友人への書簡
拝啓、悩み深き友人へ。
いよいよ夏本番という感じになってきたが、君の方は大丈夫だろうか。ヒートアイランド現象という言葉もあるし、山の近く等よりも、町中の方が熱中症になり易い様であるから、十二分に気をつけて欲しい。
君からの手紙が来た時には驚いた。
いや、この書き方は正確じゃあない。三日前に捨てた種々雑多なチラシの中にあった封筒の中身が君からの手紙だったことに気付いた時は驚いた。返信が遅れたのには、そういう訳があったのである。決してこの相談とやらに腹を立て放置していたわけじゃあない。
しかし、言わせてもらうなら、この相談は酷いものだぜ。
彼女が出来たのだが、どう接すれば良いのか全くわからない。電話越しでは恥ずかしいから、手紙にて相談させていただく。求む、助言。
書き写しているだけで体温が上昇してくる。無論、怒りの為である。
思えば向こうにいた時、私たちは無二の親友だった。ノートを見せ合い、宿題を見せ合い、川原で見つけたあのいかがわしい本をも見せあった。眼前に展開される女体の神秘に、興味よりも先に吐き気を催して、翌日の学校を二人共休んだのは良い思い出だ。
その本を学校に持ってきたのが、名前は失念したが体育の先生にばれた時、君が「井筆菜君が一人で持ってきてました」と行ったのを、私はまだ忘れてないからな。
高校も三年生になり、互いに受験勉強のために疎遠になって、結局私があんな結果を出した後、うろな町に逃げてくるまで、一回も連絡を取り合うことができなかったのは残念だった。だから、引っ越して二日目の朝に、誰から聞き出したのか、君からの電話があった時には、非常に嬉しかった。
そうとも、それから今まで、二、三、許しがたい事件もあったが、私たちは良き友人であった。
そのガラスの如く透き通った友情に、君は「彼女」という槌を振るったのだ。
なぜ私に女性のことを訊く。それも、一分一秒ですら惜しい浪人という身の上の私に。
訊くならもっと他のことにしてくれよ。カップ麺に入れると美味い具材とか、宇宙人のあしらい方とか、そういうことなら、少しは役に立てるというのに。
まあいいだろう。私たちの友情にはヒビが入ったが、しかしまだ壊れちゃいない。私の持つ全ての力を使って、君の女性問題にお答えしようじゃあないか。
実際、私にも彼女がいた時はあった。あれは確か、中学三年の春と記憶しているが、中高一貫校特有の、あまり感動できない卒業式を終えて帰宅した時のことだ。私の携帯に二通のメールが届いていた。その頃から既に、私は携帯を家と直通の電話くらいにしか考えていなかったから、ひどく驚いて、急いで一通目を開いた。
「突然で、しかもメールという手段でごめんなさい。だけど、自分の口で言うには、どうしても勇気が足りませんでした。好きです。付き合ってください」
私は布団に飛び込んで奇声をあげ、それでも足りずに部屋中を駆け回った。
なんとか呼吸を落ち着けてから、期待に胸を躍らせて二通目を開いたよ。一通目から二時間後に届いたメールだった。
「他に好きな人ができました。さっきのメールは忘れてください」
以来、「スピード破局」の文字が吊り革広告の上に踊るのを見るたびに、私は苦々しい笑みを浮かべるようになった。「本物のスピード破局は、そんなもんじゃあない」と呟いて、一人空しく下を向く私の気持ちは、君には分かるまい。
この事から分かるように、私は、こと女性問題に対して助言を送る資格はない。恐らく、私の口から出る一つ一つのアドバイスは、君と彼女にとって、最悪の結果を招くだろう。
だから、こう考えてくれ。百パーセント確実に失敗するであろう私のアドバイスの百パーセント真逆のことを行えば君たちは百パーセント確実に成功すると百パーセント確実に私は思う。この文章、文法的に、どこも間違ってないよな?
というわけで、恋愛における反面教師である私が思うに、君たちは共通の趣味を見つけて、それに関連したレジャー施設なりなんなりに、二人で出かければいいのではないか。
以前君が私に語った「僕には百八つの趣味がある」という言葉を鵜呑みにするならば、その中に一つくらいは、相手のものと一致する趣味があるはずだ。それ以外の全てを捨てて、その一つに精進してみたまえ、というのが、私からの精一杯の助言である。
もし君が、私のこの助言に従って何らかの行動を起こし、その結果彼女との仲が取り返しのつかないことになったとしても、私は一切の責任を負いかねる。君の人選が間違っていたということは、それこそ百パーセント確実に言えることだからである。
またもし、君の試みが成功して、彼女との仲が後戻りの出来ない状態になったとしても、そのことを決して私に報告してくれるな。今の私には、他人の恋模様に一喜一憂している暇など、一秒たりともありはしないのである。
私に報告する暇もなくなるほど、君と彼女の中が進展することを、心から願う。
敬具。井筆菜 伸太郎
前略。考え浅き友人へ。
君は私の手紙を、ちゃんと読んだのか?
