのは語弊があるかもしれない。青に黒を混ぜたような、鉄紺というべきだろうか、そんな色をしていた。

 ごくり、とルーが生唾を飲み込み、アルが少し緊張した面持ちでその空間を眺める。

「なんで龍剣を持ってる二人がそんなに緊張してるの」

 ハイネがため息をつきながら二人の背中をトントンと軽く叩いた。が、二人の表情が変わる様子はない。

「だってねぇ…」

「うん、なんだか緊張するんだよな…」

 二人で目を合わせてうんうんと頷く。

「まあ、気楽にいきましょうよ」

「そうだ!気楽に、気楽にいこうぜ」

 フィネとヤンが良い笑顔で言うが、この二人の気楽というのはどちらかというと何も考えずにという風に言い換えたほうが良いのではとヴィンがつぶやいた。

「まあ、とりあえず中に入ろうよ」

 ヘクトが苦笑しながら空間へ足を踏み入れる。途端に、何もなかった壁にろうそくがかけられ、灯りがともされた。

「僕の工房にようこそ」

 頭の中に、声が響く。番人か、と思って身構える。団員たちの目の前には、癖毛でおっとりした外見の少年が立っていた。

「君たちがヴォイス騎士団、だね。まずは自己紹介をしよう。僕の名前はラルフ・セヴェール」

 外見通りの声で、おっとりと少年は話す。

「僕が今回試すのは、ヘクトール・エレット、君だ」

 指をさされてどきりとする。

「さあ、こちらにおいで」

 ラルフの言葉に従って、前に数歩でる。全員が口をつぐんで見守る中、ヘクトはラルフの正面に立った。

「手を出して」

 言われるがままに手を出す。ラルフがヘクトの手に触れる。冷たくて、乾いた手だった。手がそのままぎゅっと握られる。

「君、面白い呪いを受けているね」

 ラルフが冷たく笑う。

「受けたこっちは堪ったものじゃないけどね。まあ、これも一種の契約の末に課せられた呪いだ。気にしてなんかないよ」

「そっか」

 ラルフが少し目を伏せた。なんだろう、アルのときの雰囲気とはちょっと違うような…。

 その感覚は正解だった。ラルフが顔を上げてぱっと明るい笑顔を見せる。

「よし、じゃあ、僕とお話ししよう!」

「何言ってんのよあいつ!」

 結界を殴ってルーが叫ぶ。当然、ヘクトにその声は届いていない。ヘクトが前に進んだ瞬間、気づかないうちに結界を張られていたようだった。こちらから呼びかけるもヘクトは反応しない。ということは、アルのときと同じような結界が張られているのだろう。

「大丈夫。あの子は、私と違って出来る子だから」

 フィネが少し不安そうな顔をしながら言う。それでもそう言い切れるのは、きっと家族だからなのだろう。

 結界の向こう側で、ヘクトも同じくラルフの言うことに対して困惑していた。

「お、お話し?試練はどこに行ったの?」

「正直試練なんて僕にはどうでもいいんだよ。もう、ずっとここに閉じ込められていてつまらなかったんだ。君は黒魔法に精通しているようだし、僕も黒魔法が大好きだから、一回お話をしてみたくって」

 笑うラルフの顔には、敵意はかけらも見られなかった。

「―わかった。何から話そうか」

 ラルフの顔がさらに明るくなる。

「君が今まで勉強していたことを聞きたいな」

「例えば?」

「君の呪いについて。君はどう思ってる?」

 どう思っているか―と言われたら、まあ、因果応報というか、自業自得というか。でも、そういうことを聞きたいわけではないのだろう。

「基本的な契約におけるタイムリミットのようなものだと思ってるよ。恐らくはぼくが死ぬまで、解けない」

「じゃあ、僕がその契約を一方的に破棄できる魔法を知っていると言ったら?」

 ―一方的に?破棄?

「そんなこと、できるわけがない」

「いいや、できるさ」

 ラルフが甘く、優しくささやく。

「禁忌ではあるけどね。そんなことは簡単にできる。君だってその体、不便なんじゃないのかい?」

 確かに、不便といえば不便だ。寝るときに息もできないほどのかなりバリにあったり、突然神経に直接触れられたような痛みが全身を走ったり。姉の前ではとても言えないが、死にたいとすら思ったこともある。どうせ異形の者に魂を食われて死ぬのなら、今自分の命を絶ったほうがましだと、思ったこともある。けれど―。

「けど、それは僕自身が決めて選んだことだ。それに、契約を一方的に破棄してしまっては何が起こるかわからない。これ以上、ぼくはリスクを負いたくない」

「へえ、随分な平和主義なんだね。でも、君の魂が異形の者に食われたとき、いったい何が起こるのかご存知かな?」

 頭が、真っ白になる。遠いところで落ちた水滴の音が、響いた。

 そうだ、魂は輪廻の輪に戻るわけではない。無理やり食われた魂を、肉体は探し求める。そこにあの異形の者が入ったらどうなる?

「ようやっと気づいたかな?君は魂だけではなく、肉体すらも明け渡す契約をしてしまっているんだ」

 ―どうして、こんな簡単なことに気付かなかったんだろう。自分を責めても、もう遅いのだ。

「それに、君が魔法を使うごとに呪いの力は強くなる。君は魔法を使うことによって、仲間を危険にさらすリスクを高めているんだ。もし戦ってる途中で、魂を食われたらどうする?乗っ取られた肉体は、君の姉を切り裂き、仲間の腕をかみちぎり、罪のない一般人たちの命を奪うだろう」

 考えただけで、冷や汗が出てくる。

「そうなったとき、君はどうやって責任を取るんだい?」

「うるさい!」

 ヘクトの声が、地下内に響いた。

「あの時契約がなければぼくは必然的に死んでいた。姉だって、仲間だって死んでいただろう。だからこそ僕は力を求めて契約を結んだんだ」

「でもその結果がさらなる悲劇を生むんだよ」

「そんなことにはさせない。肉体を変質させる方法は、すでにもう知っているんだ」

 ラルフが、何かピンときた表情をする。

「もしかして、僕らと同じ道を歩むつもりかい?」

「そうだよ」

 そう、肉体に、異形の者を取り込んで封印するつもりでいるのだ。そうすれば、魂が食われることも肉体を乗っ取られることもない。

「でも、それは禁忌だ。君の魂も、輪廻の輪に戻ることはできない」

「わかってる。それに、輪廻の輪に戻れないのはもとからだ。いまさらどうということはない」

 問答をしながら、ラルフはいつかのことを思っていた。ああ、僕はこの目を知っている。生きながらに自分の最期を知りながら、決してあきらめないこの目を。ああ、そうだ、だから僕は君を―。

「わかった、君に龍剣を授けよう」

「えっ」

 ラルフのあっさりとした言葉に思わず情けない声を出す。

「えっ、てなんだよ。僕は君を認めたんだ。君には力がある。何より心が強い。君であれば、いつか自分自身で呪いをどうにかする方法を見つけることができるだろう」

 ふっと、ラルフが微笑む。龍剣がヘクトの手の上に置かれ、そのまますっと、ラルフは消えていった。

「ありがとう、ラルフ」

 返事をするように、龍剣についたスピネルがチカッと光った。


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