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◆
―――こいつはまずいわねー。
サナリエは胸中で憂鬱そうに呟いた。
彼女がそう思うのも無理はない状況だった。
周りには彼女を取り囲む十人近くもの人影。いずれも――彼女自身も含めて―――このスラム街でよく見られるような、あまりよくない身なりをしている。そこにいる者のほとんどは刀剣や棍棒な度を手にしていてどう考えても友好的には思えない。とは言っても武器持ちはお互い様なのだけど。
だからと言っても、一対複数。
しかもこの人数差。何をするにしても複数側が卑怯になる数字である。
まあ、スラム街なんて治安も悪いからこんな状況はよくあることではあるが。
「あのさぁ。これってどういうこと?」
やれやれ、と言いたげなぞんざいな調子で彼女は言った。
周囲を取り囲む似たり寄ったりの恰好をした、いかにも「不届き者です」と言っているような連中。その中にいる一人に話しかける。
「バライさー。あたし、何かあんたらにこんなことされなくちゃならないのかしら?」
話しかけた相手はこの集団のまとめ役だ。
バライ、と呼ばれた男は、その子供には絶対に好かれなさそうな厳つい顔を不愉快そうに歪める。バライはこのスラム街にいくつかあるゴロツキ連中のグループのひとつをまとめている男だ。―――もっかのところ、サナリエと敵対中の連中である。
その頭領格が言う。
「そんな事は自分に聞け」
「そうねぇ……」
見に覚えがあり過ぎてどれの事か分からなかったりするサナリエ。獲物の横取りから妨害行動まで色々とやったのである。
―――言い訳するなら、ほとんどの場合は相手から喧嘩を吹っかけてくるのだ。こっちからしかけたことは、あんまりない。たぶん。
「ようはアンタが下っ端の手綱をきっちり握らないのが悪いんじゃない。うん、そうよ。結論、あんたたちが悪い。ったく、だいたい女ひとりにこの人数ってやり方が気に入らないのよ。無能の癖に姑息だなんて自慢にならないわよ?あーあー、アホらしいっての」
思いっきり馬鹿にしてせせら笑う。サナリエの見た目は十台半ばの活発そうな赤毛の少女なのだが、こういう生意気な仕草がとてもよく似合う。
「…………!」
彼女を囲んでいた一人が激昂して彼女に殴りかかった。
鈍器で、である。
「あーあー、面倒くさい」
殺しかねない勢いで振るわれた凶器を彼女は軽いステップで回避。流れるような動作で逆にそいつの脇腹に拳を叩き込んで気絶させる。ばったりと倒れる名も無き雑魚。
「あらら、よわっちいのねぇ〜?」
ふふん、と鼻で笑う。
「―――!この……!」
周りの連中がさらに色めき立つ。馬鹿にされたうえに仲間がやられたのだ。怒るのも無理はないだろう。が、しかし。
「……よせ、お前ら」
バライが静かな声で言う。決して大きいわけでもない声だった、が、頭に血が上った連中は冷水をぶっかけられたかのように動きを止めた。
「ん〜?バライ。どーしたの?もしかして女一人に臆病になっちゃった?」
この挑発にも彼はまったく反応しない。
「臆病でいいぜ。………なぜかお前はそこらの魔導士なんかより魔力を持っているからな。魔力は生命力でもある。つまりお前は常人離れした馬鹿力でもあるわけだ」
「はっ。小心者なのね」
サナリエはニヤニヤ笑いながらも内心で舌打ちする。
―――やっぱりまずいわね、こいつは。
エリナスが苦く思ったのは何も人数だけのせいではない。このバライという男が出張ってきたことさえが一番問題なのだ。下っ端連中は馬鹿ばっかりだからいくらでもあしらう自信はある。だが、この男はそうにもいかない。
懐の中にある獲物の感触を確かめる。十年位前にあの屋敷から持ち出した数少ないもののひとつだ。特殊な加工が施してある短刀。
―――女子供だと思って舐めてくれるほうがよっぽど楽だって言うのに。
内心を押し隠してニヤリと笑うサナリエ。
「その臆病の結果がこの人数?―――舐めんじゃないわよ。あと二倍は用意しなさい」
「必要ない。―――やれ」
声と同時に悪寒がした。
サナリエは他人より優れた本能に従って、とにかくその場から飛び退く。すると、さっきまで彼女がいた場所を爆発と高熱が襲った。
何かが着弾。光と熱。
彼女はゴロゴロと無様に転がって余波から逃れつつ、すばやく立ち上がる。
「ちょ……!冗談じゃないわよっ!?」
かわしきれずにちょっとばかり皮膚を焼かれる。とても痛い。
見渡すとバライの後ろに控えるように薄気味悪いローブを目深にかぶった誰かが立っていた。
―――導士崩れだ。
どっかから最近、そういう奴が流れて来たとウェルが言っていたのをサナリエは思い出す。
このハロレイというスラム街が三分の一を閉めるろくでもない街にはいろんな所からその街と同じくらいろくでもない連中が集まるのだ。だが、まさかそのロクデナシの導士崩れがバライの連中のところには入っているなんてサナリエは知らなかった。
魔導。魔法とも呼ばれる技術。
この世界では普遍的に使われる『技術』である。技術だから誰にだって魔導は使える。子供だってそれなりに教育を受けていれば夜に明かりを灯すことくらいはできるのだ。
―――でも魔導士の魔導はかなりヤバイ。
魔力を使うのはこの世界の住人にとっては手足の延長に近い。
歩いたり走ったりするのと同程度に人は魔導を扱える。ただし、『魔導士』はスポーツ選手と同じでその運動(能力)を訓練し、高めた連中だ。
導士崩れがぶつぶつと口元で何かを呟く。もちろん、魔導士がこんな時に呟くものなんか決まっている。サナリエはあまり詳しくはないがそれでもどんな現象が来るかは知っている。
「こんなヤツ用意してるなんて―――相手してらんないわっ!」
ばっ、と身を翻して導士崩れと反対側へ走る。
逃走経路上に突っ立っている木偶の坊を殴ったり張り倒したりしながら走る、逃げる。高熱が身体を掠めて皮膚とか色々と焼かれるが、立ち止まって追い討ちされるのはもっと嫌だ。
―――バライの連中、覚えてなさいよ!今度は全力でとっちめてやるっ……!
