第二話「辺境の屋敷にて」
馬車に揺られて三日。
理由も分からぬまま婚約を破棄された私は、
アレクシス辺境伯の領地へと向かっていた。
同行しているのは、侍女のアンナ一人だけ。
父は「荷物は最小限でいい」と言った。
「リリエル様、もうすぐ到着ですわ」
アンナが窓の外を指差した。
遠くに、灰色の石造りの屋敷が見えた。
王都の華やかな建物とは違い、質実剛健とした佇まい。
辺境、文字通り、王国の端にあるこの場所が、私の新しい居場所になるのだろうか。
馬車が屋敷の正面に停まり、扉が開けられた。
「ようこそ、リリエル様。私は執事のセバスチャンと申します」
初老の執事に案内され、静まり返った屋敷を進む。
セバスチャンによれば、
半年前に妻・セレスティーヌ様を亡くしてから
アレクシス様は、深く心を閉ざしてしまったという。
執務室の前で、セバスチャンが扉をノックした。
「アレクシス様、リリエル様がお見えです」
「入れ」
低く、心地よく響くが、温度を感じさせない声。
扉が開けられた瞬間、私は息を呑んだ。
執務机の前に立っていたのは、一際目を引く端正な容姿の青年だった。
透き通るような銀髪が、窓から差し込む冬の光を弾いて輝いている。
そして、こちらを射抜くような濃紺の青い瞳。
誰もが思わず振り返るほどの美男子だが、
その26歳という年齢に相応しい落ち着きの中には、
深い孤独が沈殿しているように見えた。
「リリエル・フォン・エーレンベルク伯爵令嬢、お初にお目にかかります」
私は丁寧に頭を下げた。
アレクシス様は、じっと私を見つめた。
その濃紺の瞳は、値踏みするようでも、拒絶するようでもあった。
「ジーク伯爵からは話を聞いている。婚約破棄されたそうだな」
その言葉に、胸が痛んだ。「……はい」
「理由は?」 「教えて、いただけませんでした」
アレクシス様は、小さく息をついた。
「そうか。……理由は、無理に聞かない。
‥‥どんな事情であれ、
君がここへ来た事実は変わらないからな。
こちらとしても、父の親友の頼みとあって断れなかっただけだ。率直に言おう。私には、後妻を迎える気はない」
亡き妻への自責の念を語る彼の声は、鋭く、痛切だった。
「ですが、父は私を婚約者候補として……」
「分かっている。だから、こう提案しよう」
アレクシス様は、私を真っ直ぐに見た。
「一年間、この屋敷に滞在してくれ。形だけの婚約者候補として。一年後には、君に相応しい結婚相手を見つける。資金も、紹介状も、私が用意する。それで、どうだ?」
私は、行き場のない自分の境遇を話し、侍女として雇ってほしいと懇願した。掃除も、洗濯も、帳簿管理もできると。
「……君は、伯爵令嬢だぞ。侍女になりたいなどと、正気か?」
「私は、誰からも必要とされていません。ならば、少しでも誰かの役に立ちたいのです。お願いします」
私は、誰からも必要とされていない。
そう思い込まなければ、ここに立っている自分を保てなかった。
私の震える声を聞き、アレクシス様は長い沈黙の後、深く息をついた。
「……分かった。だが、侍女としてではない。一年間、婚約者候補として住んでもらう。それが、父の親友の娘に対する、私の責任だ」
冷たい言葉の裏に、不思議と拒絶しきれない優しさが滲んでいた。
セバスチャンに案内され、私は客室へと向かった。
案内された部屋で、新しくお世話係となった侍女のメリッサが、私の顔をじっと見つめた。
「リリエル様、その前髪、少し長すぎませんか? お顔が見えません。物も見えづらいでしょう。もし、よろしければ、切らせていただけませんか?」
「可愛くない」「目立つだけで何の得にもならない」
母の言葉が頭をよぎる。
でも、正直言って長くなった前髪は不便でもある。
「……お願いできますか?」
メリッサは嬉しそうに鋏を取りに行った。 私は再び、窓の外を見た。白銀に濃紺の瞳を持つ、あの美しい辺境伯。
一年間。この場所で、私は何を見つけられるのだろうか。 右手首の外せずにるバングルが、夕日を反射して静かに輝いていた。
ルーカスの行動には、まだ語れない理由があります。
この先で少しずつ明らかになりますので、見守っていただけると嬉しいです。
次話もよろしくお願いします。




