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◆
首都ハロレイ。
多くの人達が住む中流市民が住む住宅街とあぶれ者が住むスラム街が半分ほどを占め、ごく少数のはずの特権階級がもう半分を占領している街である。
貧富の差が歴然と存在する、まあよく人間の作る社会である。
「人間ってのはどこ言っても似たような事しかしないのなー」
「主人が『人間』がいない場所に行かないのが悪いんじゃないですか」
「あんまり違いすぎても面白くないだろ」
などと会話しているのはエスティとソォだった。
場所はスラム街から少しばかり離れた中流市民の生活区域でもある通りだった。スラム街なんかに比べればよっぽどまっとうな雰囲気の町並みである。
その通りに面する屋外で食事ができる飲食店。そこにあるいくつかのテーブルのひとつにエスティは座ってぼんやりと通りを行く人々を眺めている。ソォは彼のすぐ横をフワフワと羽も使わずに浮遊している。
「で、ソォ。どうだった?」
ぼそりと言う。
その気になればエスティとソォは空気振動による音声会話以外の方法でも意思の伝達はできる。が、エスティとしてはそんなことをわざわざする気分にはならない。
「無理ですね。やるならもっと取っ掛かりが必要です。実際に使用された道具や凶器でもあったら辿りやすいんですけどね」
「―――ははぁ。ってことはやっぱり協力して貰うしかないか」
「そうなりますね」
彼らの姿は決して人目に引かないものではない。はっきり言って目立つ。
エスティはまだ単に珍しい特徴を持った人種というだけだが、ソォはアウトだ。すでに目立つとか目立たないとの基準に当てはまらない。そもそも喋る獣なんてこの世界にだってそんなにいないのだ。しかもその上に人通りは少なくない。
………しかし誰も、まるで彼らを気にしない。
まるっきり周囲に溶け込んでいる、という感じ。
―――そりゃそうだ。ソォが印象迷彩をかけているからな。
印象迷彩。イメージスクランブル。
人や高等生物の『ある対象への認識』に干渉して操作する力だ。ようするにこれを使えばどんな人でも極端に影が薄くなるのだ。
例えば、明らかに異邦人である少年の外見とか羽の生えた喋る白蛇なんかがまったく気にならなかったりする、そういう結果を作り上げる事が出来る。
その程度で大して強い力でもない。出力を引き上げれば初対面の相手に無理やり好意を持たせたり一目惚れ状態にさせたりもできる程度の能力だ。―――断っておくとエスティもソォもそんな使い方をしたことは今のところ、一度もない。せいぜい目立たないようにするくらいである。
「主人。ここにはどれくらいの期間、滞在するつもりなのですか?」
「んー。一週間くらいか。もっと西のほうも見に行きたいし」
「それはただ移動するだけでしょう」
「ソォさー。まだここに渡って一月も経ってないんだぞ?最低でも三月はいるさ」
「………好きにしてください」
「言われるまでもない」
諦めたようにぼやくソォに、エスティはニッと笑って言う。
それからエスティはテーブルの料理を思い出して口にする。不味い不味い、と食事をパクパク食べる。どうもこの料理は舌に合わない。
―――やっぱり味覚の価値基準も場所によって違うなぁ。
内心で苦笑する。まあ、それも一興ではある。
自分以外の全てのものは自分とは違っている。その違いをわざわざ指摘したり拒絶するよりも『それも面白い』と納得したほうが楽しめるというものだ。
………エスティにとって、この世界は豊潤だった。
なぜならこの世界には魔導なんて魔法じみた技術がある。死後には魂さえも発生し冥府とでもいうべき『在処』さえあるし、全知全能というわけではないけれど神様もいる。
もともと彼がいた世界に、魔法はない。魂はない。神はいない。それらに付随する現象もない。
ただただ圧倒的なまでに現実があっただけだった。それをつまらないとは思わなかったけれど、それでも今の状況に比べれば退屈だと判断しても間違いはあるまい。
そんな事を考えながらエスティが、もはやさして必要でもない栄養を補給していると。
「やほー。エスティじゃない」
「うーす。サナリエか」
軽い足取りでこちらへやって来たのはサナリエだった。どうやらこの辺りも彼女の行動範囲に含まれているらしい。ああ、それよりも。
―――やっぱ、視えているんだなー。
印象迷彩が効いていない。
この世界の住人は魔力なる力を手足の延長のように扱える。その魔力は魔導書式などの手順を踏まえなければ通常は方向性のない生命力として肉体能力を無意識で補助し、強化する。
つまりは魔導の知識がなくても魔力さえたくさんあれば、無意識で力が強くなったり目がよくなったり、………隠されているものが見えるようになる、と言う事だ。
―――ソォは『サナリエさんには相当な潜在能力があるようですね』とか何とか言っていた。きっとそれが原因だろうな、俺たちがきちんと見えるのは。
