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不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
9/30

スルメの如き青春

私の怠惰な生活態度を知る人ならば、大体予想のつくことであろうが、私は人並み以上に恥の多い人生を送ってきた。

小学生の時分から、国語では出発(しゅっぱつ)出発(でっぱつ)と読み、算数は九九をどうしても覚えられず皆の前で暗唱させられ、理科の実験の際に眉と前髪を盛大に燃やし、日本地図を描いてみようという社会の課題で未知の暗黒大陸を創造したりしてきたが、しかしこれらは些細な出来事である。

思い出すだけで顔を覆って呻吟し、意味の通らないことを叫びながら万年床に突進したくなるような恥ずべき事件があったのは、私が小学五年生の頃であった。


告白をしたのである。

まさしく唾棄すべき行為である。愚行である。恥を知るべきである。しかる後、腹を切れと言いたくなる。

断っておくが、私はここで世の恋愛全てに対して気炎を上げている訳ではない。

いくら見事なまでに華のない、噛めば噛むほどしょっぱい思い出が滲み出るスルメの如き青春を送ってきたとは言え、世間一般における恋に唾を吐きかけて回るほど、私の性根は腐っていないはずだ。

私が否定しているのは、「ロミオとジュリエット」等とはまた別のベクトルで、二人の間に埋め難い溝がある場合、例えば、洟垂れ坊主の小学五年生と、二人の子を持つベテランの教師というような、倫理的な問題のある場合なのである。

思えば、私の「年上好き」という病気は、あの頃から猛威を奮っていたのだ。

「嬉しいけど、同じくらいの歳の子との方が、色々上手く行くものよ」という先生の有難い断り文句を肝に銘じて、中学、高校と進学してゆく間も、私は意図的に年上の女性を視線から外してきた。しかし、高校三年の春、近所に越してきた未亡人に強く心を惹かれた際、私は今一度強く「やはり私の病気は平癒していなかった」と確信したのである。




院部を千草に任せて、昼にコンビニに出かけた帰り道でのことである。

陽炎の立ち上る道を、「もしも妄想能力が大学入試の合否を分ける重要な科目だったら」という、実に馬鹿げた妄想を膨らましつつ歩いていると、近くの商店から一人の女性が出て来た。瞬間、時が止まったかのように思えた。


髪の上を滑る陽光が、小さな鼻の上に乗った眼鏡に当たった、その反射の一つ一つを数えることが出来るほど、私はその女性に見惚れていた。

世の女性に「ウワッ気色悪っ」と言われるのを覚悟で語らせていただくが、その時の私は、誇張では無しに鳥肌さえ立っていたのである。

だが、そうやって精神的懊悩に悶えている一方で、私の中にはもう一人の自分が見とれている方の私の隣に立っていて、憎々しげに「あああ、また例の病気が出やがった」と吐き捨てる。

「お前もつくづく阿呆な奴だ。この大変な時期に、女性に惚れてどうする。そもそも一目惚れなんてのは、あれは純朴な中学二年生なんかが、全く邪心のない純粋な思いからするのだからこそ成立するものなのだ。四畳半の隅で腐っている大学生のなりそこないがそんなことをした日にゃあ、通報されても文句は言えんのだぜ」

「わかっている、わかっているともさ。私だってそれを認めるのにやぶさかではないけれど」

目線は女性を追ったまま、しかし片方の私の言葉にすっかり気力を削がれた様子で、一方の私は弱々しく反論を試みる。

「人が、夢を見たっていいじゃあないか」

「お前のそれが、夢なんて呼べるようなシロモノかよ」

いい加減に目を覚ませ、と叫んで彼が手を叩いた瞬間、止まった時と同じように、突然私は現実に引き戻された。

足に軽い衝撃を感じて、見るとカップ麺が転がってゆくところであった。あの拍手は、無意識の内に手放していたカップ麺が地面に当たった時の音だったようである。

容器はゆっくりと転がり、小さな音を立てて彼女の足にぶつかった。一寸だけ驚いたような顔をして、色の白い手がそれを拾おうとした時も、私はまだ動けずにいた。

横から手が伸びてきて、ひょいとそれを拾い上げると、私の方に差し出した。

「落としましたよ」

私はカップ麺を受け取りながら、まじまじと彼女の後ろから現れた男を眺めた。実直な雰囲気といい、人の良さそうな笑みといい、文句の付けようのない好青年である。

なにか憑き物の落ちたような思いがして、私はむにゃむにゃとお礼を言うと、背中を丸めてアパートへの道を歩き出した。

「あの、もしかして秋原さんのお知り合いですか」

「は」と愚にもつかない返事をする私の目を見て、彼は困ったように続ける。

「いや、さっきから秋原さんのことを見つめてたから、もしかして知人かと」

途端、冷や汗が体中に吹き出してきて、「違います」と早口に言うと、私は殆ど逃げるようにして商店街を後にした。




コーポ鸚屋の階段を登りながら、先程の自らの野暮ったさを反芻し、意気消沈して二○三号室のドアを開くと、院部がゴミ袋を前に仁王立ちしている。

「きさまッ、またも我がコレクションたる全自動ねりけし製造機を捨てやがってからに、もう許さねえッ」

パーカーの裾を捲くってファイティングポーズをとる彼を見ているうちに、私の中のごちゃごちゃした憤懣が彼に結びついて、こいつがいるせいで、勉強は捗らんし大家さんにはロリコンと思われるしその孫娘からは馬鹿にされ続けるし秋原さんとやらの前で醜態を晒すことになってしまったしバブル経済は弾けるし地球温暖化は進行するし、と全く無関係の事柄までもが、全て彼の仕業に思えてきて、私はカップ麺を部屋の隅に放り投げると、右足を踏み出して見得を切った。

「やってやろうじゃあないか、表へ出ろッ」

「お望み通りですよ!」

恐らく「望むところだ」と言おうとしたのであろう院部は、威勢良くそう言い放って玄関に向かおうとしたが、足元のゴミ袋に邪魔をされ、散々苦労した挙句、ドアから出ることを諦めてベランダへの窓を開け放ち、

「着いてきやがれ!」

そう叫んで、彼はベランダから飛び出した。




裸電球の下で、着地に失敗して足を捻った院部の手当をしながら、私は今一度今日という日のことを反芻した。

なんという一日だったのだろう。

あんまり阿呆らしくて、ため息すら出なかった。

その夜、どうやって知ったのか、永武さんは私に女教師を演じる女性の出てくるビデオを勧めてくれたが、私はそれを丁重にお断りさせていただいた。

別段高尚な理由からでもない。何となく、見てしまったら、もう後戻りが出来なくなる気がしただけである。


私は、未だにあのカップ麺を食べることができないでいる。

シュウさんの『『うろな町』発展記録』から、町長さんと秋原さんをお借りしました。

何か不都合な点などございましたら、ご連絡ください。

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