午前零時の図書館 ― 味覚を失ったパン屋「美味しいパンをもう一度」
午前零時の図書館 第四話をお届けします。
日が傾きはじめた。
夕食の買い物で主婦は忙しそうに店を巡るが、プロフの店に客が立ち寄る様子はない。
子供達も家に帰ろうと急いでいた。
プロフは店のカウンターから店内を見る。
「ふう~」
今日も大きなため息がでる。
商品棚には売れ残ったパンの山がいくつもあった。
「売れんなあ」
そうつぶやくと、袋に売れ残ったパンを詰めていく。
あらかた詰め終わると、近所にある孤児院へ向かう。
孤児院は教会の隣に併設されている。
扉をノックすると、返事と共に扉が開く。
「はーい…あっプロフさん、いつもありがとうございます」
プロフに気付いたシスターが挨拶する。
「いえいえ、売れ残りで申し訳ないです」
「とんでもありません。子供達が、いつも楽しみにしてるんですよ」
シスターは満面の笑顔で、パンでいっぱいになった袋を受け取る。
孤児院から店へ戻る道、両肩を落とし心持ち背を丸めて歩くプロフ、その足取りは重かった。
原因不明の病にかかったパン屋の主人プロフ。
何日も高熱にさらされ、味覚を失ってしまった。
それから焼くパンは、以前の美味しさが無くなった。
以前は商店街の外れにもかかわらず、行列が出来る店と評判だった。
しかし今では、ほとんどの客が離れてしまい、このままではパンを作り続ける事が出来ない。
パン屋の店主は苦悩する。
ある晩の出来事。
深夜に遠くから鐘の音が聴こえて来る。
次第に耳を塞ぐ程に大きくなってきた。
その時、目の前に大きな扉が現れる。
ゆっくりと扉を開けると、高い天井、広いロビー、横には幅広い受付のテーブルがある。
受付の前に黒いスーツに黒のシルクハット、左手に黒のステッキを持った男が一人。
こちらに向かって一礼して話し始める。
「ここは午前零時の図書館です。
私はこの図書館の管理人をやっております。
ここには生きている者の人生が、記された本が有ります。
あなたの本も、その机の上にあります。
過去は変えることは出来ませんが、これから起こるであろう未来の行動を
人生で一度だけ書き換えることが出来ます。
一文にまとめた形で、お書きください。
ぜひとも後悔無きよう、宜しくお願いします」
店主のプロフが机の前に立つ。
机の上には、白いページが開く1冊の本が置いてある。
本の右側にはペンが添えられていた。
プロフは席に座り、ゆっくりとペンを取る。
しばらく考えてから一文を書いた。
「もう一度、美味しいパンを焼ける」
書き終えてペンを戻すと、自然と本が閉じて目の前から消えていく。
「未来は書き換えられました」
この管理人の言葉で、プロフは元の場所に戻っていった。
翌日。
昼が少しまわった頃、プロフの店の出入り口近くで、少女がしゃがみ込んでいた。
「お嬢ちゃん、どうしたんだい」
プロフが店から声をかける。
「お腹がすいたんで、待ちきれなかった」
「孤児院の子か?」
「うんセシルっていうんだ、今日はパンの焼ける良い匂いがしたから、夕方届くパンが少ないと思って店に来てみた」
プロフはコッペパンを差し出して話す。
「良い匂いのときは、孤児院に届くパンが少ないのかい?」
「うん、良い匂いのときはおいしい、良い匂いじゃないとそうでもない」
プロフは店内を見る。
「たしかに、今日はパンの売れ残りが少ないな」
「セシルちゃん、今日のパンは美味しい?」
「うん、今日は昨日よりおいしい!」
『昨日と今日で、パンの焼ける匂いの違いが分からなかった』
プロフは、はっと気づく。
『舌だけじゃなく、鼻も悪くなっているのか』
「セシルちゃん、明日は、朝早く来てくれないかな。パンの焼ける匂いを教えて欲しいんだ」
「孤児院に住んでて、外出時間が決まってるからだめ」
「だったら、ここに住んだら良いよね。そうしたら毎日、お腹いっぱいパンが食べられるから」
セシルは笑顔で応える。
「うん、良いよ」
翌日、シスターに相談すると「セシルが望むのでしたら、宜しくお願いします」と快諾してくれた。
