二○三号室宛の玉簡
拝啓、孤独な友へ。
やあ、性懲りもなく僕である。
緊急事態である。
彼女への誕生日プレゼントが思いつかないのである。
こういうことを書くと、君はまた幸せの押し売りだとか言って、八月の最中のくそ暑い日差しの中でゆでダコみたいになって熱中症になりかけるのだろうから、まずは落ち着いて、一杯水でも飲めよ。
無論、僕だって大いに悩んだ。冗談ではなく、前回の君以上に悩んだとも。悩みすぎて鼻血を噴出するという経験が、君にはあるか?
ガイダンスを寝て過ごし、シラバスをよく読まずに「カッコいい」という理由だけで第二外国語に選んだラテン語の授業でだって、こんなに悩んだことはなかった。
そういう訳で、なるべく早めに返信してくれたまえ。
くれぐれも他人に相談したりするなよ。最も、今現在あまり他人に自らの状況を詳らかにしたくない君のことだから、個人情報の取り扱いには重々気を付けていることだろうが、人と人との繋がりは分からないものだし、何処からか漏れ出して、土倉あたりの耳に入ったりしたら、目も当てられない。
部の後輩という立場でありながら、いやむしろ、その地位を悪用して、徹底的に僕を軽蔑し続けた彼女のことを、僕は今だって許しちゃいないんだぜ。
ノーモア土倉!
色よい返事を期待している。悩める友より。
おじいちゃんとお出かけするので、本日の院部さんのお世話は、お一人でお願いします。
郵便箱に青汁の袋を三食分入れておいたので、ちゃんと飲んでください。
鸚屋 千草
先輩へ。
卒業して以来数ヶ月ぶりの連絡だとか、そういう事柄よりも先に、まず言っておきたいことがあります。
ごめんなさい。先輩とは付き合えません。
こういうことを書くと、先輩はまた自意識過剰の早合点などと言って、八月の酷暑のもとで茹で蛸のようになって熱中症になりかけるのでしょうから、まずは気を静めて、お水でも飲んでください。
思えば高校の頃から、先輩は私が騒ぎたてる度に、自意識過剰だとたしなめて、私自身思うところもあり、その言葉に従っていたりしましたが、しかし今回のこれは、勘違いされても仕方のないようなものだと思います。だって、初っ端からひどいんですもの。
「拝啓」のあとに近況報告が続くのはわかりますが、それが十行二十行と綴られるのはいただけません。
何が悲しくて、十代最後の夏を虚しく過ごす男の、顔を背けたくなるほどに生活臭のこびりついた手記を読まなくちゃならないんですか。
「土曜日に忘れた水泳袋を、月曜日の教室で開いた時のような臭い」とか、嫌な具体例を所狭しと羅列するのは勘弁してください。例えそれが、抜群に分かりやすいものだとしても。
ようやく近状が終わったと思ったら、お次は歯の浮くようなお世辞が目白押しで、いよいよ辟易させられます。
先程までの、生々しく精緻な描写は影を潜めて、書面を埋めるのは白々しいおべんちゃらばかり。肌の色の白いのを言おうとして、「ゆで卵に目鼻をつけたよう」とおっしゃられても、言わんとするところは分かりますが、いまいち素直に喜べません。
何を言いたいのかサッパリわからないまま読み進めてゆくと、終わりの方でようやく「女性は誕生日プレゼントに何を貰えば喜ぶのか」ということが、かろうじて読み取れなくもないような可能性が無きにしも非ずという程の、儚い質問のようななにかが書いてあって、それを訊きたいが為の照れ隠しだとわかってしまうと、いままでのお世辞までもが何だか浅ましく思われて、読み終えたあと、気がつくと私はハサミを握りしめていた程です。
無礼を覚悟で私がこのような辛辣な物言いをするのは、ひとえにこの質問の馬鹿馬鹿しさにあるのです。
何故私に恋愛ごとの相談を持ちかけるのですか。
在学中に再三申し上げたように、恐らくは今も治ってはいないでしょう先輩の年上好きという病気と同じく、私が男子小学生を目の前にすると興奮を禁じえない程の偏狭的な年下好きであることを、もうお忘れになったのですか。