などと後になって思い直して自分で後悔しそうな安直ことを考えながら走る。
スラム街に蜘蛛の巣のように走る裏路地を走って逃げる。
普段なら絶対に追いつかれない自身があるのだけど、今は怪我もしているし相手の人数も多い。人数がさっきからまた増えたのだ。
「はぁ、はぁはぁ、……はぁ」
息も絶え絶えに走る。
―――下手を打ったなぁ。これじゃウェルになんて言われるのやら……。
気が動転していたのか知らない道に入ってしまったようだ。何処に自分がいるのか分からなくなっている。意識もちょっと朦朧としているような気もする。
―――ありゃ、そんなに怪我、ひどかったっけ?
ちょっと前から痛みを感じなくなったのだが、それは逆に危険なんじゃないのかと思う。フラフラと走る彼女には無数の傷が付き。魔導の現象によって傷つけられた場所には火傷に加えて毒素のようなものまで混じっていた。どうやらそういう殺傷用の魔導式だったらしい。
―――あー、倒れるー……。せめて、どこかに隠れなきゃ。
はっきり言って賭け以外の何者でもないが、目に付いた壊れかけの木造建築物の扉に手をかける。幸いなことに鍵に類するものが掛かっていなかった。すんなりと開く。
死にかけの身体を引きずってそこに入り込む。なんだか目まで霞んできた。
―――あれ?なに、ここ……?
何処へ行っても少なからず薄汚いのがスラム街のはずなのに、入った部屋は妙に清潔で、何かがとてもおかしい。見たこともない道具や何かがわんさとある。
―――幻覚かしら?
ちょっと本気で死を確信する。
不愉快な事に倒れる瞬間に思い浮かんだのは双子の兄の顔だった。
◆
「………うお?なんじゃこりゃ。―――って、どういうことだ、ソォ」
「分かりませんか、主人。誰かが倒れているんですよ」
「いや、それは聞いてないし見ればわかるって。問題はなんで誰だか知らん人がここに倒れているのか、だ。この場所きっちりと防護はしてあるんだろうな?お前の管轄だぞ」
「きっちりやっていましたよ。心外ですね。ちょっと待って下さい―――……ああ、なるほど」
「何を勝手に解析して納得しているんだ。―――ま、いい。このままほっといて死なすのも寝目覚めが悪い。とりあえず治療でもしておくか」
「また面倒なことに首を突っ込むんですか?いいじゃないですか。別に。このまま自然に正しく腐敗させてあげましょう。なに、誰も文句など言うことはないでしょう」
「それじゃあ面白くないだろ?」
「―――。…………はぁ。また、それですか」
「はっはっはっ。―――諦めろ」
◆
「―――た、ですか。いい加減に……」
「馬鹿だな――――じゃないか―――……」
誰かの話し声をきっかけにして目が覚めた。
まず視界に入ったのは久しぶりに見た清潔な白。それがどうやら天井らしいと気付くのに少し時間がかかった。頭がぼんやりとする。
「あー、う――――」
意味のない呟きが口から洩れる。
なんだか気分がいい。自分はどこかベッドか何かの上に寝ているらしい。姿勢が楽だ。しかもこのベッド、ふかふかしていて気持ちがいい。なんだか十年近く前に住んでいた場所を思い出す。
と、すぐ傍に誰かがいる気配。視界の中に顔が突き出されてきた。こちらが起きたのに気付いて顔を覗き込んでいるらしい。少年だった。自分と同じか少し上くらい。この辺では珍しい黒髪に黒目をしている。
「おー、起きた起きた。案外に早かったなあ」
にっ、と笑って少年が言う。
見下ろすようなすぐ近くにいるのにずっと遠くにいるような印象。
「え、あっ」
至近距離から見つめられてサナリエはハッとして柄にもなく慌てる。慌てているサナリエの
様子が面白いのか少年はニタニタと笑っている。
「慌ててる慌ててる。いや、面白いな。うん」
「うっさい」
見知らぬ少年に言い返しながら自分の身体の状態を確認する。どうやら自分はものの良いベッドの上に寝かされていたらしい。念のために服装なんかもチェック。特に何かされた様子はない。ぺたぺたと自分の身体を触るがどこも痛くも痒くもない。
―――ありゃ?怪我してなかったっけ?
