買い取り額と双節棍メイド
安宿での仮眠を挟みながら、三日間、契約を延長した鼠とゲイルラバーズは未来遺物を運び出し続けた。二日目から人が増え始め、三日目には未踏破区域だった場所の手の届く箇所にある未来遺物は全て持ち去られた。
未来遺物目当てに来たのは上層を主に活動する冒険者だけではない。流石に深層冒険者は来ていないが、中層をメインに活動するあるクランの手によって浮遊要塞機甲亀・マザーは討伐された。何人かの上層冒険者はおこぼれを狙おうとしたが、そのクランはしっかりと周囲一帯を封鎖してから討伐に臨んだため空振りに終わった。クロエのパーティが欲に駆られて手に入れようとしミユが諦めたマザーに近い場所にあった多くの遺物もそのクランのものとなった。
クロエは討伐戦の時にそのクランに断りを入れて、かつての仲間たちの装備を回収していた。ダンジョンの中では生体の分解は匂いもなく急速に進む。回収した装備はそれぞれの家族へ送り、身寄りがないものの装備は共同墓地を建ててそこに供える。
鼠たちにも誘われた未来遺物の共同収集は断り、装備を回収してくれる冒険者を探し回っていたため、クロエに今回の未踏破区域での戦果はない。また、回収後も装備を送ったり手紙を書いたり墓を立てたりなどのパーティメンバーを弔う作業に没頭したため、しばらく冒険者稼業から足が遠ざかることになった。
◆
鼠はギルドでの査定の結果を教えてもらうのを探索終了まで延ばしていた。金額を聞いて運び出しに集中できなくなると困るからだ。
そして三日目の運び出しと売却が終わり、ここまでにしようとゲイルたちと相談して別れたあと、鼠は一人で買い取りカウンターに戻った。未踏破区域のせいで混んでいるため少し並んだあと、鼠の担当のようになったギルド員のミズキが、カウンターの内側に斜めに置かれているコンピューターを見ながら、鼠に総額を告げた。
「細かい金額はデータで送るので後で確認してください。この金額はゲイルラバーズが持ち帰った未来遺物の買い取り額の四割を含んだ金額となります」
「は、はい」
連日の肉体と精神の酷使でふらふらしていたが、鼠は気を強く持とうと手を強く握り、顔を引き締める。
「二億八千万ですね」
「に、にお……」
努力むなしく、鼠は椅子ごと後ろ向きにぶっ倒れた。天井を見上げたまましばし呆ける。
(やったね! これで人間らしい生活を送れるね!)
ラスが視界に現れて明るく快活に笑う。鼠はぼんやりしたまま小さく頷いた。
(そうか……これで路地裏に戻らなくていいのか……)
ややあって視界の上の方、つまり鼠の背後で順番待ちしていた冒険者が迷惑そうに呟く。
「チッ……さっさとしろや。この幸運なだけのガキが」
その呟きは鼠の喜びに水を差すものではなかった。しかし迷惑になっているという事実に気がついた鼠は起き上がり、謝りながら椅子を立てて座り直した。
(そうだ……僕は幸運だっただけだ。僕の力じゃない。ラスと出会えた幸運があったからだ)
ミズキの向こう側でラスが得意げに微笑んでいる。
「……あの、怒らないんですね」
鼠はハッとして不思議そうに聞くミズキに意識を戻す。
「実際その通りですし」
「運も実力のうち、なんて言う方が多いですけどね。……謙虚なのは良いことですが」
ミズキはそう言うとちらとパソコンを見て話を支払いに関することに戻した。
「現金か、ギルドに登録していただいて口座に振り込むか、どちらがいいですか?」
「振り込みでお願いします。あ! いや、一部現金で。宿が現金のみなので」
宿代はゲイルラバーズの信用を後ろ盾に交渉して待ってもらっている状態だ。その分割増しになるが、仕方のない必要経費だと鼠は思っている。ミユは自分が出してもいいと言ったが、それは流石に断った。
◆
ミズキは鼠の宿が現金のみだと聞いて意外に思った。何気なく訊ねてみる。
「……随分と安い宿に住んでいるんですね。億万長者なんですし、女の子を連れ込めるような綺麗な宿に住まわれては? 家を買ってしまうのもいいかもしれませんよ」
冗談めかして言うミズキだったが、内心は笑っていなかった。子供、億万長者、ワンチャン玉の輿の言葉が頭の片隅でぐるぐる回っていた。本当は年上がいいが、この際妥協する。勿論優秀なミズキがそれがバレるほどに表に出すことはない。
対して鼠はあからさまに苛立ちの表情を浮かべた。
(あれ? 地雷踏んだ?)