その後、少女セシルはプロフのパン屋に住込みで働くことになった。
ある日の午後。
プロフの店に二十代前半の、見慣れない男がやってきた。
ピシッとした上等な服にピカピカの靴、髪はきれいに刈りそろえている。
店先で少女セシルを見つけると、横柄な態度で近づいてきた。
「なんだ。どこの小娘だ。向こう行けよ!」
セシルを手で追い払うように、店の外に追い出す。
「おじさん。久しぶり~。身体の調子はどう?」
「なんだカールか、三年ぶりだな。それで何の用だ」
プロフは甥のカールに、ぶっきらぼうに返事をする
「いや~、おじさんが病気してから中々調子悪そうやから、心配して様子を見に来たんよ」
「そうか、身体はぼちぼちだ」
プロフの素っ気ない返事を気にせずカールは続ける。
「まあ~おじさんも歳やし、そろそろ俺に店を譲って良い時期やないかと思ってね」
「ふん、修行がきつくて音を上げ、逃げ出すような奴が何を言ってんだ」
「はあ~」
カールはとぼけた声をだすと、そばのテーブルからパンを手に取って一口かじる。
「こんなパンじゃ、売り物になんねーよ」
「えぇい!うるさい!お前なんかに言われたくないわ!!」
プロフは真っ赤な顔でどなる。
「ともかく、お前にこの店はやらん!お前の顔なんぞ二度と見たくないわ!ここから出て行け!!」
「ふんっ」
カールは手に持ったパンを床に投げつけ、足で踏みつけると店を出ていった。
セシルは、床に散らばったパンくずを無言で片付ける。
「セシル、驚かしてしまったな」
「おじさん、大丈夫なの。顔が真っ赤だよ。手も震えているし」
「ああ、もう大丈夫だよ」
しだいにプロフの怒りが収まり、真剣な顔でセシルに話しかける。
「セシル、おじさんは心を決めた。わしはパンの作り方を、お前さんに教えたいと思っている」
セシルは不思議そうな顔でプロフを見る。
「わしの持っている技術の全部を、お前さんに受けついでもらいたいと思う」
プロフはセシルの顔を見つめる。
「わしの後継者になって欲しい。たのめるかな」
セシルは笑顔で答える。
「うん、パンは大好きだから良いよ!」
セシルを弟子にしてから数ヶ月が過ぎた。
プロフは少しずつ、パン作りに必要な技術をセシルに伝えていく。
材料の小麦粉の選び方、生地の練り方、発酵の温度や時間、生地の成形、火加減と焼き時間など、細かい内容を教えていった。
それらを水にスポンジを浸けたときのように、セシルは吸収していく。
セシルはまだ十二歳、身体は成長の途中でパンを作るための体力が、圧倒的に足りていない。
しかし日が経つにつれ、しだいにパンの出来上がりは良くなっていった。
ある日の朝、通りを小太りのずんぐりとした紳士が歩いてきた。
迷わずプロフのパン屋に入っていく。
「おいプロフ、最近は美味くなっとると聞いたから、来てやったぞ!」
大きな声にプロフは、その紳士に目を向ける。
「おぉ、ワットマンじゃないか。久しぶりだな。今日は何の用事だ」
「パン屋に来たんだから、パンを買いにきたのに決まっとるじゃろが。しばらく見んうちに、少し美味くなっとるみたいじゃな」
「ああ、この弟子のおかげでな」
プロフはセシルに手を向ける。
「ほう、弟子を取ったのか。また随分と若い娘っ子じゃな。大丈夫なのか」
ワットマンに笑顔で答えるプロフ。
「こう見えて、たいした娘なんだ。あの甥のカールの千倍はすごいぞ!」
「まあ、あの甥はだめじゃったな。あいつと比べても話にならんじゃろ」
プロフは、そんなワットマンにニコリと笑う。
「まあそうだな。だが、あと数年もしたら一人前になれそうなんだ。もし、俺になんかあったら、そんときはたのむぜ」
「むぅ、そんなに悪いんか?」
心配そうなワットマンに、プロフは小声で話す。
「あぁ、そんなに長くはもたんかもしれん。始めは味が分からんようになった。
次は鼻が利かん。今はもう両手にしっかり力が入らんようになってしもうた」
「そうか、そうなのか。よしっ、ともかく困ったことがあったら、なんでも相談してくれい。なんとかする」
