装甲ゴブリンと未踏破区域
冒険者として登録されている者はダンジョンに入るにあたり手続きが必要となる。しかし登録にはそれなりの実力を証明できるものと、金が必要だ。どちらも持ち合わせていない鼠のような人間は受付を素通りしてダンジョンに入る。冒険者登録をしなくても「自己責任」という大義名分のもとダンジョンに入ることはできる。
東京中央ダンジョンの入り口は一つで、上層、中層、そして深層と広がっている。全てのダンジョンが地下へ地下へと層を重ねていくが、実際に土の中に構造物があるわけではない。入口のみがこの世界と繋がっており、あとは異次元に存在するような形だ。例えば入口の裏側に回っても何もない。
ダンジョンの中に入るとどこかの研究施設の廊下のような通路が続いている。壁は正体不明の白い素材からできており、よほどの攻撃でなければ傷一つつけることも出来ない。
ダンジョンはどこかの建物の中、といったものが一番多い。街や野外、洞窟といったダンジョンもあるにはあるが、それほど数は多くない。
建物の中とはいっても一つの建物というわけでは決してなく、通路を進んでいくと素材から雰囲気からガラリと変わる場所がある。二種類の建物の壁を剥いで、無理矢理くっつけたような感じだ。そうして歪なモザイクアートのように広大に広がっているのが、東京中央ダンジョンを始めとする多くのダンジョンだった。
ダンジョンを構成する建物は明らかに現代の技術では再現不可能なものだ。その中には未だ解明中だったり全く不明な技術で作られたものが数多く残っており、それらを持ち帰ることが冒険者の仕事の一つだった。
持ち帰られたものは企業の研究に回されたり、冒険者の武器や防具になったり、生活品となったりする。鼠が持ち帰った装甲ゴブリンの装甲部分も、いずれ何かに生まれ変わるかもしれない。
「頑張れっ♡ 頑張れっ♡ あみたんび~~~む♡」
オプション料金を払った登録冒険者に対する謎のサービスを聞き流しながら、鼠はゲートをくぐった。
材質もわからない硬い床を踏みながら、こっちだよと言うラスに導かれるままにダンジョンを進んでいく。
研究施設から別の建物に移る。オフィスがあった建物のようで、綺麗だったであろう備え付けの受付デスクを右手に通り過ぎる。既に主要な道からは大きく離れている。
曲がり角から装甲ゴブリンが現れる。鼠は素早くナイアーラMHG-BE-Iを構えた。とは言ってもその構えはド素人もいいところである。銃口の照準を装甲ゴブリンに当てたつもりだが、実際のところ射線上に装甲ゴブリンはいない。
装甲ゴブリンは二匹だった。鼠に気がつくとニタリと醜悪な笑みを見せて、近づこうとする。しかしその足がぴたりと止まると不審げに鼠を見た。
「あ、あれ、どうしたんだ?」
思わず漏れた独り言にラスが答える。
(モンスターは人間よりマナに敏感だから、なにかを感じたのかもしれないね。鼠のマナはわたしのせいで実力に見合わないほどに澄んでるから)
しばらくして装甲ゴブリンは鼠の気配を探るのを止めた。そして本能なのかプログラムされたものなのか、生来の特性に従って鼠に突貫する。一匹が飛び出すともう一匹も後に続いた。
手に持っているのは様々な鉄屑を組み合わせたような棍棒。そして金属製の装甲は生半可な弾丸ならはじいてしまう。
「グゲゲゲッ!」
「う、うわぁっ」
ラスが来なければ自分を殺していたモンスター二匹の接近に、鼠は悲鳴を上げて思わず何度も引き金を絞る。一度引き金を絞るごとに一発、合計で十発ほどのマナ弾が発射された。
鼠程度のマナでは反動はゼロに等しいマナ銃だったが、放たれたマナ弾のほとんどは装甲ゴブリンの周囲の壁や天井へ向けて飛んでいく。
装甲ゴブリンへ向けて放たれた僅かなマナ弾も、個体によって位置は違うが平均して全身の八割を覆い隠す装甲にはじかれる。
かと、鼠は思った。マナ弾の速度は使用者の実力に大きく影響される。銃に基本的な補助機能は備わっているものの、鼠でも辛うじて目視できる程度の速度しか、今は出せなかった。
鼠の顔が引き攣った直後だった。てんでバラバラの方向へ放たれていたマナ弾が、その軌道を大きく曲げて次々と装甲ゴブリンへと着弾していく。
「グゲェェェエエッ?」
しかも、装甲に守られていない部分に正確にだ。奇怪な断末魔を上げた装甲ゴブリン達だったが、すぐに喉と眼窩の生体部分を貫かれて絶命し、地に倒れ伏す。
「い、今のは……」
鼠が穴だらけになって緑色の血を流す装甲ゴブリンからラスの方へと視線を向けると、ラスが舌を横に出してドヤ顔でウインクしながら横ピースをしていた。鼠は正体不明の苛立ちに襲われる。
(君のマナは操作できるって言ったでしょ? マナ弾はなにで出来てる?)
