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不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
18/30

食い逃げ犯、死すべき

「天地開闢以来、とてつもない速度で人間は産み増えてきたわけだが、しかし一歩離れたところから見てみれば、やはりそれは不自然な進化であったと言わざるを得ない。やっぱ猿を元にしたのが不味かったのかなあ。俺もさ、あん時の会議では鳥派に票を入れたんだよ、でも結局猿になっちまった。なんかヤな予感はしてたんだよ、その結果がこれですよ。一応今まで絶滅せずに続いているけど、何処かぎすぎすしてる。やっぱ鳥にしときゃあよかったんだ。それをあの斎藤の奴がね、変なことを言ってさ……。

 大体俺あ、あいつが気に食わねえんだ。何だい、表だか裏だか分かんねえ顔面しやがって、そのくせいつも手鏡を持ち歩いて、暇さえありゃあ百面相をしてるんだからたまんねえや。野郎は格好良いと思ってるんだろうが、鼻の下を伸ばした時の顔なんか、猿そっくりだよ。猿、サル、さる。やっぱり鳥にしとけば良かったんだ。

 鳥はいいぞ。ストレスで育児放棄しちゃうチンパンジーなんかと違って、巣立ちまでちゃんと餌を与える。しかも口移しだ。今時どんなカップルでもやらんぜ、そんなプレイ。愛だね、そこには愛がある。愛は全てに勝る。ラブイズオーバー。やっぱ愛だよね。人類には愛が足りないんだよ。そうは思わないかね、君」




 おそらくその時、私はひどく不景気な顔をしていたに違いない。

 そろそろ日付も変わろうかという時刻に、ラーメン屋の屋台で見知らぬ男から、愛について滔々と語られたら、人間誰しもそんな顔になるはずである。

 八月二十五日。思えば、朝からツイてない一日であった。

 目覚めれば北枕だったことに始まり、うがいをしようと天井を見上げ、そこに張り付いていた節足動物に驚いてうがい薬ごと水を飲む、廊下に迷い込んできた黒猫と戯れている内に部屋中ノミだらけになる、それに気付いた院部がダンボール箱から小さな円柱を取り出し、炬燵の下に置いた途端、煙が噴出して部屋にいられなくなる。

 仕方なく千草と三人で外出すれば、時間つぶしに訪れたバザーで、些細なことから喧嘩を始めてしまい、結果衆人環視の中で正座する羽目になる。

 ざわめきの広がってゆく会場で、苦笑いを浮かべていた男性の顔が忘れられない。私たちを一瞥した後、彼がちょうど千草くらいの歳らしき少女と、実に親しげな様子で手を取り合い、雑踏の中に消えていったのを目撃し、説教の最中にも関わらず私は危うく慟哭しかけた。

 人生の勝ち組と負け組、という言葉が脳裏をよぎり、それを振り払うために強くかむりを降った私は、さらに厳しく叱られた。


 夕方、部屋に戻って換気と掃除を済まし、さて勉強だと机に向かうと、勉強道具が軒並み薬剤臭い。到底集中できず、こうなれば今日はもう夕食にしてやる、とカップ麺を手に取ったが、これも嫌な臭いがしてとても食べられたものではない。

 昼のことに腹を立てたのか、今日は千草も部屋を訪れる気配がなく、青汁から逃れられた、と喜ぶ院部を押し入れに蹴り込み、薬剤臭い歯ブラシで洗顔を済まして、薬剤臭い布団に潜り込んだのだが、空腹と不満のせいで仁王立ちになった腹をなだめすかしている間に、時間ばかりが無為に過ぎてゆく。

 やがて時計が二十三時を指した瞬間、私は奮然と立ち上がり、ストレスが高じて虎に変じたという詩人さながらに、夜の街へと飛び出した。




 怒りに任せて走り回った挙句、十分と経たずに燃料切れとなった私がたどり着いたのは、うろな西にある小さな公園であった。

 古くは屋台街であったという公園の、端の方から漂ってくる、えもいわれぬ芳香に、私はふらふらと引き寄せられた。


 屋台には、既に先客がいた。

 熱帯夜だというのにトレンチコートを羽織っているその男に、桃色調査委員会のことを思い出して、一瞬ひるんだが、私が注文をしている間にも、男はこちらに目もくれず、親の敵と言わんばかりにとんこつラーメンをすすり、瞬く間に完食した。横に重ねられた丼の数を見る限り、既に五、六杯は平らげているようである。

