表示調整
閉じる
挿絵表示切替ボタン
▼配色
▼行間
▼文字サイズ
▼メニューバー
×閉じる

ブックマークに追加しました

設定
0/400
設定を保存しました
エラーが発生しました
※文字以内
ブックマークを解除しました。

エラーが発生しました。

エラーの原因がわからない場合はヘルプセンターをご確認ください。

ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
21/30

残暑見舞いへ行こう

 その日、押入れに自生している茸を食べようとする院部と、巌流島の決闘に勝るとも劣らぬ死闘を繰り広げていた私の鼻先に千草が突きつけたものは、贈答用に梱包された菓子折りであった。

「ふむ、貢物とは殊勝な心がけ」と、にやついて手を伸ばした院部をすげなく撃退し、彼女は私にそれを持つように言う。

「これから、うろな工務店の皆さんのところに残暑見舞いをしに行くのです」

 お中元の間違いかもと思ったが、どうやら彼女の言う残暑見舞いとは、相手の家を直接訪ねることらしい。では何故私がかりだされるのかといえば、それはつまり、荷物もちとしてついて来いということだろう。

 普段ならば、駄菓子屋の前で親を困らせる憎々しい幼児のごとく、四畳半に寝転がり手足を突っぱって「やだいやだい」と騒ぎ立てるところであるが、その時は今朝行った過去問がろくに解けなかったこともあり、明日に迫った統一模試から合法的に逃れられるのならなんだってする、という気分になっていたので、院部に留守を命じると、一も二もなく彼女に従った。


 ○


 工務店の親方である前田さんという方の家への道すがら、菓子折りの予想外の重さによろめく私に、千草はコーポ鸚屋とうろな工務店との関係について、簡単に話して聞かせた。

「私が生まれる前から、コーポの水道とかガスとかを請け負ってくださった、大変ありがたいお宅なのです」

 その割に、私が越して来てからの交流がなかったようですが、と尋ねると、彼女は仏頂面のまま微笑むという高等技術を披露した。説教を始めようとする時によくやる、千草にしかできない表情である。

「それは伸太郎さんが、いつ誘っても「また今度にしてください」と言ったからですよ」

「そんなこと言いましたっけ」

「言いました。四月にご挨拶に行った時も、そう言って断ったじゃあないですか」

 あまり覚えていない。四月と言われて私の脳裏に蘇るのは、院部との「第一次四畳半内領地争奪戦争」のことばかりである。


 当時、まだうろな町に越して来て日の浅かった私には、院部との円滑なコミュニケーションを構築するために必要不可欠な「諦め」を――例えば、まともに言葉を交わすことへの諦めや、食費が実質二倍に増えるということへの諦めである――習得しておらず、私が賃借りした部屋に我が物顔で居座る自称宇宙人との関係は、従って劣悪を極めていた。

 ある日、彼が座布団の代わりに私の教科書を尻に敷いていたのを発見し、それを取り返そうと本の端を引っ張って院部を転倒させたことにより、ついに戦いの火蓋が切って落とされ、曙の薄明の下、アパート横の空き地にて竜虎相打つ、ということになったのである。

 けれども、悲しいかな、かたや運動もせず肉も食えず、その身体は骨と皮ばかりの腐れ浪人。こなた洗いたての便座のような不気味な白さと、骨が入っているかどうかも疑わしい程の細腕を振り回す謎の生物。

 殴り合いになっても、あまりの非力ゆえ互いにダメージを与えることができず、いつしか戦いは舌戦へとシフトチェンジし、精も根も尽き果てた私が、最後に放った「センスの無い太陽の塔みたいな顔しやがって」という言葉に、今生の希望を全て打ち砕かれた院部が、泣きながら押し入れに逃走するに至って、ついに「第一次四畳半内領地争奪戦争」はその幕を閉じたのである。

 満身創痍ながら辛くも勝利を掴み取った私を、二○三号室で待ち構えていたのは、早朝から騒ぎ立てる住民への怒りを燃やし、その瞳の下に黒々としたクマをこさえた千草であった。

