第十話「喪に伏す理由」(アレクシス視点)
「後妻は取らない」
その言葉を、彼は何度口にしてきただろう。
断言するたび、周囲は勝手に理由を付けた。
貞節、愛妻家、あるいは血も涙もない冷淡。
――どれも、違う。
夜更けの執務室。
アレクシスは引き出しの奥から、小さな箱を取り出した。
中にあるのは、光を失い、くすんだ金の指輪。
先代夫人、セレスティーヌのものだ。
「……すまない」
零れた言葉は、誰に宛てたものか。
分かっていながら、彼は視線を落とした。
あの日、馬車は屋敷へ戻る予定だった。
――少なくとも、記録の上では。
だが実際に、どこへ向かっていたのか。
それを知る者は、もう誰もいない。
御者は即死。
護衛は、本来なら同乗しているはずだった。
だが、彼女が出立したことを、屋敷の誰も知らなかった。
そして――
彼女は、二度と戻らぬ人となった。
誘拐だったのか。
あるいは、何か切迫した理由があったのか。
安全な街道を避け、
人目のない崖道へ入った理由は、何ひとつ残されていなかった。
(彼女は、どこへ行こうとしていた?)
(なぜ、あの道を選んだ?)
(――本当に、二人きりだったのか?)
答えのない問いだけが、
今もなお、アレクシスの胸に沈み続けている。
御者も、彼女も、もう何も語らない。
だからこそ、公式には「不運な事故」として処理された。
(本当に、不運な事故なのか。
だが、真実を掴む前に、世界はそれを葬り去った)
最強の騎士と謳われながら、
彼女の傍にすら、いなかった。
剣を置いたのは、その後だ。
政治から距離を置き、辺境に身を潜め、
誰とも深く関わらないと決めた。
後妻を取らないと言い切るのは、
亡き妻への誓いであり、
何も知らず、何も救えなかった自分への罰だった。
真実を暴くまでは、幸せになる資格などない。
誰かを「妻」にすれば、
また同じ奈落へ突き落とすことになる。
その呪縛が、彼を縛り付けてきた。
「……それなのに」
脳裏に浮かぶのは、
陽だまりのようなサンルームで、
泥だらけの指を丸めていた少女の姿。
申し訳なさそうに頭を下げる癖。
許しを請うような、震える視線。
「ここにいていい」と知った瞬間に見せた、
花が綻ぶような、あの小さな安堵。
(私は……一体、何を考えている)
行き場のないリリエルを、
父の友人の娘を。
放り出すことが出来なかった――
それだけのはずだった。
一年間だけ、守ると決めて、屋敷に置いた。
家から、危険から、遠ざけるために。
アレクシスは指輪を箱に戻し、
静かに蓋を閉じた。
セレスティーヌを忘れたわけではない。
彼女の死を、過去の遺物として片付けるつもりもない。
「守る覚悟」とは、
過去の重みに潰されながらも、
それでも現在を選び取ることだ。
後妻は取らない。
その誓いに、嘘はない。
それだけは、
セレスティーヌの魂に誓ってもいい。
――だが。
アレクシスは立ち上がり、暗い屋敷を見渡した。
まだ名も付けられない、
けれど確かに温かな感情が、胸の奥で息をしている。
それは、名を与えた瞬間、
彼女を縛るものになる。
――彼自身が、誰よりもよく知っている感情だった。
止まっていたはずの時間が、
ごく小さな音を立てて、動き出した気がした。
ここまで読んでくださりありがとうございます!
今回はアレクシス視点で、
「後妻は取らない」という言葉の裏側を描きました。
彼は冷静で理性的な人物ですが、
それは優しさではなく、過去に縛られているからでもあります。
セレスティーヌの死は「事故」とされましたが、
彼の中では、まだ何ひとつ終わっていません。
そして――
守ると決めたはずのリリエルが、
彼自身の時間を動かし始めていることにも、
まだ気づかないふりをしています。
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