自覚する世界
バンッ!!
ガラン、ガラン、ガラン。
「ん?」
大きな音を感じた彼女は後ろで結んだ髪を感じながら、コップを磨いていた手を止めた。
音の出たところを見るとドアを激しく閉めたのだろう、揺れるカウベルを背に一人の少年が肩で息をしながら入り口でへたり込んでいた。
学生服の背中と男にしては艶のある特徴的な栗毛、それで喫茶店『トラスト』の店長『雉元 灯』はその少年が誰かすぐに思い立った。
「…誠一か。そんなに息を切らして、どうしたんだい?」
「はっはっ、あっ灯さん。水ください…。」
溜息をひとつ吐くと灯はシンクの横に常備している氷を入れた水差しから注ぎ渡す。
彼はそれをとるやいなや一気に喉に流し込んだ。
ゴクリゴクリと鳴る喉を見ながら灯はまた美味しそうに飲むなと思いつつ、息を吐く。
「ぷはー、死ぬかと思った。」
「それでどうしたんだい?いつも見かける拓海君は一緒じゃないのかな?」
アハハと乾いた笑いをあげながら、誠一と呼ばれた少年はカウンターに着き否定するように手を振った。
「いつも一緒じゃないんで。」
「そうなのかい? 君たちは男同士の関係って言う噂が流れているが?」
「デマです!! 誰ですかそんなデマを流したのは!?」
「ん? 桂の奴だが?」
灯が何でもない様に言うと誠は机に突っ伏した。
「灯さんそれ、かなり広まってるよ…ははは。」
「まあ、そんな事よりどうした?顔を真っ青にして走り込んで来て、何があったんだい?」
「そんな事って…ええっと、今さっきの事なんですが…。」
さっきまでの勢いを無くしながら彼は事情を話していく。
聞いた内容を纏めると話している人間の常識を疑うような、おかしな話だった。
「あー、まとめると。いつもの学校の帰り桜中町の交差点の真ん中で突然立ち止まった見慣れない制服を着た女の子が居た。そこに迫り来る車。君の持ち前の正義感で助けようとしたのだが、その彼女を庇って君は車に轢かれてしまったと?」
現状を簡単に纏めた灯に、その通りとコクコクと誠一が頷く。
だが、内容は彼にとっては正解だろうが明らかにおかしい事がある。
「で?車に轢かれた君は何で無事なんだい?」
そう、身代わりとなって轢かれているのであればただじゃすまないのだ。
しかし、目の前の彼は傷もなくピンピンとしているどころじゃなく、学生服にはほつれもなく汚れぐらいしかない。
「そうなんですよ、俺それを聞きたくて…どうなっちゃったんですかね俺の身体。」
「君なぁ…。」
灯は一つ溜息を吐くと可哀相な目で誠一を見る。
「常識的に考えてみろ、そんな訳はないだろう?」
「ですよねー」
「まあ、普通に考えると助けに入った君はギリギリ避け切れなくて車と接触、アスファルトに叩き付けられるも奇跡的に怪我もなかったって事だろう?」
灯にやんわりと説かれ誠一は心なしか落ち着いた表情を浮かべる。
「まあ、今日は病院に行くかもう帰るんだな。喫茶店としては何も注文もなしに冷やだけで帰るのは問題だがね。」
「ははっすみません。…なんか、今日は精神的にきついんで…又来ます。」
そう言って誠一は、少しスッキリした声で席を立ち、一礼をして帰った。
「あーらら。いいの?多分あの子本当に轢かれてるわよ?」
誠一が帰った直後、静かな店内に声が響く。
カウンターの隅でそれまで寝そべっていた客が首だけを動かして灯に話しかけていた。
無造作に纏めた黒く長い髪と黒縁メガネ、少しヨレヨレの服を着た何処と無くだらしなさを感じさせる女である。
灯が目だけを移して見ると言葉の軽さとは裏腹にレンズ越しの目は真剣だった。
「こればっかりは、仕方があるまい?知らない事がいい時だってある。」
「そうかしら?知らせて上げた方が良かったと思うけど?」
「円、お前『視た』な?」
円と呼ばれた女性の返答に灯の視線は厳しくなる。
「やーね。視ようと思ってて視たんじゃないって。視たのは彼の事故現場よ。」
「事故現場だと?」
「そっ。凄かったわよー女の子を突き飛ばして助ける誠ちゃん、でも彼は突き飛ばす力で精一杯。避けきれずに真正面にドーン。でも、吹き飛ばされたのは車。誠ちゃんは傷一つなく生還。誰の目から見ても明らかにおかしい。どう思います?所長さん?」
そこまで聞くと灯は苦虫を噛み潰したような表情を作る。
「これも私達の…。」
「そうでもないんじゃない?ある意味あなたが彼を救ったようなものよ?まあ偶然だけど、彼が『第一段階』突破したおかげだけどね…。」
「皮肉か。しかしな…。」
「そうね、少し調査が必要かも。彼が元からなのかそれとも…。」
店内から人の声が消える。
残るのは少し寂しげな音楽のみ。
ゆっくりとした音楽と共に日はゆっくりと傾いて、夜の闇が帳を落としていく。
「罪か。」
呟いた声が小さく消えた。