「覚えてませんね」

 数ヶ月と経たずに勃発した第二第三の戦闘を、苦々しい思いで振り返りながらそう言うと、千草は露骨に不満げな顔をして私に向き直り、恒例の説教を始めようとする。


「おや、あれに見えるのは目的地ではないか」

 いつの間にか私の後ろにいた院部が、奇怪に首を伸ばして前方の家を指さした。

 つられて千草共々前に向き直ると、確かに表札には「前田」と書いてある。

 私と千草は無言の内に顔を見合わせ、同時に深く頷いた。菓子折りを千草に渡し、懐に丈夫な縄が用意してあることを確認して、私は院部に声をかける。

「さて、院部。これから我々が残暑見舞いに上がる邸宅には、肉体労働に従事する益荒男たちの集まる一代御殿だ。もちろん、肉体の鍛錬は精神修練にも繋がるというから、肉体を鍛え上げているが故に、彼らは温厚篤実な快男児であるわけだが、もし万が一にもその目前で礼節を書くような行動をとった場合、比喩表現でなく我々を殴り飛ばすことのできる筋力を彼らが有していることもまた動かしがたい事実である。お前が普段から豪語しているように、「完全無欠にして謹厳実直たる起動紳士」たる態度を常に心がけていれば、何一つ問題はないが、しかし不慮の災難はどのような計画にも必ず付き纏う。この世に絶対という言葉は絶対に存在し得ないのだ。「私は躓かぬ」と断言したペテロは、鶏が三度鳴く前にイエスを裏切り、「負けるはずがない」と叫び続けたローマ帝国は滅び、「まあどっかの滑り止めにゃ引っかかるだろ」とたかをくくっていた僕はかの如き有様だ。着たきり雀のパーカー姿は、お前という存在を印象づけるには役立つだろうが、フォーマルウェアかどうかと問われれば首を捻らざるを得まい。為に、お前の外見的評価を底上げするアクセサリを二つほどこちらで用意しておいたから、ちょっとこっちへ来い」

 申し訳程度の現実と誇大な妄想とを織り交ぜた私の忠告に、院部はものの見事に騙され、もともと青白い顔を一層死人のようにして私の後を付いて来る。


 目的の家から少し離れた、人気のない路地裏まで引っ張ってくると、彼に電信柱の隣に立つよう指示し、私は早速院部を縛り付け始めた。

「ふむ、何やらいつも居宅で行われているように、身動きの出来ぬよう縛り上げられているような気がするのだが」

 未だに私の妄言に惑わされている様子の院部の前に、縄の一端を持ってきて、私は再び口を開いた。

「僕の人生経験から言うと、他人から尊敬される人間というものは、常に自己を律することの出来るものだ。睡眠時間を律することができれば寝不足は解消し、不健康なクマ、未だに出来る吹き出物、偏頭痛なども掻き消え、己が顔からは地獄の死神が如き陰鬱な影が消え失せ、取って代わるのは野辺を吹き、梅の花を揺らす春風の如く爽やかな笑顔だ。たった一つの行動を律するだけで、これだけの効果があるのだから、自らの全てを律することのできる人間が、一体どれほどの好青年になるのか、想像するだに体が震える。そして、泥棒捕らえて縄を綯う、即ち、ようやく犯罪者を捕まえた官憲が、さてどのような厳罰を加えてやろうか、と思案しつつ彼の者を打擲するための縄を綯う、という言葉の意味が示す通り、縄というものは法を以て外道に罰を与える、つまり「律」の字の象徴である。だから、装飾品として己の手首足首に縄を結ぶということは、自らを律することができる、という意味の自己表現に他ならないのだ。これを装備しておけば、フロアーの視線を独り占めできること受け合いさ」

「ほほう、なんとも動気させてくれることをおっしゃりやがるではありませぬか。では、今まさに我が口へと貼り付けんとしているそのガムテープには、一体どのような効能が?」