あまり都合のいいことではないけれど、それもまた愉快。
「エスティってこういうところによく来るの?」
「あんまりこないなー。今日はなんとなくの気まぐれ。そっちは?」
「なんとなーく、ぶらぶらと。―――エスティと同じで無目的よ」
お互いヒマねぇ、などと嘯いてみせるサナリエ。
そんなサナリエを視界の端に捉えながら、エスティは面白そうに辺りを眺める。
「なあ。この辺りってスラム街に比べると治安がいいのか?」
「ん〜。トントンってところかしらね。あんまり変わんない。でも、さすがにスラムに比べると断然に小奇麗よ。このあたりは」
「治安がたいして変わらない、ね。この国って王政だよな」
「そそ。元虐殺の英雄っていう曰くつきの暴君様よ。―――知らずに来たの、エスティ?」
「それなりに知ってはいるんだけどな。―――治安が悪いのって王様のせいか」
「そーねえ」
聞かれて、オウサマオウサマ、と呪文みたいに口の中で呟いて思い出そうとするサナリエ。
「うぅーん。どっちかと言うとその下の貴族のせいね。その王様ってなにに使うのか知らないけどお金を貴族から巻き上げてんのよ。まあ、平民から搾り取るよりはずっと手に入るからでしょうけど。―――で、そのとられた分をどうにかしようとして貴族がその代わりに市民からお金をこってり絞ろうとするのよね」
つまり市民→貴族→王、という金の流れである。ちなみに強制。
「あー、王サマが原因だけど。直接やっているわけじゃない、と?―――ふーん?その王サマって何に使っているんだろうね、そのお金」
「あたしが知っているわけないじゃない。噂じゃ、道楽に使い潰しているだとか他国を攻めるための軍資金だとか言われているけど。誰も知らないわ」
ふーん。なるほど。
「で、それでいいのか市民連中は。よく分かりもしない用途の為に汗水たらして手に入れた稼ぎを奪われて。俺の知っている歴史じゃそんなときは革命するなり何なりするだろ?」
「これが無理なのよねー」
あはは、とどーでもよさそうに笑うサナリエ。国なんて知りませんって言う口調。ついでに無理な事はまったくやる気は割りませんと言う調子でもあった。
「だって強いんだもん。その王さま」
「へぇぇ?どれくらい?」
エスティがそう尋ねるとサナリエは遠くを指差す。その指先を辿るとずぅっ遠くに大きな建造物が見える。王城だった。
「なんでも城の警備なんかもほっとんどいないらしいわよ。侵入者なんかが無断で入ると王様の手で直々に殺されるんだって。生きて帰ってこれたのもあんまりいない」
「あんまり、と言う所が微妙に本当っぽいな」
「それにね――――」
………サナリエは知っている限りの王の話をした。
この国は五つほどの小国が一つに結合して作られた国だ。
一つにまとまる前は紛争が絶えない紛争地帯だった。今以上にひどい有様だったらしい。五つの小国は互いに同盟したり騙し合いをしたり、戦闘を吹っかけたり、末端の兵士の復讐で意味もなく無関係な村が焼かれて犠牲者を出したりするような状態。まさしく阿鼻叫喚。
そんな死があふれる、どこへ行っても戦場ばかりという時代。そんな時代にアルコスという少年は現れた。当時は一人の兵士だったと言う。
なんの魔導知識も持たずただ小金の為に兵士になるしかなかった、貧しい少年兵アルコス。あからさまに数合わせの消耗品としての兵士だった。
戦場で真戦力である『騎士』の為のただの捨て駒として使い潰されるはずだった彼は、彼を消耗品としようとした雇い主たちにとって意外な活躍を見せた。
囮として参戦した、帰れるはずもない戦場から、彼は独り帰還したのだ。
―――戦場の敵兵を一人残らず皆殺しにして。
上層部は狂喜したと言う。何せただ同然で拾った兵士がそこらの騎士を凌ぐ能力を持っていたのだ。………使える駒はいくらでも使う。
アルコスは殺した。どんな戦場へ送られても敵兵のほとんどを倒してしまうのだ。彼がいる戦場で行われたのは戦闘ではなく虐殺だったと言う。
ある時は立った一小隊を率いてで拠点を防衛し、ある時は少人数で砦を奪還し、ある時はたった独りで戦場にいた軍隊を殲滅した。
ここまで来ると、彼は英雄と呼ばれるようになった。敵を皆殺しにする虐殺の英雄だ、と。
敵となった者たちは彼のことを『怪物』と恐怖し、味方たちは彼を『英雄』と畏れた。
「なんでも七十人近い騎士団だってたった独りで打ち破ったと言う話よ」
「騎士、ねー。騎士って、あの甲冑を着た、アレ?」
ソォが小さな声でエスティに耳打ちする。
「………主人、ここで言う騎士とは、ここの主要技術……『魔導』で強化された人間のことです。国の威信をかけて錬成(製造)される彼らは、言うなれば国の生きた最終兵器です。平均して戦果は一般兵とでは一体千。つまり、より多くの優秀な騎士を擁していればどんな小国でも大国に勝てるという理屈です」
「それを七十人か。話半分でも三十人以上。―――デタラメだな」
虐殺ばかりしていた彼はある時から転換を見せる。