ふと浮上した不可解に首を傾げる。
「どうしたんだ、首を傾げて。―――まだ眠いとか?」
「違うわよ。―――って、ここどこ?」
改めて見回してみる。本当にスラム街なのか疑わしい清潔な部屋。用途の分からない道具がいくつも転がっているのがとても奇妙だ。部屋の中には少年と自分しかいない。
―――んあ?もう一人いなかったっけ?声がしたけど。
「あー、どこって。知らなくて入ったのか。人の仮住まいに勝手に入り込んでおいて」
「勝手にって、鍵も付いてなかったじゃない」
「―――付いていたはずなんだけどね。飛び切りのヤツを」
あーまったくやれやれ、などと肩を竦める少年。芝居かかった動作の後に言う。
「それで、いつになったら俺は君の名前を聞けるんだろうね?一応ながらも俺が君を助けてあげたんだから、それなりの誠意とかみせても罰は当たらないと思うよ」
「うーん、そうよねぇ。助けてもらったっぽいし。―――あたしの名前はサナリエ。サナでもいいわよ」
「ん。よろしくー。あ、俺の名前は……燈耶颯梧……む、そうだなぁ。ソーゴとでも読んでくれ。あ、よかったらSTと呼んでくれ」
「ソーゴ?エスティ?―――ふーん。そうね、そのどっちかで呼ばせてもらうわ」
「そうしてくれ。それでサナリエはどうするんだ?目覚めたなら帰る?」
少年にそう言われて、いま自分が置かれている状況を思い出す。ここがどの辺か知らないけれど、バライの配下連中がサナリエを探してこの辺りをまだ走り回っているはずだった。
「助けてもらってこんなこと頼むのも気が引けるけど、―――お願い、ちょっとだけの間、匿ってくれない?」
「ふん?」
言われて少年は考える。
―――断れても文句は言わないけどね。
内心で言う。少年がどんな事情でスラム街(こんな場所)にいるのかは知らないが、誰だって面倒ごとは嫌う。もしここで放り出されても恨むつもりも無い。
「ん、了解した」
「やっぱり駄目かぁ、―――って、へ?いいの?」
「なんだ、藪から棒に。了解したって言っただろ」
「厄介ごとだよ?あたしに関わると大変かもしれないんだよ?」
自分で頼んだはずなのにそんな事を言ってしまうサナリエ。しかしそんな彼女に少年はにやにやと笑いかける。
「面倒ごとは大歓迎だ。いやいや、愉快愉快」
くっくっ、と笑う。この少年が本気でそんな事を言っているのだとサナリエは確信した。
「だから俺のことはいい。そっちだって断られるよりはいいだろう?」
「それはそうだけど。―――うーん。じゃあ、お礼を言うわ。ありがとう」
と言った所で、ぐぅ、と彼女のお腹がなった。
「………」
「………」
しばし気まずい沈黙。
「あう、………そういえば朝食を食べようと思ったときにさっきの厄介ごとがきたんだっけ」
良い訳のように慌てて言いながら顔を赤くするサナリエ。
「腹が減っているのか?」
にや、と笑いながら少年はからかうように意地悪に言う。
「別にいいわよ。気にしないよーに」
「ふーん?」
そうかい、と言いながらソーゴだかエスティだかよく分からない少年はこの奇妙な部屋の中にあった子供の背くらいの箱から何かを取り出す。
「ほら、飲むか?」
と言って何か金属の筒のようなものを手渡してきた。それを受け取ってまじまじと凝視する。
手の平に収まるくらいの円筒形のもの。なぜかこの物体はとても冷たい。
―――あの箱の中ってなにかの装置なのかしら?
「で、なにこれ?」
「飲み物。―――こうやって、こう」
筒にあるとっかかりを引っ張って「カシュッ」と開くと少年は缶の中身を飲んだ。
「ん〜」
サナリエは見様見真似で同じようにしてみる。カシュッ。缶の中身を覗き込む。どうやら液体が入っているらしい。飲めるようになっているようだ。
―――どうしようかしら?
と思うがこっちを害するつもりならとっくにやっているだろうし、何より好奇心に負けた。
こくこくと中身を飲み込む。………果実のように甘い。
「なんだか不思議な味ねえ。それに冷たい。―――その装置って何?」
「物を冷たいままに保存しておくもの。―――まあ一種の懐古趣味か」
「懐古趣味?」
「だってそうだろう?今の俺にはこういうものは本来必要ないんだから。もっと便利なものがたくさんあるのにわざわざ使っている。―――ソォにぼやかれるのも無理はないか」
くっくっ、と意味の分からないことをいいながら笑うエスティ。さらに部屋の別の所からまた取り出してくる。今度は何かの包みだ。
「食事だ。腹が減っているんだろ?よかったら食え。まだ飲み物もある」
部屋の中央のテーブルに次々と色々と並べていく。そのどれもこれもが食べ物らしく。いい匂いを出している。いつのまにこんなに用意したのだろう、とサナリエは疑問を思う。
「うーん」
食べたい。なんか目覚めてからとてもお腹が減っている事を自覚する。
「でも、まだ聞きたい事があるし」
「食事しながらでも構わないだろうに、いらんならさげるぞ?」
「むぅ、――――頂きます。ええ、もらいますとも」
結局、彼女は食事にありつく事にした。
料理は見たこともないものが多かった。
どうやらエスティは自分の好みで食卓を用意したらしく、どれもこれも少し嬉しそうにパクついている。サナリエとしても不味いとは思わなかったので一緒に食べる。そもそもスラム街に住んでいる彼女はその気になれば大抵のものは口に出来る。とは言っても彼女にとっても食卓に並ぶ料理はどれも美味しいと感じた。
「………でさぁ。エスティってもしかして魔導士?」
「む?いきなりファンタジー含有量の多い質問だなぁ。――……あ、ここじゃ普通の質問か」
後半は声が小さくて聞き取れなかった。
「うん?違うの?」
「なんつーか。あーあーあー、そうだなぁ。――――うむ。似たようなものだな」
いかにも曖昧な表情で困ったように言う。何かこっちが無理な質問をして困らせてしまったような気がしてどこか後ろめたい。
「あ、そうね。スラム街じゃ人の過去を詮索するのは行儀が悪いわよね」
何せ自分だって聞かれたら色々困るしねー、とサナリエは内心で呟く。
そういうわけじゃないんだけどな、と頭を掻くエスティ。ただ単にどう説明していいのかわからないだけだ、とか何とか小声で言う。
「で、もう一人はどこにいるの?」
「?」
「声はしたけど」
「えーと、あー。いたっけか、そんなの」
しどろもろに言うエスティ。何で知ってるの、というような困惑顔。
―――うわー、あやしい。
余計な詮索がどうのとか自分で言っておきながら好奇心を隠そうとはしないサナリエ。もとから好奇心は人一倍強いのだ。じろじろとエスティを眺める。
「あー、なんだよ」
「―――主人。もうばれています。それに隠す意味もそんなにありません」
と何処からか声がした。エスティの声ではない。男女不明の涼やかな声。穏やかで、そのくせに慇懃無礼と言う印象。
「誰?」
声の主を探してきょろきょろと部屋の中を見る。どこかに無理に隠れていない限りはわかるはずだった。
「んむー。誰よ、どこにいるの?」
「―――ここですよ、ほら」
声のする方へと目を向ける。エスティのいる辺りから聞こえた。エスティがふざけているのかとサナリエは思った。
「―――、え」
白蛇、だった。
とても綺麗な白蛇がエスティの首に巻きつくようにしている。―――その白蛇の背には蝙蝠のような羽がついていた。普通の生物ではありえない。
「おや、そんなに注視しないで下さい。照れます」
蝙蝠のような羽をパサリと小さく動かして言う。
蛇に蝙蝠、というのは人によっては嫌われやすい印象が強いが、その白蛇には気味悪さよりも神秘的な美しさのほうが目立っていた。綺麗な鱗に、知性の窺える金色の瞳。
「えー、と。ねえ、エスティ?いま、あたしにはその蛇みたいなのが喋ったように見えたんだけど…………」
「いえ、間違いではありませんよ」
ふふ、と笑みを含んだ優雅な口調で白蛇は言った。
「え、あ。うそっ……!『知恵ある獣』……?」
サナリエは驚愕と畏れと含んだ声で呆然してしまう。
………知恵ある獣。
聖獣とも魔獣とも呼ばれる、人以上の力を持つ人外。総じて人と同程度以上の知性と魔力を備える超越存在のひとつ。存在する次元として人族より神族に近い神秘を内包した存在である。人に畏れられ、同時に敬われるもの。辺境では彼らを聖なるものとして崇める者たちも少なくない。
―――なんでこんな街中に、なんで人間と一緒に………?
