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午前零時の図書館シリーズ

午前零時の図書館 ― 味覚を失ったパン屋「美味しいパンをもう一度」

作者: ジャム之介
掲載日:2026/07/11

午前零時の図書館 第四話をお届けします。

 日が傾きはじめた。

夕食の買い物で主婦は忙しそうに店を巡るが、プロフの店に客が立ち寄る様子はない。

子供達も家に帰ろうと急いでいた。

プロフは店のカウンターから店内を見る。

「ふう~」

今日も大きなため息がでる。

商品棚には売れ残ったパンの山がいくつもあった。

「売れんなあ」

そうつぶやくと、袋に売れ残ったパンを詰めていく。

あらかた詰め終わると、近所にある孤児院へ向かう。

孤児院は教会の隣に併設されている。

扉をノックすると、返事と共に扉が開く。

「はーい…あっプロフさん、いつもありがとうございます」

プロフに気付いたシスターが挨拶する。

「いえいえ、売れ残りで申し訳ないです」

「とんでもありません。子供達が、いつも楽しみにしてるんですよ」

シスターは満面の笑顔で、パンでいっぱいになった袋を受け取る。

孤児院から店へ戻る道、両肩を落とし心持ち背を丸めて歩くプロフ、その足取りは重かった。


 原因不明の病にかかったパン屋の主人プロフ。

何日も高熱にさらされ、味覚を失ってしまった。

それから焼くパンは、以前の美味しさが無くなった。

以前は商店街の外れにもかかわらず、行列が出来る店と評判だった。

しかし今では、ほとんどの客が離れてしまい、このままではパンを作り続ける事が出来ない。

パン屋の店主は苦悩する。



 ある晩の出来事。

深夜に遠くから鐘の音が聴こえて来る。

次第に耳を塞ぐ程に大きくなってきた。

その時、目の前に大きな扉が現れる。

ゆっくりと扉を開けると、高い天井、広いロビー、横には幅広い受付のテーブルがある。

受付の前に黒いスーツに黒のシルクハット、左手に黒のステッキを持った男が一人。

こちらに向かって一礼して話し始める。


 「ここは午前零時の図書館です。

私はこの図書館の管理人をやっております。

ここには生きている者の人生が、記された本が有ります。

あなたの本も、その机の上にあります。

過去は変えることは出来ませんが、これから起こるであろう未来の行動を

人生で一度だけ書き換えることが出来ます。

一文にまとめた形で、お書きください。

ぜひとも後悔無きよう、宜しくお願いします」


 店主のプロフが机の前に立つ。

机の上には、白いページが開く1冊の本が置いてある。

本の右側にはペンが添えられていた。

プロフは席に座り、ゆっくりとペンを取る。

しばらく考えてから一文を書いた。

「もう一度、美味しいパンを焼ける」

書き終えてペンを戻すと、自然と本が閉じて目の前から消えていく。

「未来は書き換えられました」

この管理人の言葉で、プロフは元の場所に戻っていった。



 翌日。

昼が少しまわった頃、プロフの店の出入り口近くで、少女がしゃがみ込んでいた。

「お嬢ちゃん、どうしたんだい」

プロフが店から声をかける。

「お腹がすいたんで、待ちきれなかった」

「孤児院の子か?」

「うんセシルっていうんだ、今日はパンの焼ける良い匂いがしたから、夕方届くパンが少ないと思って店に来てみた」


 プロフはコッペパンを差し出して話す。

「良い匂いのときは、孤児院に届くパンが少ないのかい?」

「うん、良い匂いのときはおいしい、良い匂いじゃないとそうでもない」

プロフは店内を見る。

「たしかに、今日はパンの売れ残りが少ないな」

「セシルちゃん、今日のパンは美味しい?」

「うん、今日は昨日よりおいしい!」

『昨日と今日で、パンの焼ける匂いの違いが分からなかった』

プロフは、はっと気づく。

『舌だけじゃなく、鼻も悪くなっているのか』


「セシルちゃん、明日は、朝早く来てくれないかな。パンの焼ける匂いを教えて欲しいんだ」

「孤児院に住んでて、外出時間が決まってるからだめ」

「だったら、ここに住んだら良いよね。そうしたら毎日、お腹いっぱいパンが食べられるから」

