副話 世界へと戻る話
「やはりと言うべきか」
「はい、解っていましたが……正直、構成を考えて無理だと」
重金教授のデスク前。
緑色のパイプ椅子に座り生化学検査の結果を渡し結論を聞いた莉奈は、諦めに似た虚ろな笑いを浮かべて俯いた。
結果が書かれた紙には、普通の医療系の人間ですら理解するには難解な記号と、数値の山で溢れかえっていた。
中でも二人の話題の中心は『PRCー48』と呼ばれる因子のカテゴリー。
PRCー48、別名スレイブ因子と呼ばれる。
それは名の通り、人を奴隷化するモノではない。
それはその因子の持つ効果にある。
スレイブ因子とは菌を媒介にして神経細胞内に寄生する、DNAに似た特殊なタンパクだ。
(ここから専門用語に近い話が出ます)
皆様は人間の精神が科学的にはどの様になっているか、しっているでしょうか?
人の心は胸にある、何て昔から言われてはいるが、現代の科学から言えば脳内のインパルスネットワークが形作ると言っても過言ではない。
そのインパルスネットワークは脳神経が絡みつく様に出来上がる。
蜘蛛の巣が重なり合う様に出来上がるネットワークは、重なり合うだけで実はくっついてはいない。
この場合は接着していないと言う意味だが、ネットワーク同士の伝達は神経伝達物質がになっている。
本を読む人間や運動をよくする人間ならば知っているかもしれない、アドレナリンなどがそれだ。(正確にはアセチルコリン・ノルアドレナリン・アドレナリン・ドーパミンなどではあるが、専門の人間以外には何にも面白くないので、どうでもいいっと言う方はさらに読み飛ばして下さい)
話を戻そう、スレイブ因子は脳内だけではなく身体中の神経に入り込んで神経伝達物質の生成を増強または抑制するものだ。
身体中の神経でそれが起こればどうなるか?
身体の動きや精神状態はグチャグチャになる、簡単な帰結だ。
頭の中で思ったような身体の動きは出来ず地に倒れ、幻覚や幻聴が精神を擦り減らし表情や感情がジェットコースターの様に目まぐるしく変わる。
人を簡単に壊す危険なモノだ。
しかしこれは自然に発生したモノではない、古くは第二次世界大戦の時期に産まれた狂気の物質である。
目的は敵国の人間に植え付け、植え付けられた人間が一定量を越えた時にあるキーワードで同時発症させ、敵国の昨日を失わせると言う目的だ。
「数々のキーワードを試しましたが、解除キーの組み合わせが多すぎます」
「辰学院の奈落で文献を見た限りではそうだな。解除キーは抗原抗体反応を利用している以上、組み合わせは理論上ほぼ無限大になる」
気付いた方もいるかもしれないが、このスレイブ因子は破傷風菌を元にした細菌兵器だ。
それ故にこの因子の除去、正確には無毒化『解除キー』には、因子の形に合わせた特殊なタンパクが必要なのだ。
「辰学院の奈落でも、ヒントは無いんですか?」
「残念ながらない。世界のあらゆる文献や資料が集まる図書資料室の奈落でも、記載されていないものは流石にない。以前にあったスレイブ事変を解決した人間の資料はあるが、書いてある因子と君達が身に持つ因子は全然違うものだ。考えてみたまえ、アミノ酸のコドンでさえ一つ違えば違うモノになるのだから」
「………やはり、総当たりでやるしか?」
「もしくは開発者を探し出すか……だれだ‼」
莉奈は感じなかったが、何かに気付いた淨の手から白い何かが伸びる。
ガスッと鈍い音と共にささるのは細く長い白い包帯。
「包帯が刺さった⁉」
「布術と言う暗器(隠し武器)術の一種だ。それっ」
淨の包帯を持つ手が翻ると共にキャッと女性の叫ぶ声と、身体を包帯に縛られてな倒れ込む様に現れた女性二人。
「あっ」
「……まったく盗み聞きとは、誇り高き騎士団の名が無くぞ? フローリア君」
「あっあはははは」
包帯に縛られた二人は、誤魔化す様に笑みを浮かべた。
「しかし、問題だな。今の話を聞かれたか………どうする?」
「どうする、と私に振られても⁉」
首を掻っ切る様な淨のジェスチャーに、莉奈は泡を喰った様に慌てふためく。
淨は本気ではない、盗み聞きしていたフローリアに対してのお仕置きを兼ねたブラックジョークだったのだが、本心を知らない莉奈とフローリアは溜まったものじゃない。
フローリアは顔を青白くしながら釈明をする。
「プ、プロフェッサー‼ いやこれはっ、そうじゃなくて、そう、私スレイブ因子の開発者を知っているんです‼」
「なんだと?」
フローリアの口から飛び出た言葉に淨の目が鋭くひそめられた。