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不法滞在宇宙人  作者: 出汁殻ニボシ
不法滞在宇宙人
15/30

【うろ夏の陣・8月15日】黄金色の雨

 戸を叩く音がした。明け方の頃である。

 ドアスコープから外を見ると、疲弊しきった院部がへたり込んでいた。ゆっくりと戸を開けると、彼は這うようにして私の足元を通り抜け、万年床に倒れこむ。

 湯飲みに水を注いでやると、重たげに起き上がり、貪るように飲んだ後、体中の空気を吐き出すかのように、深く息を吐く。

 そして私の目を見ると、一言、「おのれ、天狗仮面」とだけ呟いた。


 私が黙ったまま寝覚の水を飲んでいるうちに、怒りのエンジンが温まってきたらしく、四畳半の中心に立つと、院部は両手を天井に突き出して、再び「おのれ、天狗仮面!」と叫ぶ。

 私の経験から言えば、彼が何者かについて憤るとき、そのほぼ全ては、自業自得の一言で片付けられるものである。再度水を飲ませ、院部を落ち着かせてから、私は万年床に座り込んだ。

「それで、こんな時間まで外出して、一体何をやってたんだ」

「ええい、よくぞ聞いてくれた。昨晩の激闘から我が心の安息所たる粘菌の国までの愛の逃避行、このボロ屋にたどり着くまでにゃあ、命と命がかち合って、火花飛び散り汗もふき、その他の体液をも絞り出しての大騒動よ、長ぇ話ゆえ成り立ち一条は略しまして、まあ摘んで話せばすなわち早い話が要は言い換えるとですな」

 前置きばかりで、一向に話の始まる気配がない。

「長いのはわかったから、せめて最初だけでも話せ」

「ふむ、そもそもは四百万年前、二足歩行なんぞに毛深い手を伸ばした猿がおりまして」

 原初の話をされても困る。「阿呆、昨日の夜から話せよ」

「しかし、始まりの部分は説明ばかりで動きもなく、面白くはないが」

「言い訳に面白さなんか求めてない……話したくないなら、そこを飛ばして、中盤くらいの話をしてくれ」

「中頃はいわばメインディッシュ、こちらにしても今日は疲労の極致にあるがゆえ、手短に済ませとう思いますので、またいずれ……」

「面倒だな、お前……もういい、とどのつまりだけ話せ」

「貴君は活動写真の終わりだけを見て、それで感動できるのかね、大事なのか結果ではなく、過程であるのだぜ」

 このあまりに不毛な言葉のドッジボールに耐えかね、私が無言のまま捕縛用の縄跳びを持ち出すと、院部はようやくその夜の出来事を、ぽつぽつと語りだした。




 十四日夜半、首尾良く私を眠らせた院部は、コーポ鸚屋を出ると、早速カリキュラ・マシーンを被り、濃紫色の出っ張りをぐいと押し込んだ。

 途端、脳内に飛び交うのは無数の花々、歌う鳥、いつの日かに食べたオムライス、その他ふわふわとした幸せな何か。

 至福の渦中にうっとりと座り込むと、眼前に展開されるは、殆ど面識のない叔父から受け継いだ裏山を掘り返したら、先祖代々の隠し財産が見つかった、等の阿呆丸出しのサクセスストーリー。

 恍惚の螺旋にずぶずぶと沈み込み、院部の顔面はいよいよ締りのないものとなる。

西の山にヒーローとして出陣する、という当初の目的をほぼ忘れて、ただ足の赴くままに、彼は山へと入り込んでいった。


 そこから数時間の記憶は、あまり定かではないという。

 普段から霞がかったように薄ぼんやりとしている彼の脳内に、理由のない多幸感のフィルターがかかったのだから、これはまあ仕方あるまい。

「そういえば、か弱き婦女子を極めてヒロイックに助け出した気がする」とも嘯いていたが、こちらは幻覚の類として処理しても、何ら問題はないだろう。

 記憶がはっきりとしだしたのは、彼を愉悦の無限回廊へと導いていたカリキュラ・マシーンが、天狗風に吹き飛ばされてからである。


 太陽の燦然と輝く浜辺で、美女達と鬼ごっこに打ち興じる夢から覚めてみれば、頭上に輝くのは無慈悲な月、渺茫たる大海原は夢と消え失せ、美女達はごっこではなく本物の鬼へと変じている。

 こういう時、院部の切り替えは早い。速やかに自らの身の危険、ヒーローとして取るべき行動、魑魅魍魎への対処法などを計算し、はじき出された結論を三度検算する。この間わずか二秒程度の早業である。

 たどり着いた結果に従い、命がけの鬼ごっこを続けながら、院部は大音声を挙げた。

「やあやあ聞き給え天狗仮面配下の諸君、大総統たる我は今から戦略的撤退を行うが、後でどうにかするので、安心して鵜呑みにしたまへ、孔子曰く、待てばカイロの日和あり」

 誰一人として耳を傾ける者はいない。けれども、自らの英雄的行動に一人満足した彼は、音を立てたことによって更に増えた元美女達の毛深い腕をくぐり抜け、「危急存亡!」と叫びながら、山中深くへと潜ってゆく。