「こっちは、アクセサリというよりは美容品だな。つまり、ガムテープに含まれる粘着成分が口を介して顔全体に行き渡り、ファウンデルワールス力によってコラーゲンと分子結合を起こし白血球をアンインストールすることによって発生するレゾンデートルがアクネ菌をアンビバレントすることによって顔面筋にドップラー効果を発生させ……結果、小顔になるんだ」

 既に口を塞がれた院部は、しかし嬉しげに頷いてみせた。どうやら納得できてしまったらしい。

 もちろん、私が彼に語った言葉は、全て議論の余地無き嘘っぱちである。縄は「律」を象徴しないし、手足を縛られた者は何らかの被害者もしくは変態であり、ガムテープは彼を小顔にするためのものではなく、黙らせるためのものである。とにかく、院部を前田家に参上させてはならない。それが、先程の千草との無言のやりとりではじき出された結論であった。

 千草の下へ戻り、再度顔を見合わせて頷いてから、菓子折りを握り直し、私は前田家の門を叩いた。


 ○


 交友関係の極端に狭い私がしばしば遭遇した気まずいものの一つに、友人の友人達との会話というものがある。

 鷹音野さんを篭絡しただけあって、私のほとんど唯一の友人である彼は付き合いが広く、他校生の友人も何人かいた。

 だからなのか、彼が私を遊びに誘うときには、大抵私の知らないメンバーが二、三人程含まれていて、根の暗い私はそういった微妙な人間関係を嫌がり、彼の誘いを蹴ることが多かった。

 けれども、何の予定もない日曜の午後は長い。

 夕方、休日の終わりを告げる某アニメのオープニングをつくねんと眺めていると、不意に「今日無為に浪費した時間を予習復習に使えば、少しは成績も上昇しただろうに」と、全く当然の事実にぶつかり、冗談でなく立ち上がれなくなるほどの虚脱感を覚えることも少なくなかったのである。

 だから時々は彼の誘いを受けて遊びに行く事もあったのだが、皆一緒にいる時はともかく、肝心要の彼が小用などで居なくなってしまうと、私は途方に暮れるしかなくなる。

 話すことがないのである。時として女性や留学生も交ざることのあった「友人の友人」達との共通点は、精々が哺乳網霊長目ヒト上科に属することくらいだ。

 私とて会話をしたくないわけではない。むしろ、どんな阿呆な話でも良いから談話に交ざりたいのだが、しかし殆んど面識のない人に向かって、いや例え旧来の知己であろうとも「いやあ、樹上生活をしてた頃は大変でしたね」などというわけには行かぬ。

 艱難辛苦の末、ようやく少しはまともな話題を考え出しても、「友人の友人」たちはそもそもが仲の良い人々の集まりであるから、既に楽しげに歓談している。いきおい私は部屋の隅で黙らざるを得ない。こうなると、虚脱の方がなんぼかマシかもしれない。


 前田家においても、私はそれに近い気まずさを味わっていた。

 なかに通されて早々、千草が葉子さんと呼んでいる婦人と、親しげに談笑し始めたのである。

 私は端の方の、邪魔にならない場所へ移動し、荷物を持ったままぼんやりと突っ立っていた。近くの窓から見える庭は、綺麗に整えられている。何故かテントが張ってあるのが気になったが、あるいは虫干し中なのかもしれない。

 そうやって、なんとなく周りを眺めていると、離れの方から誰かの足音がしてきた。

「あら、ユキさん。もう寝てなくていいの?」

「はい、大丈夫です……あのう、葉子さん、そちらの方々は?」

「タカさんが昔担当したお家のお孫さん。残暑見舞いにお菓子を持ってきてくれたんですって。千草ちゃん、こちらはユキさん。事情があって、少し前からうちで暮らしてるの」

 ユキさんと紹介された少女は、礼儀正しくちょこんと頭を下げた。私たち二人もつられて礼をしたが、二人共驚愕のあまり口が開きっぱなしだったので、あまり行儀良くは見えなかっただろう。


