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「今日は日勤だったんだね。すごい偶然!」
「ああ。なかなか会えそうで会えなかったからなぁ」
通勤通学で同じ駅を使ってるとはいえ、ニアミスはあっても、こうして一緒に帰宅できるのはめったになかった。
「パパ、今日もお仕事お疲れ様!」
半袖パーカーに作業ズボン姿の父親は、40をとうに過ぎているのに、中年太りの気配はなく、歯を見せて笑う姿は若々しい。
「おう、ありがと。羽咲はバイトの帰りか?」
「ううん。バイトは、水曜と土曜だけ。今日は……と、友達とカラオケ、行ってきた。うん、友達と」
「カラオケ?羽咲が?カラオケかい??」
早起きとカラオケを避け続けている羽咲の口から出た言葉が信じられなくて、父親は二度も尋ねる。
「……うん。まぁ、歌ったのは……1曲だけだけど……」
「そうか」
「やっぱ、酷かった」
「くよくよするな。お父さんは、羽咲の歌……いいと思うぞ」
大和とほぼ同じ慰め方をされ、羽咲は苦笑する。
「なんか昔、おばあちゃんもそんなこと言われた気がする。あ」
うっかり祖母の話題を出してしまって、羽咲はチラリと父親を見る。目が合うと、父親は軽く眉を上げた。
「ん?どうした?」
「……なんでもない」
「ははっ。羽咲、ばあちゃんも音痴だったかって訊きたかったんだろ?」
「ま、まぁ……そんなとこ」
「音痴だったって言ってやりたいが、ばあちゃん結構歌上手かったんだぞ。人前で歌いたがらなかったから、滅多に聞けなかったけど」
祖母のことは禁句だと思っていたけれど、違ったようだ。
父親の口から滑らかに紡がれ、羽咲は「ふぅーん」と頷きながらも、驚きが隠せない。
並んで歩く父親は、ずっと笑顔を絶やさない。祖母との思い出を語る目元は穏やかで、まるで生きている人の話をしているようだ。
糸沢やカラオケサークルのメンバーに祖母が亡くなったことを伝えた時、羽咲は心を爪でギリギリと引っかかれるような痛みを感じた。
父親は、辛くないのだろうか。祖母が亡くなって、悲しくないのだろうか。
そんな考えが一瞬だけ頭の隅をよぎったが、葬儀の時の父の泣き顔を思い出して、すぐに打ち消した。あの涙は、偽りなんかじゃない。
喪失の辛さや、悲しみが胸いっぱいに広がって、溢れ出たものだった。
ならなぜ、今、父はこんな穏やかな表情で祖母のことを語れるのだろう。再び湧いた疑問に、羽咲は唇を噛む。
大人だから?それとも、無理してるだけ?もしかして、ちゃんと泣くことができたから、心の整理ができたのだろうか。
もしそうなら、泣けなかった自分は、まだまだこの痛みを抱えなきゃいけないのか。それを辛いとは思わないけれど、自分が祖母のために泣ける日が来るのかは不安だ。
「……わっかんないよ」
歩きながら呟けば、羽咲の頭に大きな手が乗った。父親の手だ。
「どうした?宿題が行き詰まってるのか?」
「あー……ううん。どうしたら歌ってうまく歌えるのかなって」
「はははっ」
咄嗟についた嘘を父は信じてくれたようで、乾いた笑い声を上げる。
「きっと何度も歌ったら上手になるさ。まっ、まずはママのご飯をしっかり食べて体力をつけることだな。そうじゃなきゃ、いい声はでないぞ?」
「うん、そうだね」
頷いた羽咲の視線に、自宅の屋根が映り込む。二階建ての古い木造建築の我が家は、西日に照らされ窓ガラスがピカピカ輝いている。
「パパ、急ご!私、お腹空いちゃった」
「そうだな。パパもペコペコだ」
小走りになった羽咲を、父親は軽々と追い越していく。それがなんだか悔しくて、羽咲は本気モードで走り出す。
自宅直前で始まったレースの結果は同着で、羽咲と父親は同時に玄関に飛び込んだ。




