第二章 ルーツィエ、奮闘する
枕に顔を突っ込んだままルーが寝返りを打ってうつぶせになる。そのまま顔を上げて時計を見た。時刻は十時三十分を回ったところ。ハイネが仲間になってから三日が経ったが、ハイネのことはあまり好きにはなれなかった。
目を閉じれば今でも浮かぶ。姉の泣き叫ぶ声、親の早く逃げて、という声。お姉ちゃんが死んだなんて嘘ではないか、本当は母さんも父さんも生きてるんじゃないかと何回も考えた。けど、燃えた後の住宅街があったはずの場所を見て、ようやっと私の家族は死んだのだと理解した。
怖かった。何もかもが怖かった。あんなこと、二度と繰り返さない。自分の大切な人は、自分で守るって決めたのに…あのありさまだ。八つ当たりになるのかもしれないし、最初の印象からのことかもしれない。どちらにしても、やっぱりハイネのことは気に食わなかった。
「ルー、入るよ?」
ヘクトがルーの使っている部屋をノックしながら言う。どうぞ、と適当に返事をして、ルーはヘクトを部屋に入れた。
「もうみんな出発するらしいし、早くしないと…ルー、泣いてるの?」
うつぶせに寝ていたルーに、単刀直入すぎるほどの言葉をヘクトがかける。
「泣いてなんかないもん。すぐに行くから先に準備しといて。」
うつぶせに寝たまま、ルーはしゃべって動かない。
「分かった。ルー、無理だけはしちゃダメだよ。」
それだけ、声をかけてヘクトが部屋から出ていく。
「無理だけはしちゃダメだよ…か。」
ころりと寝返りをうってルーが呟く。
「そんなの、出来っこないってわかってるくせに。」
そう呟いてルーはベッドから起き上がった。
***
「待たせてごめんね。」
ルーが素直に謝りつつ、玄関のドアを開けて外で待機していた仲間のもとに駆けつける。
「いや、それは別にいいが…全員揃ったよな。」
一応、アルが騎士団の人数を確認した。ヴィン、ヘクト、ヤン、フィネ、ルー、それに新しく三日前に仲間になったハイネ。全員がいることを確認して、今度こそ鍵をしばらくあけなくなるだろう我が家に丁寧に鍵をかけた。
「今度こそ、この家ともしばらくのお別れですね。」
ヴィンが若干さびしそうな顔をする。
「まあ、旅が無事に終わりさえすれば帰ってこられるさ。」
そんなヴィンの表情を見ながら、アルが苦笑していった。まあ、そうですよね、とヴィンも少し笑う。
「今回はまずアルザイルから行こうと思うのだが、異論はないか?」
一応全員に確認を取るが、答えは全員一致で賛成だった。
「それじゃあ、出発だ。早くしないと船が出てしまうから急ごう。」
珍しくアルとハイネ、ヤンという珍しい組み合わせが前を歩く。
後ろではルーの体調を気にするヘクトとフィネ、ヴィンが並んで歩いていた。
「なあ、ところでお前年はいくつなんだ?」
ヤンが好奇心でいっぱいの顔でハイネに質問をする。
「ボク?ボクは十七歳だが…えーっと、なんて呼べばいい?」
質問に答えつつ、ハイネが困惑する。
「オレは…みんなはヤンって呼んでるけど、フェリって呼ぶ奴もいるしな。何でもいいぜ。」
「じゃあ、ヤンは何歳?」
「オレは今年で十八だな。年の割に身長小さいとかよく言われるけどな。」
「うん。ボクと同じくらいだからかなり小さいよな。」
「小さい言うな!」
そんな理不尽な会話をしている後ろで、ルーたちはかなり真剣な話をしていた。
「だからさ、結局はハイネが何者なのかよね。」
ルーが厳しくヴィンに言う。
「しかし彼は過去をあまり詮索しないでくれと昨日言っていましたし…放っておくのが一番でしょう。」
ヴィンがルーの怒りの琴線に触れないように穏やかに説明した。
「だけどハイネがなんで龍剣を持っているのかとか不思議じゃない?」
今度はフィネが口をはさむ。
「そこの部分が聞きたかったからヤンに席を外すように言ったんじゃなかったの?」
