番外編 第二王子にとっての世界3
幼かったなぁと当時を思い出す度にシャルルはそう思う。
あの時は諦めると決めたが、そう直ぐに切り替えられる訳もなく。もしもに縋って国を出ていくのならと、ごっこ遊びのようなものに興じたりもした。
例えば、行き成り歌で生計を立てるのは無理だろうからと。手に職をつけるべきだなんて、刺繍に没頭してみたり。周りは分かっていて、知らぬふりをしてくれた。
段々と様々なことを理解していくと、視野が広がり見たくないものも見えてくる。大人の妙な思惑に巻き込まれないように、シャルルは成長に合わせて“王の器ではない第二王子”を演じるようになっていった。
とはいえ、元々なる気などなかったのだ。いい子でありながら、のらりくらりと自由な王子は性に合っていた。父の望む“王族足るもの”を押さえておけば、怒られることもなかった。
あの日憧れ夢想した自由は、許されないものだともう理解している。それでも、風の吹くまま気の向くままは無理だとしても、色んな世界は見てみたかった。
やっと叶った外遊は、それはそれは楽しいものであった。街の視察など久方ぶりに心が弾んだ。しかし、いつでも自由と不自由はセットだ。
放課後の校舎内で、一人の生徒に捕まった。そうなれば、あれよあれよという間に大勢の生徒に囲まれる。
「王子殿下、ポプラルース王国では」
「我が国の技術は」
「精霊魔法について」
泣けと言われると困るが、笑えと言われればどんな状況でも笑える自信がシャルルにはあった。
精霊は心配そうにしているが、周りの生徒達が気にする素振りはない。上手くやれているのだろう。それならば、それでいい。
「話は尽きないが、もうこんな時間だ。そろそろ失礼するよ」
そう言うと、生徒達は名残惜しそうにしながらも解散してくれた。今日は比較的すんなりと解放してくれたなと、シャルルは溜息を我慢しながら歩き出した。
マチルダ王女に教えて貰った池の畔は、自然豊かで落ち着く。シャルルは風の精霊に頼んで持ってきて貰ったハープを受け取り、音を鳴らした。
いつもはそれで、少しばかり息がしやすくなるのだが、今日はいつまで経っても息苦しかった。これは、気分が変わるまで演奏し続けるしかないかなとシャルルは深々と溜息を吐き出した。
「……くるしい」
シャルルはもう幼い子どもではなかった。許されないことは重々承知している。兄は変わらず自慢であるし、支えたいと思っている。国を民を大切に思っている。それは、紛れもない本音だ。
しかし、今でも全てを捨てた先にある自由に手を伸ばしたくなる時はあった。
「駄目、ダメだ。……だめ」
ほの暗い海の底に、ゆっくり、ゆっくりと、落ちていくような。深く深く沈んでいく感覚。水面に揺らぐ自由はいつも遠ざかっていくばかり。
猶予が少し延びただけなのだろう。結局、いつかは溺れて死んでしまう。シャルルには、そんな気がしていた。
「王子殿下!!」
耳に届いた声は、やけに明瞭だった。心配を多分に含んだその声に、シャルルは目をパチパチと瞬く。何故だろうか。その瞬間、確かに水の中から引き上げられたような感覚がしたのは。
シャルルは、我ながら自分は演技が上手なものだと呆れていた。精霊にしか気付かれたことがないのだ。あの日、兄が部屋に来たのだって、精霊が教えてしまったからなのだから。
それなのに、気付かれてしまった。目の前のたった一人の少女だけに。泣きそうになったのは、どうしてだろうか。
「ふふっ、スタジッグ伯爵令嬢は人魚だったんだね~」
本気でそう思った。暗い暗い海底から、助け出してくれた人魚。こんなにしっかりと息が吸えたのは、いつぶりか分からなかった。
しかし、アイリスが「……え??」と疑問符を大量に飛ばすものだから。少々、表現が詩的過ぎたかと内心で苦笑する。
吟遊詩人は言っていた。“幸せも。悲しみも。喜びも。怒りも。ぜ~んぶ歌に乗せるのさ”、と。
「今日は、聞いていくよね?」
この胸の内を占める得も言われぬ感情は、全部歌に込めてしまおう。それしか、伝える術を知らないのだ。
伝わるかなぁ。伝わって欲しい。シャルルはワクワクと煌めくアイリスの瞳を見つめながら、祈るようにハープを奏でた。
その日の夜、エンティクルブ王国が用意してくれた王都にある来客用の邸。シャルルが自室として使っている部屋で、シャルルは精霊と会話をしていた。
「うん、分かるよ。そうだよね」
窓枠に凭れながら、シャルルはうんうんと頷き相槌を打つ。口元には優しげな笑みを浮かべ、瞳は柔らかく伏せられていた。
「腹立たしいよねぇ」
しかし、瞳の奥には明確な怒りが宿って見えた。今は外遊中、アイリスの事情にそこまで深入りするつもりはなかったというのに。
そういう訳にもいかなくなった。さて、ではどうするか。騒ぎを大きくし過ぎると、もう外交には行かせて貰えなくなる可能性が高い。
隣国との友好関係に亀裂を入れてはならない。ポプラルース王国のイメージを損なうことも許されない。上手く全てを転がさなくては。
「オリヴィア・スタジッグ」
姉から婚約者を掠め取った女。どれ程の悪女が出てくるのか、興味深くはある。
「ん~? 大丈夫だよ。オレは証明するだけでいいんだから。妹の流した噂が、全て出鱈目だってね~」
そうなると、問題になるのは公爵家への被害か。たしかジェイデンには年の離れた弟がいると聞いた。弟にその気があるのなら、ジェイデンには次期公爵の座から退いて貰っても支障はないだろう。まぁ一応、一度ジェイデンに忠告くらいはしておいてもいい。
「キミたちにも協力して貰うと思うけど、いいかな? うん、そっか。よろしくね」
やる気満々な精霊達に、シャルルは目尻を下げる。やはりアイリスは、かなり精霊に好かれているようだ。
ふとシャルルは顔から笑みを消すと、「はぁ~あ!」などと大袈裟に溜息を吐いた。
「王族に産まれてよかったなんて思う日が来るとはね~……」
シャルルは自嘲気味に笑むと、態とらしく肩を竦める。王族であることを利用しようなどと、初めて考えた。
このどうしようもない不自由が、アイリスを救うのなら。笑顔に出来たのなら。少しはこの不自由を好きになれたりするのだろうか。
「スタジッグ伯爵令嬢へのこの気持ちは、どういう類いのものなんだろうなぁ」
アイリスは喜んでくれるだろうか。分からない。最終的な決定権は、アイリスにあるのだから。シャルルはただ、アイリスの選択肢を広げる手助けをすることしか出来ない。
シャルルはどこか困ったように眉尻を下げると、窓の外の夜空を静かに見上げたのだった。