当時、アルコスに命令を与えていた上層部たちは彼の力を恐れて彼の「使用」を極端に抑えていたはずなのに、命令されてもいないはずなのに彼は戦いを始めたのだ。
たった独りで。
しかし、紛争をしていた五つの全ての小国は長い戦争で疲弊していた。それがどれくらい疲弊していたかと言うと、唐突に思い立ったアルコスがたった一人で国を落としてしまえるほどに。いずれの国もひどく疲れきっていて、そしてアルコスは強すぎた。
彼は三日で五つ国のうちの四つを占領し、降伏させた。何故か、その戦闘では死者はただの一人もいなかったと言う。その頃にはアルコスの強さは伝説的に広まっていて誰も刃向かおうとはしなかったおかげだろう。
そしてその次には自国まで占領し、降伏させたのだ。
こうして、たった独りの手によって五つあった国は一つになった。
虐殺の英雄は、最終的に無血でもって王となった。
「最初は皆も喜んだって話だけどね。戦争しなくてすむようになったんだから、当然だとは思うけど。だって、もともとその紛争ってそれぞれの国の運営を握ってた一部の人間だけの思惑と偏見が原因だっただけで、どの国民も殺し合いなんてしたくなかったんだから」
「利権と偏見による紛争ですか。―――典型的な民族紛争ですね」
ふむ、とソォは頷く。
「王の政治は善政だったけど、それは最初の一年くらいだけだった。それからここ十年くらいは政治にも無関心で、さっき言ったように貴族連中から金を巻き上げるだけで何もしない。君臨するが統治せず、と言う感じかしらね。―――だから王が無関心なのをいいことに貴族たちが好き勝手にし始めた」
自分の領地で好きに条約を作っては合法的に横暴したり、倫理に叛くような行為を嬉々としてやる貴族もいる始末。
「横暴と言うよりは、理不尽に民を虐げていんのよ。―――娯楽として」
「いい趣味だな。その連中」
「全くですね」
はは、とエスティとソォが皮肉そうに言う。どこか仕草が似通っていた。
サナリエも同意見だ。下らない連中なんてどこにでも現れるものだ。
エスティとサナリエは市民街からスラムへと歩いていく。
エスティの仮住まいへ行こう、という話の流れになったのである。サナリエのお菓子目当てがバレバレだったが、エスティは何も言わない。
―――まあ、いいけどな。
半年くらい前からエスティにとって様々なものが変わっている。今ではいろんな上限なんかも壊れて久しい。食料だって飢餓の国を三日は救える程度は保有している。
「ねー。そういえばソォってなんでエスティの事を『主人』なんて呼んでいるの?」
「あー……。強いて言うなら皮肉の類だ。なぁ?」
「さぁ?知りませんね」
つい、とそっぽを向くソォ。
可愛いヤツだ、と思ってくっくっと笑ってしまうエスティ。
ソォは『主人』などとエスティを呼ぶが、立場は対等。………と言うか、むしろソォのほうが上なくらいだ。なのにソォは自らエスティのことを『主人』と呼ぶ。
正確にはソォのことについては皮肉と言うよりは意地に近いかもしれない。下手に存在意義なんて手にして生まれたのが原因だろう。
答えが出ないと悟ったサナリエは、さらに話題を変える。
「あ、そーだ。ねぇ、エスティ――――」
と、サナリエが何かを言いかけたその時だった。
どこかから悲鳴が響いた。
悲鳴。破壊音。
「ん、何かしら?」
「なぁんか事件が起きているみたいだぜ、―――行ってみるか」
くっくっ、と笑みの表情になってエスティは駆け出した。「好きにして下さい」と諦めたようにソォが呟き、それに付き従う。
「あ、ちょっと!」
「嫌ならサナリエは来なくてもいいぞ。先に俺の仮住まいにでも行っていてくれ」
遠くから言いながら速度を緩めもしないし、その動きに迷いもない。
「あーっ、もうっ!一人で行ったって気まずいじゃない!行くわよ、あたしもっ!」
サナリエもエスティを追って走り出した。
現場には人が多く。そして少しばかり血が流れていた。
いるのはスラム街に住む浮浪者たち。そして彼らに取り囲まれている三人の男たちだった。
取り囲まれている三人の男は全員、物々しい甲冑を着込んで剣などで武装している。
「もう一度言うぞ、聞け」
三人の男たちの中の一人が言う。喋っているのは他の二人よりも身軽そうな武装の男だった。しかし物腰や態度から彼が三人のリーダー格だという事が分かる。
「この周辺に違法に住み込む浮浪者に言う―――退去しろ。………あー、これはここらを治める貴族の命だ。逆らうなら実力行使に出るように言われている」
大きくよく通る声で言う。
高圧的な台詞のくせにどこか気だるそうにな、うんざりしたような口調だった。
「何を言ってやがる!その貴族のせいで俺たちはこんな―――」
その場にいた浮浪者の一人が怒鳴る。その言葉にまわりにいた人々もそれに同調する。
彼らの言い分ももっともだった。彼らだって好きでこんなスラムに住んでいるわけではないのだ。しかし、彼らの怒りの抗議を男は白けた様子で眺め。