ヴィンに対するヘクトの質問は少々きつすぎた。かなり痛いところをつかれ、ヴィンが何も言えなくなる。
「いや…そこが聞きたかったのは確かなのですが…僕らが質問する前に彼はその場を離れてしまったのです。」
「それをどうにかするのが団長と副団長の役目じゃないの?」
フィネが珍しく鋭い事を言ってヴィンがまた少し黙る。
「彼にだって…しゃべれないことの一つや二つはあると思いますし、むやみやたらに過去を根掘り葉掘り聞かないというのもこの団のルールというやつでしょう?」
口に出すとあまり意味はないのだが、一応確認を取るためにヴィンが言う。
「僕らも人に話せない過去は有るものです。人の事言えませんよ。」
この騎士団のなかには、まだ自分の過去をしっかりと言っていない者もいる。ヴィンが発した言葉にはかなりの説得力が付いて回った。
「それでも…この団にいるからには有益な情報が…」
「本当に全ての過去が有益な情報になると思いますか?」
ぶつぶつ言うルーの言葉の切れ端を聞き逃さなかったヴィンがルーに問う。
「逆に過去をさらせば非難を浴びる可能性だってあるかもしれない。そこまで考えたことはありますか?その人が何をしたわけでもないのに、その一族がしたこと、国家がしたことによって攻め立てられる人もいるんですよ。むしろむやみやたらに自分の過去を触れ回る人の方がおかしいと思いますしね。」
厳しいヴィンの批判にルーの機嫌が少し悪くなる。
「それは確かに…そうだけど」
「なら、今は放っておくべきですよ。本人が話してくれるまで待ちましょう。」
ルーが下を向く。
この言葉がどんなにつらくても、こういうしか、今はなかった。
***
乗船券を買いながら、アルは後方での会話を聞いていた。
「なんか三日ほど前、フューリアの街はずれでいきなり水柱が上がったらしいぞ」
「それがどうも、翡翠の洞窟の近くだったらしい」
「俺も聞いたぞ、その話。なんでもそのつい一時間ほど前にいきなり翡翠の洞窟の内部から強い光が出たんだそうだ」
「あそこはやっぱり立ち入り禁止にした方がいいんじゃないか?」
七枚の乗船券を受け取りながら、アルは心の中で静かに後ろの人たちに謝ったのだった。
〈すみません、それ全部確実に俺らのせいです〉
と。
「やっぱこっちはいろんな人たちがいるんだな」
ハイネが周りを見渡しながらそう言う。
「いろんなひとたちって…シュヴァルツにもこういう人たちはいるんじゃないのか?」
ヤンがハイネに聞く。
「確かに種族は様々なんだけどさ、正確にいうと人間の姿をしていない種族も結構いてな…こっちの方が、人間に近い種族が多いなあと思って」
「なるほど…まあ確かにそうだよな。団長だって一応エルフの血が入ってるしな」
「えっ…でも団長さん耳とがってないぞ」
「お前何千年前の話してんだよ…今は他種族との混血ってのは珍しくないし、混血だからと言ってその種族の特徴が残ってるかっつーとそういうわけじゃないんだ。混血を繰り返して血が薄まってるって場合も少なくないしな」
そう言って、すっとヤンがアルの耳あたりを指さした。
「ほら、団長の耳に独特な形のイヤーカフついてんだろ。あれなんかはエルフの血が入ってるっつー証拠だな。あれは成人して一人前として認められたときに着けてもらうもんだそうだ」
「へぇ…そんな意味があったとは」
「何を話してるんですか?」
ヤンの頭の上からヴィンがひょいと顔を出す。
「うわっ!いつからそこにいたんすか!?」
「ついさっきです。人を幽霊みたいに扱うような人にはチケット渡しませんよ」
「すいません。いります、チケットいります!だから許して!」
「仕方ないですねぇ」
ため息をつきつつヴィンがヤンとハイネにチケットを渡す。
「君たちとヘクトが同室です。夕飯の時間は厳守ですよ」