ミズキは予想以上の、怒りと言ってもいい表情に面食らう。鼠の歪められた口から押し殺したような声が漏れ出る。
「そんなことは絶対にしません。……それで、冒険者登録でしたっけ? ここでできるんですか? あ、あとできれば何個か、売らずに手元に戻したいものがあります」
以降、この事務手続き中に鼠がミズキと視線を合わせることはなかった。
◆
(なんであんなに怒ってたの?)
手続きが終わり、十万円を現金で受け取った鼠は疲れた体をベッドに沈めるべく安宿へ向かっていた。そこで不思議そうに浮かびながら頬に指を当てて聞いてくるラスに、鼠は再び不快感を募らせる。
(うるさいなっ)
念話で怒鳴るという器用なことをした鼠だったが、ラスも不思議そうな表情をしたまま引き下がる。ラスとしてもあまり契約者の不興を買うようなことはしたくない。次のキャラクターが見つかるまでどれほどかかるかわからないのだ。
鼠は長い路上生活を強いられていた。薄汚い路地の奥で人目につかないように行われるそれは、そのほとんどが強姦だった。
一部割り切ったものや、ストリートチルドレン同士で好意を持ったもの、そういうプレイらしきもの、なども目にしたことはなくはなかったが、数でいえば相当に少ない。両手に収まる数だ。
鼠もただの冗談や、同意の上で行うことに対しては拒否感があるわけではない。しかし先ほどは連れ込む、という言葉が強姦を連想させ、鼠の地雷を踏んだ。
鼠にとって考えたくもない事柄ゆえ、ラスに伝わる部分も限られる。しかしラスはマナの感覚からなんとなく根深い忌避感を読み取り、それ以上の追及はしなかった。
◆
鼠が一般的にいえば硬くて寝にくい安ベッドで、しかし鼠の基準では天上の寝心地を誇る高級ベッドで目を覚ます。
ラスが言ったので売らずに未来のビニール袋に詰めて持ち帰っていたいくつかの未来遺物の中から、棒状の携帯食料を取り出し、包装を剥がしてかじる。
ラスが言うには未来の栄養機能食品らしい。栄養失調でやせ細っている鼠の健康状態を早く回復させたいのだとか。
包装にはなにか文字がびっしりと書かれているが、鼠は読めない。日本語でないことは確かだった。
(これ、一口いくらなんだろうなぁ……)
結局売却額の細かいデータは見ていない。一応ざっとは見せられたが、データを取得できる端末を持っていないし、ギルドで数百行にわたるデータの羅列を読むのは体力と感情の両面で無理だった。
(んー、確か一本五十万円くらいだったから、その一口は五万円くらい?)
(な、なにゃっ、ぎゃっ)
念話で奇声を発し、思わず携帯食料を床に落としてしまった鼠は、一切躊躇わずに拾い上げて再び口へ運ぶ。この宿は安いせいもありあまりきちんと掃除されているとは言いにくい。
やや呆れた顔をしたラスが口をはさむ。
(……せめて埃くらい叩いたら?)
(それで一片でもなくなったらもったいないだろ)
ラスは頭を抱える。
(……まぁいいや。それを食べ終わったら銀腕工房に行くよ。支払いは昨日もらった冒険者証でできるはずだから)
(やった! 新装備だ! 短剣! 短剣!)
クロエから鼠に渡った大型の短剣は、結局使わずにすでにクロエに返してある。その時は未練たっぷりの鼠を見て、ラスが笑っていた。
(ハイハイ、情報収集機器と防具と銃の拡張強化が優先だからね)
そう言いながらも、鼠のモチベーションが上がるなら買うのも悪くないか、とラスは考えていた。
◆
銀腕工房の扉を開けるとメイドがいた。
(え?)
鼠は引き戸を開けたまま固まってしまう。長く艶やかな黒髪を伸ばし、長いスカートのザ・メイド服を着こなした長身の女性がカウンターでなにか話していた。相手は銀腕工房の店主、銀色の左腕の義手と眼帯で隠れた左目が特徴的な紅鷹ルイナだ。
「それでは、こちらの伸縮機能付き機甲双節棍と、エネルギー吸収・放出機能付き機甲双節棍をください」
「はいよ。ったく、一つだけでもイロモノだってのに節棍二刀流だぁ? 本来そう使うモンじゃねぇだろ。そもそも双節棍を使うのなんかシオンしか見たことないぜ」
「うふふ、あなたに言われる筋合いはありませんわ。それより例のトンファーも完成しましたか?」
「今やってるよ。あと一週間って言ったろ? なんで今日来てるんだよ」
「面白い双節棍を作ってみたと聞いたら、居ても立っても居られなかったのですわ。……ところで」
メイド服の女性は濡羽色の髪を揺らしながら振り返る。鼠は純和風でどこか妖艶さも感じる、あまりに整った美貌に身震いした。
「あちらで固まってる可愛いお客さんは、いいのかしら?」
「ん? あー、よう! どうした? 装甲ゴブリンでも倒して小銭でも稼いだか?」
「あ、いえ、その、どうも……」
色々言われて返答に窮した鼠は取り合えず店に入って扉を閉めた。圧倒的対人経験の少なさのせいで、鼠にはコミュ障の気がある。初めて見たメイド服と本物のメイドっぽい人に男心がくすぐられてどぎまぎしていたのもあるが。
そんな感情をラスは敏感に察して、揶揄い始める。
(あれ? メイド服がいいの?)