セシルは笑顔で応える。

「うん、良いよ」

翌日、シスターに相談すると「セシルが望むのでしたら、宜しくお願いします」と快諾してくれた。

その後、少女セシルはプロフのパン屋に住込みで働くことになった。



 ある日の午後。

プロフの店に二十代前半の、見慣れない男がやってきた。

ピシッとした上等な服にピカピカの靴、髪はきれいに刈りそろえている。

店先で少女セシルを見つけると、横柄な態度で近づいてきた。

「なんだ。どこの小娘だ。向こう行けよ!」

セシルを手で追い払うように、店の外に追い出す。


「おじさん。久しぶり~。身体の調子はどう?」

「なんだカールか、三年ぶりだな。それで何の用だ」

プロフは甥のカールに、ぶっきらぼうに返事をする

「いや~、おじさんが病気してから中々調子悪そうやから、心配して様子を見に来たんよ」

「そうか、身体はぼちぼちだ」

プロフの素っ気ない返事を気にせずカールは続ける。

「まあ~おじさんも歳やし、そろそろ俺に店を譲って良い時期やないかと思ってね」

「ふん、修行がきつくて音を上げ、逃げ出すような奴が何を言ってんだ」

「はあ~」

カールはとぼけた声をだすと、そばのテーブルからパンを手に取って一口かじる。

「こんなパンじゃ、売り物になんねーよ」

「えぇい!うるさい!お前なんかに言われたくないわ!!」

プロフは真っ赤な顔でどなる。

「ともかく、お前にこの店はやらん!お前の顔なんぞ二度と見たくないわ!ここから出て行け!!」

「ふんっ」

カールは手に持ったパンを床に投げつけ、足で踏みつけると店を出ていった。


 セシルは、床に散らばったパンくずを無言で片付ける。

「セシル、驚かしてしまったな」

「おじさん、大丈夫なの。顔が真っ赤だよ。手も震えているし」

「ああ、もう大丈夫だよ」

しだいにプロフの怒りが収まり、真剣な顔でセシルに話しかける。

「セシル、おじさんは心を決めた。わしはパンの作り方を、お前さんに教えたいと思っている」

セシルは不思議そうな顔でプロフを見る。

「わしの持っている技術の全部を、お前さんに受けついでもらいたいと思う」

プロフはセシルの顔を見つめる。

「わしの後継者になって欲しい。たのめるかな」

セシルは笑顔で答える。

「うん、パンは大好きだから良いよ!」



 セシルを弟子にしてから数ヶ月が過ぎた。

プロフは少しずつ、パン作りに必要な技術をセシルに伝えていく。

材料の小麦粉の選び方、生地の練り方、発酵の温度や時間、生地の成形、火加減と焼き時間など、細かい内容を教えていった。

それらを水にスポンジを浸けたときのように、セシルは吸収していく。

セシルはまだ十二歳、身体は成長の途中でパンを作るための体力が、圧倒的に足りていない。

しかし日が経つにつれ、しだいにパンの出来上がりは良くなっていった。


 ある日の朝、通りを小太りのずんぐりとした紳士が歩いてきた。

迷わずプロフのパン屋に入っていく。

「おいプロフ、最近は美味くなっとると聞いたから、来てやったぞ!」

大きな声にプロフは、その紳士に目を向ける。

「おぉ、ワットマンじゃないか。久しぶりだな。今日は何の用事だ」

「パン屋に来たんだから、パンを買いにきたのに決まっとるじゃろが。しばらく見んうちに、少し美味くなっとるみたいじゃな」

「ああ、この弟子のおかげでな」

プロフはセシルに手を向ける。

「ほう、弟子を取ったのか。また随分と若い娘っ子じゃな。大丈夫なのか」

ワットマンに笑顔で答えるプロフ。

「こう見えて、たいした娘なんだ。あの甥のカールの千倍はすごいぞ!」

「まあ、あの甥はだめじゃったな。あいつと比べても話にならんじゃろ」

プロフは、そんなワットマンにニコリと笑う。

「まあそうだな。だが、あと数年もしたら一人前になれそうなんだ。もし、俺になんかあったら、そんときはたのむぜ」

「むぅ、そんなに悪いんか?」

心配そうなワットマンに、プロフは小声で話す。

「あぁ、そんなに長くはもたんかもしれん。始めは味が分からんようになった。

次は鼻が利かん。今はもう両手にしっかり力が入らんようになってしもうた」