はーい、と二人が声をそろえて返事する。
「それから、あまり悪ふざけをしてヘクトを困らせないように」
はいはーい、とヤンがまた適当に返事をする。少し顔をひきつらせたヴィンがヤンの耳をつまんで上に引っ張った。
「特に君に言ってるの、分かってるんですか、ヤン」
「痛い、イタイです!そんなことわかってますって!」
「分かっていればそれでいいんです」
パッとヴィンがヤンの耳を離し、ヤンが耳をさすった。俺が年下だからってこういう行動に出るのはオウボウってやつだろ。
「ところで、フィネはどこです?」
「フィネなら、あそこでルーと雑談中っすよ」
ヤンが振り返って船の近くを指さす。ちょうどその瞬間にフィネがこちら側に気づき、手を振った。
「ヴィン、チケットいいとことれた?」
ルーが楽しそうにヴィンに聞く。
「外がよく見えるところにしときましたよ。それと、いつも通りフィネと同室でチケットとってありますから」
「やったね!」
ヴィンの言葉にフィネとルーがハイタッチする。その様子に、ヴィンが少し苦笑した。
「旅行じゃないんですから、はしゃぎすぎないようにしてくださいね」
「それくらいわかってますー」
でも、戦い以外のときは、思いっきり旅を楽しみたい。せっかくの旅なのだから。二年前は、とてもじゃないが楽しむ暇などなかった。
空気はピリピリしていたし、ずっと胃が痛かった。だから、次に世界を旅する時はおもいっきり楽しもうとルーはずっと決めていたのだ。
乗船準備終了の汽笛が鳴り、人々が乗船口の前に並び始める。以前旅した時とは違い、今回乗る船は少し豪華な船だった。
「めずらしいね、こんな良い船に乗るなんて」
ルーがアルに言う。
「ちょっと貯金してたやつ使ったんだ。こういう時じゃないと金なんて使えないからな」
実際アルは倹約家で、無駄遣いを嫌うため、たまには贅沢がしたかったのであろう。
「アルザイルまで十四時間の船旅だ。ゆっくり休めよ」
アルがほほ笑みながら、そう言った。とはいっても、しばらく何も変わりない海を眺めていたって面白くも何ともない。本を読もうとも思ったが、すぐに酔ってしまったフィネは見事なまでに暇を持て余していた。あっちに行ったりこっちに行ったりとふらふらした挙句、とうとう邪魔だとヴィンに叱られてしまった。すっかり機嫌を損ねたフィネは、アルの部屋に転がり込んだのだ。
「あとアルザイルまでどのくらいかな。」
暇そうにフィネがアルのベッドの上で寝返りを繰り返す。
「そうだね…あと十時間くらいなんじゃないかな。」
そう言って、同じくうるさい二人組から逃げて―正確には自慢話ばかりするヤンから逃げてアルの部屋に転がり込んできたヘクトは魔道書を閉じた。
「あと十時間とか…めんどくさ」
「仕方ないとしか言いようがないし、向こうに着くのは夜中になるだろうね。この後の移動時間を考えるとさらに長くなるよ。我慢して」
どちらが年上か分からなくなるような発言をヘクトがし、再び魔道書を開く。愚兄賢弟ならぬ、愚姉賢弟と言われても、文句はいえないであろう。
外はもう既に日が沈みかけており、空にはダイアモンドをちりばめたような星空が広がりつつあった。
「ところで、さっきからルーとハイネの姿が見当たらないんだけど、アル知らない?」
名前を呼ばれてアルが本から目線をはずす。
「そういえばまったく見てないな。まあ、あの二人なら大丈夫…」
最後の語尾が消え、そこにちょうど悲鳴がかぶさる。その悲鳴で仮眠を取っていたヴィンが文字通り飛びおきた。
「何事ですか?」
そういいつつ、ヴィンがメガネをかけて枕元に常に置いてある剣を掴む。
「とにかく、いってみよう。厄介ごとに巻き込まれてなきゃ良いんだが…」
