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「……駅まで、あとちょっとだったのに……。なんでこのタイミングで雨降るの?天気予報は、ずっと曇りって言ってたのに」
地面に叩きつけるような雨音は、羽咲のぼやきをかき消したかのように思われた。けれども──
「この季節に夕立来たからって文句言う?」
隣にいる大和にはしっかり聞こえてしまっていたようで、冷めた口調で嗜められてしまった。
「だって、駅まであと少しだったのに……悔しいじゃん」
「悔しいって、なに天気と戦ってるんすか?ってか、勝てるわけないし、天気は羽咲さんのこと相手にしてないっすよ」
「ちょっと愚痴っただけなのに、そこまで言わなくっても……」
「俺だって、こんな馬鹿な会話したくないっすよ」
ふんっと鼻を鳴らして、大和はズボンのポケットからスマホを取り出す。
男の子にしては細く長い指を使って、画面をタップしたり、スクロールしたり、忙しそうだ。
真剣な横顔は、暗に「もうこれ以上話しかけるな」と言われているようで、羽咲は溜息を吐いて外を見る。雨はまだやみそうにない。
*
糸沢は話好きで、冗談や、たとえ話や、雑談を交ぜて、二時間近くかけて、祖母のことを教えてくれた。
その間、来客がなかったことが気になったが、糸沢不動産はそれが日常のようで、彼は気にする素振りはなかった。
『ゆきさんとは、そうだなぁー……去年の春からの付き合いだ。あ、おっと。そういう付き合いじゃないからな!ただの友達さっ。変なこと考えないでくれよ』
羽咲は、ひとかけらも祖母と糸沢の関係を疑っていない。
若い頃は人並みにハンサムだった祖父に熱烈に口説かれた祖母が、お世辞でもイケオジと呼べない糸沢を相手になんかするわけがない。
ただ糸沢が、祖母のことを異性として見ていた可能性はある。
祖母は、小柄で綺麗な人だった。
とはいえ、白髪染めをすることも、高価な衣服を身に着けることも、お金をかけて肌の手入れをすることもしないから、見た目は年相応の容姿だった。
性格は穏やかで、羽咲は祖母が声を荒げた姿を一度も見たことがない。
えこひいきをすることもなく、誰にでも平等で、わんぱくな従兄達も、祖母の前ではとてもいい子だった。
絶えず笑みをたたえ、二重の瞳はいつも穏やかで、それは羽咲と同居したからも変わらず──年を重ねても変わらない美しさがある、本物の綺麗な人だった。
そんな魅力的な女性が、糸沢を虜にしたかどうかはわからない。糸沢が友達というなら、友達なのだろう。
片想い疑惑は残るが、羽咲は真相を確かめることなく、糸沢の話に耳を傾けた。
長い長い話を聞いて、わかったことは二つ。
糸沢と祖母は、一年前くらいにカラオケサークルで知り合ったこと。そして最後に会ったのは、ゴールデンウイーク明けだったこと。
その時は、二人っきりで会ったらしいが、何のために会ったのか、どんな話をしたのかは教えてくれなかった。
『こればっかりは、孫の君にも教えられないなぁ。まぁどうしても知りたいなら、秋になったら、またおいで』
しつこく尋ねても、糸沢はそう言って、お茶を濁されてしまった。すごく気になるのに。
不満を残す結果だったが、収穫はあった。祖母のことを知っている人が他にもいたことだ。
とはいえ、祖母がカラオケサークルに入っていたことは、にわかに信じがたい。
しかし糸沢は、戸惑う羽咲を余所に、スマホを取り出しあっという間にカラオケサークルのメンバーに連絡を取ってしまった。
『来週火曜日、金山で集まるんだって。君のことも伝えておいたから、行っておいでよ!』
根っからの世話焼きおじさん──糸沢のお陰で、羽咲はまた祖母の足取りを辿ることができそうだ。
ただ、手放しで喜べない。大和が、始終無言だったからだ。
つまらなそうな顔をするわけでもなく、出された煎餅を無心に食べることもせず、行儀よくずっと座っていたけれど、一言も喋らなかった。
羽咲の付き添いで来たのだから、余計な口出しをしないようにしていたのかもしれない。でもなんとなく、大和は必死に気配を消そうとしているように見えてしまった。
不動産屋を出て、途中で雨に振られて、二人は目についたマンションの駐輪場で雨宿りをしている。
雨はさらに激しさを増し、ゴロゴロと雷の唸り声も聞こえてくる。
そんな中、羽咲はそっと大和を見る。彼は羽咲が渡した水筒を片手に、スマホを操作し続けていた。
気になることは色々あるけれど、ガブガブ水筒のお茶を飲んでくれる大和を見て、羽咲はちょっとだけ嬉しくなった。




