3 旅立ち
魔女は酒場の支払いを済ませると私の入った籠を持ち上げる。それから、にんまりした笑顔をこちらに向けてきた。
「私を選んだあたり、あなたはお目が高いわよ。私ほど高速でこの国から脱出できる者もいないでしょうからね」
彼女がそう言った直後、周囲を風が舞いはじめて私達の体を空中に浮かせていた。気付けば二人でもう町の遥か上空に。
「私が得意なのは風霊魔法。もう五分後には隣国にいるわ」
その言葉通り、高速で飛行した私達はほんの数分で隣国の空にいた。
一段落したところで魔女は自らをテルミラと名乗る。私の方は彼女の掌に文字を書いて名前を伝えた。
「アリエスか、まあ詳しい事情は成長して喋れるようになったら聞くわ。とりあえず、どこかに家を買って定住でもするしかないわね。あ、私、子育てとか初めてだから自分でできることは自分でやってよ」
……やろうと思えば魔力で色々できるけど。安全な場所が確保されるだけでもよしとするべきか……。
先の未来に少し不安を覚える私に対し、魔女は再び笑顔を向けてきていた。
「これからよろしくね、アリエス」
こうして、私とテルミラお母さんの新しい生活が始まった。
気候が穏やかな国の小さな町に一軒家を購入し、私達親子は二人暮らしを開始。
基本的に私は手のかからない娘だったと思う。まだ立って歩けない年齢でも周囲に食料などの生活物資があれば、お母さんが数日間いなくても魔力を駆使して問題なく過ごすことができた。
お母さんは数日間家を空けた後は、必ず大金を稼いで帰ってきた。やはり彼女は相当腕の立つ魔女らしく、魔獣討伐の依頼を受ければ短時間で荒稼ぎできるそうだ。
そうして作ったお金で私達は一、二か月豪遊し、資金が尽きると再びお母さんが飛び立つ、という生活だった。
そんな暮らしの中で、私はまともに喋れるようになると、約束通りお母さんに詳しい事情を話した。異世界から聖女として召喚されたこと、さらに、権力争いで暗殺されそうになって逃げ出したことなど。
話を聞いたお母さんの反応は実にあっさりしたもの。
「ふーん、別の世界から転生召喚された者の魔力は特別って噂だけど、本当だったのね。いやー、私は労せずして召喚者の娘をゲットできてやっぱり幸運だったわ」
こういう感じのざっくりした性格の人ではあるものの、前世の私と近い年齢ということもあって私達はとても気があった。親子というより友達同士のような関係になっていた。
もちろん表だっては私達は血のつながった親子であり、私もごく普通の子供を装って町の学校に通いはじめる。実は異世界からの転生者で中身は大人なんです、なんて明かされた方も困るだろうし。
そして、家に帰るとお母さんが世界各地で買ってきてくれた新聞を読むのが日課だった。これから自分が生きていく世界がどのようなものなのか、とにかく興味があったので。
とりわけ常に気にかけていたのが、私を召喚した王国のこと。
新聞によれば、我が祖国は年を追うごとに魔獣の侵攻に脅かされることが多くなっていった。私が七歳の時に新たな国王に代変わりした(私に暗殺者を送ってきたあの第一王子が結局継承した)けど、危機的状況は変わらず。
私が十一歳になった頃、ついに祖国は滅亡した。
数年前から魔獣のせいで国内は荒れ果て、国民達は次々に周辺国へと逃れている状況だった。耐え切れなくなった王国軍もとうとう逃げ出した、ということみたいだ。
私を兵器として利用しようとしたり暗殺しようとしたかつての王子達は、もう王族でもなくなった。けれど、私の心はそれほどすっきりもしていない。
「ただ王子という奴らに対してのトラウマが残っただけだ……」
新聞をテーブルに置いてそう呟いた後に、ふと疑問が頭を過った。
「私が聖女として王国内にいたら滅亡は避けられたのかな? いや、私一人いたところで何も変わらなかったよね」
「それは分からないわよ。いずれにしろ今のアリエスじゃ国は救えなかったでしょうけど」
私の向かい側でお酒を飲んでいたテルミラお母さんが呟きに返事をしてきた。彼女はこちらを指差しながら言葉を続ける。
「あなた、ここ数年、全然魔力を鍛えてないでしょ?」
「あれは結構疲れるし、ちゃんと属性魔法も習得したんだからただ遊んでいたわけじゃないよ」
「特別な魔力があるのにもったいない。最強の魔女になれる素質だってあるのに」
「そんなのになるつもりはないから。魔獣と遭遇しても私一人逃げられる力があればいい」
「……これはもう、今日決行しなきゃならないようね」
お酒をグイッと飲み干したお母さんは椅子から立ち上がる。私に対してもう一度指を突きつけてきた。
「アリエス、今からあなたを我が家から追放するわ! 私の稼いだお金で豪遊できるのもここまでよ! 旅に出なさい!」
「この酔っぱらい、急に何を……。私まだ十一歳なんだけど」
「中身は通算三十代半ばでしょうが」
お母さんは有無を言わさず私の旅支度を始めた。こちらが困惑している間に、お酒が入っているとは思えないスピードで準備を完了。
気付けば私は旅姿で家の玄関に立っていた。
「じゃあ、達者でね、アリエス。もし旅先でどこかの王子と結婚でもすることがあったなら、私を宮廷魔女として呼んでちょうだい」
「……それはない。王子と名の付くものにだけは絶対に近付かないから」
心の準備もできないまま、王子恐怖症を抱えて私は旅立つことになった。
最後にテルミラお母さんが微笑みを湛える。
「いつかあなたも、自分からもっと強くなりたいと願う日がきっと来るわよ」
またいい加減なことを……。
しかし、お母さんの予言はあながち的外れでもなかったのかもしれない。
放浪魔女となった私は、何の因果かしばしば旅先で毛嫌いする王子という人種と出会い、彼らを助けるために強さを求めることになるのだから。