アルがつぶやきながら廊下に出て、階段を上る。悲鳴の方向は…甲板だった。人だかりを上手くかわして、一番要領よく現場に駆けつけていたヤンが呆然と立ち尽くしているのところにアルが追いついた。
「この女を殺されたくなければ金と食料をもってこい!」
人だかりのど真ん中に立つ男が怒鳴る。その腕に捕らえられているのはハイネとルー。
「まさか船をハイジャックするやつがいようとは…」
ため息をつきつつアルがつぶやく。
「こいつら、よりによってルーとハイネを人質に取るとかずいぶんと恐ろしい事しましたね。」
こういうことを案の定…というのだろう。若干冷や汗をかきながらヤンもつぶやいた瞬間、ハイネを捕らえていた男がうめき声を上げて倒れた。ハイネが肘で男のみぞおちを思いっきり突いたのだ。
「あーあ、もう反撃タイムかよ、めんどくさいなぁ。」
その様子を見ながらヤンが銃をホルダーから出し、攻撃…する暇も無かった。ハイネの拳が襲い掛かる男の顎に叩き込まれ、跳び蹴りをしたその反動で壁を蹴りほかの男を蹴り倒す。
ハイネの俊敏な動きに驚いた男たちがルーに襲い掛かるが、返り討ちにされただけだった。顎を蹴り砕かれた男が空中を飛んでいき、けたたましい音とともに壁に向かって思いっきり痛そうなキスをする。鈍い金属音がゴングのようになり響き、その戦いは終わりを告げた。
「残念ながらボクは女じゃなくて男だ。よく覚えとけよ、犯罪者。」
「最初に言ったじゃない、私をなめてると痛い目見るわよって。人の話を聞かない人は嫌いよ。」
二人が涼しい顔をして倒れたハイジャック犯に言った。船内から歓声が上がった。
「どんな敵であろうとも、ボクたちが一掃して見せましょう」
ハイネが前列にいた女性の手に軽くキスをし、また黄色い歓声が飛ぶ。
「あいつ、女たらしだったんだね」
ヘクトがぼそりとつぶやき、横でヤンが頷く。
「イケメンにしかできない行為よ。よーく覚えときなさい」
後ろからフィネが二人の肩をつかむ。確かにハイネは女顔だが、顔の形が整っていないわけではない。むしろ、その手の顔が好きな女性にはすごく好かれるだろう。
船上の戦いは終息したように見えた。しかし、彼らはほかにも仲間がいる可能性を考えていなかった。そして、ハイジャック犯の反抗もそれだけではなかった。
「タイムリミット」
男のつぶやく声と共に、派手な火柱がアルたちの後方で上がった。ものすごい音と共振するかのように船も揺れる。人々の悲鳴に何もかもがかき消され、アルたちも人の波にのまれる。
不意にルーの首元を誰かが掴んだ。
「何するのよ!話しなさいよ、この…!?」
話し終えないうちにルーが軽く放り投げられ、飛んでいく。後ろは海。気づいた時にはもう遅かった。どぼん、という派手な音とともにルーが海に飲み込まれていく。音に気付いたヤンが海をのぞき込み、とっさに後ろを振り返った。
「おいハイネ、ルー見てないか?」
「いや、わからないが…なんだ?」
ヤンが海を指さし、ハイネが懐中電灯を海に向ける。ほぼ止まった状態の船の横にルーの髪飾りが浮いているのが見えたのだ。
さぁっとハイネの顔色が変わる。時刻は十五時半。この時間帯に海に落ちれば確実にルーの体温は奪われ、いつ死んでもおかしくない状態となるだろう。
「俺、ちょっと助けに行ってくる」
「やめとけ!お前、この時期と時間帯の海の寒さを知らないだろ!」
柵に足をひっかけ、海に飛び込もうとするヤンを必死にハイネがとめる。
「お前までいなくなったら、ボクは団長になんて説明すりゃいいんだよ!まだ打つ手はあるはずだ、早まるな」
そう、まだ何か手は…あるはずだった。
「団長、ルーツィエが!」
ハイネとヤンがアルたちの泊まる部屋に飛び込み、そのまんま床にダイブしかけて止められる。
「まずは落ち着け。だいたいの話は聞いた」
