第六話 「父の沈黙そして歪な愛」
書斎の窓から、リリエルを乗せた馬車が遠ざかっていくのを、ジークは無言で見送っていた。
背筋を伸ばしたまま、表情は冷たい。
娘に向けてきた、あの事務的な顔のままだ。
だが、馬車が角を曲がり、完全に見えなくなった瞬間。
彼は深く、重い溜息を吐いた。
(……許してくれ、リリエル。これがお前を守るための、唯一の手段なんだ)
ジークはかつて、誰もが振り返るほどの美男子であり、そして誰よりも深く一人の女性を愛していた。
ルーカスの母。ミラー。
彼女もまた男爵家の娘だった。
だが公爵、ルーカスの父に見初められ、手の届かぬ公爵夫人になった。
そしてジークの未来は、そこから残酷な方向に舵をきっていった。
実家の男爵家が抱えた多額の借金が、彼から全ての選択肢を奪ったのだ。
借金の肩代わりと引き換えに、伯爵家の一人娘・ナーシャの婿養子となること。
それが彼に突きつけられた、“商談”だった。
ナーシャは、ジークに一目で恋をした。
だが、彼の心にミラーがいると悟ったその日から、愛されぬ苦痛は歪みへと変わっていく。
生まれた娘・リリエルが、自分に似ず、ジークの黄金の髪と瞳、そして才覚を受け継いだことが、その憎しみに拍車をかけた。
(私が慈しめば慈しむほど、ナーシャはお前を追い詰める……)
だからジークは、選んだ。
無関心という仮面を被ることを。
リリエルに過酷な帳簿管理を叩き込んだのも、彼だった。
「失敗すれば食事抜きだ」とナーシャが叫ぶ裏で、ジークは密かに計算ミスをすべて修正し、後日、娘に悟られぬよう“正しい導き方”だけを教えた。
それは、まだ少女だった娘に授けた、父なりの剣であり盾だった。
そして時折り見かけるミラーはいつも幸せそうだった。
公爵夫人として公の場に立ち、ミラーそっくりなルーカスと姉の2人の子どもを連れ立つ姿を見かける度に、
心に、消えぬ波紋が残った。
ほどなくして、ミラーとその夫は馬車の事故で帰らぬ人となった。
あまりにも突然で、あまりにも呆気ない別れだった。
葬列を遠くから見送ったきり、ミラーの事も二人の子どもたちのことも考えないようにした。
思い出してしまえば、もう二度と立ち上がれなくなると分かっていたからだ。
だが、数年後。
書斎に現れた青年は、あの日の少年ではなかった。
金色の瞳に、深い影と強い意志を宿した、若き公爵だった。
そして、若き日の彼女を彷彿とさせる面影を宿した青年だった。
「伯爵」
低く、はっきりとした声で、ルーカスは言った。
「リリエルを、僕の婚約者にしたい」
それは願いではなく、決意だった。
ジークは息を呑んだ。
ミラーの面影を宿しながら、確かに“彼女とは違う男”になった青年が、目の前に立っていた。
ルーカスとリリエルが婚約した時、ジークは震えるほど喜んだ。
自分が叶えられなかった幸福を、娘が継いでくれると信じたからだ。
あの手の届かなかった光の中へ、リリエルだけは辿り着けるのだと。
だが、数日前。
金色の瞳を絶望に濡らしたルーカスが訪ねてきたことで、すべては崩れた。
「運命とは、なんて皮肉なんだ‥‥」
リリエルとルーカスを通して、ミラーと自分が
交わるはずだった縁は、静かに、そして断たれた。
(……これで終わりだ)
そう思った。
過去の想いも、娘の未来も、すべてが失われたのだと。
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次話では、今回とは少し違う視点から物語が動き始めます。
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