第四話「隠していた五カ国語の才が、辺境伯を震わせる」
アレクシス様から「好きにしろ」と許可をいただいた翌日。
私は、昨日案内された図書室へと足を運びました。
日の当たる大きなテーブルを探して座ろうとした時、
視界の端に異様な光景が飛び込んできました。
図書室の隅――そこには、見上げるほどの高さで書類が山積みになっていたのです。
机の上、床、棚のわずかな隙間にまで。
「……これは、一体?」
「申し訳ございません。前の奥様が亡くなられてから、誰も手をつけていない領地の収支報告と交易記録でございます」
執事のセバスチャンが、痛ましそうに頭を下げました。
「アレクシス様も、領軍の指揮や魔獣の警戒でお忙しく……。私も手が回らず。それに、亡くなられた奥様は、計算や事務仕事をお得意とはされておりませんでしたから」
私は無言で、埃を被った書類の一束を手に取りました。
懐かしい。
それは、実家で父と母の監視のもと、
毎晩向き合わされていた帳簿と同じ匂いがしました。
失敗すれば激しく叱責され、遅れれば人格まで否定される、苦痛の象徴。
けれど同時に、そこだけが、私という人間が唯一「役に立てる」場所でもありました。
「……もしよろしければ」
気づけば、自然と口が動いていました。
「私が、整理をお手伝いしてもよろしいでしょうか?」
「え?」
セバスチャンは驚愕に目を見開きます。
「ですが、これらは近隣諸国の公用語も含まれていて専門の知識のある方でなければ……」
私は迷わず、黄ばんだページをめくりました。
一行、二行。
瞳で追うごとに、バラバラだった数字が意味を成し、頭の中で整然と組み上がっていきます。
「……大丈夫です。五カ国語ほどなら、読み書きと会話ができます」
「ご、五カ国語……!?」
絶句するセバスチャンを背に、私は静かに椅子に腰掛け、一本のペンを取りました。
『目立つな』 『出しゃばるな』 『能無し』
ずっと、呪文のように言い聞かされてきた言葉。
けれど今は初めて自らの意思で、誰かの力になりたいと願ったのです。
静まり返った図書室に、さらさらと紙を繰る音だけが小気味よく響きます。
没頭するあまり、窓の外が柔らかな夕暮れに染まっていることにも気づきませんでした。
「……これは、どういうことだ」
数時間後、執務室でアレクシス様が低く呟きました。
私が差し出したのは、一目で分かる形にまとめ直した
収支報告書と、簡潔な要点をまとめた数枚の束。
膨大な赤字の原因。
利益が出ているにもかかわらず見落とされていた品目。
感情を交えない数字こそが、この領地の真実を語っていました。
「未整理だった帳簿を年度別に分類し、支出の重複を洗い出しました。こちらは、収穫の余剰が続いている農作物の一覧です」
アレクシス様は言葉を失ったまま、書類に鋭い目を走らせています。
やがて、その濃紺の瞳が、驚きで見開かれていくのが分かりました。
「……この量を、わずか一日でやったというのか?」
「はい」
「しかも、隣国の記録は難解なバルドス語だ。通訳もなしに読み解いたのか?」
「……はい」
私は小さく頷き、一歩前へ踏み出しました。
「それから、アレクシス様」
一瞬、ためらいましたが、勇気を出して言葉を紡ぎます。
「その余剰分を売るための、“道”を考えました」
「道、だと?」
アレクシス様の視線が、射抜くような鋭さを帯びます。
「まだ確実な策とは言えません。ですが……上手くいけば、この領地は今よりずっと、豊かに、楽になるはずです」
執務室を、重い沈黙が支配しました。
自分の心臓の音が、やけに大きく聞こえます。
やがて、彼は帳簿から目を離さないまま、けれど深く確かな声で言いました。
「……続けろ。」
その一言が、冷え切っていた私の胸の奥を熱く焦がしました。
私の力は、ここで使っていい。
十八年間、否定され続けてきた私の存在が、初めてこの世界に「許された」気がしたのです。
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