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節子はしばらく俯いていたけれど、意を決したように顔を上げた。しかし言葉を探しているのか、何度も口を開いたり、閉じたりしている。
一方羽咲は、不安から心臓がバクバクして、呼吸の仕方を忘れそうになっている。でも、急かすことはせず、じっと待つ。
それから長い沈黙が続き、やっと節子は語り始めた。
「ゆきさんね、この街に来たことを羽咲ちゃんが知ったら、怒るかもって……それをずっと気にしていたわ」
語られた真実に、羽咲の喉が震え、頷くことすらできない。
自分が、祖母に対して怒る?自分が??そんなの絶対に有り得ない。
どんな内容でも受け止めようと思っていたけれど、こんな真実が隠されていたなんて、全く思いもよらなかった。
無言のまま微動だにしない羽咲を、節子は悪い方に受け止めたのだろう。
「ゆきさん……ずっと内緒にする気はなかったのよ。でも話すきっかけが見つからなくって、黙っていただけなの。本当よ」
早口で語り終えた節子の表情は、真剣だったけれど、同情はしてない。仲違いをしてしまった友達同士を、取り持とうと頑張っているクラスメイトの顔だ。
「……私、怒ったりなんかしません……」
掠れ声で、羽咲が思ったままを口にすれば、節子はほっとしたように大きく頷いた。
「そうよね。そう言ってくれると、信じてたわ。ゆきさんったらね、私が大丈夫と言っても、ぜんぜん信じてくれなくって……ほんっと頑固なんだから……!」
その時の記憶が蘇ったのだろう。節子は頬を膨らませ、悔しさを滲ます。腕まで組んで、鼻息も荒くなっているから、もしかしたら、かなり言いあったのかもしれない。
出会ってまだ一時間足らずだが、節子の温厚さは本物だ。そんな人を本気で苛立たせてしまって本当に申し訳ない。
「いえ、祖母が頑固ってわけじゃなくって……私の態度に問題があったんです。ごめんなさい」
頭を下げる羽咲は、胸が痛くて仕方がない。
ずっと祖母に、憎まれていると思っていた。恨み言を吐けない代わりに、こっそり友人を作って愚痴を吐いていたのかもしれないと疑ってすらいた。
それなのに、真実はどれだけ追っても優しく、温かい。羽咲の憶測を、これでもかというほど否定していく。
狡く、弱い自分は、心の底から安堵しているが、別の自分は罰してほしいと望んでいる。
駄目な孫だ。冷たい孫だ。祖母が可哀想だ。反省しろ。そういう言葉を求めているのに、節子は全く違う言葉を紡ぐ。
「謝っちゃ、駄目よ。羽咲ちゃんは、何も悪くないわ……といっても、私は詳しい事情を知らないんですけどね。でもきっと事情を知っても、私は謝る必要はないって言うと思うわ」
キッパリと言った節子に、羽咲は唇を強く噛む。
カラオケサークルの人たちもそうだ。詳細など知らないはずなのに、どうしてこうも自信満々に断言できるのだろう。
年を重ねたからわかる何かがあるのだろうか?それとも、年配者は無条件に折れてあげなきゃいけないという責任感なのだろうか。尋ねてみたいけれど、上手く言葉にできない。
まごつく羽咲を、今回は良い方に受け止めた節子は、ここでパンッと手を叩いた。
「そうそう!もうついでだから言っちゃいますけど、ゆきさんにね羽咲ちゃんを怒らせてどうにもならなかったら、ここに連れて来いって言ったの」
「ここ……ですか?」
「ええ。ここは去年の秋にオープンしたお店なんだけど、チーズケーキはこれまで私が食べた中で一番おいしいの。怒ってたことなんか忘れちゃうくらいにね」
顔をくしゃくしゃにして笑った節子は、手つかずのままのチーズケーキを早く食べろと、羽咲と大和を急かす。
「えっと……い、いただきます」
「いただきます」
羽咲と大和はフォークを手にすると、同時にチーズケーキを口に含んだ。
表面はしっかり焼いてあるけど、中はトロッとしている。初めて食べるチーズケーキだ。表面のカラメル味と、濃厚なチーズが合わさり、言葉にできないほど美味だ。
「っ……!!」
「ふふっ。気に入ってもらえてうれしいわ」
感想は一言も声に出して発してないが、表情だけで感激していることがわかったようで、節子は誇らしげに笑う。
そして、だいぶ氷が解けてしまったアイスティーを一口飲んでから、こう付け加えた。
「ゆきさんもね、羽咲ちゃんと同じ顔をしてたわ」




