ep:5 獣化
『それにしても…ほんとこいつらはなんなんだ…』
大輝は先ほど出会った犬人とこの牛人と決定的に違っていることに気がついた。それは理性だ。犬人はすこし本能のままに動くところがあったがそれでも正気を保ち流暢に会話もしていた。しかしこの牛人には会話はおろか、呼びかけにすら反応しなかった。これではまるで完全に獣の本能に呑まれたみたいだ。だがそんな大輝の考えをよそに牛人は筋肉隆々とした体を駆使して大振りに腕を振るって襲いかかってくる。隙は大きいがそれでも一発でも当たれば骨が折れそうな勢いだ。大輝は持ち前の反射神経でかわしているがこちらからも攻撃しなければ解決しないのも確かであった。
『…にしても場所が悪い…ってもう壁かよ⁉︎』
後退しながら避け続ければ必ず壁に到達してしまう。壁にぶつかって気を取られてる間に牛人は巨大な拳で殴りかかってきた。
『うわっと!』
大輝はそこからしゃがんで壁を蹴るようにして勢いつけて前転した。そして空振った牛人の拳は壁に当たった瞬間ガラガラと音を立てて壁に大きな穴があけた。校舎は鉄筋の入ったコンクリートのはずだ、にもかかわらずまるで木板みたいに軽々と砕いて見せた。それを見ただけでも一撃で致命傷になるのは明白、それ以上に即死も免れないだろう。
その威力を目の当たりにした大輝はそこからは慎重に動き回った。当たれば終わり、そう自分に言い聞かせ、速さで優っている分動きで翻弄した。牛人はどうやら短期だったらしく大輝の動きについて行けなくなるとさらに怒りをあらわにしてメチャクチャに剛腕を振り回した。
これは大輝にとって不測の事態だったらしく引くに引けない状況になってしまい、紙一重でかわし続けた。
『これは…ちょっと…』
焦りが大輝の体力を余分に削る。すこしづつであるが大輝の動きは鈍くなってきた。そしてそんな中遂に牛人の右腕が大輝を捉えた。
『大輝君!』
後ろから浩太の悲鳴が上がった。直撃した…誰もがそう思ったがなぜか大輝は吹き飛ばされなかった。よく見れば牛人の剛腕にしがみつくようにして衝撃を逃がしてる。
『…あっぶねぇなぁ、このやろー‼︎』
しがみついた態勢から足を離して牛人の側頭部に思いっきり左足を振り抜いた。鈍い音をたてながら牛人は数本よろめくがそれだけだった。
『嘘⁉︎』
あまりの効果の薄さに驚きの顔を隠せない。もちろん大輝は手を抜いていない、正真正銘全力の一撃だ。なのに牛人は頭をブルブルと振るだけでなにもなかったようにしている。普通なら脳しんとうを起こしてもおかしくないほどの威力だ。しかし牛人は平然として再び襲いかかってきた。それに対して大輝はカウンターの要領で鳩尾、胸部と叩き込むがどれも効果は薄かった。
『くそっこいつタフ過ぎるだろ⁉︎ダメだ浩太逃げるぞ!』
今の自分では対処しきれないと判断した大輝は即座に身を翻して浩太の腕を掴み、その場から逃げた。浩太もそれに連れてかれるようにして逃げる。
後ろから野太い咆哮が響くが構わず走り続けた。すると手前の階段に差し掛かった瞬間目の前に別の化け物が現れた。
短い茶色の毛並みにしなやかに丸まった背中、どこまでの種類か断定出来ないが猫の化け物であることは分かった。猫人は2人を見つけると牙を見せて即座に襲いかかってきた。その両手の先には鋭い鉤爪が伸びている。
大輝はその猫人の手首を掴んで受け止めるとそのまま後転して後ろに投げた。しかし飛ばされた猫人は猫なだけあって見事に音もなく着地すると再び跳躍して襲ってくる。
『このままじゃジリ貧だ…でもどうすれば….』
『大輝君後ろ‼︎』
そこに突然浩太の声が上がったそして後ろを振り向くと同時に巨大な拳が大輝の体に捻じ込まれていた。
『……グハッ!』
大輝の体は軽々と飛ばされ、浩太の目の前に落ちた。寸前のところで直撃は避けたようだがそれでも大きなダメージになったのは間違いないだろう。現に苦しそうに胸を掴んで悶えている。
『大輝君!大輝君‼︎大丈夫⁉︎返事して!』
浩太は必死に肩を揺すって呼びかけるが気を失ったらしく動かなかった。それでも呼びかける浩太に2匹は嫌な笑みを浮かべて近づいてきた。
『いや!くるな…こないで‼︎』
浩太はあまりの恐怖で手元に落ちていた箒を振り回した。そんなものでは傷一つつけることが出来ないのは百も承知であるがどうしてもなにもしないでいることが浩太にはできなかった。
そんな浩太の反撃も虚しく、猫人は嘲笑うかのように箒を叩き落とした。箒はカランカランと飛ばされて壁にぶつかる。
『あっ….う……』
浩太は2匹の殺気に気圧され震える声で口をパクパクさせるだけだった。普段感じることない強烈な殺気は浩太の体を硬直させていた。