 私たちを驚かせたのは、彼女の髪の色である。豊かにたくわえられた御髪は、雪白とも白銀とも、どちらとも言えない、ある種この世ならざる輝きを放っていた。肌はあくまでも白く、雪膚とはこういう時に言うのか、と万人に納得させること請け合いの……。下手な修辞を重ねてしまったが、ともかく、彼女は美人という言葉さえ不釣合に思える程の美少女であった。

「あの、お爺ちゃんが昔お世話になりました、鸚屋千草と言います。こっちは付き添いの伸太郎さん。本日は残暑見舞いにやってまいりました。こちらの品をお納めください」

 先程紹介されたにもかかわらず、ぎこちない口調でそう言うと、千草は私を横目で促した。思いがけぬ人物の登場で、すっかり萎縮してしまったらしい。

 私は私で、変に力の入った体制でどうにか机の上に菓子折りを置くと、慌てて元の場所に後ろ歩きで戻る。出来損ないの人形劇のようである。

 葉子さんは柔和な笑みを浮かべて千草の頭を撫でると、

「ふふふ、よくできました」

 やめてください、と言いながらも、千草はきゃあきゃあと天真爛漫に笑い声を上げる。私や院部にはついぞ見せたことのない、無邪気な笑顔である。


 そうこうしているうちに、だんだんと人が集まってきた。住み込みであろう数人の偉丈夫が賑やかに現れ、千草に挨拶をすると菓子折りに手を伸ばす。

 それを低い声でたしなめるのは、家長らしき鳶服の男性である。赤銅色をした腕は山脈のようで、額に刻まれた皺の一つすら、非力な私には動かせそうにない。

「鸚屋さんとこの娘さんか、珍しいな、今日は爺ちゃんと一緒じゃあねえのか」

「はい、お爺ちゃんも前田さんに会いたがってたんですけど、何だか急用が入っちゃったみたいで。だから代わりに、一緒のアパートに住んでる伸太郎さんを連れてきたんです」

 一体何の代わりなのだか不明だが、不意にそう紹介されて、私は大いにへどもどした。挨拶の言葉らしきものをむにゃむにゃ唱え、目で千草に助けを求める。当然、彼女がそれを気に留めるはずもなく、何故か菓子折りの包装紙を解きながら、前田氏に笑顔を向ける。

「今日は水羊羹を持ってきたんです。ええっと、三十二個入りのが二箱なんですけど、全員分あるかなあ」

 化粧箱に入った水羊羹を前にして、千草は伏し目がちに呟く。

「工務店にいる人も、なんだか増えたみたいですし」

「大丈夫よ、増えたって言っても、ユキさんやベルちゃんたちを入れたって四人くらいだもの」

「ああ、もし足りなかったら、賀川のを充てがってやればいい」

「だ、だめですよ、そんなの!」

 仲の良い人のことなのか、分かりやすく慌てるユキさんの反応に、ほのぼのとした様子で皆が微笑む。実に心温まる光景である。夕食時、たった一本残った糸こんにゃくのために果てしない罵倒合戦を繰り広げる我が二○三号室の地獄絵図なんかとは、比べるのもおこがましい。

「あの、そのベルちゃんさんってどんな人なんですか?」

 まだ何か不安なのか、千草がそう尋ねると、葉子さんは人好きのする笑顔で答える。

「八月の終わり頃からここに泊まってる子でね、探し物で今はいないけど、そろそろ帰ってくると思うわ」


 話しているあいだにも、また何人か集まってきて、地元民である千草は殆んどの人と知り合いらしく、何度も挨拶を交わしているが、来る顔皆見知らぬ私は、ただ漫然と頭を下げ続けるばかりである。

 厳密に言えば、一人だけ見知った人もいた。商店街へもやしなどを買いに出た際、いつもコロッケ屋の前で見かける、甚兵衛姿の男性である。

 一瞬声をかけようか迷ったが、私は彼の名前を知らないし、彼はそもそも私の存在など意識したこともないだろう、そう考えて思いとどまった。孫娘らしい、千草と同じかそれより下くらいの少女が、腰元にぺたりとひっついているのをいたわっているのだろう、多少歩きづらそうにしている。

