ウチの子が好き嫌いをする話。
妻、ガイアは美しい。波打つ金の髪はまるで実った小麦畑。瞳は宝石そのものだ。戦場に出れば、60秒間に100人の騎兵を投げ飛ばし、120秒間に200人の歩兵をちぎっては投げる(比喩ではない)。
その戦闘力もさることながら、料理の腕は超一品。人間の肌に幾重にも飴を塗り、ぱりっと焼き上げて秘伝のソースで食す丸焼きヒューマンとか。新鮮な生の人間を華麗に切り身にして、美しく盛り付けた人間の活き作りとか。
ーーああ、たまらない。想像しただけでヨダレが出てきた。
みっともなく口の端に垂れた涎ーー部下にはこの姿は見せられないーーを手の甲で拭き、改めてうなだれる妻の後ろ姿に近づく土魔将ーー ノーム。
「ガイア……」
「ああ。あなた……!」
ノームの胸に、もとい、頭にすがりつく、もとい、抱き締める、もとい、魔将ノームをホールド・アップして胸元で締め上げる可憐な妻、ガイア。
台所に、ノームの絶叫が響いた。
「ノームさんッッ!?」
何事ですかと、ふたりの可愛い娘、由紀子が尋ねる。
「……ああ、いや。その、少々、だな、愛の語らいというやつだ。由紀子にはまだ早いな、うむ」
いつかは嫁に行くのだろう。でも、今の絶叫を聞いては、由紀子のその決心も揺らぐ。オトナって怖い。
◆
由紀子が台所を去り、魔将ノームは、改めて妻に尋ねた。
「どうしたというのだ、ガイアよ」
「……あなた。由紀子ったら、あの子ったら、また好き嫌いをしてッ! 人間の肉を残すんです。好き嫌いをしていたら立派な魔族にはなれないって、いつも言っているのに……」
「……そうか。好き嫌いは良くないな。人間の肉は栄養もたっぷりだし、賢くなれる。ーーうむ。小さく刻んで、由紀子の好きな『フロフキマンジュウ』というのに混ぜてはどうかな?」
「もう試しましたよ。始めは上機嫌で食べていたのに、急に顔をしかめたと思ったら、吐き出してしまって……」
「そうか。あの子も難しい年頃なんだろう。仕方ないかもしれんな」
「また、あなたはそんなことを言って甘やかす! ダメですよ、由紀子は私たちの娘。立派な魔族になって、魔王様のお役に立つんです」
「……。」
その会話を、壁の陰で聞いている、小さな影がひとつ。話題の主、由紀子である。
「(……おとぅちゃん、おかぁちゃん……)」
しかし、こればかりは譲れないのである。人間としての沽券に関わる。
◆
「由紀子ちゃーん、ゴハンよ!」
「はぁい、今行きますッ」
食べる前に、由紀子は必ず尋ねる。
「ガイアさん、これは何ですか?」
「お肉よ」
「何のお肉ですか?」
「栄養たっぷりで、精がついて、健康にも良いの。魔族のお年寄りだって、コレを食べれば100年は若返るわ。さあ、召し上がれ!」
無言で席を立つ由紀子さん。無言で食堂から出ていく由紀子さん。ギギギ、と首だけで振りかえる由紀子さん。
「きょうのごはんはいりません」
そのまま、部屋にこもって朝まで出てこなかった。やはり、難しい年頃なのだろう。ガイアはため息をついた。
明日は、挽き肉にして、魚肉、猪肉、鹿肉と混ぜて、さらに小麦粉とタマゴ(セイレーンの)も加えて、強火で一気に焼いてみよう。
由紀子さんの戦いは1日三回。今日も明日も、明後日もつづく。ーー無事、元の世界に帰れる、その日まで。
おしまい。