 その健啖ぶりに驚きながら、運ばれたラーメンをすすっていると、私よりも早く丼を空にした男が、次の一杯を受け取りながら、不意に口を開いた。

「随分遅かったじゃあないか、待ちくたびれたぜ」

 厚切りのチャーシューを味わっていた私は、ちらりと辺りを見回した。

 新しく客の来た様子もない。嫌な予感を飲み下そうとするように、私は慌ててスープを飲んだ。

「つれないな、無視しなくたっていいだろう」

 いつの間にか男がこちらを見つめていることに気付き、私はぎょっとして丼を持ったまま半身を引いた。そろそろ秋の虫が鳴いても良い頃のはずなのに、あたりは不自然なほど静かである。

 男は私の方に顔を向けたまま、微動だにしない。ただ、私が恐る恐るラーメンをすすった時に、「ああ」とか「おう」とかの声を漏らすだけである。なぜこんなことになったのだ、と私が頭を抱えていると、やがて男はゆっくりと微笑んで前に向き直り、唐突に喋りだした。

「天地開闢以来……」




 男の説教とも啓蒙とも取れない話を聞き流しながら、私は自問自答を繰り返していた。

 一体私が何をしたというのか。そりゃあもちろん、去年ろくに勉強せず、毎日のように阿呆なことばかりしていたせいで浪人になってしまった、という負い目はある。親の負担だって馬鹿にはなるまい。

 しかしだからこそ、このうろな町に越してきてからは、心を入れ替えて勉学に打ち込まんと努力を重ねてきたのだ。褒められこそしないものの、その努力は認められても良いはずである。

 それがどうだ。来る日も来る日も私の人間性を真っ向から否定するような説教ばかりをくらい、やることといえば同居する阿呆の尻拭いばかり。

 友人は早々に恋人を見つけ、十代最後の夏を恥ずかしげもなく謳歌しているというのに、僅かな心の安寧を求めて出奔した私を待ち受けていたのは、夏なのに厚着をしている不審者だけである。

 この格差は一体なんだ。なぜ私ばかりがこんな目に遭うのか。ひょっとして私の前世は、その名を口に出すのもはばかられるような大悪人だったとでも言うのか。その宿業の報いだとしても、このペナルティはきつすぎる。


 様々な怪しい感情が胸を突き、私は鬼の形相となって、親の敵と言わんばかりにラーメンをすすり始めた。

 こんな不審者の演説に付き合うつもりは毛頭ない。さっさと家に帰って布団に入り、今日のことは一切合切忘れてしまう。そのためには、とにかく早く完食するに限る。

 そう決意し、猛烈な勢いで箸を動かす私を、男は妖怪じみた笑顔で眺めている。

 これが麗しき妙齢のご婦人で、私の手元にあるのが彼女の手作り料理であれば、この熱烈な視線も気にならない、むしろもっと見てくださいと言いたくなるようなものを、と妄想を膨らましながら、私は残った麺を一気にかっ込んだ。


「だが、まぁ、君の苦労もそろそろ報われるべきだとは思わないかね、井筆菜伸太郎君」


 唐突に名前を呼ばれ、むせ返る私に、男は笑顔のまま水を差し出した。

「あんた、一体」

「しかし、なんだって院部団蔵はあんなに態度がでかいのかね、居候のくせに」

「なんで院部のことを」

 私はかろうじて言葉を絞り出した。

「名前まで知ってるのか」

「知ってるともさ。それだけじゃあない。君が大家さんに殴られたことも、卵を爆発させたことも、街で見かけた美人さんに見とれたこと、小学生相手に院部の正体をでっちあげたことだって知ってる」

「それは殆んど院部のせいで」

 反論しようとする私を押さえつけるように、男は言葉を続ける。

「大家からは嫌われ、その孫娘からはコケにされ、同居人はどうしようもない阿呆。そんな状況から抜け出したいとは思わないかね」

「何が言いたい」

 いつの間にか屋台から離れた街灯の下に立っていた男に、対峙するように私は立ち上がると、毅然と言葉を返した。

「簡単なことだ。院部も君も、もう少し街へ出たまえ」

「駄目だ、あいつを外に出すと、鸚屋さんに迷惑がかかる」

 膝から下が、ちょうど屋台の椅子に遮られて、男の側から見えなくなっていることに、私は感謝した。先程から足の震えが止まらないのである。こんなところをみられたら、毅然とした態度もへったくれもない。