ラスはメイド服に姿を変え、腰に手を当ててポーズをキメながら、きゅぴーんと音が鳴りそうなウインクをした。つるぺたな胸とおかっぱ童顔、そしてメイド服の組み合わせはどこか犯罪的ですらある。
(黙れ)
(冷たいっ!)
両拳を口に当てて大袈裟に反応しながらも、ラスはミズキに見せたような怒気を感じられないことに安堵した。以前も似たようなことは言ったことはあるが、鼠をコントロールするためにある程度のラインを知っておきたかったのだ。
一方ラスがふざけたことで緊張がほぐれた鼠は、ボロの外套(サイズの大きい大人の上着)の内側からナイアーラMHG-BE-Iを取り出した。
「あの、これ、ありがとうございました。運良く稼げたのでこちらの代金を払って、追加の装備を買いたいです」
「いやだからいいっつーの。装甲ゴブリン相手じゃ数日で三十万も稼げないだろ。……あ、運よく未来遺物でも拾えたのか? いくらになった?」
ルイナは数日で戻って来た鼠に対して最初は小銭を稼いだから無理にお金を返しに来たのかと思った。三十万という具体的な金額を伝えていなかったことを思い出したからだ。装甲ゴブリンは一体で約三千円。三十万を得るには百体倒して納品しなければいけない。これは普通に考えて無理である。魔弾を乱射して運よく生体部分に当てる、という新人の一般的な戦い方なら、一日に五体も倒せばマナが枯渇するからだ。
鼠の驚異的な魔力制御技術を知っているルイナでも、頑張って一日に十体倒せればいい方だと考えた。そうなると三日で多くても十万円しか手に入らない。
他の種類の銃ならそれでも十分なため、その辺りと混同したのかと思ったが、運よく、と言うからには、もしかして高価な未来遺物でも拾ったのかとルイナは考えた。
それでもせいぜい百万円がいいところだろう、それ以上するものを他の冒険者が見落とすはずがない、とルイナは常識に照らし合わせて予測していた。
「大体二億五千万くらいです」
「……ん? すまん聞き間違いかもしれん。もう一回いいか?」
「二億五千万です」
「えーっと、ああ、ジンバブエドル?」
「日本円ですよッ!」
メイド服を着たシオンが目を丸くして口を押さえている。ルイナもあんぐりと口を開けていた。
「ま、まぁーまぁ、落ち着け。取り合えずここに冒険者証を挿してみろ」
全く慌てていない鼠は、ルイナが慌てて押し出したカウンターの上の端末にギルドでもらった冒険者証を差し込んだ。そして言われるがままに二種類の暗証番号を入力する。支払いだけなら一度でいいのだが、詳細情報を閲覧させるには追加で番号を入力する必要がある。勿論ルイナという恩人相手に詳細情報を見せることに、鼠はなんの抵抗も感じていない。
鼠の冒険者としての詳細情報を見たルイナは唸った。
「お、おぉ、マジか。表通りの連中が騒いでた未踏破領域の件か。だがいくらなんでも上層じゃあ金額がデカすぎんだろ。こんなん最初に見つけた奴くらいしか……」
ルイナはそこで言葉を切ると、パソコンのモニターから鼠の方へと、見開かれた目の視線が吸い寄せられるように動いた。
「……まさか」
「僕が見つけました」
鼠は本当はラスがやったことなのにと良心の呵責を感じながらも、対外的には正式にそうなっているし、ラスのことは明かせない。鼠ははっきりと自分が見つけたと告げて頷いた。
「マジか……」
紅鷹ルイナはカウンターの中の革椅子にどっかりと背を預けた。カウンターの下からカピタンという銘柄の煙草を取り出し、火を点ける。エキゾチックな匂いが漂い始めた。
「ちょっと、その煙草は苦手だと言いませんでしたか?」
顔を顰めたシオンが心底嫌そうな口調でルイナを注意する。
「お、おう。悪ぃ悪ぃ」
慌てて体を起こしてカウンターの下の灰皿で火を揉み消したルイナは、再び革張りの椅子に背を預けた。
「マジか……」