「あぁ、そんときは宜しくたのむ」
プロフが頭を下げる。
「まかせろ!」
そう言ってワットマンは自分の胸を叩く。
そのあと両手の買い物袋がいっぱいになるまで、ワットマンはパンを買って帰るのだった。
ワットマンが来店した次の日、プロフはセシルに話しかける。
「今、新作のパンを考えておる。だが、まだ完成しておらん。今の時点での出来を見せるが、いつかセシルお前が完成させろ」
そう言って、プロフはパンを作りはじめた。
しばらくするとパンが焼き上がる。
それは、今までと違う、白いふっくらとしたパンだった。
今までは茶色で堅く、日持ちするパンだ。
「これは白くて柔らかいパンだ。まだ膨らみにムラがあり、食感も今ひとつだ」
パンを見せながらプロフが続ける。
「食べてみろ」
「先生……お……美味しいです」
白いパンを一切れ食べたセシルは、絞り出すように返事をする。
「これを、セシルお前に託す。いつか完成させて、皆を驚かせてやれ」
それからプロフは、新作パンのレシピや作り方のメモを、セシルに渡してきた。
そのメモをセシルはじっと見つめる。
メモを持つプロフの手は、小さく震えていた。
セシルが両手でメモを受け取るとき、こぼれる涙がメモを濡らす。
プロフは「ふぅ~」と一息つくと、力なく椅子に座る。
その顔には、晴れ晴れとして穏やかな表情が浮かぶ。
数日後、プロフは帰らぬ人となった。
プロフが亡くなって三日後のことだった。
一人ぼっちになったセシルは、店を掃除していた。
パンの焼釜は火を落としているので、パンは焼いていない。
今は、一人でぼうっとしているのは辛いので、身体を動かしていたのだ。
そこに、カールが店にやってきた。
肩をいからして店に入ってくると、大きな態度でセシルに怒鳴る。
「おい、そこのお前、この店はこのカール様が相続したから、さっさと出て行けよ」
その声にセシルは驚き、振り返ってカールを見る。
「お前のことだよ。さっきも言ったように、この店は甥であるこのカール様の物なんだよ。分かったらはやく出て行けよ!」
「でもプロフ先生は、私に相続させるって、手続きしてるはずで……」
「そんなもんは知らん。さっき役所行って、俺がこの店を相続する手続きをやってきたんだ。
役所からは、他に相続人はいないって、言われてんだ。だから、分かったか!」
「わ……わかり……ました……」
突然のことに、セシルは両手に顔をうずめ、その場にしゃがみ込んでしまった。
そのセシルの様子に、カールは苦虫をかみつぶした表情で見ていたが、通りの向こうから一人の太った紳士が、ゆったりと歩いてくるのに気付く。
のんびりとだが真っ直ぐ、このプロフの店に歩いてくるのが分かった。
「ふむ、何か盛り上がらん雰囲気じゃな」
そうつぶやきながら、店に入ってきたのはワットマンだった。
「なんだっ、おめえはよ。関係ない奴はひっこんでろよ。」
カールはワットマンをにらみつけながら言葉を荒げる。
「お前さんがカールじゃな。わしはワットマン商会の会長をしとるワットマンじゃ」
「そ、それが、なんだってんだ」
ワットマン商会。首都ロンサールで知らぬ者はいない大商会だ。
カールは、ワットマンの強烈な貫禄にたじろいだ。
「お前さんが、この店を継いだのはなによりじゃ」
ワットマンがニヤリと笑う。
「おぉ、そうだろ、俺が適任なんだよ」
ワットマンはうなずきながら話しかける。
「そうか、それなら、わしがこの店に貸した金も肩代わりしてくれるんじゃな」
「えっ、そんな話は知らないぞ」
カールは驚く。
「そうか、プロフから聞いてないのか。それはしょうがないとして、金を貸しているのは確かじゃ。証文もある。この店を継いだ以上、支払ってもらおうか」
カールの顔が徐々に青ざめていく。
「い、いったい、いくらなんだよ」
「結構な額じゃぞ、この店を1軒2軒売りはらっても全然足りんじゃろな」
借金の額にカールはのけぞり叫び出す。
「そんなの払えっこないだろう!ほんとか、ほんとなんかよ!