知恵ある獣達は個体差こそあるが人前に出てくる事は稀だ。だというのに何故人と行動をともにしているのだろう。そんな話は童話か伝説、または数ある英雄くらいのものである。
「まさか、―――、エスティって加護者……?」
加護者とは知恵ある獣からの加護を受ける聖人だ。加護の程度にもよるが国家をあげて錬成される騎士に並んで強力な力を個人で所有する、本当に英雄みたいな人族だ。
加護のなかで契約した獣そのものが行動をともにするのは最大級の親愛と加護を意味する。
しかし。
「―――おい、ソォ。てめぇ、なに勝手に出てきてやがる」
「関係ありませんよ。こっちの認識操作なんて最初からそのお嬢さんには効いていませんから。―――ああ、サナリエさん?別に畏まらなくていいです。私はあんな人の宗教概念に組み込まれるような存在ではありませんので。逆に我々は神や悪魔、それらの神秘に対してあまり近づくつもりはありません」
存外に『知恵ある獣』ごときと一緒にするな、という意図を含んだような事を言う。
ソォと呼ばれた白蛇の言葉にエスティはとても怪訝そうな顔をする。
「認識操作が効いてない?………、それは本当か?」
そうです、と白蛇・ソォは頷き、その黄金色の瞳でサナリエを見つめる。
「どうやら―――サナリエさんには相当な潜在能力があるようですね。ここに入り込めたのもそのおかげのようです。当然、彼女には今のこの部屋の内装や主人の姿かたちもそのままに見えていることでしょう」
「うわ……」
小さく呻くエスティ。
まるで加護者がどうとか言う以上にサナリエこそが脅威だと言わんばかりの彼らの様子に逆にびっくりして困惑するサナリエ。もはや話についていけない領域である。
「……?」
「サナリエ。いま、俺の事がどう見える?姿とか髪や目の色、それに雰囲気」
「?えーと、あたしより少し年上の男の子?黒髪に黒瞳、雰囲気は……悪戯小僧?」
「ぐわっ、ホントにそのまんまだっ!嘘だろ、おい。―――ちなみに最後は余計だ」
本当なら優しげ男性Aに見えるはずなのに、とかなんとか言う。どこか悔しそう。
「え?え?どーいうこと?」
「サナリエは大したヤツだって事だよ。―――あー、もぉいいや。済んだことは仕方ない。ほらほら、食事を続けよう食事を。―――細かい事はどうでもいいや」
だれた様子でエスティ。その様子には気安げなものが強い。
だから居住まいを正す必要もないかな、とサナリエは感じた。それに彼女自身、誰かしらに必要以上に丁寧に接するのは嫌いだった。
「えー、もっと細かい事を聞きたいなー?」
「ちょっと前に『余計な事は詮索しない』みたいなこと言ってなかったか?」
「むー」
頬を膨らませるサナリエ。そうしていると年相応の可愛げがある。まあ、普段が普段だから生意気な印象はどうしても拭えないけれど。
「………じゃあ、ちょっと違う面白い話をしようか」
はぐらかすようにエスティはそんな事を口にする。もっと追求したかったが、それ以上にエスティの言う「ちょっと違う面白い話」とやらが気になった。
「へぇ、面白い話?」
「こう見えても色々な所を目にしてきたんでな。あーそうだ、こんな話がある――――」
エスティは笑いながら語り始めた。
◆
何人もの人間がぶっ倒れて呻いている。
倒れているのはサナリエを追うように命じられていたバライという男の手下だ。
そのバライの手下たちは誰もが気を失っているようだ。もしかしたら死人もいるかもしれない。………が、そんな事はどうでも良いことだとウェルジットは考えている。
―――どうにも、きな臭いな。
倒れているそいつらを睥睨するウェルジット。
ちなみに最初に手を出してきたのはバライの手下連中だ。どうやらウェルジットをサナリエと勘違いして襲ってきたらしい。まあ、男女の違いがあるとはいえ双子だ。間違われるのも無理はない。見た目で大きな違いといったら髪型くらいだろうか。
双子の妹であるサナリエが騒動に巻き込まれていることはウェルジットも知っている。妹なら問題なく逃げられると思ったのだが導士崩れがいたので手負いになったらしい。しかし、まだ捕まっても殺されてもいないということは倒れている連中を締め上げて知った。
導士崩れがハロレイ(この街)に来ていた事は知っていたが、まさかバライの手下になっているとは知らなかった。この街だって広いから騎士崩れやら導士崩れはそれなりにいる。だが、まさかゴロツキ連中がそれを雇うとは。連中には分不相応な暴力である。
「少し前から妙な話が多い」
誰にとも無く呟く。
この国の英雄でもある暴君の王を妥当する為に転生者だか加護者だかが街に入ってきたという噂だってある。眉唾だが。
この世界では個人が絶大な力を持つ事がある。英雄やら加護者、それに転生者がそうだ。そんな超越存在同士の殺し合いになれば自然災害なんかよりもよっぽど性質が悪い。街が半壊する事だってあるだろう。
―――単なる噂だ。
考えをそう切り捨てる。ウェルジットは妹とは違ってどうでも良いことをわざわざ思索する趣味は無い。
さて、これから妹を探そうか、それもと騒ぎの元凶を始末しようかと考える。
そこに。
「サナリエ。―――探したぜ」
いかつい大男、バライだった。その後ろには陰鬱な雰囲気をまとった導士崩れがいた。それに四人ほどの手下がついている。
彼らを横目に見ながらウェルジットは無表情に溜息を吐く。
「バライ。僕はサナリエじゃない」
「なんだと……?」
―――知らないのも無理はない。僕と彼は面識が無いのだから。
しかも双子だから背格好がほとんど変わらない。ウェルジットとサナリエのことを男女の性差以外で見分ける事は出来ないだろう。
「………どういうことだ」
確かに違う、と納得してくれたバライ。