「だから?俺はあんたらがどう苦しんだとかなんで虐げられたのかなんて事情は知らないし興味もない。―――俺は仕事をするだけだ」
彼らの怒りの一切を意にも介さずにひたすら白けように言う甲冑の男。
「てめぇ……!」
そんな物言いに激昂した浮浪者の男が甲冑に殴りかかる―――。
その前に彼の両腕が消失した。
「―――、……え?」
呆然と肩から先がなくなった自分の身体を交互に見る。腕のあった場所から心臓の鼓動に合わせて噴水のように血が―――。
「戯け。逆らうならば実力行使、と俺は言ったぞ?」
ぼとり、と足元に消えたと思われた両腕が落ちた。―――甲冑の男に切り落とされたのだ。
「ああああぁぁぁぁぁ!」
「………うるさい」
悲鳴と一緒に浮浪者の男の頭部が消えた。
ごと、とスッパリ切断された頭が地面を転がる。そして頭と両腕をなくした身体が崩れ落ちるのを、やはりつまらなそうに見届けた甲冑の男は言う。
「これから今日のうちにお前らの半分程度を始末する」
その言葉と一人殺された事でまわりにいた野次馬連中が、爆音のような悲鳴をあげて逃げ出した。甲冑の男はそれを相変わらずつまらなそうに眺めるだけで追いかけもしない。
今度は仲間の二人へ向かって。
「どうした、お前ら。さっさと仕事をこなせ」
「ニィグス。………だが、相手は」
「だからなんだ。半端者」
ニィグスと呼ばれたリーダー格の男は戸惑うそいつに続けて言う。
「お前らだって、こういう仕事だって分かっていて請け負ったはずだろう?だったら、いまさらなにを言うつもりなんだ」
相手の半端さを笑うでもなく、ニィグスは淡々と告げた。
甲冑の男たちが会話をしているのを物陰からエスティとサナリエ。それにソォが見ていた。
「なんだ、あれ」
「…………『掃除』よ」
苦々しい顔でサナリエが答えた。
エスティもそれだけで大体の事が分かったのでひとつ頷く。
「―――、なるほど」
掃除。
スラム街にたむろする浮浪者の掃除だ。なにぶん、ここらじゃ人の命が軽い。それに、エスティは元いた場所の時でさえ似たような話を聞いたことはあった。街の浄化作業。
「………で、どうするんだ?」
「そりゃあ、逃げるわよ。いつも通りに。この手の騒動はほとぼりが冷めるまで逃げたほうがいいの。スラムの連中だってここに長いなら似たようにする。殺されるほうが間抜けなだけよ」
あーあ、とさばけた様子で彼女はそう言った。
エスティもそれに「ふーん」と相槌を打つ。ここは経験者に任せたほうがよさそうだ。
「さーて、見つかる前に逃げましょう」
「無理っぽいけどな」
うん、とひどく軽い調子でエスティが言う。これから起きるであろう出来事を予感してか、その声はどこか愉快そうだった。
「―――へ?」
エスティの言葉は正しかった。
あのリーダー格の男、ニィグスがエスティとサナリエに気付いたのだ。
「ほぅ。こいつは」
感性が鋭い彼は二人の存在に気付いた。ただし彼の感性だけではソォにまでは気付かない。
「?どうしたんだ」
ニィグスよりも感性の鈍い二人の甲冑を着た男は疑問顔になる。鈍感な奴らだ、とニィグスは彼らの能力を頭の中にある表に書き付けておく。
「いや、少しばかり愉快そうな連中を見つけた。―――そいつらはこの俺の獲物だ。お前らは適当にどこかに行くといい」
言われた二人はムッとするが、逆らえずにその場から仕事を果たす為に消えた。この仕事のみでの仲間だが、実力として彼らはニィグスに逆らえない事を分かっている。
「―――へ?」
サナリエが「どういう意味?」と言いたそうな顔を向けると、エスティは愉快そうに指差す。
「ほら、そこ」
「―――ほぅ、気付いたか」
すっ、と一人の男が指差した方向から現れた。―――ニィグスだった。
「てっきり俺はそっちのお嬢さんのほうが強いと思っていたのだが。―――お前、何者だ?あの二人だって今のは気付けないはずだぞ」
さっきまでの淡白な様子はどこへ消えたのか、ひどく禍々しく笑うニィグス。サナリエでさえ一瞬身を竦ませるような殺気を放つ彼の様子に、だがエスティは変わらずにひどく軽い調子。
「さぁて?俺はナニモノでしょう?―――この前も言ったな、この台詞」
くっくっと笑うエスティ。こんな状況でも面白がる事をやめない。まるでどんな危機が現れようと傍観者である自分は傷つかないと言わんばかりだ。
「答える気はない、か。―――見たところ身なりもいいし、浮浪者ってわけじゃないな。そこのお嬢さんはどうだか知らないがな」
「え、なにそれ。それってエスティは見逃すけどあたしは駄目ってことかしら?」
サナリエも負けじといつもの口調で言うが、やはりどこか焦った様子は隠せない。
「それはそうだろ、お嬢さん。君は明らかに俺の仕事の対象だ。――しかも、強いだろう?」
「むぅー。やるしかないのかしら」
じっとり冷や汗をかきながらサナリエは唸る。正直なところ、勝ち目は薄い。
「―――サナリエ。止めておけ、そいつは『騎士』だぞ」