お前は嘘をついてるに決まってる!
そうだ、お前の策略だ。これは真っ赤なうそなんだ!
この詐欺師が!!」
錯乱したカールが手を上げ、ワットマンに殴りかかった。
そのとき、素早い黒い影が横から現れて、カールの腕を掴み後ろ手にひねりあげた。
身動き出来ず、悲鳴を上げるカール。
「ワットマン商会は、物の売り買いだけじゃないんじゃ。わしの所は護衛の任務も請け負っていてな、こんな荒事も得意なんじゃよ」
ワットマンが静かにカールに言い聞かせていた。
「プロフの遺産相続の件じゃが、役人に金でも掴ませて、セシルの相続申請を潰させたんじゃないのか。わしには色々伝があってな、そういう話はすぐ耳にはいるんじゃよ。まあ、それはそれとして、払う気になったか。払えんなら、鉱山で死ぬほど働いてもらおうかの」
「相続は中止、取り消しだっ!今すぐ役所行って取り消しします!こんな店なんかいらんです!」
カールは口から泡を吹きながら話す。
ワットマンが護衛に目で合図すると、カールは解放され、逃げるように店から飛び出していった。
カールがすごい速度で消えるのを見ていたワットマンは、柔らかな表情でセシルに話かける。
「セシル、これでもう大丈夫じゃろう。この店とセシルのことはプロフからたのまれておってな、なんかあったら助けてくれいと」
セシルの手を取り、立ち上がらせる。
「借金のことは、本当のことじゃがな。それもプロフの計画じゃ。お前さんが成人したら借金は棒引きになる。まあチャラということになっとるんじゃ」
笑顔で話しかけるワットマン。
「明日から、この店はセシルのものじゃ」
目を真っ赤に腫らしたセシルがワットマンに話す。
「ワットマンさん、ありがとうございました。これでプロフ先生との約束が守れそうです。新しいパンは絶対に完成させます」
ワットマンが真剣な表情でセシルに目を向ける。
「うむ、完成したら、一番にわしに食べさせてくれ。約束じゃぞ!」
「はい、かならず!」
セシルは笑顔で答える。
エピローグ
プロフの寿命が尽きようとしていた。
弟子のセシルに製パン技術の伝授を、道半ばにして寿命を迎える。
弟子にまだ伝えることがある。
残さなければいけない技術がある。
プロフが未練に悶えていると、遠くから鐘の音が聞こえてくる。
次第に鐘の音は、耐えがたいほど大きく鳴り響く。
いつの間にかプロフは、午前零時の図書館にいた。
周りに人の姿はなく、机の上にもプロフの本はない。
未来は一度しか書き換えることができない。
変えられる未来が無いプロフは、その場で途方にくれていた。
「そういえばパンの事について、良い本が有りましたね。一度読まれたらどうですか」
図書館の奥のほうから、管理人の言葉が聞こえてくる。
その言葉に呼ばれるように図書館の奥へ進む。
店の本が並べてある棚があった。
パン屋、鍛冶屋、服屋、食堂など。
誘われるようにパン屋の本を手に取りページを開く。
目の前が真っ暗になり、プロフは本の中に吸い込まれた。
題名『本の中のパン屋』
遠くから管理人の声がする。
「そこには時間が存在しませんから、気の済むまでパンが焼けますよ。
もしかすると夢の中で、お弟子さんに会えるかもしれません。
いつか美味しいパンが焼けたら、食べさせてもらえると嬉しいです」
図書館の館内には、静かに木霊する鐘の音が残る。
この作品がお気に召されたましたら、評価・感想など頂ければ今後の執筆の励みになりますので、ぜひお願い致します。
また毎月第二土曜日 午後9時ごろに「午前零時の図書館シリーズ短編」を投稿していきますので、宜しくお願いします。