「……あー、なるほど。すごいな」
思わず口に出してしまった鼠をラスが咎める。
(……とりあえず癖になったら困るから念話に戻してほしいかな)
(あ、ごめん。周りの人を意識しないとつい……)
(うん。ラスの存在は極力他の人にバレたくないからさ)
(……それで、ラスが操作してくれるなら、僕は装甲ゴブリンを見つけたらとにかく撃ちまくればいいの?)
ラスは苦笑いをして人差し指で顎をかいた。
(いやぁ……一応ちゃんと狙って撃ってほしいかな。鼠の地力が上がればラスもリソースを別の部分に割けるからさ)
(どういうこと?)
(今回はラスがマナ弾の軌道を変えて命中させたけど、鼠が自分で当てられればラスは別のことができるの。マナ弾を加速させたり変形させたりして、威力を上げることとか。あと、装甲ゴブリン一匹につき撃つのは一発でいいよ。装甲ゴブリンくらいならその一発で頭部の生体部分を貫けば倒せるから)
(へ、へぇ……。わ、わかった)
鼠はラスの能力に引き気味に答える。その後は言われた通りに出会った装甲ゴブリンに一匹一発を放つだけで、勝手にマナ弾が曲がって首やら目の生体部分に飛び込んでいき、労せずに倒すことができた。同時にラスによる射撃訓練も受ける。最初は両手で持って胸の真ん中を狙うように教えられた。
ハンドガンは片手で撃つイメージのある鼠は不思議に思った。それに他の銃と違ってマナ銃には大した反動がない。
(反動があるわけじゃないのになんで両手持ちなんだ?)
(銃の正しい角度を感覚で覚えてもらうためだよ。やっぱり両手の方が安定するからね。反動も威力を上げれば出てくるし、最初のうちから正しいフォームを覚えないとね)
鼠は背後を振り返る。倒した装甲ゴブリンの死体が手つかずで転がっている。
(倒した装甲ゴブリンは放っておいていいのか?)