ちらりとアルがフィネの方を見て、フィネもゆっくりと頷く。その態度がさっとヤンの神経を逆なでた。
「フィネ!見てたんなら止めるとか助けるとか方法はあっただろ!あいつ見殺しにする気か?それでいいのかよ?」
「違うんだよ、あの時は動ける状況じゃなかったし、何もできなくて」
「何もできないわけないだろ!」
そうヤンが叫んだ瞬間、後ろからハイネがヤンの頭を思いっきり殴った。
「何すんだよ!」
「何すんだよ、じゃねぇよ、お前一旦落ち着け。ここでぎゃあぎゃあ騒いでても状況は悪化するだけだ。とりあえず黙れ」
ヤンがぐっと言葉を飲み込んで下を向く。アルが地図を広げ始め、現在の航路をさらさらと書き込んでいった。
「今俺たちがいるのは時間からしておそらく、シクル諸島沖だ。となると、今の月は〈新緑の月〉だし、うまく潮が流れていればその海域はサシャル王国海軍の管轄となる。とりあえず、海軍と連絡してこのあたりの海について教えてもらおう。」
「でも、海軍とコンタクトをとる方法なんてあるんすか?」
ハイネが声を上ずらせながら言う。
「俺を誰だと思ってる?コネなんていくらでもあるんだよ」
ふっとアルが笑いながら携帯送受信機を取り出す。アルが魔力を込めた瞬間、送受信機の画面がパッとついてコール画面が出た。
***
水面が遠くなる。きらきらと西日が反射して水中に映る。息を止めているのももう限界で、どれだけもがいても、水面は遠くなるばかりで…。ああ、死ぬのかもしれないなって、本気でそう思って。その記憶を最後に、ルーの意識は遠のいていった。
遠くで波の音が聞こえた。誰かの自分を呼ぶ声に答えようと、体と動かそうとするが、どうにも寒さで強張って動かない。かすかに開けた目に映ったのは、知らない少年だった。
「だれ…?」
かすかに開いた口から、ほとんど空気に近い声を出す。目が覚めたことをに気が付いた少年が、すっと何かの呪文を唱えた。ふわふわと体が温かくなって、強張っていた体がほぐれていく。
「気にせんでええから、はよう寝り。まだゆっくり眠っていても、誰も逃げはせんよ、ルーツィエ」
少年が、ゆっくりと語りかけるように言う。その穏やかな声は、どこかアルに似ているようで…。緊張が解けたのか、ルーの意識は、また遠くへと旅立っていった。
次に目が覚めたのは、明け方だった。だんだんと自分の視界が明るくなっていく。目が覚めて数秒もたたないうちに、意識がはっきりとしてきて、自分が洞窟の入り口に寝かせられているのだと気が付いた。
「おはようさん」
眠る前に聞いた、あの落ち着いた声が、脳内に響く。この声の響き方は、どこかで…。
「やっと起きたんやな。びっくりしたで?砂浜で倒れとるんやから」
笑いながら銀髪の少年が言う。方言が入っているせいだろうか、ルーには少年が胡散臭く見えていた。
「なんや、俺の顔になんかついとるんか?」
少年がルーのいかにも疑っている顔を見て聞く。
「あの…話が見えないんだけど。そもそもここどこ?あなた誰?」
そのルーの質問を聞くなり、少年は盛大に笑い出した。
「そんなピリピリせんでもええ。しっかり休んどき、ルーツィエ」
「私、貴方に名前教えた覚えないんだけど、どこで聞いたの?もしかしてストーカーでもしてたの?気持ち悪い。それに、さっきも聞いたけど、ここはどこ?」
容赦ない質問攻めに笑っている少年の顔が少し凍り付く。
「最後に一つ。後ろにあるそれは龍剣で、あなたは番人じゃないの?」
その瞬間に、少年の顔色が一気に変わった。
「―いつから気づいとったん?」
「別に、普通、人の声は脳には響かない。それに、後ろに無造作に放り投げてある剣から、明らかに魔力が発せられているんじゃ、疑いしか持たないもの」
「なるほど。君がここまで選択を誤る人とは思っとらんかったよ」
ルーが眉をひそめる。