「そう言うな、彼が有名になってくれれば、こちらも何かと便利なんだよ」

「駄目だ」

 なおも私が突っぱねると、男は不機嫌そうな顔をしたが、しばらく考え込むように下を向いて黙ると、やがて私の方に向き直り、奇妙に細い腕を左右に振った。

「まあいい、君たちの同居生活も、あと少しの辛抱だ。それまで頑張り給えよ、伸太郎君」

 そう言って振り返り、公園からさろうとする男に、私は渾身の勇気を振り絞って「待て」と叫ぶと、彼を追いかけようと椅子を飛び越えかけた。


「お客さん、お代」

 途端、むんずと肩を掴まれ、私は椅子に座らされた。慌てて一杯分の代金をカウンターに置くと、私は男の去った方へと体を向ける。

「足りないよ」

 今度は腕を捕まれ、さっきよりも乱暴に引き戻される。訳も分からず目を白黒させていると、店主はあの男によって積み重ねられた丼を顎で指した。

「合わせて九杯。ちゃんと払ってもらわないと困るんだよね」

「いや、僕はあの人とは無関係で」

「名前で呼ばれてたじゃあないか」

 確かに、彼は名前どころか、不毛に浪費されてきた私の生活までもを言い当てたのである。

 常識で考えれば、浪人生の無意味な私生活を、赤の他人が知りたがるとも思えない。なるほど店主から見れば、私と彼とは他人には見えまい。

「それは僕も不思議なんですけど、何故かあの人はこっちの名前も何もかも知ってるみたいで」

「お客さん、学生だろう」

「浪人です」と返すのも気が引けて、私は黙ったまま頷いた。

「わかるよ、俺も若い時には色々馬鹿をやったもんさ。なんて言えばいいのか、とにかく他の奴らと俺は違うんだ、選ばれてるんだっていう阿呆みたいな自信があってな。でも、どこがどう違うのかは全くわからない。その違う部分を探そうと、躍起になってたんだろうな。とにかく無茶をしたもんだよ」

 今日はよくよく説教と縁のある日だ、とひとり考えながら、私は適当に相槌を打つ。


「ところで、こうやって長年屋台やってると、年に一、二回は今日みたいなことがあるんだよ。大体は一人でやるんだけどよ、時にはあんたらみたいに団体でやるやつもいた。これがまた良くできてるんだ。向こうも必死だったからかもしんねえけど、そのへんの劇団がやるより、よっぽど真に迫っててよう」

 そう言って店主は乾いた笑い声を上げたが、私は愛想笑いを浮かべることもできなかった。彼の目に、絶対零度の焔を見たのである。

「お客さん、さっきの演技、なかなか良かったぜ。役どころはさしずめ、不法入国した友人を警察から庇う男ってところか、随分社会派じゃあねえか、いや面白かったよ。危うく逃げられるところだった」

 店主はぐいと顔を寄せた。鼻息のかかる様な距離で、私は真正面から彼の中に燃える焔に炙られた。

 食い逃げ犯、死すべき。

 彼の瞳は、それ以外のことを語らなかった。




 すっかり軽くなった財布を抱えて、二○三号室に戻ると、煮物の入った鍋を院部がつついていた。

「ようよう、なんだいその食い逃げの濡れ衣を着せられた挙句、ちゃんと全額支払ったのに中年のラーメン屋の親父に一発ぶん殴られたかの如き青あざと鼻血は」

「その辺で転んだ」

 思うところがあって、私は適当に嘘をついた。

「その煮物は?」

「ついさっき千草どのがやってきて、置き捨てて行きやがったのよ。奴さん、手前様がどこへ失踪したのかをやたらと聞きたがるので、意気揚々と夜の街に繰り出していったのだ、と伝えておいたので感謝したまえ」

 普段ならば彼をベランダから逆さ吊りにしてやってもまだ許せないような発言ではあったが、やはり私は適当に聞き流した。

 私がはむかってこないのを見て、院部は更に調子付き、ろくでもない発言を繰り返したが、しかし私はそれを無視して、箸を持ったまま目を閉じる。


 私に九杯分の代金を支払わせたあの男は何者なのか。

 目的は何だったのか。

 ただの不審者なのか、それともタカリの常習犯なのだろうか。

 ひょっとして、あのラーメン屋の店主もグルで、騙されていたのは私だったのだろうか。

 だがそれならば、なぜ私の名前を、私生活を、なにより院部のフルネームを知っていたのか。

 考え込むほどに、あの不気味な笑顔や、異様に細い手が瞼の裏に浮かび上がり、私はゆっくりと目を開いた。

 対面に座る自称宇宙人もまた、妖怪じみた笑顔を浮かべながら、奇妙に細い腕をひん曲げて、親の敵と言わんばかりに大根を食べていた。

YLさんの『"うろな町の教育を考える会" 業務日誌』より

名前は出ませんが、清水夫妻を。

稲葉孝太郎さんの『冬過ぎて、春来るらし』より

屋台ラーメン屋の親父さんをお借りしました。


何か不都合な点などございましたら、ご連絡ください。

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