それぞれの事情
カタカタとキーボードを打つ音だけが暗闇に響く部屋。
ディスプレイに照らされ闇に浮かび上がる男、七瀬桂二は常に浮かべている笑顔は鳴りを潜め苦虫を噛み潰した表情をしていた。
「しかし、それでは今いる人員だけでは捌ききれないですが………」
喋り方もいつもの様な軽い口調ではなく、とても畏まった丁寧語であった。
喋りかけているのはだれだろうかと思えば、桂二の耳にかけてあるヘッドセットから話し声が漏れ微かに聞こえてきている。
「はい、そうです。予想外の拡がりを見せていて………はい。『偽神薬』の流通ルートの八割を確認した迄は良かったのですが、最後の最後にルートが重なり、どうやら複数のルートを見付けて更に枝分かれを………了解。視野にいれて引き続き調査を進めます………」
丁度そこで通信が切れたのか、桂二はヘッドセットを外すとキーボードの上に放り出し椅子の背もたれに勢いよく体重を預けた。
「………ったく。趣味の範囲だけの話がどうしてこうなったかね」
桂二は二年ほど前までは、ただの噂話が大好きな少年だった。
西に噂があれば情報収集に向かい、東に不穏な噂話があれば飛び込むべく体当たりで話を聞き、北に噂話の好きな女性がいれば口説き倒した事だってある。
まあ中学生の時に40代の女性…とは、やり過ぎだったと今では桂二は反省しているが………。
そんな彼の転機となったのが一年前、とある噂話の裏付けをとる為に偶然見てしまった何かの取引現場。
噂話は良く聞く『ありがちな』シュチエーションだが、実際見てみればあまりの緊張感で桂二は動けなくなってしまった。
今では問題なく隠れられるが、当時は何も知らない少年だった桂二は物音を出し足をもつれさせた。
「ホントにアレだ。転換期? いや、分水嶺ってヤツ?」
案の定、見事に捕まった。
今では良く知る能力者の能力で〜とかではなく、能力者でも何でもない噂話好きの一般人の桂二は、頭に拳銃を突き付けられ身体を恐怖に震わせながら組み敷けられた。
そこからはお決まりのパターンで、縛られた後で『何処の手の者だ』とか『誰からの指示だ』などの暴行からの尋問。
あの時は『ああ、噂で聞いていたけど本当なんだ』と、桂二は感心しながら現実逃避を行っていた。
そんな時である、殴られ血で真っ赤に染まり朦朧とした頭に『音』が響いた。
今でも桂二は鮮明に思い出す。
縛られた桂二の反対側、暗がりから響く音。
いや、正確に言えば歌声だ。
澄み渡るや鈴を転がすや陶酔するや美しいや綺麗や、そんな総てを顕すどんな修飾語でも表現できない『声』。
歌いながら現れた突然の闖入者に対応出来ない男達、もとより動けない桂二は呆然と見ていた。
完全にその場は闖入者のオンステージになっていた。
その場の全身が棒立ちになっていた、それに気付いた男達の反応は少々遅かった。
闖入者の歌がオペラの、いやイタリアのカンツォーネの様にクライマックスに差し掛かったその時。
桂二を捕まえた男達が、口鼻や耳から血を流しながら崩れ落ちた。
「いやー今さらながら、厨二っぽいわ。あれで感動して涙するなんて」
ヘッドセットを人差し指で回しながら、桂二は自嘲する。
その光景に恐ろしい以前に美しい何て考えて、感動した挙げ句に涙まで流したのだから。
まあ、種明かしをすれば取引現場を監視していた別口の『能力者』に助けて貰った『だけ』。
桂二はそこからその助けてくれた人のツテから、この裏の世界に足を踏み入れる事となった。
「………ん?」
そんな昔話を思い出しながら今後の方針を考えていると、ディスプレイに[緊急通達]の文字がポップアップされていた。
慌ててクリックし彼が持つ20桁のIDとパスワードを入力すると、桂二は顔色を変える。
「チッ怪人か変態か知らんが、冗談キツイぜ。これ以上増えられたら処理仕切れん………」
そのディスプレイには、こう書いていた。
[第三隊 高見原分隊に緊急度C連絡 先日の高見原タワー地下の爆発事故と同時期に起きた事件に能力者を見たと情報があり確認を急がれたし。人物の詳細は全身タイツに…………]
高見原桜区とある袋小路の空地
筧 宣夫は自分の不運を呪っていた。
思うにケチの付き始めは、先月出会ってしまった噂の剣士だろうと彼は考える。
いや、産まれてこの方良いことなんてありゃしねぇと、ぼやきながら彼は目前に突き付けられた木刀の切っ先を見つめる。
筧宣夫は孤児だった。
話によれば、寒い冬の日に孤児院の前に捨てられていたらしい。
らしいと言うのは孤児院の仲間や周りの人が話をしていたのを聞いていたからだ。
そのせいか、思春期の彼はとても荒れていた。
目についた人に総てに喧嘩を売ったり、犯罪紛いの事をしていた。
家族のいない寂しさや足元の不安定さ、そんな感情が漠然と感じていたせいだと宣夫は考えていた。
そんな荒れた日々、彼の前に一人の男が現れる。
黒髪に黒いスーツと全身を黒で固め、髭をたくわえ長い髪を後で束ねた紳士然とした中年。
宣夫は反射的に殴り掛かり、一瞬にして取り押さえられる。
『貴方、自分の秘密を知りたくないですか?』
今でもあの時の、あの黒い男台詞は忘れられない。
「ウヒィッッ!!!!」
ゴウッと目の前を、木刀の切っ先が迫る。
考え中に攻撃を仕掛けられた宣夫は、横っ跳びにかわす。
危ないっと言う間もなく、返す刀が彼の胴を狙い迫って来る。
タイミングをあわせ水泳の飛び込みの要領で木刀をかわし、地面に着地と同時に転がり剣士との距離をとる。
用心とばかりに更に駆け、距離を空け剣士を見れば黒いレインコートのフードに隠れて表情は見えないが、どうやら驚いているのだろう。
漆黒に光るフードの奥から除く瞳が大きく開いていた。
「へっ。無理矢理に覚えさせられた体術が、こんな時に役立つなんてな」
何て皮肉だと、声にならない言葉を紡ぎながら、宣夫は励起法の深度を慎重に下げながら逃げる算段を考える。
『…確か、第一研究所じゃあこんな時は………』
更に間を空けるべく、励起法で強化された足で大地を蹴る。
しかし桜坂の剣士も黙って逃走を許しはしない、地面をスライドするように間を一瞬で詰める。
「うええっ思った通り速い!!」
相手は目の前、見れば下段に構えた木刀が跳ね上がる寸前。
宣夫は腕一本を覚悟しながら防御するべく、頭を抱え脇を締め身体を固めた。
「??」
しかし衝撃は無い。
怪訝に思い、構えた腕の隙間から窺えば必殺だった間合いを空け剣士は仰ぎ見る様に宣夫の後よりやや上を見ていた。
「私の熱い情熱が言っている!! その思いにそって正義を成せと!!」
思わぬ声に振り向き、宣夫は固まった。
二階建ての店舗の屋上。
そこに仁王立ちする赤い全身タイツの男、ハッキリ言ってこんな時間に見れば………いや、こんな時間でもなくても変態である。
「赤き情熱と正義の使者!! パッションレッド!!」
宣夫と剣士はその時だけは心が一緒だった。
『変態が増えた』