08.光栄でございます
エンティクルブ王国の建国を記念して開かれる舞踏会が、今年も盛大に催されるとスタジッグ伯爵家にも招待状が届いた。それにアイリスは、気分が沈んでいく。
毎年、ジェイデンのパートナーとして参加していたのだ。今年もそうなるだろうと信じて疑っていなかった自分の何と惨めなことか。
「お姉様も参加するでしょ? もちろん」
「え? でも……」
「お姉様を貰ってくださる殿方を探さないといけないんだからぁ」
「そうね。オリヴィアの言う通りだわ」
「お前に伯爵家を任せるつもりはない。親類のものを婿養子にと考えていたが、事情が変わったからな。その者を養子にするか……」
「わたしの子ども、次男を跡継ぎにすればいいのよ。ジェイデン様だって、許してくださるわ」
「ありがとう、オリヴィア。それも、選択肢に入れているよ」
「可愛い可愛いオリヴィア。貴女もオリヴィアを見習って頂戴。迷惑だけは掛けないでよ」
「……はい、肝に銘じます」
オリヴィアが勝ち誇ったような笑みを浮かべる。アイリスは両親に一礼して、部屋を後にした。
せめて不参加であった方が、幾分か救われただろう。当日は、なるべく目立たぬように端で大人しくしていよう。アイリスはそう決めて、憂いを帯びた溜息を吐き出した。
貰ってくださる殿方など、いる訳がないと分かっていて言っているのだから酷い話だ。卒業と同時に行儀見習いに出るか。それとも……。
アイリスの脳裏にシャルルの顔が浮かぶ。“教師になれそう”と、そう言って下さった。夢のような話であるが、なれたら素敵だと憧れてしまう。
沈んでいた気分が少し浮き上がる。そうだ。シャルルだって、舞踏会に招待されているかもしれない。遠くからでも一目見ることが出来れば、どんな嘲笑も耐えられる。
「大丈夫ね、きっと」
アイリスは穏やかに笑むと、背筋を伸ばして顔を上げる。前を見据えて、足を踏み出した。
翌日、放課後のまだ賑わっている教室内でアイリスは、クロエのこれでもかという渋い顔を前に困り果てていた。
建国記念の舞踏会に参加する旨を伝えて、返ってきたのがこれだ。背後に禍々しいものが見えるのは、気のせいであって欲しかった。
「わたくし、手が滑って妹君の顔面にワインをぶちまけるかもしれないわ。ごめんなさいね」
「流石にダメよ、クロエ。貴女の評判に傷が」
「大丈夫よ。上手く事故に見せ掛けるに決まっているでしょう?」
「うぅ……。本当に出来そうだから困る」
「このわたくしに任せなさい」
自信満々に美しく笑ったクロエに、アイリスはどうにかして止めなければと頭を悩ませた。もはや諦めた方が賢明なのかもしれないが。
「スタジッグ伯爵令嬢~!」
「……え?」
いつも探してしまう穏やかな声が耳朶に触れて、まさかとアイリスはそちらへと視線を遣る。教室の入り口には、想い描いた通りの人が立っていた。
「え!?」
アイリスに向かってヒラヒラと手を振るシャルルに、アイリスは慌てて席を立つ。先程までとは毛色の違うざわめきが、教室内を駆け巡った。
クロエに「いってらっしゃい」と送り出されて、アイリスはシャルルに近寄っていく。前まで来ると、シャルルはニコッと完璧な微笑みを浮かべた。
「ご機嫌麗しゅうございます」
「こんにちは。今、大丈夫かな?」
「はい。問題ございません」
「それは、よかった。実はね。キミを口説きに来たんだ」
「……え??」
意味が上手く飲み込めなくて、アイリスは目が点になる。シャルルは柔く目を細めると、後ろ手に隠していたものをアイリスに差し出した。
五本のピンクの薔薇とその周りを飾るかすみ草の花束が目の前に現れる。アイリスはキョトンと目を瞬いた。
「建国記念の舞踏会、どうかオレのパートナーになっていただけませんか?」
シャルルがそう優しく丁寧に言い終わった瞬間、周囲から敵意にも似た視線がアイリスに突き刺さった。人目の多い場所でこんな事をすれば、それはこうなる。
しかし、シャルルはどこ吹く風でニコニコとアイリスを見つめ続けていた。もしかしなくても、これは態となのだろうか。肩身の狭いアイリスへの心遣いで、この前と同じく守ろうとしてくれている可能性がある。
でも、口説く。口説くとはいったいどういう。どう受け止めるのが正解なのか分からず、アイリスはただ頬を赤く染めることしか出来なかった。
「わ、私なんか」
「キミがいいから、誘ってる」
強請るような眼差しで「ね?」と問われるのに、アイリスはどうにも弱かった。恐る恐ると花束を両手で受け取る。
「光栄でございます」
自然と頬が緩んだ。人生の幸福をここで全て使いきってしまったのかもしれない。それでもいいと、アイリスはそう思った。
「このように素敵な花束を初めて頂きました」
「……本当に?」
「はい」
「あれ~? 花の精霊にこういう時は花束が良いって聞いたんだけどな……。不馴れだから、可笑しかったら言ってね」
「そのようなことは! 嬉しいです、ので……」
気恥ずかしくて、最後は尻窄みに消えていってしまった。シャルルの顔を見れなくて、可愛らしい花束をじっと眺める。
「それなら、よかった」
ちらりと見上げたシャルルの顔は、いつもと同じ。こちらの気も抜けるような、へにゃりとした笑みであった。
瞬間、窓がガタガタと音を立てて揺れだす。そのまま凄まじい勢いで、両開きの窓が独りでに開いた。外から風に乗って真っ赤な薔薇の花弁が教室内に飛び込んでくる。
薔薇の花弁がまるで祝福でもするように、シャルルとアイリスの上に降り注いだ。突然のことに、アイリスの口から間の抜けた声が溢れ落ちる。
「ふふっ、あははっ! うん、ありがとう。派手だね~」
薔薇の花弁の何枚かが床に落ちずに、シャルルの周りをくるくると漂う。その花弁が集まり出したかと思えば、水の塊と同じようにニコニコと笑顔を宙に描いた。
「精霊さまですか?」
「うん。花と風の精霊だね」
ふとアイリスは周りがやけに静かなことに気付く。教室内だけではなく、廊下にいた生徒達までもが、水を打ったように静まり返っていた。
皆、驚きに目を丸めている。アイリスはもう見慣れてしまっていたが、周りはそうではないのだ。初めて感じる精霊という存在に、誰かが息を呑んだ。
「え? まだ物足りないの? そっか。ん~……。外遊では折角の機会だから、魔法は使わずに終える予定だったけど。少しくらいなら良いか」
目に見えない存在と会話をするシャルルの異質さと魔法という言葉に、教室内が緊張感に支配される。しかし、アイリスの胸中に渦巻いたのは、魔法を見れるかもしれないという期待であった。
「“花と風の精霊よ、甘い香りを漂わせ優美に舞え。蝶と踊るがごとく”」
如何に美しく明瞭に、精霊の気が引けるか。シャルルが言っていた意味がよく分かる。そんな呪文であった。
精霊達は喜ぶように、シャルルの求めに応じる。薔薇の眩むような甘い香りが教室を満たし、真っ赤な花弁が床に落ちることなく宙を美しく舞い続ける。夢のような光景であった。
「すごい……」
思わずアイリスはそう呟いていた。それにシャルルは、少しだけ困ったような。それでも嬉しそうな。何処か複雑な笑みを浮かべたようにアイリスには見えたのだった。