「そうか、そうなのか。よしっ、ともかく困ったことがあったら、なんでも相談してくれい。なんとかする」

「あぁ、そんときは宜しくたのむ」

プロフが頭を下げる。

「まかせろ!」

そう言ってワットマンは自分の胸を叩く。

そのあと両手の買い物袋がいっぱいになるまで、ワットマンはパンを買って帰るのだった。



 ワットマンが来店した次の日、プロフはセシルに話しかける。

「今、新作のパンを考えておる。だが、まだ完成しておらん。今の時点での出来を見せるが、いつかセシルお前が完成させろ」

そう言って、プロフはパンを作りはじめた。

しばらくするとパンが焼き上がる。

それは、今までと違う、白いふっくらとしたパンだった。

今までは茶色で堅く、日持ちするパンだ。

「これは白くて柔らかいパンだ。まだ膨らみにムラがあり、食感も今ひとつだ」

パンを見せながらプロフが続ける。

「食べてみろ」

「先生……お……美味しいです」

白いパンを一切れ食べたセシルは、絞り出すように返事をする。

「これを、セシルお前に託す。いつか完成させて、皆を驚かせてやれ」

それからプロフは、新作パンのレシピや作り方のメモを、セシルに渡してきた。

そのメモをセシルはじっと見つめる。

メモを持つプロフの手は、小さく震えていた。

セシルが両手でメモを受け取るとき、こぼれる涙がメモを濡らす。

プロフは「ふぅ~」と一息つくと、力なく椅子に座る。

その顔には、晴れ晴れとして穏やかな表情が浮かぶ。


数日後、プロフは帰らぬ人となった。



 プロフが亡くなって三日後のことだった。

 一人ぼっちになったセシルは、店を掃除していた。

パンの焼釜は火を落としているので、パンは焼いていない。

今は、一人でぼうっとしているのは辛いので、身体を動かしていたのだ。

そこに、カールが店にやってきた。


肩をいからして店に入ってくると、大きな態度でセシルに怒鳴る。

「おい、そこのお前、この店はこのカール様が相続したから、さっさと出て行けよ」

その声にセシルは驚き、振り返ってカールを見る。

「お前のことだよ。さっきも言ったように、この店は甥であるこのカール様の物なんだよ。分かったらはやく出て行けよ!」

「でもプロフ先生は、私に相続させるって、手続きしてるはずで……」

「そんなもんは知らん。さっき役所行って、俺がこの店を相続する手続きをやってきたんだ。

役所からは、他に相続人はいないって、言われてんだ。だから、分かったか!」

「わ……わかり……ました……」

突然のことに、セシルは両手に顔をうずめ、その場にしゃがみ込んでしまった。

そのセシルの様子に、カールは苦虫をかみつぶした表情で見ていたが、通りの向こうから一人の太った紳士が、ゆったりと歩いてくるのに気付く。


 のんびりとだが真っ直ぐ、このプロフの店に歩いてくるのが分かった。

「ふむ、何か盛り上がらん雰囲気じゃな」

そうつぶやきながら、店に入ってきたのはワットマンだった。

「なんだっ、おめえはよ。関係ない奴はひっこんでろよ。」

カールはワットマンをにらみつけながら言葉を荒げる。

「お前さんがカールじゃな。わしはワットマン商会の会長をしとるワットマンじゃ」

「そ、それが、なんだってんだ」

ワットマン商会。首都ロンサールで知らぬ者はいない大商会だ。

カールは、ワットマンの強烈な貫禄にたじろいだ。


 「お前さんが、この店を継いだのはなによりじゃ」

ワットマンがニヤリと笑う。

「おぉ、そうだろ、俺が適任なんだよ」

ワットマンはうなずきながら話しかける。

「そうか、それなら、わしがこの店に貸した金も肩代わりしてくれるんじゃな」

「えっ、そんな話は知らないぞ」

カールは驚く。

「そうか、プロフから聞いてないのか。それはしょうがないとして、金を貸しているのは確かじゃ。証文もある。この店を継いだ以上、支払ってもらおうか」

カールの顔が徐々に青ざめていく。

「い、いったい、いくらなんだよ」

「結構な額じゃぞ、この店を1軒2軒売りはらっても全然足りんじゃろな」

借金の額にカールはのけぞり叫び出す。

「そんなの払えっこないだろう!ほんとか、ほんとなんかよ!