(安いんだよ。未踏破区域で何も見つからなかったら帰りに回収するかもね。それまでは重荷にしかならないから)
(装甲ゴブリンの装甲も、十分に堅いような気がするんだけどな)
(一応ダンジョン素材とはいえ、鉄にも負ける硬度だからねー。マナ伝導性も低いし、いいところがないんだよね。流石は最下級モンスターって感じ)
ラスと話す時以外は警戒しながら未来の建物の中を進んでいく。ここは既に踏破されているので未来遺物は残っていない。残っていた書類、備品、机やら照明やらカーペットやらも全てダンジョンの外に持ち出され、研究材料になったり好事家たちに売られたりしている。
未来遺物は現代技術では完全に再現することは不可能なものが多い。しかし解明された一部の技術を用いて、鼠の持つ魔銃やら様々なものが生まれている。
戦闘に関する未来遺物以外でも、服や食品、化粧品など、あらゆる未来遺物には相応の価値がある。販売されていた服が丸々残っている未踏破のブティックなんかを見つけた冒険者がいたら、確実に家は建つだろう。
勿論未踏破エリアを踏み越えんとする最前線の冒険者たちは、毎日とんでもない額を稼ぎ出している。しかしそれでも彼らが引退して悠々自適な生活を送らないのは、彼らがどこか壊れているからだ。
そしてそういう冒険者にしか、最前線に立つことは許されない。ダンジョンに魂を捧げていない冒険者はほとんどがどこかで脱落する。
◆
上層はそのほぼ全てが探索済みで、あらゆる未来遺物は持ち出されている。
しかし上層でも奥深くへ行くと、運び出されなかったものが多少は出てくる。どこにでもあるものや既に研究済みのもの、好事家たちの食指が動かないものなど、割に合わず金に換えられないものは放置される。
ラスの誘導で一つの奥まった部屋に入る。物置や資料室として使われていたようで、同じ型のどこにでもあるパイプ棚がたくさん並んでいた。
しかしその中で戦闘が行われたような一角が見える。かなり強力な魔法か武器を使ったようで、その一角のパイプ棚はひしゃげたり溶けたりしており、壁には巨大な爆発痕のようなものも刻印されている。
その中でラスが指をさしたものは、資料棚がたくさん並んだ中の端の一つだった。棚自体は金属を組んだような簡素なもので背板もなく背後の壁面をよく見せている。棚に載せられていたであろうものは根こそぎなくなっていた。
(どう?)
鼠がラスの示す資料棚を調べてみるが、他と違ったようなところはない。壁か? と思ってよく見てものっぺりとした材質の分からない白い壁がそびえたっているだけで、なんの違和感もない。
(いや、そこじゃなくて……そこ。その辺りからマナが出て来てるのが見えるんだけど)
(なにもないけど……)
鼠はラスの指さすパイプ棚の最下部の奥の壁をしゃがみ込んで、目を皿のようにして見る。なにもわからなかったので、次に鼠はその箇所に触れてみた。
(……ッ! なにもないように見えるのに、なにか縦の溝がある……? 爪を辛うじてひっかけられるくらいの細い溝だけど!)
爪が壁を貫通して僅かに差し込まれたように、鼠の目には見えている。溝に沿って縦に爪を動かしても、通った跡は溝などない普通の壁に見えている。
(これは……ホログラムだ!)
鼠は興奮で僅かに息を荒げながらパイプ棚をどかして、その溝を指先の感覚で辿る。その高さは鼠の身長を越えて、二メートル辺りで直角に折れ曲がる。一メートルほど進むと今度は再び下へと向かい、床との境目で途切れた。
その様子を見ていたラスは小さく頷く。
(確かに言われてみればその溝? 周囲は他と比べてマナが僅かに濃いかも……? ほんの少しだけど)
明らかに人ひとりが通れそうな扉と同程度の大きさの長方形が、ホログラムで隠された溝によって縁どられている。鼠はその長方形の中をくまなく触れてなにか違和感がないか探し、次にその周囲の壁を探した。そして同じくホログラムに隠された、指一本程度の円形の凹みを見つける。
鼠は息を大きく吸い、そして吐く。
(いい? 持ち帰ってお金に換えるまでが冒険だからね? 舞い上がって警戒が散漫になったりしないでよ?)
(わかってる)
人生が変わる瞬間が、来た。熱に浮かされたような感覚に襲われながらも、必死に冷静さを維持しようと努める。
もう一度大きく深呼吸をすると、鼠はその凹みに指を差し込んだ。
凹みの奥でぐいと押し込まれるものがあり、直後にカシュ、と音がした。
溝で区切られた長方形の部分が音もなく奥へと下がる。続いて横にスライドして壁に飲み込まれた。
処女雪のような魅力を放つ未踏破エリアが、鼠の前に姿を現す。誰も入ったことのない手つかずの区域だ。
鼠は息をするのも忘れ、湧き上がる感情の激流にただ強く拳を握りしめた。