この双子では持っている雰囲気が大きく違う。サナリエは女なのに好奇心旺盛でやたらに活発な動的な印象であり、ウェルジットは物静かでどこか冷徹な静的な印象なのだ。
とは言ってもまず初見では、ほとんどの者はただの見間違いか演技だと誤解する。そう考えるとバライという男はゴロツキの大将にしておくには勿体無い理解力だ。世が世ならもっとマシな生き方も出来ただろうに。
「噂くらいはあっただろう。『サナリエに双子の兄がいる』というのは」
「―――ああ。聞いたことはあるぜ。ヤツに暗殺者の兄がいる、ってな。てっきりサナリエの偽装だと思っていたんだが。まさか事実だったとは」
「暗殺者?そうか。そこまで知っていたか」
―――やはりこの男、侮れん。
噂だったら『サナリエに双子の兄がいる』『その兄は後ろ暗い仕事をしている』くらいのことは聞くかもしれないが、その「後ろ暗い仕事」の中身まで知っているとは。
ウェルジットは頭の中でバライに対する脅威度の度合いを引き上げた。
「質問したい。なぜサナリエを襲う?妹は愉快犯だが性悪ではない。損害を受けて苦々しく思ってもわざわざ手を出す危険を負ってまで始末したがるとは思えない」
「こっちにも色々と事情があんだよ」
「つまり体面か。スラム街にも群れ同士の対立がある。その他の連中に『女に仕返しも出来ない』などと思われては困るという事か。くだらない」
「………俺たちみたいなのにはそんなくだらない事こそが、重要なんだよ。こんな時勢だ。小さな綻びや弱みでさえ見せるわけにはいかない。くだらないが、そんな考えが存在するんだ」
バライはいかつい顔つきに、思慮深く厳しい静かでいて強い表情を浮かべる。
ウェルジットはバライ配下のゴロツキ連中の結束力が他の似たような者達より強い事を思い出す。なるほど。確かにこの男になら人望は集まるだろう。スラム街は治安が悪く、どんな者達でも寄り集まらなければ生きていけない。一人や二人で生きていけるウェルジットやサナリエのような強い者のほうが少ないのだ。
ただ弱いだけの者が生きるにはここの環境は、厳しい。
一人では耐えられないから仲間を作り、自らの群れを守るために他の群れを威嚇する。そこでは道徳など二の次だ。妥協など出来ない、どんな汚い事でもやらなくてはならない。道徳や正義なんて語れるのは恵まれている者達だけだ。
「それで。サナリエにそうするように、僕にも敵対するか」
「それはお前さん次第だぜ。俺としてもはっきり言ってアンタみたなのは相手にしたくない。サナリエの嬢ちゃんは魔力こそ強いが魔導式の知識が無いからそんなに怖くねぇが。―――見たところアンタは別のようだからよ」
バライは倒れている連中を見ながら言う。死人はいない。もしこの倒れている者達の中に死者がいたら彼の反応はもっと違っていただろう。
―――敵対しないなら見逃す。相手にしない、か。
ウェルジットが強大な力を持っている事を認識しながらも『敵対するならば戦う』という強い意志をバライは持っている。どんな種類でも人を率いるのは何かしらの強さがいるのか。その強さが押し付けの暴力か、自らの能力かは、きっとあまり意味のある差異ではない。
―――僕は強いヤツは嫌いじゃない。
加えて言うならば持って能力を生まれた強者である自分なんかよりも、弱者と生まれつきながら強者となった彼のような者には素直に尊敬さえ思う。それがどんな種類の強さであっても獲得するまでに努力か幸運か、何かがあったのだ。
しかし、ウェルジットとしてはサナリエに肩入れすることはもう十年以上も前から決めていることなのでその好意にもあまり意味が無いし敵対するなら容赦する気などさらさらないが。
ウェルジットの内心を、バライは正しく感じ取った。
「やっぱり相手するしかねぇか。仕方ない」
バライが目配らせすると四人の手下と導士崩れが身構える。頭領の護衛役だけあってその動きはただのゴロツキなんかよりも洗練されていた。
「―――提案がある」
静かにウェルジットは言う。
「……聞こう。言っておくが時間稼ぎだったら意味は無いぜ」
「提案はこうだ。サナリエは僕のほうからお前達に手出ししないように説得する。妹を説得するのは骨だろうが、できなくはない。それでどうだ」
「いまさら、そんな事を聞けるかよ」
「もちろん、ただそれだけなんて虫がいい話なんかじゃない。―――交換条件として仕事を無料で請け負おう」
その言葉を聞くと、すぐにバライの表情に理解の色が浮かぶ。本当に察しのいい男だ。
人差し指を立てて言う。
「一人だ。お前が敵対する連中のうちの誰かたった一人だけを始末してやる。誰でもいい」
「誰でもいい、だと?」
「そうだ。他の連中の頭領格だって始末してやる。―――贅沢を言うならばとりわけ悪人がいい。僕だって小さな良心がある。どうせ殺るなら悪人だ」
「―――……一人というのは少なくはねぇか?一人殺したくれぇじゃ優位には立てん」
「その選択はお前が選べ。たった一人だけでも、誰を狙えばより効果的かお前ならば分かるはずだ。僕の見立てでは、お前にはそれだけの能がある」
バライは思案する。このごつい大男の頭にはスラム街の力関係のほとんどが納められているはずだった。
「分かった。交渉成立だ。―――そっちから手出ししない限り、もうあの嬢ちゃんにはこっちからは何もしないように仲間には言い含めてやる」
「ただし、いまサナリエがどこにいるか分からない。もしサナリエが死んでいるような事があったら。交渉は無効だ。―――一人の残らずお前らの仲間を始末してやる」
ウェルジットの殺気に周囲の温度が急に下がる。実際に魔力を孕んだ殺気だ。物理的にも温度が下がっている事だろう。
直接に威圧されたわけでもないのに四人の手下たちは全身を引きつらせて硬直し、魔力抵抗があるはずの導士崩れさえ身構える。バライはたいしたものだ、正面から殺気を受けて顔面蒼白になりながらもニヤリと笑う。