お前は嘘をついてるに決まってる!

そうだ、お前の策略だ。これは真っ赤なうそなんだ!

この詐欺師が!!」

錯乱したカールが手を上げ、ワットマンに殴りかかった。

そのとき、素早い黒い影が横から現れて、カールの腕を掴み後ろ手にひねりあげた。

身動き出来ず、悲鳴を上げるカール。

「ワットマン商会は、物の売り買いだけじゃないんじゃ。わしの所は護衛の任務も請け負っていてな、こんな荒事も得意なんじゃよ」

ワットマンが静かにカールに言い聞かせていた。

「プロフの遺産相続の件じゃが、役人に金でも掴ませて、セシルの相続申請を潰させたんじゃないのか。わしには色々伝があってな、そういう話はすぐ耳にはいるんじゃよ。まあ、それはそれとして、払う気になったか。払えんなら、鉱山で死ぬほど働いてもらおうかの」

「相続は中止、取り消しだっ!今すぐ役所行って取り消しします!こんな店なんかいらんです!」

カールは口から泡を吹きながら話す。

ワットマンが護衛に目で合図すると、カールは解放され、逃げるように店から飛び出していった。


 カールがすごい速度で消えるのを見ていたワットマンは、柔らかな表情でセシルに話かける。

「セシル、これでもう大丈夫じゃろう。この店とセシルのことはプロフからたのまれておってな、なんかあったら助けてくれいと」

セシルの手を取り、立ち上がらせる。

「借金のことは、本当のことじゃがな。それもプロフの計画じゃ。お前さんが成人したら借金は棒引きになる。まあチャラということになっとるんじゃ」

笑顔で話しかけるワットマン。

「明日から、この店はセシルのものじゃ」

目を真っ赤に腫らしたセシルがワットマンに話す。

「ワットマンさん、ありがとうございました。これでプロフ先生との約束が守れそうです。新しいパンは絶対に完成させます」

ワットマンが真剣な表情でセシルに目を向ける。

「うむ、完成したら、一番にわしに食べさせてくれ。約束じゃぞ!」

「はい、かならず!」

セシルは笑顔で答える。



エピローグ


 プロフの寿命が尽きようとしていた。

弟子のセシルに製パン技術の伝授を、道半ばにして寿命を迎える。

弟子にまだ伝えることがある。

残さなければいけない技術がある。

プロフが未練に悶えていると、遠くから鐘の音が聞こえてくる。

次第に鐘の音は、耐えがたいほど大きく鳴り響く。

いつの間にかプロフは、午前零時の図書館にいた。

周りに人の姿はなく、机の上にもプロフの本はない。

未来は一度しか書き換えることができない。

変えられる未来が無いプロフは、その場で途方にくれていた。


 「そういえばパンの事について、良い本が有りましたね。一度読まれたらどうですか」

図書館の奥のほうから、管理人の言葉が聞こえてくる。

その言葉に呼ばれるように図書館の奥へ進む。

店の本が並べてある棚があった。

パン屋、鍛冶屋、服屋、食堂など。

誘われるようにパン屋の本を手に取りページを開く。

目の前が真っ暗になり、プロフは本の中に吸い込まれた。


題名『本の中のパン屋』


遠くから管理人の声がする。

「そこには時間が存在しませんから、気の済むまでパンが焼けますよ。

もしかすると夢の中で、お弟子さんに会えるかもしれません。

いつか美味しいパンが焼けたら、食べさせてもらえると嬉しいです」


図書館の館内には、静かに木霊する鐘の音が残る。


この作品がお気に召されたましたら、評価・感想など頂ければ今後の執筆の励みになりますので、ぜひお願い致します。

 また毎月第二土曜日 午後9時ごろに「午前零時の図書館シリーズ短編」を投稿していきますので、宜しくお願いします。

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