「んなこたぁ見れば分かるわよ。でもやらなきゃ殺されちゃうでしょ。それにエスティこそ見逃して貰えるんだから逃げたらどう?」
サナリエとしてもエスティがここで知らないフリをして逃げても文句はない。自分の命を他人の為に捨てようなんて思う奴はかなり少ないのは経験から知っている。
「へぇ?―――君、サナリエを殺すのか」
「お嬢さんの力量によるがな」
その答えにエスティは困ったような表情で腕を組む。
「そうか。それは困った。彼女には見込みがあるのだけど。仕方ない。―――俺が代わりにあんたとやりあうか」
「ほう?お前は見逃すって言っているんだぞ?」
「その割には嬉しそうだな。戦う気満々って感じだ。いやいや、面白い」
いきなりギラギラとし始めたニィグスを前にしてエスティはくっくっと笑う。
「なぁ、お前。―――あの二人も騎士だろう一つ聞きたいのだが。なぜ騎士ともあろうものが明らかに低俗な貴族などに手を貸す?」
「そんなのは金の為に決まっているだろう。―――騎士(俺たち)は身体を改造され強化されている。だがその身体を維持するためにはどうしても切実に金が必要になる。本当なら国が雇ってくれるんだが、この国はこの有様だろう?あの王様一人でこの街の他国に対する防護はほとんど必要がない。必然的に兵士や騎士は職がなくなるのさ」
「世知辛い世の中だ」
くっくっと笑うエスティ。元騎士のニィグスもにやりと笑う。
「まあ、そんなことはどうでもいいだろう?俺の仕事を果たさせてくれ。―――俺だって騎士の端くれだ。どうせ殺り合うなら強いヤツとやる方がいい」
「ああ、それがこっちに来た理由か。ふむ。―――サナリエ。そういうわけだからどこか行っていてくれ」
「え、は?なんでっ?」
「今のお前じゃこいつに勝てないから。なに、―――あと少し時間が経てばこの騒動は解決する。だから行け」
自信たっぷりに言うエスティに、仕方なくサナリエは頷いた。
「―――……ん〜、すっごい不本意だけど。分かったわよ、もう。じゃあ、エスティの住処に先に行っているからね」
「ああ。あそこならまず騒動から離れていられる。そこで待ち合わせだ」
「早く来ないと、お菓子とか勝手に食べちゃうからねっ!死んだりしたら駄目だからっ!」
叱咤するようにそう言って、サナリエは走り去る。
その背をエスティはくっくっと笑いながら見送る。
「いいのか?別に俺は一対二でも構わなかったぞ」
「不敵だねぇ。くっくっ。まあ、ある意味で一対二だから安心しろ。―――ソォまずは任せた」
「ソォ?」
誰かいるのか、とニィグスは周囲を見回した。誰もいない。―――……彼にはソォの印象迷彩を見破るだけの能力はなかった。
「いいか、広い場所へ誘導してくれ。―――開始だ」
エスティが独り言のように言う。
すると、すぐにエスティの表情が変わる。何でもかんでも笑うような楽しげだった表情が、ただひたすら静謐な無表情へ。楽から無に。
「………!?」
ニィグスは相手の雰囲気が変わったことに驚いた。彼には鋭い感性がある。エスティが演技でもなく変質したのだと気付かせた。………気合を入れるとかそういう次元ではない。エスティはもはや別人だった。
「さあ、やりましょうか」
エスティは静かに言う。表情はとても穏やかな無表情だった。
それは雰囲気も口調もソォと呼ばれていた特異な姿をした白蛇とよく似ていた。もしこれをサナリエが見ていれば『ソォがエスティの身体を乗っ取った』と思うだろう。だが、ソォの事を知らないニィグスには分からない。
エスティがゆっくりと、ニィグスへ向かって右手をかかげる。
「!」
風景が歪む。―――爆音。
「おおおおぉぉぉっ?!」
ニィグスは本能的な危機を感じて全速力で、そのいきなりの出来事から逃れようとする。何がなんだか、唐突に過ぎて分からなかった。
とにかく危険だ、と言う直感に従って動いたにすぎない。
「―――、っぐ!?」
回避しきった、そのはずなのに何か巨大な力で吹っ飛ばされた。石造りの壁に身体から激突する。極限まで強化されている肉体に致命傷ではないが、何をされたのか分からない。
「おや?よく避けましたね。直径五メートルはありましたが」
「今のは、………魔導か?」
「いえいえ、ただの空間圧搾。しかも外れでした。貴方をふっ飛ばしたのは伸縮のついでにオマケとして発生したエネルギーの余波です。しかしあんな一瞬で回避するとは。―――直撃すれば物理強度に関係なく一発なんですけどね?」
初めから当たるなんて思ってはいませんが、とエスティは誰かの口調で静かに言う。
「さて、主人から言い渡された仕事をこなしましょう。―――さあ、ついてきなさい」
いきなりどこかへ跳躍するエスティ。一度の跳躍で家屋に飛び上がり、二度目の跳躍でさらにどこかへと跳んでいく。
「―――ま、待てっ!」
逃がすわけにはいかない。どこかへと跳躍したエスティを追ってニィグスも跳ぶ。彼の身体能力ならば追いかけるのは難しくないはずだった。
「―――この辺りまで出れば十分でしょうか」