自分はここで死んでしまう。浩太は直感で悟った。互角に渡り合えていた大輝は今は動けない。非力な自分ではもうどうすることもできないと諦めた。
気づけば浩太の目の前には牛人が、そして後ろにいる大輝に向かい合うように猫人も立っている。浩太はいずれ来る激痛に怯えて目を瞑った。しかし、その数秒後なぜか猫人と牛人の悲鳴があがっていた。なにが起きたかわからない浩太はゆっくりと目を開いた。
そして息を飲んだ。
目の前にいるのは大輝だとすぐ分かった。しかしそれは服装をみて理解していたがそれでも浩太にはその事実に未だに信じられないといった表情で固まっていた。
両腕にしか生えていなかった紫の毛並みは全身に伸び、腰からはふさふさとした同じ色の尻尾が揺れている。何よりその顔はもはや狼同然といってもいい位に、というよりも狼そのものの顔に変わっていた。
『……だ…大輝…君?』
浩太の呼びかけに頭から生えた三角耳がピクリと動いた。そしてゆっくりと浩太に振り向くと大輝の迫力に気圧されてしまい、喉を引きつるようにヒッ⁉︎と声をあげてしまった。鋭い黄色の眼光、少し開いた口からは鋭利な牙が鈍く光っている。その姿は前方にいる2匹と大差はなかった。しかし大輝から発せられる威圧は凄まじいものだった。
もし大輝も同じように獣に呑まれ、理性が失われていたら…
嫌な思考が浩太の胸中に渦巻く、しかし浩太にはそんな不安な眼差しで大輝を見つめることしかできなかった。
『………大丈夫、俺は大丈夫だから…』
そんな浩太の不安を察したのか、大輝はにこやかに微笑みながらつぶやいた。鋭い黄色の眼光の中には確かに理性の光が宿っている。さっきまでと同じ大輝だ。浩太はそれだけで安心感に包まれた。
『これで、俺も化け物か…それでもいい…今は誰かを守れる力が欲しい…化け物だろうが関係ない…』
大輝は自分の手を見ながら呟く。だがショックよりも今は守らねばならない人がいるのを糧に平常心を保った。それでも割り切れないところがあるのか、構えた拳はギリギリと握りしめ軽く食い込んだ鉤爪は小さく切った。
そこからの戦闘は大輝の圧倒的なものだった。風のように接近し、2対1にも怯まず分厚い筋肉に覆われた牛人の喉に掌底を叩き込んみ、それにより一種の呼吸困難に陥れた牛人を今度は勢いをつけてタックルで窓から外へと押し出した。ここは二階であるがあの強靭な身体だと死にはしないだろう。そして次に猫人とは動き回る猫人の腕を掴み取り、そのまま右足の蹴りを決めてくの字に飛ばした。そして壁にぶつけると猫人はそのまま動かなくなった。
あっという間に終わった攻防に浩太は唖然とするしかなかった。そして気がつくとすぐ隣に大輝が立っていた。
『大丈夫か?』
『あっ…うん、大輝君こそ大丈夫なの?……その……姿…』
浩太問いかけに大輝は笑って答えた。
『大丈夫大丈夫!一応暴れることもなさそうだしちゃんと正気だし……まぁちょっと慣れないところもあるけど…』
大輝はそういって自分の腰から生えた尻尾をつかんでみた。自分のものなのに自分では無い不可思議な気分だ。しかしこの触り心地は捨て難く、ずっと触りたくなる触り心地だ。
『さて、もうここも危なさそうだ。移動した方が良さそうけど、どこに向かったものかな…』
大輝と浩太はこの先のことを考え始めた。都市機能はほぼ絶たれているだろう。そうなれば今後のことを考え、いろいろ用意しなくてはならない。そして何よりこの事態の真相を究明しなければ根本的な解決にならないだろう。
2人はこの先のことを考えると不安要素しか浮かんで来ず、重たい空気になってしまった。
まっ…まぁとりあえずこの近くに僕の家があるし、まずはそこでゆっくり考えない?
そんな空気を少しでも変えようと浩太が口を開いた。なぜかはよくわからないが浩太が話すと空気が和らぐ、周りを落ち着かせるような感じがして心地よかった。大輝もそれに頷いて2人で下の階に降りようとした。
しかしその瞬間どこからか声が飛んできた。
伏せて‼︎
大輝と浩太はとっさの指示に反応して伏せた。その上を何かが通りすぎる。そしてその直後に何かを蹴る鈍い音が廊下に響いた。2人は立ち上がって後ろを振り向くとそこには先ほど倒したはずの猫人が伸びていた。しかし今回は白目を向いて泡を吹いている。確実にしばらくは動けないだろう。それよりもその先に1人の人が立っていた。
姿は大輝の今の姿に似ている。しかし白に見えるが光の当たり具合で輝いているからおそらく銀色だろう。そして同じイヌ科の顔つきであるが耳が大きく、尻尾も大きいことからおそらく狐だということが分かった。
あっ…ぶないわね!
狐人の女性は明らかに不機嫌な顔をしてそういってきた。