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羽咲が通う高校は、祖母が亡くなると三日間の忌引き休暇が与えられる。
しかし、夏休み直前の三連休で通夜と葬儀を終えた羽咲は、祝日明けの火曜日は普段通り通学することにした。
成績が悪すぎてどうしても補習を受けなければならないといった事情ではなく、両親から「無理せず休んだら?」と言われたからだ。
行けと言われたら休みたくなるし、休めと言われたら自ら通学したくなる。反抗期というわけじゃないけれど、つい反発してしまうのは羽咲がまだ子供だからなのだろう。
*
都会でも、田舎でも、セミはどこでも夏の歌を奏でる。頭に直接響くそれを聞きながら、羽咲は筆記用具と水筒しか入っていない通学カバンを肩にかけて、ノロノロと歩く。
授業らしい授業がないまま数日が過ぎ、金曜日の今日は終業式。
校門をくぐる生徒の会話は、ほとんどが夏休みの話題だ。どこに行くとか、何をするとか。夏の太陽よりも眩しい笑顔で、羽咲を追い越していく。
羽咲だって、夏休みが来るのは楽しみだった。しかし祖母が亡くなって一週間も経っていない現実は、浮き立つ気持ちを消していく。
加えて昨日、夏休みに一緒に出掛けようと約束していた友達からも気遣われて「無理しなくていいよ。大丈夫になったら、連絡してね」と言われてしまった。
自分から大丈夫と言うのは、祖母の死を軽視しているようで、躊躇ってしまう。
それに夏休みの最後には、祖母の四十九日も控えている。それまでは自粛しなければならないのが、世間の常識らしい。つまり、どこにも行けないし、楽しめない。
大事な夏休みを潰されたことに、祖母への怒りは皆無だけれど、長い長い休みはきっと時間を持て余してしまうだろう。
こういう時、学生らしく勉強をするのが正解かもしれないが、高校受験の時に死ぬほど勉強した羽咲にとっては、不正解である。
「あっ!うさぁー、おはよー」
下駄箱に到着した途端、弾んだ声と共に後ろから抱き着かれ、不意を突かれた羽咲はたたらを踏む。
「あ、おっ……おはよ。奏海ちゃん」
羽咲より拳一つ分背が高い奏海こと矢田奏海は、よろめいた羽咲の腕を掴んで改めて「おはよ!」と、人懐っこい笑みを浮かべる。
奏海とは、高校二年生になった始業式に、席が前後だったのがきっかけで会話をするようになった。
『ごめん、私の方が背が高いから前見えにくいよね?』
席に着くなりそう言って気遣ってくれた奏海に、羽咲は仲良くなりたいと思った。
けれど奏海は、運動部の女子達と仲が良く、帰宅部の羽咲は輪の中に入っていけない。
勇気を出して、奏海達のグループに話しかけたいけれど、冷たくされたらと考えたら最初の一歩が踏み出せない。これはきっと中学校まで、私立の女子校にいたせいだ。
女の園はそれなりに気楽で楽しかったけれど、男女共学の学校に通っている今は、その経験が自分に悪影響を与えている。いい加減、変わらなければ。
「……これは、夏休みの課題だなぁー」
「え!?羽咲、今、課題って言った!?それ夏期講習のヤツ?まさか……夏休みを講習で潰す気?」
ギョッとした顔をする奏海は、明らかに夏期講習を受ける気がないらしい。
羽咲も、一年生の時に受けた夏期講習が、自習のオンパレードだったのにガッカリしたので、苦手な数学以外は欠席するつもりだ。ただ一応、受ける意思はあるという体を貫いている。
「ねぇ羽咲、マジで?本気??夏休みなんだよ?そんなんに全部使っちゃうの?」
奏海は手を離したかと思えば、今度は羽咲の両肩を掴んだ。
「今からでも変更できるよ?考えなおそ?ね?」
「え?ちょ、ちょっと……」
羽咲は、奏海ともっと仲良くなりたいと思っているが、それは一方通行で、夏休みの予定を語り合えるような間柄じゃない。
不快ではないが、今日に限ってグイグイ来る奏海に動揺を隠せない。一体、どうしたのだろう。
そんな羽咲の戸惑いに気づいたのだろう。奏海は「ごめん!」と言ってパッと両手を離すと、今度はモジモジし始めた。
「いやぁー……実はね、羽咲にお願いしたいことがあってね」
「私に?どんなお願い?」
「バイトをしないかなって。ウチで」
「奏海ちゃんの家で?」
「そ。うち喫茶店やってるんだけど、大学生のバイトの人が急に辞めちゃうし、ママも捻挫しちゃうし、私も手伝ってるんだけど、全然お店が回んなくって、マジヤバい。で、羽咲がバイトしたいって言ってたの思い出して、誘ってみたんだけど……やっぱ、おばあちゃん亡くなっちゃってすぐだし、色々忙しい……よね?でも私、羽咲にお願いしたいんだよね。無理……かな?」
一気に説明を終えた奏海は、最後に羽咲を覗き込む。その表情は不安そうだけど、絶対に断ってほしくないという圧もしっかり感じる。
奏海は裏表のない性格で、バレー部で活躍してて、笑顔を絶やさないからクラスで人気者だ。
そんな級友が、自分との会話を覚えてくれたことが嬉しいし、誘ってもらえたことも嬉しい。お金を稼ぎたい気持ちは変わらずあるから、ありがたすぎる提案だ。
しかし今の羽咲は、即答することができない。
「是非!って言いたいんだけど四十九日前にそういうことやっていいのかわかんないんだ」
「うーん……そうだよねぇ。ごめん、私も……知らない」
肩を落とした奏海に、羽咲は両手を前に出してブンブン振る。
「あ、いいのいいの、気にしないで。私もスマホで調べたんだけどわかんなかったし。今日帰ったら、親に聞いてみるから、返事はちょっと待ってて欲しいな」
「うん!全然、いいよ。待ってる。いい返事を期待して待ってる。夜中でもいいから連絡して」
「ありがとう。じゃあ夜にでも……って、予鈴鳴ったよね?今」
いつの間にか下駄箱は、誰もいなくなっていた。遠くで聞こえる足音は、きっと教室に向かう先生だ。
「やっばぁぁーーー。羽咲、急ごう!」
「う、うん!」
慌てて上履きに履き替えた羽咲と奏海は、階段を二段飛びして教室に向かう。幸い担任はまだ教室に来ておらず、遅刻は免れた。