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「違うんですか?」
真顔で問いかける大和に、今度こそ羽咲は滑らかに嘘を吐く。
「ううん、違くない。ただ、まぁ……ズバリ当てられると……まぁ、ちょっと……ね」
上手に嘘を吐いたつもりだったけれど、結局最後はもにょもにょした口調になってしまった。でもそれが、逆に説得力があったようで、大和はクスリと笑った。
「別に今更カッコ付ける必要ないじゃないっすか」
「今更って何よ」
ムッとした羽咲に、大和は意地の悪い顔をする。
「全部言った方がいい?」
「言わなくていいよ」
「そっすか」
残念そうに肩をすくめる大和だが、すぐに表情が変わった。
「一緒にやりましょうよ、宿題」
「え……?」
「図書館とかなら喋れないから、嫌でも進むでしょ」
「う、うん……!」
さらりと告げた大和の言葉に、自分がどれほど喜んでいるのか悟られたくなくて、羽咲はそっけなく頷いた。でも、失敗に終わった。
そこに突っ込まれるのを何としても避けたい羽咲は、再び歩き出す。てくてく、左右の足を動かすことだけに専念する。
そうすれば目的地は、あと一つ、角を曲げるだけになった。
さっきまでのニコニコ顔が翳り、羽咲の心臓はバクバクと早鐘を打つ。勢いで来てしまったけれど、急にこの先の光景を見るのが怖くなってしまった。
大和に適当なことを言って、今すぐ引き返したい。そんな弱い欲求が、羽咲の心を支配していく。
見なきゃいけないわけじゃない。誰も強制していないし、見たところで何も得るものはない。
だけど今日を逃せば、もう二度とこの地に足を運ぶことはない予感がする。仮にあったとしても、その時、大和が傍にいてくれる確証はない。
そう考えたら、今の時間がすごく尊いものに思えた。
だから、どうせ引き返すなら、ダメもとで大和に一つお願い事をしてみようと、羽咲は不意に思いつく。断られたら、速攻帰る。そうしよう。
短い時間で結論を下した羽咲は足を止め、大和と向き合った。
「大和君、ごめん。ほんとごめん。図々しくて、嫌かもしれないけど、手ぇ握って……あ!」
羽咲がおずおずと手を差し出そうとした瞬間、大和は奪うように手を握った。
「ごめんは、いらないっすよ」
「……ありがと」
俯きながら礼を言えば、大和が満足そうにうなずく気配がした。
ぎゅっと握られた手のひらから大和の温もりが伝わり、恐怖と不安と、引き返したい欲求が消えていく。
強張っていた身体がほぐれて、俯いていた顔が自然に前を向く。「行こう」そう声に出していないのに、羽咲が再び歩き出すと、大和も阿吽の呼吸で足を動かし始める。
ゆっくりと角を曲がれば、片側一車線道路の向こうに、黒壁の洒落た蕎麦屋が視界に入った。
「なるほど……」
随分と様変わりしたな、というのが羽咲の率直な感想だった。
かつてここには、羽咲の父親が経営していたジムがあった。一年以上予約がいっぱいの人気店で、取材も何度も受けたことがある。
でもそれは、昔の話。土地も建物も手放してしまってから、もうすぐ二年が経つ。
誰かの手に渡ったことは知っていたけれど、てっきり同業の店舗になっていると思い込んでいたので、ちょっと驚きだ。
でも、全く違う業種になっていて、ほんの少しだけ救われた気持ちになる。
道路を渡ることなく羽咲は、脳裏に焼き付いた光景と重ね合わせながら、その蕎麦屋をじっくりと見つめた。