「ああ、いいぜ。その時は、戦争だ」
「僕は言ったぞ」
踵を返すウェルジット。それを他の六名は見送った。
………こうしてサナリエの騒動は一応の解決を見せた。
◆
その頃、騒動の解決を知らないサナリエはエスティやソォと談笑していた。
「それで?それで?そのでっかいのってどんなの?」
「ん。この辺の建物よりも大きい人形だよ。鉄の。中に人が乗れてね、運転するんだ」
「人形?要するに魔導士が使役したりする石像みたいなものでしょう?運転するって、馬車とかみたいに?」
「運転するって意味では同じかなー。それで、そいつが倉庫にいっぱいあってさ。記念に一つもらってきたんだよね。もちろん、無断でさ」
パクッてやったぜ、はっはっはっ!とエスティ大笑い。なんだか見てるサナリエも楽しくなってくるような笑い方だった。
「でもなんでそれにしたのよ?もっと強いのとか他にあったんでしょう?」
「人間と同じ形をしていたのが競技用のそれしかなかったんだ。普通、道具ってのは用途別に先鋭化した形をするものだから。人の形していないのが多いんだ。―――で、何で人の形をしたヤツにしたかというと、趣味以外の何者でもないな」
「主人、何度も転んばして二体ほど壊してから逃げましたよね。『俺のせいじゃなくてこいつが悪い』とか何とか言ってましたけど」
「あっはっはっ、なにそれぇ」
くすくすと笑うサナリエ。
エスティの話はおおよそ現実的ではなかったが空想にしては内容が細かかった。ところどころで名称を伏せているのが分かったが、エスティの語る物語はとても面白かった。
エスティが自分の体験談を語り、その過去をソォがここがこうだった、こうすべきだったとなじるのだ。その掛け合いもなかなか愉快だった。
サナリエにとってはエスティの話の真偽はともかくその物語は面白かった。楽しいのでその話が嘘かどうかなんて二の次である。
すっかり二人(と一匹?)で食後にお茶を用意してお菓子をつまみつつ話し込む。
特にエスティとサナリエは基本的に快楽主義者なので意気投合しつつある。
「これって面白い色合いのお茶よねー。薄い緑色って。あたしは茶色とかしか見たことないわ」
「そりゃあそうだろうな。こいつは俺が元いた場所から持ってきたものでね。まあ、それでも不味くは無いだろう?」
「あと甘いお菓子なんてあんまり口にできないしねー。お茶なんて嗜好品だし、砂糖なんかなんてこの辺りじゃ滅多に手に入らないもん。この手の贅沢品はここ十年近くご無沙汰だったわ」
「はっはっはっ。好きなだけじゃんじゃん食え。入手経路は秘密だぞ。―――あと、そんなに食べると太るぞ?」
「女性に太るとか禁句よー。エスティ、紳士失格―」
「ふぅん?この辺りでも細身のほうが美人なのか?」
「そりゃだらしなく太っているよりはいいわよ」
「―――へぇ。そこまで価値基準が似ているなら分かりやすくてよろしい」
「どういうこと?」
「人間の美的感覚なんて場所によって曖昧でね。逆に太っているほうがいいとか。場所によって価値基準なんてがらりと変わるから。それ以外にも、ある場所で合法な行為がある場所だと死刑になるほど重い罪だったりすることなんてそんなに珍しくない」
ふぃー、と疲れた感じに溜息を吐く。
「ふーん。経験者って感じねぇ。旅とかってもう長いの?」
「まだ半年ってところか。元いた場所ってのも面白くはあったんだけど、もっと面白いことがあったからそっちに乗ったってとこだ。より愉快なほうを選択したんだ」
どんな選択だったかは口にしないがエスティの表情に後悔の色は微塵も無い。
「でも故郷を離れるのって、寂しくない?」
「んー、そうでもないな。俺って昔から妙な放浪癖があったし、理由は忘れたけど電車を使って一人で茨城から広島まで行ったりしたしなー。小学生の時だぜ?たしかとっといたお年玉まで使ったんだよな。理由はなんだったっけ?やっぱり理由は無かったかなー。きっと俺っと故郷とかどうでもいいんだろうな」
「?へ?」
「主人。いきなり物思いに耽らないで下さい。知らない名称が出てきてサナリエさんが困惑しています。―――それに過去の奇行なんて聞かされても困りますよ」
「おっと、悪い。気にしないでくれ。……で?サナリエも旅とかしてみたいのか?」
話の矛先を向けられてサナリエは少し返答に詰まる。
「あたしは、そうね。……あたしも、どっか遠くに行ってみたいかな。こう、ずぅーっと遠くの場所をにまにま笑いながら見てまわるのよ。うん、きっと面白いわ、それ」
「ああ、面白いぞ。―――うーむ、同意見だったなぁ、俺も」
「同意見だった?過去形?」
「だって、いまの俺がそんな感じだからさ。やってみたい、じゃなくて実行中だから」
「なるほどねぇ」
ふむふむとサナリエは頷く。そう思うと何かエスティが羨ましい。きっと彼は何処までも遠くに行ってみようとしているのだろう。
―――んー。私も、そういうことをしてみたい、かも。
もとより故郷なんて持たない身だ。こんなスラム街なんかでこれから一生を過ごすつもりは初めから持っていない。
緑のお茶をこくこく飲んでから「ほぅ」と息を吐く。
「そうねー。あたしもエスティについて行って色々見て回れたらきっと楽しいでしょうねぇ」
思いつきで口にする。ぼんやりとしている彼女を見つめてエスティは言う。
「―――じゃあ、来るか?」
「へ?」
思わず間抜けな声を出してしまうサナリエ。エスティを凝視する。
エスティも笑いながらサナリエを見る。
冗談っぽくニタニタ笑っているが、少しだけ表情が真剣そう。
「きっとお前なら俺よりも旅を楽しめるんじゃないか?よかったら来てみろ」
「でも―――」
言い淀むサナリエ。
―――いきなりそんな事を言われても。
