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06.身に余るお言葉です

 シャルルとの勉強会は、放課後に図書館で行われることになった。池の畔は息抜きの場所だと、シャルルは分けて考えているようであったからだ。

 しかし、池の畔とは違い図書館は思いの外、生徒が多かった。アイリスはなるべく目立たぬようにと心掛けたが、隣に座るシャルルの存在感が凄かったため徒労に終わる。

 隣国の第二王子とお前が何故一緒にいるんだ。周囲の突き刺すような視線が、明らかにそう言っている。アイリスは居心地の悪さに縮こまることしか出来なかった。

 そんなアイリスを知ってか知らずか。隣のシャルルが周囲に微笑みを向けると、皆そそくさと立ち去っていった。その微笑みに邪魔だという含みが多分に含まれていたからだろう。

 それでも、女子生徒達のちらちらとした視線が止むことはなかった。シャルルには、婚約者がいないそうだ。そのため、お近づきになりたいご令嬢が大勢いるらしい。その熱の籠った視線を涼しい顔でシャルルは受け流していたが。


「ん~……。なるほど」


 科学の勉強を初めて一時間が経つかという頃、アイリスは違和感を覚えて目を瞬いた。シャルルの集中があからさまに切れたような気がしたのだ。

 そういえば、この前言っていた。勉強は嫌いではない。しかし、ずっと机に向かっていると飽きてくる、と。ならばこれは……。


「王子殿下、飽きてきましたか?」

「え!?」


 目を丸めたシャルルが教科書から顔を上げて、アイリスを見る。そして、誤魔化すようにニコッと笑んだ。


「大丈夫だよ」

「……休憩も大事といいますから」


 アイリスの気遣わしげな視線に、シャルルは困ったように眉尻を下げる。深々と息を吐くと、ばつが悪そうに苦笑した。


「何でバレちゃったんだろう? 家庭教師にも気付かれたことないのになぁ」

「そうなのですか?」

「スタジッグ伯爵令嬢は凄いね~」

「そのようなことは……」


 アイリスの読みは当たっていたようだ。シャルルは持っていた万年筆を机に置くと、大きく伸びをする。そして、先程までは真剣に向き合っていた教科書をパラパラと捲り始めた。


「ふぅ……。やっぱり、オレには難しいな~」

「ですが、お教えした部分は直ぐに理解されておりましたので」

「それはね~。スタジッグ伯爵令嬢の教え方が上手いからだよ。教師になれそう」

「え!? その、身に余るお言葉です……」


 アイリスは褒められ慣れていなくて、どうすればいいのかと狼狽する。ふと冷静な部分が社交辞令という言葉を導きだして、羞恥に赤面した。


「あらら、真っ赤」

「いえ、お気遣い頂きまして……」

「ん~? 因みに、社交辞令ではないよ」

「えっと……」

「言葉の通りに受け取って欲しいなぁ」


 ゆるりと弧を描いた桃色の瞳が強請るように見つめてくる。「ね?」と優しく問われてしまっては、頷くしかアイリスには出来なかった。


「ありがとうございます」

「それは、オレのセリフだよ。時間を作ってくれて、ありがとう」


 シャルルはリラックスしたように、へにゃりと笑む。癖なのか、指先がずっと意味もなく教科書を弄っていた。

 思わずアイリスは、シャルルの手元をじっと見遣る。それに気付いたシャルルが、ピタリと動きを止めた。


「……気を付けてるんだけどね。気が緩むとついつい癖で」

「いえ、今日はもう終わりにしますか?」

「大丈夫です。もう少し、いや、スタジッグ伯爵令嬢の都合もあるか」

「私は問題ございません」

「そう? じゃあ、もう少しだけ」


 シャルルに緊張や苛立ちといった感情があるようには見えない。つまり、つまらないのだろうとアイリスは推測した。そのため、完全に飽きてしまったと思ったのだが違ったらしい。

 どうやら、シャルルは手持ち無沙汰になると無意識に何かを触りたくなるようだ。それが癖付いてしまい気を抜くと常に何かを指先で弄ってしまうと。

 校内で見るシャルルは、隙なく振る舞っている。落ち着きがなく見える仕草は、きっとマナー授業で厳しく諌められた筈だ。指先まで抜かりなく。アイリスとてそう言われてきたのだから。


「エンティクルブ王国の技術は凄いよ。この外遊で有用性を陛下に示したいところ」

「有用性、ですか?」

「うん。我が国には精霊が大勢いる。そのため、豊かな自然を出来るだけ残したいというのは、魔法使い達の総意。でも、国民全ての意見ではない」

「それは……」

「だから、皆がより良く暮らせる国へ。それが、兄様の目指す王の存在意義」


 シャルルの瞳が優しく細まる。親愛を滲ませた声音に、アイリスは目を瞬いた。シャルルの兄ということは、ポプラルース王国の王太子殿下だ。

 エンティクルブ王国の王侯貴族の全てが、隣国を快く思っている訳ではない。陰口で好き勝手いう者も中にはいるのだ。例えば、兄弟仲が悪く王位争いが苛烈だ何だ、と。

 アイリスは自身の事もあり、どこの兄弟姉妹も変わらないのだろうと心のどこかでは思っていた自分に気付く。何と浅はかで醜いことか。


「仲が、よろしいのですね……」


 自然とそう口にしていた。この胸中に渦巻く感情の名は何だろうか。アイリスは震えてしまった声の言い訳をしなければといつの間にか俯かせていた顔を上げる。

 心底困った顔をするシャルルと目が合った。そこに、自責の念のようなものが宿って見えて、アイリスは一瞬で罪悪感に支配される。

 妹との騒ぎはあれだけ噂になっているのだ。アイリスは直接シャルルに聞かれていないが、シャルルの耳に入っていない筈がない。

 違う。彼にこのような顔をさせたかった訳ではないのに。彼は悪くないのに。勝手に羨ましいなどと思った私が悪い……。そこでアイリスは、はたと止まる。そうか。この感情の名は、羨望。

 まだ、諦めきれずにいるのだ。幸せで暖かな居場所を。アイリスは耐えきれずに、ポロポロと涙を溢してしまった。それに、シャルルがぎょっとした顔をする。次いで、眉尻を下げた。


「どうにもオレは配慮が足りない」

「ちがっ、違うのです。申し訳ありません。もうしわけ……っ!!」

「謝らないで。キミは悪くないでしょう?」


 差し出されたハンカチを受け取ってしまったのは、甘えからだろうか。シャルルはアイリスを突き放さないと、期待しているのだ。

 分かっている。こんな期待を抱くことさえも身の程知らずなのだと。勝手に嫉妬をして、勝手に傷付いて、勝手に後悔して。我ながら何と面倒なことだろうか。

 一層のこと、幻滅してくれれば。この胸の苦しみから解放されるのかもしれない。その考えさえもきっと、身勝手なものなのだろうとは思うが。


「やっぱり、今日はもう終わりにしようか」

「いえ、私は」

「大丈夫だよ。大丈夫だから、ね?」

「……はい」


 シャルルは何でも持っているのだろう。だから、こんなにも他者に優しく出来るのだ。余裕のない自分とは大違いで、アイリスは涙が止まらなかった。

 周りの目は正しい。自分には分不相応な役目だったのだ。シャルルと一緒にいられる程の価値などアイリスには最初からなかった。分かっていたことではないか。


「そうだ。よければ」

「今日は! お暇させていただきます……」

「……そっか」


 シャルルの微笑みが何処か寂しげに見えて、アイリスは目を背けた。そんな訳がないのに。期待するから苦しいのだ。アイリスはもはや期待など持ちたくはなかった。

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