ふむ、とエスティは独り言う。
そこは街の塀から少しばかり離れた平地だった。そこからは街が遠くのほうに見えるだけで他にはなにもない。―――大暴れするには十分な広さだった。
移動は迅速で異常だった、なにせここまで地を蹴った回数は二桁にもならない。
「ああ、十分だ」
くっくっと笑うエスティ。いつの間にかいつも通りの雰囲気に戻っていた。空間から染み出すように現れたソォが傍らにいる。
「しかし、主人。あの騎士崩れ、強いですよ。特殊能力での不意打ちでの殺害ならともかく、真っ向から戦ったら面倒です」
「いいのいいの。今のところ殺す気はないし。面白おかしく時間が潰せれば今回はそれで良し」
頭の中の予定表を確認してエスティは満足そうに言う。
「それで、ソォ。―――アレを使うからさっさと転送してくれ」
「アレ?」
「ほら、この前。どこぞの倉庫からパクッて来たやつ。収納空間から転送してくれ」
「―――――…………あれ、ですか。本当に?戦闘目的ならもっと他に、」
「いいから。それに早くしないとあの元騎士が追いついてくる。早く早く。あ、それとあっちの方はソォが片付けておいてくれ」
「………わかりました。どっちもやりますよ」
エスティは楽しげで、ソォはどこか諦めたようだった。
「―――?な、なんだぁ?」
ニィグスは思わず呻いた。
そこには彼が今まで見たこともないものが鎮座していた。エスティを追いかけてきたらいつの間にかそれが代わりにいたのだった。
そいつは金属でできていた。まるでニィグスが着ているような鎧やら甲冑やらを完全装備にまで着込んだ感じ。しかしその癖にどこか有機的でスマート。その形は、―――ありていに言えば人間だった。大きな人形。
エスティの故郷の、その筋の人が見たら。「これは………!」と大喜びしそうな代物だった。
………平野に仁王立ちしていたのは間違いなく巨大な人型ロボットとかいうアレだった。
ソォは使うのを全力で嫌がった。そしてエスティは笑っていた。
一方、こんなの想像もした事もなかったニィグスはひたすら狼狽した。
もはや遊びの領域だった。
事実、この状況はエスティと言う存在にとっての娯楽場だった。
『あーはっはっはっ。もう大爆笑!』
声がした。外部スピーカーからだったが、ニィグスは知らない、分からない。でもエスティがそのデカブツを操っているのだとは認識する。
『前から一回使ってみたかったんだよねー!くっくっ!』
「!魔導石像の類か……!」
ニィグスが一昔前に魔法が飛び交う戦場を駆け抜けていた時期、家屋ほどの大きさの石像とやりあったことがある。術者が二人か三人で操っていたもので、どこかに隠れている術者を殺れば機能停止した。石像の動きそのものは鈍重で、始末するのはそれほど大変でもない。
「どこにいる……!」
『いやいや、中だって中。ふくくく。俺、乗っているから。これに』
腕組みで仁王立ちしていた石像(金属製みたいだが)がぶんぶんと自らを指差す。
「なにぃ?」
これまでにニィグスが相手にしてきた魔導石像の種類は様々だった。泥のようで斬りつけてもダメージにならないヤツから、一山くらいの馬鹿馬鹿しい大きさのものまであった。だが、その中に乗り込んでいるなんてのは初めてだった。
彼の驚きをよそに、エスティは待ったりなんてしない。
『それー、―――射撃』
頭部側面の穴が火を吹く。いわゆる火器の類。分かりやすく言うなら六十ミリのバルカン砲に酷似している。正式名称はエスティもよく知らない。
ダガガガガガガガガガガガッ!と元気良く弾丸が吐き出される。
平原に大音声が響き渡る。土が抉れて煙がもうもうと立つ。
『―――うわー、冗談みてぇ』
………ニィグスは健在だった。
「はぁ、はぁはぁ、はぁ――――」
肩で息をして、剣を片手に握っていた。
剣で弾いたのだ。
機械制御での精密射撃、おおよそ五百発超過の弾丸の雨を。
「くぅ、はぁ。は、ははははっ!何かを連続で飛ばしてきているんだな!ふぅ、……ふぅ。その手の狙撃は騎士には効かないっ……!」
まあそりゃあそうだろう、とエスティはいい感じのコックピットの中で思う。
データベースであるソォに聞いた彼らの能力を考えると、このデカイ機械とでは一対一でギリギリ負けるくらいだと言う。まぁ、操縦席は生命保護の為に他より装甲が分厚いらしいから相手がどう頑張っても殺されはしない、とか。
『いやいや、面白い』
腕組した巨人のスピーカー越しにくぐもった『くっくっ』と低い笑い声。
この機体、なんでも伸縮する形状記憶合金の人工筋肉で作られているとかで人間の動きのほとんどを再現できるとか。
―――まあ、もともとは競技用の機体だったんだから大した能力はないのだけど。本当に戦争で使うと言うなら人型なんて遊び以外の何者でもない。こういう形をしているのは娯楽だ。
しかしアレだけのこう威力弾丸を剣で防ぐなんてデタラメさ。さすがは幻想世界、構造的にこの手の世界は上限設定が曖昧だ。
―――いや、素晴らしいね?