その戸惑っているサナリエに対し、どこか楽しそうにエスティは告げる。
「人は出会いと偶然でいくらでも変われるし変わってしまう。俺がその代表例さ。ようはきっかけだ。あの妙なオッサンが来なかったら俺だっていつまでも面白おかしくもとの場所に定住していただろう。――いいさ。答えはすぐでなくても。俺だって元々は定住者だったし、答えを出すのに時間がかかった。まあ、よかったらそういう選択肢があることを覚えておくといい」
くっくっ、と笑いながら言う。そんなエスティに対してソォが口を挟む。
「主人。彼女を誘うつもりですか?」
「ソォ。思い出せ。俺だって誰かに誘われたクチだぞ。だったら俺も誰かを誘ってみても悪くないはずだ。ちなみに何かルール的に問題ってあったか?」
「ありませんけどね。いいでしょう。好きにして下さい」
「―――だとさ。まあ、しばらくはこの辺りにいるはずだからその間に答えを出すといい」
そう言うとエスティはテーブルのお菓子をぱくっと食べた。「うん、甘い」とか言う。
「そうねぇ。あたしは―――」
「―――おや、来客ですね?」
言いかけたサナリエの言葉をソォが遮る。エスティの肩から、ふわっと柔らかく飛び上がる。
「どの辺りに?」
「この仮住まいのすぐ近くにきています。印象迷彩を施していますから、扉に気付けていないみたいですね。―――おお、これは。サナリエさんにそっくりな男性です」
「ウェルだわ、そいつ」
「うん?だれ?」
「あたしの兄貴よ。たぶん、あたしを探しに来たんだと思うわ。兄貴って魔導も使えるからあたしの大まかな位置くらいはつかめるのよ」
「へぇー。……ソォ、印象迷彩を解除。入れてやれ」
「分かりました」
◆
「ありゃ?ウェルが問題を解決しちゃったの?」
「そうだ。僕としては不本意だったが、仕方ない」
双子の兄妹の間で情報のやりとりをした。ウェルジットは妹に暗殺依頼を受けた件は伏せて事のあらましを説明。これで何でもなかったことになったと。
「―――おー、似ているな」
ウェルジットとサナリエが並んでいるのを見てエスティは言う。エスティから見たら二人の違いは髪型くらいのものだ。サナリエは長い赤毛を後ろで一つに括っている。ウェルジットのほうは短く切りそろえている。よくよく見れば男女の性差で体型が微妙に違うが、それだけだ。
似てる似てる、と楽しげに呟くエスティにウェルジットは視線を向ける。
―――妙なヤツだ。
そうウェルジットは思う。どことなく普通でない雰囲気を持っているが、悪い人間ではないように見える。ウェルジットは自分の目を信じることにした。
「エスティと言ったか。サナを助けてくれたらしいな。感謝する」
「ん。気にしなくていいぞ。好きでやった事だ」
手をひらひらさせて気安げに言うエスティ。
「どうだい?ウェルジットもここでしばらく休んでいく?新しいお茶と菓子も出すけど」
「………いい話だが断っておく。長居するのも悪い。それに」
ウェルジットはまだ菓子を好きにかじっているサナリエの首根っこを掴む。いきなり首を掴まれたサナリエは「はふぅ」と呻く。
「サナが本当に世話になった。妹があんまりそちらの迷惑になってもあれだ」
「っつ。なにすんのよ!」
掴まれているサナリエが「がぁー」と暴れる。なんだか女の子がするにはいやにパワフルな動きだった。が、そこは兄、それを難なくいなしている。
しばらくするとサナリエは脱力して動きをぱったりと止めた。どことなく猫っぽい、と思って笑うエスティ。
「あううぅ〜」
「サナリエ、泣くな泣くな。ほれ、菓子を包んでやるから」
どっからか包みを取り出してくるエスティ。いくつかの包みを「ほれ」と突き出す。
「わっ、ありがとっ」
「………」
喜ぶサナリエに渋い顔をするウェルジット。対照的な双子で面白いなぁ、とエスティ。
ちなみにソォは、また説明するのが面倒くさい、という理由でエスティの服の下に隠れて「何で私がこんな目にあっているのでしょうか?」などと後ろ向きに自問自答している。
「じゃ、ウェル。あたしは先に帰っているわよっ!―――エスティもまた会いましょう」
からからと笑いながら菓子の入った包みを大切そうに抱えて部屋から出て行くサナリエ。エスティは「じゃ、またー」と軽く手を振る。ウェルジットは溜息を吐く。
「では僕も帰るとしよう。本当にサナのヤツが世話になった」
「だから気にしなくていい」
そう言うエスティにウェルジットは静かな目を向ける。
「しかし、サナが懐くのは珍しい。―――サナが懐くということはエスティ、君は変わり者なんだな。きっと」
「変わり者?」
んっふっふ、とエスティは笑う。よく笑う男だなとウェルジットは思う。いつもむっつり黙っている自分とは大違いだ。何か感心してしまう。
エスティの笑みに見送られてウェルジットはその場を後にした。
「―――……変わり者っていったら、たしかに俺ぁ変わり者だ。なにせ世界の秩序からさえも微妙に逸脱しちゃっているからなー」
「主人。なにをいまさらな事を言っているんですか」
一人静かに言うエスティ。その服の下からソォがもごもごと答えた。
◆
「ほらー。ウェルも食べる?」
「僕は甘いものは苦手だ」
双子は住処にいた。
スラム街の一角にある小さな、だが、たった二人の兄妹が住むには十分な大きさの家。
元々は廃墟になりかけていたのを二人が修繕して使っているのだ。とは言っても二人ともあまり家に寄り付かないのでもっぱら就寝くらいにしか使っていない。
サナリエは長椅子に寝転がって、貰いものの菓子をパクついている。ウェルジットはそれを横目で見ながら黙々と本を読んでいた。スラムではないまともな方の通りにある古本屋で購入した本だ。サナリエは本なんて見ると嫌そうな顔をするがウェルジットにとっては本に書かれている物語を読むのは娯楽としては面白かった。つかの狭い世界を思い出させてくれるから。
