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体育館での始業式が終わり、その数時間後──キーンコーンカーンコーンと、間延びしたチャイムの音が校舎に響く。
一学期最後のホームルームを終えた生徒は、通知表が入った通学カバンを抱えて教室を出ると、思い思いの場所に散っていく。
ある生徒は、部室に。またある生徒は、下駄箱に。廊下では、談笑する生徒の他に、担任に成績のことで注意を受けている生徒もいる。
可もなく不可もない通知表を受け取った羽咲は、帰宅部の友人と一緒に下駄箱に向かう。
「羽咲ちゃん、元気でねー。連絡待ってるよ!」
「うん!梢ちゃんも、元気でね」
校門を出て、友人と別れた羽咲は地下鉄の駅に向かう。
自宅から学校までは自転車通学も可能な距離だが、夏だけは両親に甘えて、羽咲は電車通学にさせてもらっている。
学校から一番近い駅は、歩いて数分の地下鉄──一社駅になる。そこまでの道のりは、同じ学校の生徒でごった返していた。
しかし羽咲は、生徒の流れに背を向けて歩き出す。利用している地下鉄の東山線は、ひとつ前の上社駅から、地下鉄なのに電車は地上に上がる。
線路沿いを歩きながら、その様子を見るのが好きな羽咲は、多少遠回りでも上社駅まで歩くことを選んでいる。
「バイトかぁ……できるかなぁ……私に……うーん……」
緩やかな坂道を下りながら、羽咲は奏海の提案に今更ながら怖気づいてしまう。
やりたくないわけじゃないし、両親も誘われた経緯を詳細に語ったら、きっと許可してくれるだろう。
ただ、産まれてこの方一度も働いた事がない自分が、ちゃんとできるだろうか。せっかく誘ってもらったのに、残念な結果になったら奏海に幻滅されるだろうか。そんな不安が頭の中でグルグル回り、羽咲の足取りが重くなる。
人間誰しも初めてはあるし、たくさん失敗して、学んでいくもの。それが人生ってものだ。
そんな背中を押してくれる言葉は、世の中には溢れているけれど、どれもこれも成功を保証してくれるものではない。
「迷惑かけちゃったら……嫌だなぁ……」
かつて羽咲の父親は、経営者だった。人手不足がどれほど困るかは、なんとなくわかるし、逆に使えない人を雇った時のリスクもそこそこわかる。
わかるからこそ、無駄に自分にプレッシャーをかけているのも自覚している。
「はぁーーー……考えてもわかんないや。ママに相談してみよ……」
忌引き休暇を取ったとはいえ、自宅で葬儀の後処理に追われている母親に時間を割いてもらうのは少々気が引けるが、こちらも急を要するのだ。
「よっし!早く帰ろう……ってか、ほんと暑い」
徒歩十五分の距離にある地下鉄の駅は、まだ見えてこない。けれど容赦ない夏の日差しのせいで汗まみれだ。
羽咲は目についた歩道のベンチに座ると、通学カバンから水筒を取り出し水分補給をする。ついでに、タオルで顔と首を拭って息を吐く。
急いで帰らなければとわかっている。でも一度腰を下ろしてしまうと、この猛暑の中、再び立ち上がるのがなかなか辛い。
再び通学カバンから水筒を取り出した羽咲は、お茶を飲みながらアスファルトの道路に陽炎が立っている様をぼんやりと眺める。
あとお茶を二口飲んだら、今度こそ立とう。そう決めて、羽咲が水筒を口元に運んだと同時に、不意に背後から声をかけられた。
「あんた、ゆきばあの孫だろ?」
声変わりを終えたばかりの男の声が、行き交う車の音に混ざって、羽咲の耳に届く。
驚いて振り返った先には、帽子を目深にかぶった私服姿の少年がいた。