決意と契約
改稿終わりました。すいません。
ダンジョンが出来て文明が崩壊してから百年。拾い物の短剣を手にダンジョンへ潜ろうとする十五歳の少年がいた。
勿論、なんの戦闘訓練も受けていない少年が粗悪な短剣を手にダンジョンに入ったところで、最下級のモンスター、装甲ゴブリンですら倒せないだろう。
この粗悪な短剣で、全身の多くを機械的な装甲に覆われたこのモンスターを倒そうとするのならば、最低でも敵の棍棒をかわしながら生体部分に刃を突き立てる身軽さ、あるいは敵の攻撃を凌げる頑丈さが必要だ。しかし栄養失調気味のストリートチルドレンである少年に、そんな機敏さも防御力を有した防具も求めるべくもない。
機敏さも頑丈さもないのならば敵を遠距離から倒す手段があればいいのだが、銃器は持っていないし、レベルアップを果たしていない少年は魔法も習得していない。
無謀かもしれない。少年もそのことは分かっていた。
しかし少年は自らの置かれた路上の掃き溜めのような境遇から抜け出すため、命を賭してダンジョンに立ち向かうことを決意し、実行に移した。
そして無謀な挑戦をした冒険者によくあるように、その決意は無為に帰すこととなった。
今少年は、装甲ゴブリンの鉄屑を集めて組み合わせたような棍棒に側頭部を殴り飛ばされ、意識が朦朧とした状態でとどめの一撃を脳天にくらおうとしている。短剣は装甲に当たって弾かれた時に手から抜けてどこかへ行ってしまっていた。
少年は外敵を無残に排除できると確信した装甲ゴブリンの顔を裂く醜悪な笑みを見つめながら、自分の半生を振り返った。
(ああ、これで、よかったんだ。クソみたいな人生が、これで終わる)
少年がダンジョンに来た目的は、運が良ければ未来遺物を持ち帰り、それを元手に生活を向上させていくこと。そしてそれが叶わぬ場合には日々ゴミ捨て場から食べ物を漁り、路地裏の隅で寝る生活から永遠に脱却すること。つまり、死ぬことだった。
九割九分九厘、結果は後者となる。ボロを纏った栄養失調の少年が短剣を手に入ったところで生きて帰れるほどダンジョンは甘くない。実際少年は死ぬ寸前だった。
しかし、少年は引き当てる。
〇・一パーセント、いやそれ以下の幸運を。
(……や、やっと見つけた! 干渉適合者!)
あどけない、しかし焦ったような声が脳裏に響く。同時に視界の中に、少女の姿が現れた。おかっぱ頭に膝まで届くワンピースを着た少女だ。その姿はいつしか家電屋の前で見た子役よりも可憐だったが、透けて反対側のダンジョンの壁が見えている上に、宙に浮かんでいる。
(……天使かな)
それが少年の率直な感想だった。死に際に天使が迎えに来たのだと、そう思った。しかしその少女は、その思考に反応した。
(あ、ありがとう……でも、違う! ラスは……XXXXX! ……だめか、禁則事項に引っかかるんだ。よく聞いて、適合者のひと!)
適合者のひと、と言われても少年には全く心当たりがない。しかし少女が真っ直ぐに見つめているのは少年だ。どうせこのまま壁に寄りかかっていても死ぬだけだ。最後の瞬間になんの言葉を聞こうが、なにも変わらない。少年は少女の次の言葉を待つ。
聞く姿勢を見せた少年を見て、少女は安堵したように息を吐く。そして慌ててまくし立てた。
(時間がないからよく聞いて。ラスと取引をしてほしいの。ラスはあなたの望みを叶えるために、可能な限り協力する。だからあなたにもラスに協力してほしい)
ラス、というのがこの可憐な、しかし幽霊のような少女の名前なのだろう。少年は口を開こうとしたが動かない。よく見たら目の前の装甲ゴブリンも醜悪な笑みを浮かべ、棍棒を振り上げたまま静止している。宙に舞う汚らしい涎もだ。
時間が止まったような現象に不思議に思いつつも、少年は自然とその状況を受け入れていた。どうやら物理的には言葉を発せないようなので、先ほど少女がしたように念じれば読み取ってくれるのかもしれないと思い、頭の中で答える。
(……よくわからないけど。僕の望みはこの鼠のような生活から抜け出して、人間として生きることだ。それを叶えてくれるなら、なんだってする)
少年にとってはどうせ一度捨てた命なのだ。人並みの生活が手に入るのなら、その後の人生なんかどうなったっていい。
(大丈夫。それなら叶えられると思う。でもその代わりに協力してほしいことがあるの)
(さっきも言ってたっけ。なに?)
