桜坂にて
桜坂の剣士。
時代錯誤な雰囲気を醸し出すその名称は、時代劇等の大衆芸能の話ではなく高見原に流れる噂話の一つだ。
いつも通り噂話に詳しい桂二に聞けば、誠一の期待通りの情報を得られるだろうが今回は必要がなかった。
なぜなら、この噂話は高見原の噂の中では、最もポピュラーかつ真偽はどうであれ詳細が多い話だからだ。
「だからと言って、簡単に遭遇出来るわけはないよなぁ」
桜坂の繁華街を照らすネオンを眺めながら、誠一は一人ごちる。
午後8時 高見原市桜区桜坂 産屋通り
あれから二週間、誠一は桜坂に『よく』現れると言われる『桜坂の剣士』を見つけるべく学校帰りに通っていた。
桜坂の剣士。
始めの噂話は、不良グループの壊滅の話だった。
高見原工業高と言えば、有名な不良グループが数多く存在する高校で、警察と言えども簡単に介入できない程の無法地帯。
その中でも30人規模の有名ななチームが突然壊滅した。
ここまでならばチーム同士の諍いや抗争でなったと思うが事実は違う。
実際はたった一人の人物に、再起不能まで叩きのめされたと言う。
これがただの噂話ならばよかったのだが、本当にチームが壊滅して全員病院送りになっている事実。
それから桜坂の剣士の噂話は始まる。
ある時は、麻薬の売人グループを全滅させたり。
ある時は、危険な裏通りの犯罪者を一掃し、はたまたある時はヤクザの事務局を物理的に潰したりと大活躍の噂話。
「全くもって、正義の味方みたいだ」
誠一は桂二に頼み込み作成してもらった『被害者』の一覧を見ながら、ペットボトルのお茶を飲み干す。
そこには見るも見事な『犯罪歴』のオンパレード。
「恐喝に暴行、強姦と窃盗。違法薬物売買、銃器の違法所持に殺人犯…全部倒してる」
桜坂の剣士のターゲットは、総て犯罪者。
しかも共通するのが、『司法に裁かれていない犯罪者』。
これの意味するところは誠一には解らないが、彩が言うには『これだけの犯罪者を的確に討ちつづけるには、背後に暇人かつ酔狂な組織がある』んじゃないかだそうだ。
そんな考察を続け今誠一達二人が出来る事と言えば、目撃情報が一番多い『桜坂』を中心に探しつづける事だった。
とは言え。
「二週間張ってて、姿形も見えないって………辛いなぁ」
それも仕方が無い事だったりする。
桜坂の剣士の噂が広まり、一番最初に恐れたのはなんだと言われれば犯罪者だ。
悪であれば犯罪者であれば断罪の刃を躊躇なく振り下ろす。
そんな都市伝説じみたモノが、事実上存在するとしれたらどうなるか。
正解は鳴りを潜めるか、蜘蛛の子を散らす様に逃げ出すかだ。
その証拠に高見原の中で一番犯罪が多い桜区の犯罪率は、全盛期の半分まで下がった。
誠一は頼んでもないのに、そこまで書いてくれた桂二のレポートを読みながら『そりゃそーだ』と心の中で呟いた。
誠一自体も学校の友達から又聞きした時に、寒さを覚えた。
誠一の友達の話によると、とある用事で桜区の裏通りを歩いてる時に、チーマーの一団から恐喝を受けたらしい。
全身を赤で統一した集団に囲まれ、絡まれた。
友人は恐怖におののき、これからの自分の未来に絶望感を感じたらしい。
しかし、その絶望感は別の恐怖に塗り替えられる。
取り囲むチーマーの一角が、音もなく崩れ落ちたのだ。
突然の事に騒ぐチーマー達。
しかし、それで終りでは無かった。
周囲は混乱の坩堝に包まれる、その状況を作り出した相手が見付からない。
次々に崩れ落ちるチーマー達、伝播する恐慌に友人は頭を抱え目を閉じてうずくまったらしい。
それから数分間(友人の体感時間だろうが誠一は数秒ぐらいだと考えている)経った後、友人は顔を上げた。
その時見たのが死屍累々と倒れるチーマー達の真ん中に立つ『白銀のレインコート』を着て、右手に白木の木刀を持つ人物だそうだ。
正直なところ誠一は何があったかは、良く解らないが彼に解る事もある。
それは相手はとてつもなく強敵だと言う事だ。
今までの相手と言えば、思惟の様な技巧派やフランベルジェのパワータイプだった。
しかし今回は違う、誠一が彩から聞いて確認したのは『霧島』はスピードを重視した『高速戦闘』が得意とする事。
今からの展開しだいでは戦闘になるかもしれない状況では、厄介な問題点だと誠一は頭を痛める。
「んーまあ、そんな懸念も出会えるまでだけ………ん?」
溜め息混じりに背中を伸ばしていると、ビルの屋上に白い影。
いや、白銀のナニカがビルの屋上から屋上へと飛ぶ様に走っていた。
「チッ盲点だった、上か!!」
何で二週間近く見付からないのか。
その原因にようやく誠一は気付く。
当初、桜坂の剣士は路地裏を移動して、ターゲットを狩っていると考えていた。
しかし実際は違った、友人の話や噂話から考えれば簡単に解ること。
「なんてことない、桜坂の剣士は上からきていたんだ」
突然に現れる剣士。
当然だ、人間普通は頭の上に注意なんてしない。
ましてこの街は森林都市、頭の上の半分は枝葉で覆われて注意力なんてほとんどない。
今は考えるより動く事だ、と誠一は考え励起法で身体能力をトップギアまで一気に引き上げ一目のない路地裏に入りビルの壁を蹴る。
「上を走るなら俺もっ!!」
誠一は足場のない左右のビル壁を、テンポよく蹴り五階程の高さをあっという間に駆け上がる。
「どこだ!? ………凄い」
森に空のほとんどを塞がれていた道路とは違い、五階程の高さは空がよく見える。
急いで周りを見回せば、誠一は満月に照らされ現れた景色に目を奪われる。
眼下には広大に広がる緑の絨毯、そこから伸びるビル。
月の光に照らされたそれは、幻想的な雰囲気を醸し出し誠一の意識を一瞬だけ奪った。
「っじゃない。見てる場合じゃ」
慌てて周りを見れば、緑の絨毯を滑るように走る白銀のレインコート。
誠一は後を追うべく屋上の手すりを強く蹴った。