 もちろん、院部とてなんの考えもなしに先程の宣言を行なったわけではない。

「ふふん、今に見ていたまへ、カリキュラ・マシーンを取り戻したら、奴らなんぞ赤子の手を」

 引くだったかしらん、と考える間もなく、醜怪な手が伸びてきて、うら若き乙女のようにきゃあきゃあ騒ぎながら、院部は逃げ惑う。

 同居人に目の前で投げ捨てられる、という経験から学び、彼は自らの道具類に発信機を付けたのだという。手元の受信機を見れば、その所在はすぐにわかる。

 武器を手中に収め、戦線へ取って返し獅子奮迅の活躍を残した暁には、その英雄的偉業により、夢幻と消えた美女と海岸線を、現実のものとして蘇らせることも可能になるはずだ。

 ゆくゆくは銀河皇帝として内宇宙にその名を馳せ、ブラックホール生成爆弾を利用した次元間通行穴発生装置により上級次元宇宙ハイソサエティ・スペースへの進出も考えなくては。

 受信機から発せられた電子音で我に返ると、院部はあたりを伺った。

 いつの間にか妖怪たちは、彼の妄想と同じく雲散霧消し、周りには石塔がいくつも乱立している。中央付近に落ちていたカリキュラ・マシーンを拾い上げ、彼はしばし考え込んだ。




「つまり、敵性宇宙人達の陣中たる山奥に立つ意味深長な石塔が意味するものとは、おそらく何らかのすげえ恐ろしい兵器に違いあるまい、と我はそう考えたのでありける」

 中身を一息に飲み干して、乱暴に湯呑を置くと、急かされたかのように院部は話を続ける。

 先ほどから異様に目が泳いでいるので、このあたりの話は眉唾物である。どうせ後から必死に理由を考えたのだろうが、いくらなんでも石塔程度で戦局が大きく変わることはあるまい。阿呆め、とは思ったが、口には出さないことにした。

 ともかく、不穏な石塔に目をつけた院部は、それらを無力化すべく分解、再構築し、新たな作品を作り始めた。

 大小百八つの石片から成るそれは、かのダビデ像をも上回る肉感を湛えて、それでいてミロのヴィナスの如き耽美を内に秘めた、実に見事な作品であったという。

(実際の作品の美醜や虚実について、私は何も言おうとは思わない。失われた作品について、製作者はだいたいその出来を誇張するものである)

 目当ての石を見失う、くしゃみで倒壊しかけるなどの困難を乗り越え、ついに残り一つとなった石を握り締め、院部は木々の精気を吸収するように、大きく息を吸った。心を湖の水面の如く平穏に保ち、ゆっくりと最後の石片を上部へと置く。

 その時、不意に木々がざわついて、はてな、と思う間もなく、目の前の作品が傾き出す。

 慌てて支えようと足を踏み出した途端、尻のあたりがむず痒くなって、いつの間にか院部は宙に放り出されていた。

 唐突に吹き荒れ、現代芸術の結晶たる『Tower of 院部 』 に崩壊をもたらした正体不明のこの風に、しかし院部は覚えがあった。頭が忘れても、尻がこの感覚を覚えている。

「乱心したか、天狗仮面、自らが活躍できなかった腹いせに、天狗風を吹かすとは!」

 嵐に吹かれ、枯葉のように宙を舞う院部が最後に見たものは、山嵐に揺さぶられる西の森であり、上空に悠然と構える天狗仮面の影であり、そして路傍の石ころも同然に散ってゆく己の芸術であった。




「幸い、顔面から軟着陸には成功したが、しかし我が心血を注ぎ込んだ力作は塵と消え失せたし、無用の怪我はするし、もうヒーローなんて懲り懲りでございます」

 全てを語り終え、ごろりと横になると、院部は大きなあくびを一つして目を閉じた。私が無言の内に傍へたっても、一向に気付かない。

「それなりに長い話だったが、お前の話を鵜呑みにしてまとめると、戦線をいたずらに混乱させ、一人で逃げ回った挙句、無責任な捨て台詞を吐いて安全地帯らしきところへ駆け込み、味方の奮闘を尻目に石遊びに興じていたと、つまりそういうことだな?」

 不穏な空気をいち早く察知し、うなぎのようにのたくる彼の首根っこを掴んで、目線の高さまで持ち上げる。

「もちろん、僕はお前の言う『人妖入り乱れし大闘争』をこの目で見たわけではないし、正直なところ、今までの話はすべてお前の妄想に過ぎない、と考えている。従って、山中でのお前の行動について、僕は何も言わない」

 論調が思いの外穏やかであったのに安心したのか、院部はにやにやと笑い出した。私もそれに微笑を返すと、言葉を続ける。

「しかし、昨晩山へと出かけるため、兵器を用いて僕を眠らせ、貴重な勉強時間をまたしても削り取ったのは紛れもない事実だ。覚悟は出来ているだろうな」




 すっかり日が昇ってから降り出した雨は、雲間から時折差し込む陽光によって黄金色に色付き、彼の言うことを信じるのならば、昨夜の戦に疲弊した西の山を癒すように、昼頃になった今でも、しとしと降り続いている。

 いつものように戸をたたいて、四畳半に足を踏み入れた千草は、押し入れの前に横たわる院部を見つけ、しばし絶句した後、おずおずと私に声をかけた。

「一体、院部さんに何があったんですか」

 口にゆで卵を突っ込まれたまま気絶している彼の横で、単語帳を睨みながら、私は答えた。

「昨晩、色々あったそうですよ」

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