「サナ。―――あのエスティってどういう奴なんだ?サナにしては随分と懐いていたが」
「へぇー。ふーん。………気になるんだ?」
「別に、お前の彼に対する印象を聞きたかっただけだ。そのニヤニヤ笑いを引っ込めろ」
スティック状のお菓子を行儀悪くくわえたまま、サナリエは「うーん」と考えて。
「そうねぇ。―――面白い人だった、かな」
「面白い?」
「何でもかんでも眺めて『面白い』って思っているような感じかしらねー。傍観者ってわけでもない。見ているだけじゃなくて積極的に関わってこようとするような」
うんうん、と彼女は自分の考えに納得するように頷く。
「それにお菓子をくれたしね♪」
「むしろサナにとって重要なのはそこか」
ジト目で餌付けされてしまった妹を見るウェルジット。食い物に釣られるとは。サナリエはそんなウェルジットの視線に構わずにパクパクとお菓子を食べている。
「………たしかにおかしくはある。こんなスラムに隠れているくせに菓子やら茶なんかの贅沢品を人に振る舞うような金銭的な余裕があるなんて」
「ウェルー……。もしかしてエスティのこと嫌い?」
むー、と非難するような視線を向けてくる。
それに対して静かに首を横に振るウェルジット。
「いいや。妙だとは思うが悪い奴だとは思わない。気まぐれそうなのが少し怖いが。―――それに、まがりなりにも身内の恩人でもあるからな」
「まがりなりにも、ってのが気になるわねー」
「気にするな。―――、ん。時間か」
「?―――ウェル?どうしたの?」
本をパタンと閉じて立ち上がったウェルジットを見てサナリエが尋ねた。ウェルジットは本を自前の本棚に戻しながら答える。
「ちょっと出かけてくる?」
「ふぅーん。………恋人でも出来たか兄貴。にひひひ」
にまにまと笑うサナリエ。
「ほぅ?僕にそんな相手がいるとサナは思うのか?」
「さぁ、いてもおかしくはないんじゃない?愛想無いけど顔は良いしねぇー」
双子の妹の言葉に兄は呆れる。
「サナ。同じ顔をした相手にそんな事を言ってもな。暗に自分の顔を褒めているのか」
「その通り。……まあ、実際に兄貴に恋人ができるような甲斐性とか色気があるとは思えないけどねー」
実はウェルジットには恋人くらいはいるのだけど。教えようとは思わない。
―――僕は妹に遊ばれるのは嫌だからな。
「そっくりそのままお返しするよ。お前こそもっと可愛げを持つべきだ。言い寄る男を殴ってばかりじゃ恋なんか出来ないぞ」
これは結構、本気で言うウェルジット。正直な所、こいつを制御できる誰かが出てきて欲しいものだとウェルジットは思う。
「あら。だったら今日会ったエスティにでも声かけてみようかしら?」
「好きにしたらいい。―――じゃあ、僕は出かけてくるよ」
例の交換条件について話をしてこなくてはならない。
家から出る。
外はすっかり暗い。スラム街には街灯なんてものは設置されていない。ただひたすらに暗い中でこそこそとスラムの住人がそれぞれの理由で闊歩しているのだ。
ただでさえ治安が悪いここは、夜になるとさらに物騒になる。ウェルジットやサナリエくらいに腕が立つものでなければ夜の出歩きは控えるべきだろう。
住処にしている家の周囲に建設した結界がきっちり作動しているか確認する。普通、いくらこの世界の住人が多少の魔導、魔法が使えるとしても結界なんて複雑な効果を持つものは造ることが出来ない。しかし、ウェルジットには魔導の知識があり、それなりの結界ならば作成、維持ができる。
双子の住処に作成した結界はそこそこの上等品だ。この結界があれば例え尾行してくるヤツがいたとしても自分たち双子のことを見失ってくれる。―――そのはずだった。
「よ、ウェルジット」
「!………エスティ?」
驚きに、僅かにウェルジットの声が震えた。ウェルジットが驚くことはあまりない。
その様子にまるで頓着せずにエスティは楽しげに声をかける。
「いや、別に君らの家に訪問するつもりはないから。ただ、忘れ物を届けに来ただけ」
「忘れ物、だって?」
「ん。これだ」
スタスタとすぐ近くまで歩み寄ってきてウェルジットの手の中に何かを押し付けてくる。鞘に納まった短刀。鍔元には意匠を凝らした造り。―――サナリエの得物だ。
本当に忘れ物を届けに来ただけのようだった。ウェルジットがひどく苦労して施した結界を軽々と突破して。
初めから只者ではないと思ってはいたが、―――。
「………エスティ。お前は、いったい何者だ」
「さぁ。いったい俺はナニモノでしょう。―――哲学の問答かい?」
なら暇な時にしてくれよ、と笑うエスティの様子に、どこかウェルジットは寒気を感じた。
「質問に答えて欲しい」
「ウェルジット」
静かにエスティは言う。
どことなく苦笑するような表情。
「聞かれて困るのはお互い様。―――君らだって普通の双子じゃないだろ?」
「!―――なぜそれを……?」
なぜ、この少年が自分たち――知っているのはウェルジットだけだが――の秘密を知っているんだ?誰にも言った事はないはずだと言うのに。
内心で激しく動揺するウェルジットに、エスティはどう言ったらいいのか、と思案顔になる。
「遺伝子的に、まず男女の一卵性双生児なんてありえない。―――とか言ってもわからんだろうなぁ。この世界が幻想寄りだとしても遺伝子の決まりがなくなるほど属性域が離れているはずはないからこの推測は間違ってないと思うんだけど。―――ああ、安心してくれよ。君らが普通じゃないって事はわかっているからとそれについて詮索する気なんかないから」
すっ、と踵を返すエスティ。
「あ、待て………!」
「じゃあ、また近いうちに―――」
くっくっ、と笑いながらエスティはそのまま闇に輪郭が溶け込んでいって、いなくなった。