今現在は実家に帰省していて、盆地特有のうだるような暑気の中でこの手紙をしたためているのですが、そのさなかに、昔から親しくしている烏羽色の髪とくりくりした目のどことなく猫に似た雰囲気漂う十二歳の男の子が訪ねてきてしばらく歓談しているうちにその子が私と同じ学校に行きたがっていることが分かりまあ中高一貫校だからねと思いながら理由を訊くとあなた彼は伏し目がちになって消えてしまいそうな声で「土倉さんと一緒がいいから」なんてことをいうものですから表情こそ菩薩の如き慈愛の笑みを浮かべてまあ嬉しいなんてなんでもないようなふうに言ったけれど内心は歓喜興奮狂喜の嵐が疾風怒濤と吹き荒ぶ中を正気を失わないよう必死こいて身悶えしていた変態に恋愛相談なんて務まるはずがないじゃあないですか。
興奮のために滅茶な書き方になってしまいましたが、とにかくそういう訳で、花を贈るとかありきたりなことしか思いつかない私では、到底貢献できそうにありません。
ただ一つ、私自身あんまりにも臭くて耐え切れないようなことを敢えて書かせていただくのならば、例え持っているだけで続々と不幸が舞い込んできそうな禍々しい外見の人形でも、思い人が心を込めて選んだものならば、私は笑顔で受け取ることができましょう。
私の愚案が、少しでも先輩のお役に立てば光栄です。
幸せすぎて故郷から帰りたくない阿呆な後輩より。
PS:今の大変な時期を選んで態々恋人を作るほど色に溺れているはずもなく、また自分には変に厳しいくせに、妙に他人に甘い先輩のことですから、恐らくはこの相談も、先輩本人のお悩みから出たものではないのでしょう。
本当は誰が悩んでいるのか、大体分かっているつもりですから、その方にも追って手紙を送るつもりです。
もちろん先輩にも、それから鷹音野先輩にもご迷惑のかからない形でからかうつもりですので、その辺りはご安心ください。
置き手紙という形で失礼する。
先日は桃色調査委員会の尖兵を退けてくれてありがとう。改めてお礼を言う。
さて、今さっきその彼らから連絡があった。なんでも、尊き先人たちの資料を収集する者として、話し合いたいことがあるらしい。
そのために桃色調査委員会の本部まで出かけてしまうので、井筆菜君には三日ほど、留守番を頼みたい。いつものように、鍵は植木鉢の下に置いておく。ビデオも好きなだけ視てもらって構わない。
毎度毎度、変なことを頼んでしまって、申し訳ないけれど、よろしく頼む。
帰ったら千草ちゃんや院部くんも誘って、何処か食べに行こうと思っている。
楽しみに待っていてくれ。
永武
拝啓、恋愛上手な友人へ。
やあ、当然僕である。
大成功である。
君から「誕生花でも調べて渡しちまえよコノヤロウ」という手紙が来た時には、僕も「そんなシンプルなものでいいのかよコノヤロウ」と思ったものだが、前回も君の助言に従ったことで、バラ色の人生への第一歩を踏み出すことができたのだし、何より他に案もないから、玉砕の覚悟で渡したら、笑顔で受け取ってくれたよコノヤロウ。
誕生日当日には実家に帰ってしまうとのことで、少々前倒しのお祝いになってしまったのだけれど、輝かんばかりの彼女の笑顔を見ると、生命、宇宙、その他諸々についての究極の疑問など、何もかもがどうでも良くなってくる。
誕生花たる二メートル超えのヒマワリを家の中に運び入れるのに大変な苦労をしたが、それも含めて良い誕生日の思い出になったと彼女が言った以上、僕の方に何の文句があろうか。
ありがとう、という言葉だけでは表せないほどに感謝している。
だから、同封した僕たちのツーショット写真でも見て、その笑顔から感謝の気持ちを受け取ってくれたまへ。
追伸:まさかとは思うが、土倉にはこのことを相談していないだろうな。
ついさっき彼女から「プレゼントは自分で考えるものです」とだけ書かれた手紙が届いてから、体の震えが止まらない。
なんとかこの厄介な後輩から逃げ切らなければ、最悪、鷹音野さんにも被害が及ぶかもやしれぬ。
今一度知恵を貸してくれ。
早急な返信を乞う。