少女は一度目を伏せてから躊躇いがちに言う。
(このダンジョンを最深部まで攻略してほしい)
言いにくそうにした少女を見て少年は理由を察する。このダンジョンは日本の首都東京の中心部にあり、その全容は全く分かっていない。時折出現階層より上の層に昇って来るモンスターの強さから、現在攻略されているよりも遥か深くまで続いているとされている。そして攻略は遅々として進んでいない。
現代日本最高峰の戦力をもってしても苦戦するダンジョン。なんならば攻略することが東京の、ひいては日本の至上命題とも言えるダンジョン。その最深部に到達しダンジョンマスターと呼ばれるモンスターを倒すこと。それが少女が少年に望んでいるもののようだった。
そしてそれは現状の少年ではどう足掻いても不可能な依頼であり、だから少年は最初、少女が少年に死ねと言っているのかと思った。
そしてその疑念はすぐに少女に伝わる。
(ち、違うの! 君が強くなる手伝いは勿論する。十分に強くなって十分なマージンを取って、攻略をしてもらうことになると思う。でも攻略にはとても長い時間がかかる。それこそ一生かかっても辿り着かないかもしれない。だから断ってもいい。でもその場合……)
(いいよ)
まくし立てる少女を遮って、少年は取引を受け入れる。
(君が僕に人生を与えてくれるなら、僕はその人生を君に捧げる)
結局のところ、元からなかったはずの人生なのだ。路上のドブネズミから抜け出し、人間が食べるもの食べ、人間が着るものを着て生活できるなら、ダンジョン漬けの生活になろうがどうだっていい。
少年が脳内でそう告げると、少女はほっとしたようにあどけない微笑みを浮かべた。
(ありがとう。じゃあ今から言うことに同意してほしい)
(わかった)
少女は幾分無表情になって、読み上げるような事務的な口調で、その契約文を少年に伝えた。
(……プレイヤーネームXXXXXのプレイヤーキャラクターとして、XXXXXの意識的、無意識的な行動干渉に同意する。XXXXXは特例でありバグでもある。他のプレイヤーとは全く違う性質を持つため、あらゆる保証はなされない。契約に同意するか?)
少年はコンマ数秒考えた。少女の口から出た文面が相当に不穏当だったからだ。しかし逆に言えばコンマ数秒しか考えなかった。
(同意する)
少女は元の温かい笑みに戻った。
(ありがとう! それじゃあラスに許可を出してほしい)
(なんの?)
(あなたのマナにラスが接続し、それを適切に調整する許可を)
(……許可する)
少年がそう念じた途端、少年の身体は燃えるように熱くなった。少なくとも少年はそう感じた。一瞬めまいのようなものが起こり、しかし直後に全ての熱はあるべきところに収まるように、心地良い残滓とともに溶けてなくなった。
そして同時に、少年の目の前に三つの半透明なウインドウが現れた。
(……これは、レベルアップ?)
そのウインドウは噂に聞いていたレベルアップの時に現れるもののようだった。
(そう。体内のマナを全て一つにまとめて一本化したことで、レベルアップに必要な量に到達させたの。それでもなんの選択肢が出るかはわからないから、この状況を打開できるかどうかは、本当に運しだいなんだけど……)
少年は三つのウインドウを見比べる。そして中央のウインドウに意識を集中させた。直後、その魔法の使い方が、脳内に流れ込んで来る。直観的にその魔法が使えるようになったと感じた。
少女は心底嬉しそうに、安堵したように微笑んだ。
(それじゃあ、思考加速を解除するね。これは本当に例外的な措置で、何度もこういうことはできないから、そこはよろしく!)