『んじゃ、次―――再射撃』
また炸裂音の嵐。ニィグスは受ける事はせずに回り込むように走って避ける。縦横に走り抜ける彼の速度は実に秒速百メートル以上の超人の名に恥じない高速移動。
当然のように弾丸は当たらない。彼の走り抜けた少し後を弾丸が飛んでいく。
『んー、追加ぁ!』
ガシュン、と金属製巨人は右腕をかざす。
人間の手の平に酷似した形には、本来の人体ではありえない穴が開いている。巨大な銃口。
その銃口が火を吹く、高速グレネード発射。
着弾破裂。
「………!」
着弾地点から直径十メートルを吹き飛ばす爆発が連続する。もちろんその間にも頭部からも弾丸をばら撒き続けている。それらは地面に着弾しては粉塵を巻き上げる。
弾丸の雨に爆音爆風。
身に着けている鎧の類に炸裂弾の破片がいくつも当たり、身体の至る所に裂傷を負う。
その破壊の嵐の中をニィグスは必死に走り抜けて、―――跳躍。
狙いは炸裂弾を連射し続ける巨人の右腕。
「おおぉぉっ…………!」
叫びながら剣を振り抜く。全身全霊を込めた渾身の一撃。
キイィィィン。
金属同士がぶつかり合う澄んだ音が盛大に響く。
「ぐっ」
強すぎる手ごたえに腕がしびれ、身体の筋がいくつか断裂する。魔導士が数人で術式を用いて鍛え上げた騎士用の剣が少しばかり歪んでしまった。
「――――だが、斬れる」
斬撃の衝撃を殺しきれずに空中を投げ出されながらも、ニィグスは不適に笑む。
金属製の巨人の右腕は肘あたりを半ばまで断ち切られていた。無意味なまでに人を模していたのが災いして、肘から先はもう動かない。
『―――おぉ?右腕がやられた……!』
やられたくせに妙に嬉しそうなエスティの声。
それに続いて「ガシュ」と何かが外れる音がして巨人の右腕が肩から落ちた。機能停止して邪魔になったから腕を分離。
その作業を見届けずに無理な姿勢で着地したニィグスはすぐさま走り出した。
次の狙いは頭だ。
もちろん巨人だって黙って見ているわけではない。
『次行ってみようっ!』
巨人の身体がぐぐっ、と大きくたわむ。そして跳んだ。全ての動作が大げさなスケール。
早い。
そのまま倒れるようにして小さな目標へ殺人的というよりも破滅的な質量攻撃。そのまま巨体が持つパワーを遺憾なく発揮して左だけになった大きな拳を振るう。瞬間的に音速超過。
………だが騎士とは身体能力、格闘技能を対城級まで鍛え上げた超人である。
ニィグスは凶暴な笑みを浮かべる。
迫り来る大質量。―――その巨大な腕に、彼は飛び乗った。槍の上に乗るみたいな芸当で。
たたっ、と左腕を駆け上がる。巨人の肩口まで走りきる。
下から振り上げる動作で、だた軽くてひたすら硬い事がとりえの愛剣を叩き込む。
三度。
巨人の頭部がバッサリと大きく裂ける。三度も斬られてズタズタ。
『くふふ………!頭なんか飾りだ?!』
頭部がやられたところで全停止なんかしない。ちょっとセンサー系がやられただけ。さすがにそこまで無意味に人に似せてはいないのだ。まあ、飾りがどうのとか言う以前に金属製巨人など使っている時点ですでに遊びでしかないのだが。
そんなワケで頭無しの巨人は俄然、元気に暴れる。
「この、戯けがっ………!」
『超振動』
ヴヴヴヴヴヴヴゥゥゥッ。と昆虫の羽音のような音。ニィグスは掴みかかってくる左手が小刻みに振動しているのだと看破する。
衝撃。
触れもしていないのに空気から伝わる衝撃だけで全身の毛細血管が破裂。特に目と鼻、耳のダメージが甚大だった。眼球は破裂し、鼓膜は破れ、全身の毛穴と言う毛穴から血が洩れ出てくる。あいている手でかろうじて左の鼓膜だけは守っただけだ。
肉体の制御を失って、落下する。いきなり暗転し無音になった世界に戸惑って何も分からなくなってしまった。
頭から地面に激突する。それだけで死ぬほど騎士の身体はヤワではないが、それでも息が詰まる。
「――――がっ、は。………くっ」
地面に転がったのはほんの一瞬だった。眼球も破壊され、耳も片方しか働かなくなったと言うのに彼はすぐに立ち上がった。優秀な騎士は相手が見えずとも戦える。
そして彼は優秀な騎士だった。
気配だけで周囲の状況。相手の動き。それらを感じ取り必要なように彼は戦う。
『おいおい、―――まだやるのかよ………!』
やり過ぎた、と反省してたエスティはさすがに驚いた。いくらなんでも戦闘続行は不可能だろうと高をくくっていたのだ。
「この程度では、―――まだ負けた事にはならん……!」
常人なら発狂するような痛みに顔をしかめるだけで耐えながら言う。
『やるねぇー。俺としちゃあこれ以上は結構、洒落になんないのだけど』
「問答無用ぉぉっ!」
剣を抱えて這うように疾走。落下地点は敵のすぐ近く。だから瞬きの間に接近を果たした。
斬る。斬る。滅多切り。
足から輪切りにするような気持ちで斬る。
『む』
金属巨人は抵抗する為にニィグスを軽く踏みつけようと足を上げて。
『うお、おお?』
―――コケた。
ずずーん、と音を鳴らして倒れる巨人。もちろん、ニィグスは戦場で転ぶような間抜けに手を抜くつもりも、そんな余裕もない。巨人の手足をどんどんぶつ切りに捌いていく。
