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小型店舗の割に、でかでかと”糸沢不動産”と看板を掲げているここは、喫茶ワルツと同じように、長い歴史を感じさせる建物だ。
入口に至っては、自動ドアではなく引き戸になっている。
「初めてなのに迷わず来れた。私、すごい」
ドヤ顔で自画自賛する羽咲だが、足は店の前で止まったままだ。
「はいはい、すごいっすね。で、入らないんっすか?」
雑に褒めた大和は、早く行けと目で急かす。しかし羽咲は曖昧な笑みを浮かべて、動こうとしない。
「いやぁー実は、向こうには今日お邪魔するって伝えてないんだよね……」
「は?」
「糸沢さんがいたら、入るんだけど……これじゃあ、わかんない」
糸沢不動産の窓ガラスは物件情報が隙間なく貼られているので、中の様子がまったく見えないのだ。
羽咲は人見知りではないが、知らない場所にフランクに入る度胸はない。
そんな理由でモジモジしている羽咲に、大和は冷めた視線を送る。
「とりあえず入ればいいじゃないですか。いなかったら、少し時間をずらしてまた来るなり、別の人に伝言残すなり、やり方は色々あるんじゃないっすか」
「……なんで今、正論を言う?」
「暑いんで」
なるほど。とても説得力がある。しかし年下から論破されても、羽咲は最初の一歩が踏み出せない。
「うう……ヘタレな自分が憎い……!」
「俺の帽子取り上げるような人は、ヘタレじゃないと思いますよ」
ボソッと呟いた大和の言葉は、おそらく羽咲を勇気づけるものだったのだろう。
残念ながら、その気持ちは羽咲には届かなかった。でも代わりに、この状況を打破する妙案を思いついた。
「ねぇ、大和君。私の代わりに、ちょっと中の様子を見てきてよ」
「は……?はぁ??なんで、俺が?」
「大和君、顔がいいから」
「マジ、意味わかんないっすけど」
心底有り得ないという表情をする大和だが、その顔すらイケメンだ。
この顔なら、たとえお店が立て込んでても、店員の機嫌が悪くても、邪険にはされないだろう。
そんな理由を丁寧に説明したけれど、大和は首を縦に振ってくれなかった。
この結果は予想通りだし、無茶ぶりだということもわかっていた。でも、ちょっとは悩む素振りをしてほしかった。
しょんぼりとする羽咲だが、大和がさりげなく気遣ってくれる一面があることも知っている。
諦めが悪い羽咲は、ダメもとで再び説得を試みることを選んだ。
「大和君、君の綺麗な顔は、今日この日のために存在してるんだと思う。今、この顔を使わなくって、いつ使うの?ねぇ、次回からは私が頑張るから、今日だけは私を助けて。お願い!」
「店入るだけなのに、必死すぎません?」
駄目な子を見る目になった大和に、羽咲は「はぁ……」と小さな溜息を吐く。
「……わかった。いいよ、もう。私が入るよ」
恨みがましい目を大和に向けて、羽咲は不動産屋の扉に手をかけようとした。けれど、タッチの差で、にゅっと横から大和の手が出てきて、勢いよく扉が開く。
「え?大和君なんで──」
「こんにちは。ちょっと教えてほしいことがあるんで、失礼します」
ハキハキと礼儀正しい少年の声が、店内に響く。ついさっきまで、羽咲に薄情な態度を取っていたとは思えないほどの、好青年っぷりだ。
大和の急な変貌に、羽咲はギョッとして彼をまじまじと見つめる。
爽やかな笑みを浮かべる大和は、全人類を虜にしてしまいそうなイケメンだった。でも、羽咲の視線に気づいても、絶対にこちらに目を向けようとはしなかった。