確かに、私の文章はお世辞にも読み易いものではなかった。ならば、今度こそ簡明に書くとしよう、すなわち、「手紙はもう送ってくるな」と。
なぜあんなにも必要ないと言った報告をしてくる。ひょっとして君は、阿呆のふりをして私に嫌がらせをしているのではないか。一体私が何をしたというのだ。
なるほど、私のアドバイスが功を奏し、君と彼女は自然散策という共通の趣味を見つけたと。実に喜ばしいことだ。それを趣味と呼べるのかどうかは微妙だけれど、あんな助言でも役に立ったのなら幸いである。
しかし、何故二人のデートスポットにうろな町を選んだんだ。
もちろん、この街の自然が素晴らしいことは、私も保証するけれど、だからと言って私の部屋に一泊する覚悟までして来るとは予想していなかった。
しかし、軽い気持ちで誘ったのに、彼女が大分乗り気になってしまったから、と言って「いつでも泊めてくれる友人が、うろな町にはいる」なんて嘘を、よくもまあ言えたものだ。
当然断る、と言いたいところだが、今回だけは勘弁してやろう。一泊だけなら、私の部屋を使ってくれて構わない。なんだったら、とても美味しいお店を紹介してやっても良い。諸事情により私は店内には入れないが、入口までなら案内出来る。
そろそろ、この謎の好待遇に不安を覚えている頃であろうから、このあたりで種明かしをしてやろうか。
私は、君の初デートを祝うつもりなど、さらさらない。君が彼女まで連れてきて、私の勉強の邪魔をするというのなら、こちらもそれ相応の態度で接するだけのことだ。
まず、君たちが滞在する二日間、私は院部の相手を一切しない。
私という話し相手を失った院部が次に誰を標的にするか、賢しい君ならばすぐに分かるだろう。初々しい二人が、自称宇宙人の反吐が出るような自慢話に何時まで耐えられるか、私は楽しみにしているよ。
また、君たち二人が自然散策に出かける際には、私もガイドとしてついて行ってやろう。不慣れな街で迷ってしまったら、せっかくの初デートも台無しだろう。当然院部も連れて行くから、そのつもりで覚悟しておけ。私のもとにいるあいだは、二人きりになれると思うなよ。
夜は二人とも、私の部屋で寝てもらう。もちろん、押し入れには院部が備え付けてある。存分に異文化交流を楽しんでくれたまえ。
流石に二人分の布団くらいは用意しておいてやるから、そのあたりは心配するな。ただ、一つ忠告しておくが、ベランダの側は見ない方がいい。アシダカグモによるゴキブリ捕食ショーをぜひ見たいというのなら、止めはしないが。
この手紙は、君がうろな町に出発する前夜に届くよう、計算して投函した。
君が旅行用にまとめた荷物の前で、絶望に打ちひしがれた顔をしているのが見えるようだ。もちろん、今から電話をかけて、君との初デートに胸を躍らせているであろう彼女に、中止の旨を伝えてもらっても、一向に構わない。私に実害は一つもないのだから。だが、恐らく君は彼女を連れてうろな町に来るだろうと、私は踏んでいる。
明日からの二日間を、精々楽しみにしているよ。
早々。井筆菜 伸太郎。
友人へ。
この手紙を読んでいる頃、君は帰路の途中にいて、そして勝利者の笑みを浮かべているのだろう。七面倒臭い書き方はやめて、率直に言おう。
私の負けだ。完敗した。
昨日、久しぶりに会った君の口から「鷹音野 花菜」と彼女を紹介された時、私は外面こそ真摯に振舞っていたが、内心驚愕のあまり腰を抜かしていたのである。
一体君は、どうやって彼女と仲良くなったのか。学校のアイドルという、現実には決してありえないだろうと思われていた称号を、入学と同時に攫っていった、あの 鷹音野さんと!
高校時代、私と共にありとあらゆる行事をさぼり続け、阿呆な笑い声を上げていたあの頃の君の、一体どこに彼女を篭絡する時間があったというのだ。
私が分かりもしないのに物知り顔で文学的名作に手間取っている間に、君は自らの男振りをこっそりと上げていたとでも言うのか、全然男らしくない行為ではないか!
納得できない、と叫んでも、聞いてくれるのは君も目撃したあの自称宇宙人院部団蔵だけだ。以下の部分は、敗残者の無様な言い訳である。笑って読み流してくれ。
私は君にも負けたし、鷹音野さんにも負けた。
まさか、院部の下らない自慢話を真剣に受け止め、笑顔で会話出来る女性がこの世に存在するとは思わなかった。薄汚い四畳半の煎餅布団に寝かされても、本心からお礼を言う人間がいるなどとは、考えたこともなかった。このような高潔の人に対して、腐れ浪人生は、ただ俯いて負けを認めるばかりである。
もし君が鷹音野さんを困らせている、というような噂が私の耳に入ったら、たとえ時制の復習中だったとしても、たちまち君のもとに駆けつけて、針金のようなこの細腕でぶん殴ってやるから、覚悟しておけ。
情けない負け犬の、これが最後の遠吠えである。
私の受験が終わったら、またうろな町を訪れてくれると嬉しい。今度は、もっと色々なところを見せて回りたく思っている。
井筆菜 伸太郎。
追伸:院部のことなら心配はいらない。あいつは銭湯の浴場で一人暴れた挙句、誤って石鹸を飲み込んでしまっただけだ。決して私が喉にそれを突っ込んでやったわけではないし、今現在も、彼は無駄に元気である。