「私が選択を誤った?どこを聞いてそんな風に言ってるのか聞きたいところね」
「だって、そういうことを口にして命が危うくなるかもしれないなーとか考えないっぽい発言やん。命は大切にするもんやで?」
ケラケラと笑いながら並びたてられた言葉をルーが鼻で笑って一蹴した。
「私は一度死んだようなものだし、生きている間は団長に忠誠を誓うと決めてるの。団長のためなら、世界を救うためなら命なんてどうでもいい。みんなが笑っていられれば、私はもう、それでいいの。だから…貴方が守るその剣いただいていくわ」
一瞬少年がきょとんとする。それから数秒もしないうちに、少年は大きく笑った。
「そうか…そうか!せいぜいその頑張りを無駄にせんように頑張るんやな。まあ、結果は俺の圧勝に決まっとるけどな」
少年が龍剣を掴んで地面に突き刺す。
「冥土の土産に俺の名でも教えよか。俺の名はジル・カルティエ。属性は風、体術使いや。まあ、お手柔らかにな」
「あら、私を殺しにかかる気満々なひとにお手柔らかになんて言われても説得力ないわよ。こちらこそお手柔らかに、ね」
にっこりとルーがほほ笑む。
刹那、洞窟内の真っ黒い壁や地面が薄いピンク色に発光して蝶となり、一斉に羽ばたいた。蝶がいた壁からはクンツァイトがむき出しになって表れ、洞窟内の地表は薄ピンク色の輝く床となる。気が付けば洞窟の中はクンツァイトでいっぱいになっており、蝶はどこにも見当たらなくなっていた。
「かかってこんの?」
蝶に見とれていたルーにジルが笑いかける。その笑顔にはもはや優しさなど一ミリも含まれていなかった。
「そっちこそかかってこないの?」
「さすがにこんなかよわい女の子に先制攻撃しかけるのも気が引けてなぁ」
底なしに明るそうに笑うが、不気味にしか思えず、思わず後ずさりする。いや、後ずさりしていてもしょうがない。
「それじゃあ、こっちから行くわよ」
覚悟を決めたルーが皮手袋に魔力を込め、頭の中で呪文を唱えながら殴り込む。普段きちんと強化魔法を使って戦っているのかというと実際はそうではない。ルーの魔力自体が少ないため、連戦があると魔力切れで倒れてしまうからだ。しかし今回は強化魔法を最初から使っている。それは、アルの試練を見ていたからだった。
前回は番人が手加減していてくれたからよかった。だが、今回は相手からみじんも手加減する気など感じられない。
ルーのその予感は的中した。頭に向けて殴り掛かったこぶしが片手で止められる。あまりの驚きに数歩下がって顎に向かって蹴り上げるが、結果は変わらなかった。
「―このっ!」
ある程度間合いを維持しながら様々な攻撃を仕掛けるが、ジルは表情一つ変えずにかわし、受け流し、直接的な攻撃を避けていく。
どうして当たらないんだろう、とルーの頭に焦りが生じる。今まで幾度も強敵と戦ってきたが、これほどまでに受け流すのが上手い人を、ルーは見たことがなかった。受け流すのが上手いということは、自分の攻撃はすべて読み切られているということだからだ。
もう、魔力も残り少ない。最後の力を振り絞って、蹴りを繰り出した瞬間だった。
「正直見損なったわぁ」
その声と同時に足首をつかまれる。
「あんだけの大口たたいておきながら、そんな力しかないなんてな」
ジルの厳しい目がルーに向けられる。つかまれた足は、どう力を込めても動かなかった。
そのまま足を軸にして、ルーが床に向かって叩きつけられる。あまりの力に、一瞬息ができなかった。せき込みながら起き上がった時にはもう遅かった。首元に冷たいものがあてられる。
「最期くらいは、剣で一思いに楽にさせてあげるからな。それが、俺にできる唯一の手向けや」
ああ、死ぬんだなあ、私。こうやって見ると、とてもあっさりとした最期だ。なんて思いながら、目を閉じる。なんでだろうなあ、こんな時に浮かぶのがアルの顔じゃなくって、ヤンの顔だなんて。