 水羊羹の前まで来ると、少女は彼の後ろに隠れたまま口を開いた。

「魚沼様は、水羊羹はお好きですか」

「嫌いじゃあないが、これは投げ槍のとこ宛てのもんだろう。俺がつまむ訳には……」

「別にそんなことは気にしねえよ」と前田氏がこぼすと、千草もそれに同意して「そうですよ」と鼻息を荒くする。

「皆さんで食べて頂ければ、それに越したことはないのです」

 そう言って、少女と目線が合うように、彼女は少し屈みこんだ。

「私、千草っていうの、あなたは北小の子?それとも南?」

 困ったような顔をして、彼女が魚沼氏の後ろに隠れてしまうのを見て私が笑うと、千草はきっと私を睨めつけた。私のよく知る表情である。


 そのうちに呼び鈴が鳴って、葉子さんは上機嫌で立ち上がると、千草に声をかけた。

「きっとベルちゃんたちよ、待っててね、今連れてくるから」

 彼女が玄関へ迎えに出ると、部屋の空気は一層和やかになった。ユキさんは嬉しさを抑えられない様子で、ふわふわと千草のそばまで来ると、

「ベル姉様って、とっても綺麗なんですよ。リズちゃんも凄く可愛らしくて……最初に会った時は、ちょっと粗相をしてしまいましたけど」

 話を聞いているのかいないのか、千草はぼうっとユキさんの顔に見惚れている。この分ならば、さっき彼女を笑ったことも忘れてくれるかもしれん、と情けないことを考えながら、増えてきた人たちの邪魔にならないよう、私は窓辺に身を寄せた。


 その瞬間、曰く言い難い不気味な何かを目の端に捉え、私は慄然とした。慌ててガラスに張り付き、見間違いであってくれと願いながら、先程それを見かけたテント近くを、必死に見回す。

 窓からは心地よい庭が見えるばかりである。けれども、不吉な予感に突き動かされるように、私はさらに執根深く辺りを注視した。不幸にして、それはすぐに見つかった。


 ○


 世にグロテスクなものを表現する言葉は無数にあれど、その時の院部の動きを的確に描写できるような言葉はおそらく存在しないだろう。

 奇怪、面妖、混沌、胡乱。どの修辞句も、その不快を超えて嘔吐すら催す程の厭悪を表すのに足りない。彼の姿を目にした瞬間、総身を無数の蛭が這い回るかの如く感じたと叙述しても、十分の一程も伝わりはしないのだ。

 このまま文学的完成を求め、院部の気色悪さを更に追求しようとも思ったのだが、私の粗末な表現力では一生かかってもそれを表しきれるものではないし、何よりこれ以上の深追いは、諸賢と私自身の精神的健康を著しく脅かす恐れがある。とにかく、院部は世にも不快な動きで前田邸の庭に侵入し、そしてそれを私は発見したのである。

 思わず妙な声を上げてしまったらしく、いつの間にか私は、部屋にいる全員から奇異の眼差しで見つめられていた。その場で前田氏の方に向き直り、院部の姿を体で隠すようにしながら、私は努めて紳士然とした態度を装う。

「いや、素敵なお庭ですね。実は僕、庭というものを鑑賞するのが趣味でして、別けてもこの庭は素晴らしい!色といい、形といい、味といい……」

「お庭に味なんてあるものですか」

 千草はあくまでも冷たい。

「いや、そこが庭の面白いところでして、味があるなんて言い方があるでしょう、あれですよ」

 完全に無茶苦茶である。けれども、ここで引くわけにはいかない。例え和やかな雰囲気をぶち壊し、「空気の読めない男」のレッテルを貼られたとしても、この人たちの目に院部の姿を晒してはならない。

