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「……ゆきばあ?」
少年の口から聞きなれない言葉に、羽咲がオウム返し首を傾げる。
その仕草は、彼にとって予想外の反応だったのだろう。ムッとした表情になった。
「違うのかよ。違うわけないよな?お前、ゆきばあの孫だろ?」
確信に満ちた少年の口調に、羽咲は考えるよりも先に言葉が出た。
「っていうか、あなた……誰?」
ゆきばあというのは、おそらく祖母──柳瀬雪江のことだろう。
羽咲の従兄は、皆、祖母のことを”ゆきばあ”と呼んでいる。羽咲だけは何となく嫌で、ずっと”おばあちゃん”と呼び続けているけれど。
だから聞きなれないというのは、少し違う。知らない人が言ったから、耳になじまなかっただけだ。
しかし今は、祖母の呼び名はどうでもいい。それよりこの少年が、どうして祖母のことを知っているのかのほうが重要だ。
祖母と同居して、一年半。ぎくしゃくしていたとはいえ、同じ屋根の下で暮らしていたのにもかかわらず、羽咲は少年と祖母に接点があったとは思えない。
どんな関係だったかなんて、予想もできないし、わからなすぎて薄気味悪い。
せめて名前だけでもわかれば、そこから何か思い出せるかもと思って尋ねてみたけれど、少年は口を閉ざしている。
その代わり、少年は目深に被った帽子を取った。羽咲は、思わず息を吞む。帽子を取った少年は、一度見たら二度と忘れられないくらい綺麗な顔をしていた。
「……ぅわ……っ……!」
少年と目があった途端、由衣は我知らず、変な声が出てしまう。けれど、どれだけ記憶を辿っても、少年が誰なのか全くわからない。
「ごめん……わざわざ帽子とってくれたけど、私、君のこと知らない」
「あっそ」
帽子を被り直す少年は、不貞腐れた顔をしつつ、目は「使えない奴」と雄弁に語っている。なぜ、初対面の男の子に、そこまで失礼な態度を取られないといけないのか。
流石に理不尽さを覚えた羽咲は、通学カバンを肩にかけ直すと、ベンチから立ち上がる。そして、無言でこの場を立ち去ろうとしたけれど──
「お、おい!待てよ!」
背を向けた途端、少年は素早い動きで羽咲の前に立ちふさがった。
「ちょっと、何?」
「あ……えっと……ゆきばあ、さ」
「おばあちゃんが、何?」
「いや、だから……」
羽咲を引き留めたくせに、少年はなかなか本題に入ろうとしない。きっと、言いにくいことを語ろうとしているのだろう。
それは、わかる。でも祖母が亡くなり、まだ一週間。正直、祖母の話題には触れてほしくない。知らない相手となら、なおさらに。
だから羽咲は「もう黙って!」という代わりに、こう言った。
「祖母は、亡くなりました。だから、伝言とか頼まれても無理です」
「え……?」
たった一言呟いて、少年の顔から表情が消えた。
「……どうして?……な、なんで……?」
しばらくして、やっと絞り出したような少年の問いに、羽咲は淡々と返す。
「肺炎で亡くなったの。先週の金曜日に」
「……はい、えん……で、亡く、なった……」
噛み締めるように羽咲の言葉を復唱した少年は、心に穴が空いてしまったかのようだ。そこから感情が漏れてしまって、盆然としたまま動かない。
「じゃあ、そういうことだから」
羽咲は微動だにしない少年の脇をすり抜け、歩き出す。
しばらく歩いてから振り返ると、少年はまだその場から動いていなかった。
「なんなのよ、アイツ」
名前すら教えてくれなかった無礼な少年と、穏やかで良識ある祖母が知り合いだなんて絶対にあり得ない。いや、違う。あってほしくない。
子供じみた独占欲を認めたくない羽咲は、早歩きで駅に着く。そして、今まさに扉が閉まろうとしている地下鉄に飛び乗った。
ゆっくりと地下に潜っていく窓の景色を見つめていたら、名も知らぬ少年と祖母が仲良く談笑している姿が不意に浮かんだ。
それがすごく嫌で、苛ただしくて──羽咲は、それを振り払うようにスマホを通学カバンから取り出し、どうでもいいネットニュースを読みだした。