(わ、わかった)
凍っていた時間が動き出す。
「グヒァ」
装甲ゴブリンが弱り切った獲物の最期の怯えた顔を見ようと、金属部品を寄せ集めたような棍棒を振り上げたまま、少年の顔を覗き込む。
少年は震える右腕を上げ、掌を装甲ゴブリンの汚らしい顔へと向けた。
「《爆破》」
属性としては火の系統に連なる初級魔法《爆破》。
手榴弾にも似たそれはしかし指向性を持って装甲ゴブリンの全身を襲う。そのモンスターは吹き飛んで反対の壁に激突した時には、死体となっていた。もっともダメージの大きい顔面は吹き飛び、全身の至る所の装甲が剥げて、剥き出しになった生身の部分を焦がしていた。
ぐったりと、さほど広くない通路を挟んで壁にもたれかかる両者の差異は命の有無。
しばらくして側頭部を殴られたことと、マナを一度に大量に消費した反動で力が入らなかった両脚が動くようになると、少年は重い腰を上げて装甲ゴブリンの死体の腕を掴む。転がっていたごてごてした金属の棍棒も忘れずに回収する。短剣は見渡しても見つからなかったので諦めた。
その二つを引きずって少年はダンジョンを引き返す。ここは入口からさほど離れていない脇道。中層へ続く道からは外れているため、またほとんどの冒険者は上層になど用はないため、人は少ない。
しかし少年が主要な道に戻るとすれ違う数グループの冒険者は一様に振り返り、そしてほとんどが眉をしかめる。ボロ布のような汚らしい服を纏ったやせ細った少年。何の武器も持たず、見るからに浮浪児の彼が、装甲ゴブリンの死体を持って、通路を引き返している。
冒険者たちのほとんどは最弱の装甲ゴブリンに死にそうになっている少年を嘲った。そして、よりマシなごく一部の冒険者は、彼が命を賭けてダンジョンに挑み、死闘の中でレベルアップを果たし、そして勝ったのではなかろうかと、感嘆とともに推測した。
全く装備が足りていない状況で、それも一人で、格上のモンスターに勝つ。それは鋼のような意思と、なにより幸運なくしては成せないことだ。ごく一部の冒険者たちはそのことを知っていた。
少年の視界は薄暗い。ダンジョンのせいではない。上層ではすでに隅々まで照明が設置され、変容後に現れる未探索エリアのような場所を除いて、暗闇のせいで探索の足が鈍ることはない。
側頭部受けた殴打。鉄屑を寄せ集めて接合したような形状をしているせいで、尖鋭な部分もある棍棒で殴られたことによってできた裂傷から流れ出る血液。そしてマナを一度に大量に使ったせいで起きているマナ障害。これらが少年の意識を飛ばしかけていた。
半透明の少女はフラフラと歩く少年の先でふよふよと漂いながら、励まし続ける。
(が、頑張って! 出口まで行けば管理施設の職員が助けてくれるらしいから! ……た、たぶんだけど!)
ほとんどの冒険者が持つ回復薬、一部の冒険者が所持する回復魔法。これらさえあれば少年の状態はたちどころに回復する。しかしすれ違う冒険者の中で少年に施そうという者はいない。
ダンジョンの中は自己責任だ。少年に与えた回復薬がなかったせいで死ぬパーティメンバーがいるかもしれない。少年を助けるためにマナを消費したせいで、仲間の誰かが命を落とすかもしれない。少年に手を差し伸べる者はいなかった。
彼らにしても見返りを期待できるのであれば話は変わってくるが、少年の身なりを見てそれを期待する者は当然いなかった。
しばらくして、少女が声を掛け続けたせおかげもあり、少年は意識を何とか保ったままダンジョンの出入口に辿り着く。立つ力も失っていた少年は、職員の見える範囲内で倒れ伏した。
慌てて駆け寄ってくる職員を横向きに視界で見ながら、少年は宙に漂う半透明の少女の声を聞いた。
(多分もう大丈夫だと思う! ……そうだ、ラスの名前はラストロット。ラスって呼んでくれると嬉しいな! 君の名前は?)
少年は薄れゆく意識の中で念じる……というよりも質問に誘発された思考が無意識に返答となる。
(僕に名前はない……。でも僕はずっと自分のことを鼠だと思って生きてきた。だから名前が必要なんだったら、鼠、それでいい……)
そして少年の意識は闇に沈む。少年に合わせているのか地面に対して横向きに漂うラストロット……ラスと名乗った少女のあどけない笑顔を残照として。