 悲壮な決意を固めると、私はぐっと前田氏の顔を見上げた。

「とにかく至高のお庭ですので、少し入らせていただけないでしょうか」

「そりゃあ、別に構わねえが」

 その返答に、平身低頭したくなるほどの感謝を感じたが、本当に実行すると院部が顕になってしまう。

 やむを得ず、頭を上下にがくがく振りつつ、後ろ手に窓の鍵を開け、顔はあくまでも前を見据えながら、庭へと後ずさる。殆ど変態の所業である。

 尚も笑顔で後退し続けると、何かが足にぶつかった。左手にテントがあるから、恐らくは院部であろう。ゆっくりと呼吸を整えると、来るべき時に備える。


 チャンスはすぐにやってきた。ベル姉様なる人が、葉子さんに連れられて部屋に入ってきたのである。全員の注意がそちらに向けられた瞬間、足元の生暖かいものを引っつかみ、私はテントの後ろに飛び込んだ。


 院部の格好は散々たるものであった。一体どんな解き方をしたのか、電信柱に縛り付けておいたはずの縄は複雑に絡み合い、私が結んだ時よりも更にきつく彼を拘束している。

 口に貼り付けたガムテープは、どういうわけか位置がずれ、今では口と鼻の大部分をふさいでしまっている。なるほど、先程までの宇宙人が窒息しかけているような動きは、実際に宇宙人が窒息しかけていた為に引き起こされていたようである。

 いくら常日頃から彼を憎んで止まないとはいえ、私も殺人者になるつもりは無い。が、手足を拘束された上、呼吸器を完全に塞がれているこの被害者を見て、誰が過失致死だと思うだろうか。しかし開放した瞬間に大暴れされるのも困る。

 少しの間考えた末、私はしゃがんだまま院部に囁きかけた。

「いいか、今からガムテープを取ってやるけど、絶対に「助かった」とか「生き返る」とか言うんじゃあないぞ」

 院部は低く唸りつつうなずく。

「それから、縄を解いた後も、立ち上がったり跳ねたりするな、分かったな」

 今度も彼は恭順の意を示したので、私は彼の口に手を描け、なるべく音のしないように、素早くガムテープを引き剥がした。

「痛ってえッ」

 院部は大声でそう騒ぎ立てると、辺りを派手に転げまわった。

「さっきから全然小顔にならんし、口元はまるでガムテープを無理に引き剥がしたみたいに痛いし、貴様は極悪非道の大嘘つきだって世間に公表したい」

 相変わらず文法的に破綻した言葉を叫びながら転がり続ける彼を、しかし私は止めることができないでいた。

 後ろからしっかりと肩をつかまれていて、動けなかったのである。肩に伝わる力も、背後から伝わる怒気も、およそ小学生女子のものとは思えない。

「あのう、そちらの方もお知り合いなのでしょうか」

「おうとも、こいつらとは切っても切っても遣り切れない腐れ縁で結ばれております」

 体中縛られているというのに、院部が器用に立ち上がり、ふらふらと前田家に進入して行くのを横目で見て、私は気の遠くならんばかりに絶望を覚えた。

桜月りまさんの『うろな町の森に住んでみた、ちょっと緩い少女のお話』より

ユキさんと葉子さん、魚沼 鉄太さん、前田 鷹槍さんとうろな工務店の皆様を。

および朝陽 真夜さんの『悪魔で、天使ですから。inうろな町』より、

名前だけですがベル・イグニスさん、緋辺・A・エリザベスさん両名を、それぞれお借りしました。

何か不都合な点などございましたら、ご連絡ください。

評価をするにはログインしてください。
ブックマークに追加
ブックマーク機能を使うにはログインしてください。
― 新着の感想 ―
このエピソードに感想はまだ書かれていません。
感想一覧
+注意+

特に記載なき場合、掲載されている作品はすべてフィクションであり実在の人物・団体等とは一切関係ありません。
特に記載なき場合、掲載されている作品の著作権は作者にあります(一部作品除く)。
作者以外の方による作品の引用を超える無断転載は禁止しており、行った場合、著作権法の違反となります。

この作品はリンクフリーです。ご自由にリンク(紹介)してください。
この作品はスマートフォン対応です。スマートフォンかパソコンかを自動で判別し、適切なページを表示します。

↑ページトップへ