あのあっけらかんとしたさわやかな笑顔が、瞼の裏に浮かんで消えていった。
「ルーツィエ!」
キィンと金属同士がぶつかった高い音がして、ルーが目を開ける。そこには息を切らしたヤンとハイネがいた。
「ヤン、ハイネ、どうしてここに!?」
驚きを隠せないルーに、二人が駆け寄る。
「団長がサシャル王国海軍とコンタクトを取ってくれてな、オレらは一足先に送ってもらったんだ。とにかく、無事でよかった」
ヤンがルーを抱き寄せる。心臓が、早く波打っているのが聞こえる。少し顔を上げると、安堵した色を浮かべた顔が目に入った。
「やあやあ、まっさかここで邪魔が入るとは思ってなかったなあ」
ぱちぱちと手をたたきながらジルがこちらを見る。
「で、全員皆殺しでいいん?」
不気味な笑顔に少し、ヤンとハイネがひるんだ。
「あれは?」
「龍剣の番人」
ハイネの問いに簡潔に答える。なるほどね、とジルを見据えてハイネは言った。
「あれ?そこの銀髪の兄ちゃん、龍剣持ってるやん」
「ああ、ボクは確かに龍剣を持っている。だから何だというんだ」
「宝石は?」
ジルが尋ねる。その目に悪意はなく、おそらくは単純な好奇心なのだろう。
「ラピスラズリだ」
「…なるほどなぁ。話は聞いてたんやろ、出てきたらどうや、エタン」
“エタン”。その名前をジルが口にした瞬間、ハイネが腰に差している龍剣の宝石が強く光った。あまりのまぶしさに、目を細める。
「久しいな、ジル」
ゆっくりと目を開けると、ハイネの前に先ほどまではいなかった黒髪の男性が立っていた。
「こうやって会うのも久しぶりやんなぁ、ざっと三百年ぶりか。ところでエタン、その子はもう試練終わってるん?」
「ああ、この少年は私が認めた持ち主だ。この様子を見るとお前、また考えなしに勝負を仕掛けたな」
「当たり前やんか、勝負に勝ったほうが勝ちや。何よりステゴロは男のロマンやからなぁ」
いい笑顔で語るジルをエタンがまっすぐな目で見る。そのままエタンはため息をついた。
「まあいい、私は既に持ち主がいる身だ。当然、持ち主側につくが、それでもいいな?」
「もちろん、人数が増えようが何しようが俺には関係ない。全員叩き潰すだけや」
エタンは、そうかとつぶやいてハイネの剣の中に戻っていく。
「力だけは貸すが、あとは自力で頑張れよ」
と頭の中に声が響いて、最後にラピスラズリが少しだけ光った。
「さて、試合再開といこうやないか」
その言葉と同時に、ジルがヤンに襲い掛かる。
「龍神よ、番人エタンよ、我に力を!」
驚いたヤンの前に、ハイネが出て水魔法を発動させる。ぱしゃん、という水音を耳にとらえ、ジルが後方にジャンプした。
「小賢しい真似ばっかりしよって…正面からかかってきぃや!」
「いわれずとも!」
ヤンが銃を引き抜き、ジルに向かって打つ。リズムカルな発砲音が洞窟内に響き、ハイネが手榴弾をジルの足元に投げた。と同時に、破片が自分たちに飛んでこないように水魔法で防御する。豪快な爆発音とともに、洞窟内が煙で真っ白になる。
これで少しは時間稼ぎになる―と確信した瞬間だった。ハイネの首に、白い腕が伸びた。刹那、ヤンがハイネを突き飛ばす。洞窟内に風はないはずなのに、ゆっくりとスモークが収まっていく。
「ヤン!」
ハイネの目の前には、首に剣を充てられたヤンの姿があった。
「三人おってもこんなもんかいな、まったく、つくづく残念しか言えん奴らやなあ」
ぎりっとヤンの首が絞められ、苦しそうな声をヤンが上げる。
「剣で殺すのもええけど、やっぱ首を絞めるのもええもんよな」
ジルがにたりとは笑う。だがその表情とは裏腹に、ジル自身は何か違和感を覚えていた。なんやろ、なんか、ルーツィエが歪んで見えるような―。そう思った瞬間、後方で僅かに水音がした。
