ファイア・クラッカア
商売人にとって物を売るという行為は、呼吸、睡眠、食事に並ぶ重要なものだということを、古道具屋を営む従兄弟から聞いたことがあるが、それは地球人も異星人も同じようで、ベテルギウス星系の小さな惑星の一つに、奇怪な植物を売る男がいた。
この植物というのがとにかく厄介なシロモノで、煮ても焼いても苦くて青臭くて食べられたものではない上に、煙からも煮汁からも洒落にならない量の毒が検出されるという具合で、当然商品にはなりえないものなのだが、しかしこいつを売らなければ生きてゆくことが出来ないので、うんうん呻吟している内に、彼はろくでもないアイディアを思いついた。
「この世には無限に平行世界があるという。もしそれを自由に移動できる装置があれば、私のいる世界でこの植物を買った阿呆と同じ人物で、しかしまだそれを買っていない奴を見つけて売りつけてしまえる。それをまた次の世界で、と繰り返せば、私はあっという間に億万長者になれるぞ」
世の阿呆の怖いところは、こういった思いつきを実行に移してしまうことにある。
かくして、その努力を植物の品種改良に費やせば億万長者になれたであろう年月の数倍もの時間が経ち、とうとう彼はその装置を完成させた。公衆トイレに無数のガラクタをくっつけたようなその装置は、稼働させることにより並行世界同士を繋げることが出来るというもので、早速商品である植物を山と抱えて、彼は意気揚々と可動スイッチを押した。
その途端、装置から別の平行世界の彼が次々と飛び出し、用途不明の道具を押し付けると、部屋の中にあった金目のものを持って再び装置から元の世界に帰っていった。
結局、彼に残されたのは、使用法の分からない無数の不用品の山と、装置を完成させるためにこさえた莫大な借金だけであった。
もう一度装置を動かして、今度は自分がこの植物を売りに行こうと思っても、電気代が払えないために必要な電力を供給することが出来無くなり、大量の不要品を抱えたまま、彼はその生涯を終えた。
「そのガラクタの一つが、この洗脳兵器カリキュラ・マシーンなのだよ」
院部はそう言って、私に工事用ヘルメットを小学生の文房具で飾り付けしたような物体を押し付けた。彼曰く、どんな生物でもこのヘルメットをかぶったが最後、付属のコントローラーで操られるがままになってしまうのだという。
私は無言でベランダまで出ると、山に向かってそれをフリスビーの如く放り投げた。窓の外を呆然と見つめる彼を尻目に、助動詞の識別を覚えるべく、私はさっさと机に向かう。
一体どこからそんなものを持ってくるのか、院部は時折訳の分からぬガラクタを部屋に持ち込んでは、限りなく胡散臭いその来歴と、眉唾物の効能を得意げに語りだし、私の勉強時間を容赦なく削り取ることがあった。
何時だったか、彼は小型電動自動耳掃除機なるものを深夜に持ってきて、その時は睡魔に勝てず、適当に相槌を打って布団に倒れこんだのだが、翌朝、耳に強烈な違和感を覚えて飛び起きれば、黒い針金のようなものが、のたうちまわりながら右耳に侵入しようとしているところであった。
私は絶叫してそいつを引き抜き、下の階から苦情が来るほどに踏みつけた後、不燃ごみの日に素知らぬ顔をしてその死骸を出した。
その日も院部は自慢の道具をおしゃかにされて、散歩を告げる十二時半のノックの音にも返事をせず、それでも不機嫌にパーカーを羽織る。
「一番重要な部分を捨てちまいなさって、コントローラーだけではなんにもならぬではないか」
「色々な意味で使えるか、洗脳兵器なんか」
「お馬鹿野郎めが、あれをかぶせてしまえば、少なくとも面接はバッチグーよ?」
「面接官は大抵二人組だぞ、あんなもん被った面接官なんぞ、目立って仕方ないわい」
阿呆なことを言っている間に、ノックの音が大きくなってきて、急いでドアを開けた院部を押しのけるようにして鸚屋千草はずかずかと部屋に入り込むと、隅に積んである脱ぎっぱなしの衣服を見て満足気に微笑み、
「相変わらず酷い生活態度ですね、いけませんよ」
「どうしたんです、わざわざ中まで入ってきて」
無視された院部がドアの脇ですねていることを言っても、彼女はそれに目もくれずに勉強机の近くまで歩み寄ると、伊勢物語のプリントにぺたんと手を置いて、勉学に励む私の手を強制的に止めた。
「七月六日に、あなたたちは何をしていましたか」
唐突にそう言われて、私は少々まごついた。一体どんな意図があるのかと束の間考え込んでいると、今ぞ発言の時と万年床に向かって院部が這って来る。
「忘れるものか。その日の朝、こやつは我がコレクションの中でも一等品であったリモコンコントローラーを葬り去ったのであります」
「あんな二度手間を絵に描いたような道具、何の役にも立たなかったじゃあないか」
文字通り、リモコンコントローラーとは、リモートコントローラーをコントロールする道具である。そもそもの作りが雑なのか、使い古しの電池を使っていたのが悪かったのか、とにかく電波の出が弱く、対象に密着させなければうんともすんとも言わない全くの不良品であった。
そもそも我が居城たる四畳半にリモコンを必要とする家電は二つしかないのである。その二つにしたって、部屋に備え付けのテレビはチューナーを買う資金が無いからビデオ視聴専用になっているし、エアコンの方は一切の手入れを怠っていたからか、動かす度に陰気な臭いが部屋に立ち込めるのだから、たまったものではない。
