副話 公務員ハウンド
濃い緑の厚い布で出来た重い戦闘服で身を包んだ男は、二十代後半位の精悍さに満ち溢れた彫りの深い顔に影を滲ませながら溜め息を吐いた。
「どうしたの?」
狭い車内だからだろう、ユックリと吐いて気付かれないようにした筈の溜め息に気付かれた男は、顔に似合わず顔を紅く染めた。
それを指摘した銀髪の女性は、男の姿か面白かったのかコロコロと鈴が鳴る様に笑う。
それを見てまた恥ずかしくなったのか、男ははにかみながら話し始める。
「いや、少し自分の戦いに疑問が浮かんでね。戦いに飢えて、戦えるだけでいいと思って人伝てに聞いたこの会社に入ったんだが」
「戦いに疑問………ですか?」
「まあ、それに近いかな? どっちかと言われれば不満、だろうかな?」
男こと風間陣内は今言った通りの不満があった。
彼は元々、江戸時代から続く『風間流蹴術』と言う色物格闘技に分類される武門を生業としてきた一族の当主だった。
そう「だった」なのだ。
数年前、前当主だった父が亡くなって当主になったのは良いが、あまりの練習の奇抜さとハードさと会得しても軽業師にしか見えない色物さで門下生がゼロで生計が立てられなくなり潰れたのだ。
しかしながら、陣内本人としては子供の頃から習い身につけた技であり、代々一族が伝えたそれを誇らしく考えている。
だからこそ彼は身につけた自分が何処まで出来るかを試すための場所、戦える場所を求めた。
「いや入った当初は良かったんだけどね? 今の仕事してたらさ、いくら欲求に沿って金払いが良いって言っても、ちゃんと考えて入るべきだったと後悔してるよ」
窓に遮光シートを窓に張った薄暗い車内で、自嘲する笑いがエンジン音に紛れて消えた。
数年前、父親の葬儀が終わった後、父親の知り合いと名乗る男と出会う。
男は厚生労働省が運営する疫病予防課に所属する役人だった。
一介の武術家だった父親が、畑違いとも言える厚生労働省の人間と何故知り合いだったのか。
その理由は聞けば簡単に知れた。
男はとある疫病に対して防疫する為に、高名な『実戦』武術を使える人間を探して父親と出会ったらしい。
防疫とは、伝染性感染症の発生や流行を予防する事なので、最初聞いた時は何を言っているのか訳が解らなかった。
しかし話を、防疫する病の症状を聞いて納得する。
風間家の様な古い家に代々伝わる口伝で、応仁の乱を最後に流行った注意するべき古い病『鬼人病』と同じ症状だからだ。
名の通り『そは鬼の如く力を振るい。人には非ず、妖術を使うものに変わる病なりけり』と言う、明らかに能力者へと変貌する病だ。
陣内はその時、それに続く『病続けば人の形崩れ、異形の獣となりて人を喰らう妖物へと堕ちん』と言う口伝の一部を思い出し身体が総毛立った覚えがある。
「まあ『鬼人』を取り押さえる事が出来るのは、俺らの様な能力者で戦う事になるって聞いてからと給料の良さで二つ返事したんだが」
「実際は違った訳ですか?」
「まあな。捕まえるのは症状の軽い能力者モドキの餓鬼ばっかりで、強い暴走体は半年に一回位。書類仕事でデスクについてる時間の方が長いと来たもんだ」
厚労省の組織だと銘打っているが、実際は民間の『桃山財閥』が主体になっている為金払いはとても良い。
だがしかし、戦いを求めている陣内としては欲求不満もいいとこだ。
「俺も街で噂になっている『桜坂の剣士』や、隊の中で戦いたい奴No.1に選ばれた『水上誠一』と戦いたいよ。お前もそう思うだろ?」
「私にはルーチェと言う名前があります。それと私は貴方みたいな戦闘狂ではありませんので解りません」
銀髪の彼女の名前はルーチェ、イタリアにある儀式魔道を使う一族で代々『魔女』をやっている能力者の一人。
そんな彼女が何故ヨーロッパではなく日本にいるかと言うと、実は『婿探し』だったりする。
彼女の家系は女系一族で、生まれて来る子供は例外なく女性。
しかし子孫を残すためには男が必要な訳で………。
「そんな酔狂な話をするよりジン? 二人きりなんですから、もっと建設的な話をしましょう。例えば私達の未来の話とか………」
両手を膝の上で握り締め、軽く上気した朱い顔でルーチェは陣内を見詰めながら言う。
事は三年前、当時18だった彼女を陣内が手を出したのが原因。
解りやすく言えば………相手が地雷女なのを知らずに、やっちゃった訳で自業自得な話である。
「あなたの言い分とすれば、結婚式を挙げるのはこの仕事が一段落すればって言いましたが………その段落はいつなのか教えて下さい」
一夜を供にした相手と結ばれるしきたりがある娘と、遊びとして相手した陣内。
明らかに不利なのは陣内で、妙な迫力を持つ彼女には勝てないようだ。
やや追い詰められぎみの彼は、助けを呼ぶつもりで周りを見るが同じ戦闘服を着た同乗者は軒並み目を逸らす。
どの世界でも男女の話は厄介らしく、周りの人間は聞き耳だけを立てた傍観者に徹するつもりである。
さてどうやって話を変えるかと陣内が考えてるその時、アスファルトがタイヤを削る音と同時に車内の陣内達に激しい慣性がかかる。
「どうした!! 何があった!!」
「奇襲です!! 進行方向にっグアァァッ!!」
衝撃に近い急ブレーキに何があったと聞けば、車内スピーカーから焦った声と叫び声が響く。
連続した発砲音と続く激しい爆発音、同行していた自動車に何かあったと判断した陣内達は後部ドアから転がる様に車外へと飛び出た。
「っっ!!」
飛び出た陣内達は息を飲む。
煌々と燃える黒塗りの自動車、その光に照らされる暗闇の林道。
そして燃える自動車を背に立つ人影が、彼等を見ていた。