「しまった、水鏡か!」
ジルが後ろを振り返ろうとして、ヤンの首を絞めていた手が緩む。
「ルーツィエ、行けぇ!」
ヤンの叫び声と同時に、ルーツィエがジルの真後ろに現れる。そのまま飛び蹴りが鈍い音とともにジルの頭に炸裂し、ジルが横方向に吹っ飛んで行った。
吹っ飛んで行った先で、ジルがゆっくりと立ち上がる。まだ立ち上がるのかと思いながら、ルーやハイネが武器を構えたが、その必要はないようだった。
「負けや負け、俺の負けや」
両手を挙げながら、ジルが歩いてこちらに来る。
「たしかに、仲間とのコンビネーションは見事なもんやった。体術っちゅーもんは一人だけじゃ意味のないこともある、姉貴の言葉を思い出すわ」
先ほどとは打って変わって、爽やかな笑顔をこちらに向ける。
「ほら、あんたのほしかった龍剣や、持っていき」
ルーツィエが静かに、ジルから龍剣を受け取る。と同時に、ジルの体が少しずつ溶けるように透けていく。
「ああ、うちの団長さんが手加減した理由も今なら少しだけわかるわ、あんたら、今輝いてるもんなぁ。ええか、この先どんなことが起きようとも、決して立ち止まったらいかんで。それだけは、覚えときや」
そう言い残して、ジルはすっと消えていった。
「ありがとう」
ルーが小さくそういうと、龍剣についたクンツァイトが返事をするように少しだけ光った。
これで終わった―と思った瞬間、力が抜けてその場でぺたんとしゃがみ込む。今更、魔力切れが身体に来たのだ。
「おい、ルー、大丈夫か?ルーツィエ?」
顔を覗き込んだヤンの顔が歪んで見える。
「ちょっと、魔力使いすぎただけだから…、たぶん、大丈夫…。ああ、ハイネ、さっきは、ありがとね、とても、助か…た…」
呂律が回らないながらも頑張って話す。が、そこまでが限界だった。ルーの体がぐらりと傾いてヤンの腕にもたれかかる。
「あー、悪い、ハイネ。こいつ背負うからちょっと手伝ってくんね?」
ハイネが無言でヤンを手伝う。よいしょ、と言いながらルーを背負ったヤンは、少しだけほっとした顔をした。
「ハイネ、ありがとう」
そういわれたハイネも、安堵とうれしさを混ぜたような、そんな顔をした。
二人でゆっくりと歩きながら、出口に向かう。外はすでに明るく、出口から洞窟内に向かって朝日が差し込んでいた。
「ヤン、ハイネ、ルー」
丁度到着したアルが小舟から降りてヤンたちに駆け寄る。
「三人とも無事だったか…ルーは魔力切れか。ヤン、俺が代わりにルーを背負おうか?」
「いや、このままオレに背負わせてください。こいつには、たまには人に頼るってことを覚えてもらわなきゃ」
へへ、と嬉しそうにヤンが笑う。その顔を見て、アルもそうか、と少し笑った。
***
ルーが目を覚ますと、そこは見慣れないホテルのベットの上だった。隣を見るとヤンが穏やかそうな顔をしてベットに体を預けて床の上で寝ている。ノック音が聞こえたので返事をすると、ヴィンが部屋に入ってきた。
「お、目が覚めましたね」
おはようございますと言われて、こちらも挨拶をし返す。
「魔力の調子はいかがですか?」
「まだ完全には回復してないけど、体はそれなりに動く感じはあるかな」
「そうですか。そういえば貴女、帰りはそこの寝坊助さんに背負われて帰ったのですから、起こしてあげてついでにお礼を言っておきなさい。あとは着替えたらアルの部屋に集合ですよ。部屋はこの回の右角です」
それでは、とヴィンが踵を返して部屋を出ていく。もう一度ヤンの顔を見て、相変わらずのアホ面だなぁ、なんて思った。そして、私がまたこいつの顔を見ることができたのもこいつのおかげなのだ、とも思った。少しだけ、ヤンの髪をなでる。さらっとした髪が指の間をすり抜ける。そして、へにゃっとした笑顔を浮かべたまま眠るヤンを見て、ルーは少しだけ微笑んだ。