換気の為に窓を開けて灼熱地獄が如き暑気を部屋に招き入れるか、かび臭く凍える一室で不健康に咳をしながら机に向かうか、究極の二択の間に挟まれて、私はいつも不機嫌に唸っているのである。
「あんなに便利なものは無かったというのに、その価値も理解できぬホモ・サピエンスとは口を聞きたくもないと、その日は一日黙り込んでやったのですよ」
「ああ、そういえばそうだった。あの日ほど快適な一日は他に無かったぜ」
完全にヘソを曲げた院部は、私に対し国交断絶を宣言し、その日一日押入れの中にこもって無言の抗議をし続けたのである。
その日の私は、久方ぶりに充実した一日を送ることができた。夕方にコインランドリーの併設されている銭湯へ出向いた以外、一切アパートの敷地から出ることが無かったのである。
夜、布団に潜り込んでから、深い達成感に満たされて赤子のように心地良い眠りに就けたことを、私はいまだに覚えている。
もう一度絶交してくれないかと頼む私に騒ぎ立てる院部を、彼女は暫くの間呆れたように眺めていたが、やがて痺れを切らし、「そんな事はどうでも良いのです」と机を叩いた。
「お祭りがあったのですよ、そんなことも知らなかったのですかっ」
束の間我々二人は顔を見合わせて、また彼女に向き直ると「はあ」と頷いた。
これがまた彼女の気に食わなかったらしく、二時間半にも渡る説教の後に、とにかく、と彼女は小さい膝をたたくと、
「一人でお祭りに行った私は、ひどい物足りなさを感じたのです。催し物に積極的に参加しないその態度は、既に社会人失格なのです。今日の夜、アパートの前で花火をやるつもりですから、いいですか、必ず参加するんですよ」
彼女は立ち上がると、「では花火セットを買いに行ってきますから、これにて失礼」と言って、さっさと部屋をあとにしたのである。
院部はイベントに参加できることが嬉しくてたまらないようで、私に肩をぶつけると、
「やあ、ファイア・クラッカアとは、楽しみでなりませんぞ」
「悪いけど、僕は参加しないよ」
再び呆然と立ち尽くす彼をせに、私は問題集をぱらぱらとめくる。
その時の私には、どうしても終わらせてしまいたい題問が幾つかあって、そのすべてが終わる頃には、既に皆寝静まっているような時間になっているだろうと予想してたのである。
そのことを説明すると、院部はぷっと頬をふくらませた。
裸電球の灯りを受けててらてらと赤く光るそれが、熟れ過ぎた果実を思わせて、異様に気色が悪い。
「お前、それでは社会人になれぬと、さっき言われたではありませぬか」
「社会人よりもまず先に、大学生になりたいんだよ」
額の汗を拭って、単語帳を片手に、私は彼の顔も見ずに言った。
「なんと言われても、絶対に参加するものか」
ヒグラシがむせび泣く夕闇の中で、私は実に暗澹たる気分でポリバケツに水を汲んでいた。
不参加の旨を伝えた私に対し、彼女はしばらく絶句した後、買ってきたばかりの花火の袋を床に落として二○三号室に座り込み、
「分かりました。私も大家の娘です。個人の意思を尊重して、これ以上勉強の邪魔にならないように、花火は諦めます」
そう言って袋を胸に抱え去ってゆく彼女の背中に、私の心は大きく揺れ動いた。
けれども、少女の一夏の思い出と、来年以降の私の幸せとを天秤にかけて、それが前者に傾くほど、私はお人好しではない。
それでもなんだか忍びない思いで廊下に出た彼女を見送っていると、アパート住民共有の御不浄から帰ってきた院部が、目ざとく花火の袋を発見して、
「おお、準備は万端ですな、で、祭りは何時から?」
「ごめんなさい、今日の花火は中止になったのです」
そう口にした時の彼女の涙声に、私は耐えることができなかったのである。
「俺の大馬鹿野郎!」バケツを運びながら、私は自分を口汚く罵った。
「言語道断のロリコン野郎め、自害して果てろッ」
「そう自分を卑下するものではないさ」
点火用の蝋燭を空き缶に仕込みながら、永武さんは涼やかに笑う。
手際よく花火の準備を進める姿は、年の離れたいとこの世話を焼く好青年にしか見えない。
「さっきコスプレものの整理が終わってね、たまにはこういうことをして気分を変えるのもいいかな、と思って」
爽やかになびく髪の毛の下の脳に、一体どのような映像が流れているのだろうか。私はその考えを振り払って、乱暴にバケツを下ろした。
こぼれちゃうぜ、と注意して、彼は思い出したように、
「井筆菜君、毎週水曜日と金曜日の夜は空いてないかい」
「基本的に年中暇ですよ」
ちゃんと勉強したまえ、と笑って蝋燭を点火し、彼は立ち上がる。
「実は、その日の二時から四時までを開店時間にしようと思ってね、新規のお客さんを獲得するために、そろそろ宣伝もしたいし」
「大々的に宣伝するのは不味いんじゃあないですか、桃色調査団とか、世間体とか」
「なに、こういう商売には、それ専用の宣伝方法があるものでね」
こればっかりは流石に秘密だ、と彼は伸びをする。一挙手一投足が実に涼やかで、とてもいかがわしいビデオの貸与に携わっているとは思えない。
「あすには僕の秘宝館のことも、町中に広まっているだろう。もちろん、調査団や女性、子どもにはばれない形でね」
「そんな都合よく行きますかね」
「都市伝説みたいなものさ。興味のない人には聞こえもしない。だけど、知ってる人は知っている」
半信半疑のまま分かったような顔をしていると、院部が花火を抱えて走ってくるのが見えた。