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まだ祖父が存命だった頃、伯母は長野の実家に住んでいた。そして帰省するたびに、母に対して辛く当たっていた。
あまりに酷い態度に、羽咲は泣きながら祖母に訴えた。ママをいじめるおばちゃんなんて大っ嫌い、と。
『麻織が悪さばかりして、ごめんねぇ』
しわしわの、でも柔らかい手で羽咲の頭をなでながら、祖母は自分が悪いかのように何度も謝った。
それがまた嫌で、大好きな祖母に謝らせる伯母のことが憎くて、羽咲は「嫌い!」と言いながらさらに激しく泣いた。
『そんなに泣かんで。目が溶けてしまうよ。ねぇ羽咲、おばあちゃんの話を聞いてちょうだい。お願いだから』
涙でぐちゃぐちゃになった羽咲の顔を袖口で拭いながら、祖母が膝を折って目を合わせる。祖母のたっての願いとあれば、羽咲は頷くしかない。
『いいよ。聞いてあげる』
ぐすっと鼻水をすすりながら羽咲が続きを促せば、祖母は目を細めて「ありがとう。羽咲は、優しい子だね」と言って、また頭をなでてくれる。
『麻織はね、上手に仲良くするのが下手くそでね、仲良くなりたいと思っている人に意地悪しちゃうの』
『じゃあ、おばさんはママと仲良くなりたいの?』
『ええ、そうよ』
『でも私……いじわるされたら、その子となかよくなんかしたくない……』
『そうだねぇ、羽咲の言う通りだ。でも羽咲のママは麻織に意地悪されても、麻織から離れないでいてくれる。ありがたいねぇ』
『ありが……たい?あ!』
祖母の言いたいことがわかった羽咲は、思わず声を上げた。
『ママは、おばさんがどうしていじわるするのかわかってるってこと?』
『そう。きっと気づいてくれてるんだよ』
本当にありがたいねぇ、と祖母はしみじみと呟く。
事情が分かっても、今すぐ伯母のことを好きになれそうにないけれど、母親のことは誇らしい。でも──
『ママがずっとがまんするのは見たくない』
ギュッと、祖母の袖を掴んで羽咲は本音を呟いてしまった。すぐに祖母の温かい手が、頭の上に乗る。
『うんうん。おばあちゃんも、同じだよ。だから、ね』
中途半端なところで口をつぐんだ祖母は、ここでニコッと笑った。
『羽咲のママがもう嫌だ!ってなったら、おばあちゃんがね麻織にガツンと言ってやるからね』
『……ほんと?』
『ほんとほんと、絶対に、約束する』
ゆっくりと、一言一言区切って語りかけてくれた祖母に、羽咲は小指を立てて差し出した。
『じゃあ、それまで私もおばちゃんのこと、きらいっていわない。約束する』
『そうかい。羽咲は優しい子だね』
そっと羽咲を抱きしめた祖母は、自分の小指を羽咲の小指にからめた。
『ゆびきりげんまん嘘ついたら針千本飲ぉーますっ』
指切った!羽咲と祖母は、同時に言って絡めた小指を離した。
縁側で、二人っきりで交わした内緒の約束。ミンミンゼミが鳴き、風鈴がリィーンと涼やかな音を奏でていた、在りし日の夕方。
あの光景と約束は、今なお色褪せずに心に残っているからこそ、これまで羽咲は伯母の悪口を言葉にして出さなかった。
けれど、約束を交わした祖母はいなくなってしまった。
そして伯母は、己の不器用さを理解し、見えないところで心を砕いてくれていた祖母の遺品を売り払おうとした。
もう、いいじゃん。我慢なんて、しなくていいじゃん。
指先が真っ白になるほど、祖母の遺骨を抱きしめながら、羽咲の心はキンッと冷えていく。
「ちょっと黙ってないで、謝んなさいよ!うちの子泣いてるじゃない!!」
キンキンした伯母の声と海音の鳴き声が重なり、こめかみがズキズキと痛む。
うるさい、黙れ。この子はその前に何をした?そっちが先に謝るべきじゃないの?そう言い返そうと思った。けれど、口を開きかけた途端、母親と目があった。
「羽咲、謝りなさい」
さっきと変わらない口調で、母親は同じ台詞を繰り返す。
その顔は、これ以上面倒事を増やしたくないという保身ではなく、今まさに崩れようとしている何かを必死に繋ぎとめようとしている表情だった。
……羽咲の母親はまだ、伯母の不器用さに付き合う気でいるのだ。
「おばさん……私……」
あなたのことが大っ嫌い。そう言いたい気持ちを堪えて、違う言葉を吐く。祖母との約束を守るために。
「海音君に酷いことをしちゃって、ごめんなさい」
遺骨を抱えたまま、羽咲は小さく頭を下げた。




