1 転生
私の名はアリエスというらしい。
最近になってようやくこの世界の言葉を覚え、皆が私をそう呼ぶのを聞き取ることができた。現在ゼロ歳児の私が、なぜこんなにはっきりした意識で物事を考えることができるのか。それはきっと私が別の世界からの転生者だからだろう。
前世の私は地球の日本という国で、二十代半ばの若さで病死した。そして、気付けばこの中世西洋風の世界で赤子になっていたというわけだ。
それにしても、どうも周囲の様子がおかしい。
寝かされているのは巨大な神殿の一室みたいで、周りには世話をしてくれる侍女達が大勢いた。彼女達は私をアリエス様と呼び、とても丁重に扱ってくれる。
……もしかして、私はどこかの国の王女なのかな? その割にはやっぱりちょっと様子がおかしい気がする。母と父の姿も一度も見ていないし。
そう思っていたある日、それらしき二人が私の前に現れた。
母親らしき人物が私の寝かされている籠を覗きこんで微笑みを湛える。
「アリエス様、この先のことは心配ございません。あなたにはこの王国の聖女様として素晴らしい未来が待っているのですから」
彼女はそう言うと隣にいる、私の父親らしき男性に視線を移した。
「ちなみに、私達のことも心配ございません。あなたをこの世界にお迎えするという務めを果たした私達にも素晴らしい未来が待っているのですから」
それから、両親は揃って「「ではアリエス様、ご達者で」」と私に向かって一礼し、二人で手をつないで去っていった。
…………、……えー。私への愛情が微塵も感じられなかった……。
あまりにも薄情な両親にショックを受けたものの、これではっきりとした。私の魂は呼ばれるべくしてこの世界に呼ばれたということ、つまり召喚されたということだ。
しかし、聖女とはいったい何なんだろう。
この疑問には、次にやって来た人物が答えてくれた。
両親の訪問から数日経って、現れたのは見るからに高貴な装いをした男性だった。周囲の人達は王子様と呼んでいるので、この王国の王子なんだろう。その彼でさえ私に対しては他同様に一歩引いたような態度を取った。
「必要以上に泣いたりせず普通の赤子とは全く違うと聞いていましたが、本当にそのようですね。魔力も一般とは異なる感じがしますし、アリエス様、あなたは間違いなく聖女様です。どうかそのお力で末永く私達をお守りください」
と頭を下げて王子は部屋から出ていった。
どうやら彼が私の召喚を指示したみたいだった。うーん、恭しい態度ではあったけど、何か邪な気配がしたような……?
とりあえず、どうやら聖女とは王国の皆を守護する存在らしいね。この私に果たしてそんな力が備わっているのだろうか。さっき王子は魔力がどうとか言ってたっけ。
私は自分の内側を探ってみた。すると、何だかもやもやした力の塊のようなものを発見。
なるほど、これが私の魔力か。一般とは異なるとも言っていたけど、他の人達も持っていたりするのかな?
と周りの侍女達の内側に意識を集中させてみると、似たもやもやを見つけることができた。この世界の人間は全員が魔力を備えているようだ。
前世にはなかった力の塊が気になっていじり続けていたら、もやもやは少しだけ大きくなった。どうも魔力とはこうやって鍛えるものらしい。
私は籠に寝かされて世話もしてもらっていてものすごく暇であり、他にやるべきことも思いつかないので魔力を鍛えることにした。次第にこの体内エネルギーの使い方も分かりはじめる。外側に引き出して体を覆うとその箇所を強化できるようだ。魔力を目に集めれば視力が上がり、耳に集めれば聴力が上がる。さらに魔力をもっと外側に放てば、他の魔力を感知することも可能だった。
これによって私は籠の中にいながら、神殿全体の様子を探ることができるようになった。
新たな知識やこの世界の情報を得られるようになったものの、やはり自分で自由に動けないのは窮屈で仕方ない。
……何とかならないものだろうか。そうだ、魔力は力の塊なんだから頑張れば何とかなるのでは? 籠自体を魔力で覆うイメージで……。
こちらを振り向いた侍女達が一斉に驚きの表情に変わった。
「聖女様の籠が宙に浮かんでいます!」
「あれはご自分の魔力で持ち上げておられるのです!」
その通り。では少し散歩にいってきます。
部屋の出入口に向かってスイーと籠を動かすと、侍女達は慌てた様子で追いかけてきた。
「お待ちになってください! ここからお出になられては私達が叱られてしまいます!」
そうは言っても、ずっとこの部屋にいるのも退屈なんです。
籠ごとくるりと振り返って、そんな意思を魔力に込めて送った。
「大層退屈なさっているのがありありと伝わってきます……。仕方ありませんね、ですが神殿からはお出にならないでください」
分かりました、散歩に飽きたら戻ってきますので。
よし、神殿内限定だけど浮遊できる自由を手に入れた。
神殿の中を飛んで移動する赤子を、すれ違う神官達が驚きの眼差しで見てくる。
魔力は持っていても私のように体を浮かせたりできる人はそうそういないみたいだった。あの王子が言っていた通り、私の魔力は他とは違うらしい。
強度が違う感じなのかな? それで、私にこの力を使って何から皆を守れと?
その疑問に関しては飛び回りながら情報収集していて答を得ることができた。
この世界には魔獣という恐ろしい怪物がおり、各地で人間を襲っているそうだ。魔獣から民を守るのは国の責務に他ならず、そのためには相当な戦力が必要になる。特に頼りになるのは単独で強い魔力を備えた一騎当千の猛者。
私のことか!
……以前、あの王子から受けた嫌な予感はそういうことだったのか、彼は私を兵器としか見ていなかった。へり下って私のことを聖女様とか持ち上げておいて、王国のために末永く戦わせる魂胆だったんだ……。
神殿の廊下を浮遊していた私はふと進行を止めた。窓の外に視線を移す。
どうしよう、このまま逃げちゃおうかな。でも私、まだ赤子だし……。
結局、もう少し体が成長するまでここにいるしかないという結論に至った。
そんなある日、私の所にまた新たな来客が。今回も若い男性で、先日の王子と同様に高貴な衣装を纏っている。周囲の話によれば、どうやら彼はこの王国の第一王子らしい。私を召喚したあっちの方は第二王子だったみたいだ。
第一王子は私に挨拶をした後に、側近達と部屋の片隅へ。何かこそこそ話を始めた。
再び嫌な予感がした私は魔力を耳に集中させて彼らの会話を盗聴。
「……まさかあいつが聖女様の召喚に成功するとは。このままでは王位継承権第一位の座も危ういかもしれない。……こうなったら、聖女様には消えていただくしかないだろう」
おっと、私の殺害予告が。