『わ?わわ――ザザ――ブッ』
さすがに巨人は機能停止。
そこでニィグスも力尽きたのかぶっ倒れる。手に持った剣はすでに過剰な仕事のせいで刃こぼれだらけで湾曲してしまっている。
「―――――さすがに、くたびれた」
へたり込んだニィグス。これ以上はもう動けそうにない。
―――ガンッガンッ。
ガコン。プシュッ。
疲れきったニィグスの目の前で巨人の倒れた胸部が開いた。―――エスティが出てきた。
「あーあ。オシャカになっちまった。………やれやれ」
ちぇ、と残念そうに舌打ちするエスティ。
「普通は乗り手もグシャグシャになって然るべきなんですけどね。私が処置をしておかなければ主人も死んでいます。―――そもそも持ち込む異物は最小限にするように言っているでしょう?あまりやり過ぎると斥力に始末されますよ」
「お、ソォ。早いな。もう片付いたのか」
エスティは新しく現れた気配に、親しげに話しかける。
「当然です。主人みたいに遊ばなければいいだけですからね。それより、本当に異物を持ち込むのは極力避けてください」
「ん、まだ大丈夫なんだろう?」
「限度はあります。斥力が働いたらどうするんですか。私たちより《世界》のほうが存在として上位なんですよ」
ボロボロと倒れたニィグスはしかめ面になる。エスティは未だに健在で、見えないから分からないどうも仲間まで出てきたらしい。
「よぉ、騎士さん?」
斬りかかった。
痛む身体を鞭打って、血が噴出そうが無視。断裂かけた筋組織がぶち壊れるが、知った事か。
瀕死だろうがなんだろうが斬撃の威力はさして変ることはない。死にかけの身体を無理やり動かしたて相手に切りかかる。
「危ないですね」
剣が止められた。何か粘土のようなものにぐにゃりと剣がめり込んだ感じ。
ニィグスには見えなかったがソォが不可視の障壁を展開したのだ。実際の所、能力値で言えばさっきの金属巨人なんかよりこの白蛇は強力で万能な『装備』である。
「……っ!!」
粘土の感触が一気に硬化。力を入れて押して引いても動かない。瀕死の、生命としてぎりぎりの最後の全力を入れているのに。
「倒れなさい」
「ぐぅっ?」
ぐるん、と身体が重力を無視して回転し、無様に転がってしまう。
あまりにもあっけない。何をされたのかも分からなかった。抵抗も出来ない。ただ実力差だけをひしひしと感じる。あの巨人人形なんか使わない方が強いなんて………。
………ああ、殺されるのか。
相手は強く、自分は弱かった。それだけの話。
「いいえ、違いますよ。私たちの存在は貴方にとって強い弱いではなく、不運の類です。貴方にとって我々はどうしようもないもの、特異な例外なんですから。出会ってしまった運のなさこそを悔やむべきでしょう」
誰かがニィグスの考えを読み取ったように言う。最初のエスティの口調にそっくりだった。
「でも俺にとってこれって貰い物の力だから自慢にはならないか」
「主人。それは当然です。一種の幸運ですよ。―――おや?」
ソォが突然、街のほうへ顔を向けてひとつ頷いた。
「―――……あちらでは決着がついたようですね」
「へぇ?じゃあ状況は終了したか」
くっくっと笑い声。
踵を返し、遠ざかろうとする気配がした。
「…………待て」
「うん?」
ぴたり、と足を止めるエスティ。
「何故、殺さない」
「死にたいのかい?」
「理由も分からずに生かされるよりは、な」
「仕事はお互いに終わった。俺は興味の対象を守護したし、お前は雇い主が死んだから仕事は契約不履行で終わったんだ」
「―――そうか、雇い主は死んだか」
何故かそれが嘘だとは思わなかった。とても素直な納得した。不思議な心境。
「ふくく。納得するんだ?まあ、いい。お前の雇い主はどうやら暗殺者にやられたらしい」
「…………だから護衛をつけろと言ったんだ。あの愚か者め」
舌打ちする。あの馬鹿貴族は雇った三人の騎士の全てを外に出してしまっていた。だからそれなりの力があるヤツが暗殺にでも狙われたら、まあやられるだろう。ニィグスの目に見てもあの貴族の危機管理能力は低すぎた。
「で、どうする?まだ続けるか?」
「いいや、もう十分だ。俺は、ただ働きは御免だ。―――決着はつけたいが、それだって仕事あってのことだ」
もう殺し合いを楽しみたいなんて気持ちはなかった。
―――だってそうだろう?何かをし合うにも同じステージに立っていないのだ。こいつらは敵とかじゃなく自然災害のようなものなんだ、ニィグスはそう理解した。
「言うねぇ。さすがは仕事人。――――敵対しないならその傷、どうにかしてやろうか?」
「いらない。これくらいならどこかの医療を担う魔導士にでも金を出せばどうにでもなる。貴様こそ俺の事は、本当に殺さなくていいのか」
「―――、殺したいほど君に興味はない。もう」
「………そうか」
それはとても素直で残酷な、心からの告白だった。エスティにとってニィグスはただの通行人Aになった。たった今、こいつにとって自分は生きていようが死んでいようがどうでもいい存在になったのだ。
「じゃあな、騎士。もう会うこともないだろう」
くっくっと笑い声がして、エスティの気配は完全にニィグスの傍から消えた。